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『デザインはすでにここまでが必然となっている』


   


     5月 11th, 2016  Posted 12:00 AM

これは現在整理中の動物実験の結果写真です。
あくまでもこれはデザイナーとしての活動。
デザイナーにとって、これまでは動物実験にまで臨むというのは
デザイン活動とは考えられてきたことではありませんが、
「医工連携」での開発では決してその成果は実現されておらず、
流行の「デザイン思考」も間違いであると主張してきました。
「コンシリエンスデザイン」と「看医工学」を結びつけて
全く新しい医療機器を開発してきたために、
医学・看護学・保健学・工学、これらの統合化こそ、
デザインがその主導権をもって進行させるということでは、
この動物実験そのものにデザイナーが加わるというより、
実験そのものを再デザインする立場にあるということです。
まず、動物実験のシステムさえ、
この分野にはまったくデザインは立ち入ってきませんでした。
では、「医工連携」と言ったところで、
工学的なアイディアも、まず、生体=動物上での
確認が必要です。
生体上での「安全性・確実性」が証明されて、
医学的証明=エビデンスになり、生体としての人体での効用性が
やっと明確になるということです。
そのためには「コンシリエンスデザイン看医工学」が不可欠という
実務的な具現化された医療機器が登場するということになります。
かつても、こうした研究成果を国際コンペに提示したことがありますが、
「難しい」とかの理由で受賞出来なかった時に、
デザインが未だにデザイン自身が解法されていないと、
自分は明確に自覚しました。
よって、この動物実験からの「デザインによるモノづくり」を
ようやく公表することが出来そうです。

*『「パラシリエンスデザイン」でのプライミング効果予測』
*『デザインは問題解決の手法であると再度主張』
*『看医工学へのレジリエンスからコンシリエンスデザイン』
*『ベクトル論理では「何がデザインか」となる』
*『商品である「デザイン思考」は経営論にすぎない』


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『電子ペンはすっかり日本開発が海外に負けている』


   


     5月 4th, 2016  Posted 12:00 AM

電子ペンはその登場以来、自分は全てをこれまで使用してきました。
この技術はもうすでに25年程度になると思っています。
さらに元々の出発メーカー・海外からも、
私が使用者と知って相談を受けたこともありますが、
すでにこの電子ペンの実装を知っていたので、はっきりともうこの方向では
絶対に失敗しますから、この分野に向けるべきですと言いました。
案の上、そのメーカーは追い越されて、
とうとう新規の電子ペンが出ました。
文房具としての電子ペンに対しては、
自分の使用性では、まず、「書」が可能?次に「スケッチ」が可能?
それからようやくやっとメモが書けるかということです。
電子ペンは、まず紙媒体にそれこそレイヤー設定、あるいは色設定で
紙に書いたり描いたりをスマホからPC
さらには PADにまで展開と転用です。
この可能性がまた広がり始めましたが、なんのことはない、
海外での発明が一度駄目になり、日本流に改善不足がありながらも、
この商品の欠点や、もはや当然となっているノートに
様々な展開がでてきています。
結局、日本のもう一つの弱点がつかれてしまっているという悔しさです。
すでにPADでは自由なスケッチ技法からアナログ的なレンダリング手法を、
教育出来る程自分の技能は身体化していると思います。
まだそれでも新製品電子ペンは勿論、スタイラスも、
日本独自の開発をするべきだと考えています。
阪大医学部附属病院小児病棟にある学校で
「スケッチ」を教えるつもりです。

*『使い心地を試し使い果たしている電子ペン』
*『私のデジタルアイディアスケッチとスタイラス』
*『iPadでのスタイラス先端が新たなペン先になった』
*artgene blog『デジタルペンその1』
*artgene blog『デジタルペンその2』


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『ファッション誌で知ってさらに自分ファッション』


   


