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『美大教育の終焉が始まっている・教員の責務を問う』


   


     7月 9th, 2016  Posted 12:00 AM



多摩美術大学で年1回の特別講義をしました。
正直、大学をすでに退官したときから
あらためて講義を大切に考えています。
不思議だと自分自身思います。
それはいくつかの大きな理由があります。
まず、わが国の「モノづくり」低迷は産業経済力を著しく悪化させており、
それはデザイン界自体が、相当に誤った方向にあるからです。
そのことに全く平気であり
それでもスター扱いされている悪者デザイナーがいることです。
高校時代だったなら・・・絶対に肉体的な喧嘩をしていたと思います。
美大時代の先輩から、「川崎、あいつ殴ろうか?」といわれると、一応、
「先輩、今は立場があるので勘弁してください」と言います。
多摩美大はデザイン界問題の渦中の大学ですが、
この八王子校は全く違いますが、
日本のデザインが海外からも非難されることを
しっかりと次世代に「デザイナー責務」としての発言を実務活動で紹介。
しかし、年々、美大生は大人しくなっています。
これには大問題があります。
「絵が描けるから美大ということ、文系になっていること」。
高校での管理教育の成果にはとてもまじめ過ぎるのでしょう。
真面目な学生は教員意識の反映です。
本来なら他の教員の教育ベースであるデザイナー実務を知りたいです。
「上から目線」と言われても結構です。
が、阪大で退官後に進行している
デザイン実務はやはり最先端であると再確認しました。
3.11を忘れることは出来ないほど熊本地震も連続しています。
それに対してレジリエンスデザインにこの美大のほんの一部教授にも
参画をしてもらっていますが、学生との一体感は無いようです。
それもそのはずです。
大間違いを放置している大学理事会の怠慢性を訴求します。
「デザイン思考」などの大間違いが「ジェネリックデザイン」となり、
その風潮があったことは書き残しておきます。

*『特別講義・多摩美術大学『制度設計と形態設計』』
*『毎日デザイン賞・同時受賞の佐藤晃一氏が逝去した。』
*『造形言語と形態言語とcodeとmodeと、そして・・・』
*『鉛筆削り・手動と電動を使いこなす』
*『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』


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『資本主義からの逃走』
 「* 人前で喋ること、きっと得意分野ですが・・・ *」


   


     3月 29th, 2010  Posted 12:25 AM

講義・講演は大好き
「講演」は私の大きなデザイン活動だと思っています。
なにしろ、一人っ子(母違いの妹がいます)だった私は、
まったく無口すぎるほどの母と二人でした。
父は、職業上、全く家には居ない人でした。
だから、子供の時から「口達者だった」ようです。
小学時代から、弁論大会は必ず優勝していたくらいです。
中学では英語の弁論大会に出場することも大好きでした。
私は人前で「上がる」という感覚がまったくわかりません。
聴衆が少ないと「やる気」が失せるほどの性格だと思います。
したがって、大学人としての講義、
デザイナーとしてのプレゼンテーション、
講演会は、ほぼ、得意分野と言ってもいいでしょう。
苦手なスピーチ
ただし、苦手が一つ。
それは、結婚式のスピーチです。
結婚式には、使ってはいけない言葉があります。
さらに、新郎新婦の名前を決まって、ど忘れしてしまいます。
この失敗から、結婚式は電報で勘弁してもらっています。
しかし、その電報文には満身の力を込めて絶対に結婚式場に、
全く「存在」しているようにと校正と添削の限りをつくします。
だから私は「お笑い番組」が大好きです。お手本だからです。
古典落語も随分と覚えていた時期もあります。
大学の講義は、絶対に準備をします。
同じ講義は絶対にやらないことを堅持しています。
ところが、昨年後期は大変でした。
「英語」での講義を決心したからでした。
前準備は大変であり、それは海外の大学講演のごとくでした。
あとしばらく大学人を続けるでしょう。
講演会は、デザイナーの義務と思っていますし、
私を講師として呼ぼうと言っていただけるなら応えたいのです。
おそらく、そういう意味ではプロです。
次のようなアドバイスをします。
「気合を入れる」!
これは、自分の「気」と聴衆の「気」を合わせることです。
それは、聴衆の「気」の波長をいち早くつかんで、
自分の「気」の波長を合わせていくことだと確信しています。
「気負わない」!
気負ったら、聴衆の「気」に自分の「気」が、負けます。
決して気負ってはならないことが大事です。
そして、もっとも大切なことは、
「言葉」の適切な、「切り方」です。
ただし、それは私が心がけながら最も出来ていないことです。
しゃべり尽くす前に「切り上げてしまう」のが、
ここまでだ!、ということはまだまだ修練が必要だと、
充分に知りながら、これができません。
大切さと大事さ
「大切」というのは、大事さの切り方のでしょう。


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