     9月 24th, 2015  Posted 12:00 AM

高校時代は丸坊主が校則でした。
ようやく丸坊主から解放されたときにファッションが気になり、
最初の男性ファッション誌は「メンズクラブ」でした。
美大入学時には母が指輪とブレスレットを男なのに買ってくれました。
以来、私は指輪もブレスレットも母からの命令だと思って収集し、
身に着けていますから、デザイナーで良かったとさえ思っています。
車いすになってふるさと福井で仕事をしているときには、
白いワイシャツ、髪も短く、必ず、イタリア製ダブルスーツでした。
東芝時代は、東芝マンでしたがアロハシャツで出勤する態度でした。
ダブルスーツに拘ったのは、今もそれほど変わりませんが、
車いす姿、若いことで明らかに差別感を受けてしまっていたからです。
福井でも毎日デザイン賞を受賞してからは、
ワイシャツもカラーにし長髪にしたようなものです。
もっとも最近では明らかに差別感を感じたら周りにスタッフがいても、
必ず暴力沙汰寸前になるようにまで、
それこそヤクザさんにも絡みます。
というわけで、逆差別のやり方さえ覚えてしまいました。
ごめんなさい。
今、ファッション誌はワイフの女性モノが面白いですが、
60になってまた「メンクラ」を読むこともあり、
今回なんぞは40になったらなんて記事に、
そうか、自分の40代はこの程度をファッションなんて呼ばない、
ファッションは、浪費と勇気の見栄=見栄えだと思っています。
見栄というのは,浪費できることやその程度でも揺るがない自己表現です。
一所懸命と一生賢明がファッションの哲学であり、
それこそ浪費する自分が一所懸命と一生賢明であることの見栄です。
ちょうど私の世代は、アイビースタイルに憧れ、
それこそ大学時代にネクタイをするフォーマル性を磨きました。
カジュアル性の根本としてのジーンズも、徹底したモノの価値観があり、
昨今では、高級ブランドからファストファッションまで、
それぞれの価値観への浪費性に使用感と所有感があると考えています。
幸いにして、メガネは自分ブランドがありますが、
自分が最も興味を抱いている分野で自分デザインができる幸運さ、
これこそ自分のファッション価値観だと思っています。


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『デザインは問題解決の手法であると再度主張』


   


     8月 23rd, 2015  Posted 12:00 AM

ワクチンの経皮注射器を開発してPKD*の最初の製品開発をしました。
以後、注射器のデザインに取り組むと同時に、
遺伝子検査システム・ワクチンのデザイン開発・注射器の開発から、
経鼻デバイス=鼻からミスト状ワクチンを直接経肺から血管へ注入、
そしてワクチン接種のための遺伝子検査システムも、
これまで1ヶ月→1週間を5時間検査システムまでを開発しました。
これはその経鼻デバイスがようやく工業意匠権が確立して、
遺伝子検査とワクチン開発にたどりついています。
ワクチン接種に関しては、遺伝子検査からのシステム開発を
デザイン計画してきましたが、発表は、ともかくこのデバイス、
その著作権から知財権などが図面作成時から成立しましたが
工業意匠権の成立までは公表を控えてきました。
私はデザインは、問題解決と考えていますから、
デバイスの形態設計だけがデザインとは考えていません。
よって、遺伝子の検査システムは海外のコンペで、
日本代表に選ばれましたが、海外では難し過ぎるとの評価でした。
私は医工連携では決して問題解決は不可能と講演主張してきました。
結果、「コンシリエンスデザイン看医工学」の講座で、
研究・開発・教育にまで至っているわけです。
しかし、残念なことに現在のプロダクトデザインでは、
この分野に参入出来る大学が相当に限定されていることです。
最近では、雑貨品のデザインがマスコミでもスター扱いされます。
それこそ、今、話題のオリンピック関連も単なるグラフィックで
オリンピックという国家イベントは、国家政府ですら、
デザインの本質には理解不足どころか、無知過ぎています。
平然とした盗作がデザインだという一般認識が拡張されています。
かつて、名古屋市立大学芸術工学部時代にも、
芸術工学は英文ではDesign & Architectureとし、
先端統合デザインをデザインに接頭語を私は名辞してきました。
よって、先端統合デザインが医工学デザインにまで進化しました。
その進化が「コンシリエンスデザイン看医工学」です。
この経鼻デバイスが一つの実際例だと紹介しておきます。

* PKD=Peace-Keeping Design
「PKDの途中報告」


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『Consilience Design Phenomenaの形態・制度設計の効用』


   


     3月 22nd, 2015  Posted 12:45 AM

私がデザイナーとして、大学人として辿り付いているのは、
形態設計と制度設計による安全と安心の未来社会の創出です。
しかし、その前に、日本人には天災人災での福島復興が前提です。
この前提には、自然と人間、地球と人類の問題があります。
その問題解決には、私が主張している「ち」という
日本語が理念構造に配置した「血液から、知性、土地など」全てへの
デザイン記号論があると認識しておかなければなりません。
デザイナーはForm=かたち=形態設計を成し遂げ、
そのFormに突き動かされた感性と感情=きもち=Emotionが、
社会と時代のFrom=社会形式の制度でEmotionを制御するのです。
結果はデザイン効用としての命=いのち=Lifeを繋いでいくのです。
そのためのデザインは、学術でのデザイン工学や、
芸術でのデザイン技能に押し込められてきたことから解放が必要です。
私は学術の文科系+理科系に対して、さらに芸術から学術を
もう一度引き離すことを「コンシリエンスデザイン」と定義します。
これまで、大学での文理融合が複合学術領域では制限があり、
芸術を専門的な機関で呪縛していることからも解き放ちます。
かつて、大学は、宗教と医学と法律から出発しました。
その時には、医学はアート=芸術領域でした。
わが国の科学研究の系統・分野・分科の細目を見直しました。
やっとこの中には、これまでのデザインは美術から解放され、
デザイン学が複合領域にあります。
また、設計学は摩擦学→トライポロジーから派生したままです。
当然ながら、医学の細目からは人間学は保健学に含まれています。
私は、もう一度この系統・分野・分科からの統合学として、
明確な看医工学を配置し直しました。
コンシリエンスデザイン看医工学が、危機解放学の基盤であり、
結局は、「かたち」・「きもち」・「いのち」を
デザイン記号学として、造形言語と形態言語に具体的に整理します。

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『18600文字との格闘のために、文献まとめの傍らに』


   


     1月 26th, 2015  Posted 12:00 AM

文章を書くことは全く苦どころか、私には格好の熟慮結果です。
しかし、年明け早々の締め切りをちょっと延ばしてもらっています。
看護理工学会誌からの依頼論文に向かっています。
その傍らには、ファッション雑誌と近々依頼されている
日本眼科手術学会(1月31日・京都国際会館)での特別講演、
そのための準備でプレゼンテーション用に眼科の常識整理をしています。
看護理工学会は、昨年末に基調講演をした内容を論理提案する論文。
ただし、それはおそらく日本初の「コンシリエンスデザイン」を
これからの学際性をデザインで学術化するので、
ちょうど、昨年末に依頼論文であった「治療」という医学誌に、
30年後の医療、特にデザインとの関係論が適切だと考えています。
ただ、残念だったことは、この論説=総説ゆえに、
参考文献が掲載されていなかったことでした。
看護理工学会で、最初の「コンシリエンスデザイン」の概念化は
国際的にも韓国とフランスにもむけるために、参考文献の整理、
実はこの整理作業が、正直面倒でややストレスのために、
締め切りに間に合っていないと思っています。
どんな学会誌でも、参考文献の取りまとめは私は苦手です。
たとえば、参考文献を積み上げて文章を書いている性格ではなく、
文章作成中に、思い出した文献をメモっておくだけでのことです。
今回も、そうして文献を挙げていったら大変な数になっていました。
名古屋から大阪に移動する時に、恩師から蔵書は持っていなさい、
こう言われて、もう書籍は買わないと思っていましたが、
阪大にきて10年目ですが、結局また書籍は増加一方です。
そして、ファッション誌もできる限り目を通しています。
いわゆるファッション誌だけではなくて、まさかこんな分野もあり、
それは、このブログでは紹介を慎みたいと思っています。
「コンシリエンスデザイン講座」は、日本で最初に開設されます。


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「問題解決なのに「応答」商品の氾濫」


   


     12月 8th, 2011  Posted 12:00 AM

今、日本のデザインは方向を間違っています。
誰かが指摘しておかなければならないでしょう。
私は、「応答商品」が氾濫し過ぎていると思います。
デザインは問題解決の手法です。
そして、問題には三つの種類があります。
話題・課題・問題です。
だからそれぞれに「答」がありますが、
これも三種類の答があることを認識すべきです。
話題に対しては「応答」
課題に対しては「回答」があります。
もちろん、話題に対する答としてのデザインは、
造形として、かわいいデザインであったり、
その商品存在が話題になるべき流行やファッション性、
これは不可欠のことです。
社会的な課題になっていることの「回答」商品も必要です。
そして、元来、根本、極めつけは、
何が問題であるかを見つけ出し、その解決「解答商品」が最も重要です。
どこか日本のモノづくりが歪み出しているのは、
「解答商品」を新商品で見かけることが少なくなってきました。
まだ、課題に対して「回答商品」ならば、
国際的な競争力があります。
しかし、ともかく社会的な「話題」だけを追い求め、
あたかも共時性があると錯覚している商品は、
「応答商品」にすぎません。
そのような商品づくり・モノづくりは、
頭脳集約産業の「答」商品ではないことを確認しておくべきです。
どの分野のどの領域かは明言できますが、
まずは、「応答商品」を話題にしている産業は、
確実に国際的競争力を喪失するのです。
私は自分が「買う」と判断するときには、
必ず「問題解決」を果たしているモノを選びます。
日本の再生として、ともかく「問題解決」がデザインであり、
その答としての「解答商品」づくりに
集中させなければならないと考えます。

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