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Posts Tagged ‘勘違い’


『デザインとデコレーションの差別化は間違い』


   


     11月 11th, 2017  Posted 11:40 AM




私は思いついたらすぐにデザインをします。
そのほとんどにはクライアントはありません。
クライアントがあるからデザインというのは私には全く興味がありません。
だから、いつまで経ってもクライアントがあるという訳ではありませんが、
10年後、あるいは20年後に依頼があれば幸運なことです。
だから、作品集にはそれなりに掲載はしておきます。
先般も、あるクライアントから、この「時計実現していますか?」
「いいえ、全くです。」
「実現したらどうですか?」と。
しかし、それはもう無理だと判断しています。
なぜなら、これは盲人用の時計案でしたが、詳細な図面とモックアップまで、
確実にデザイン設計は終了。
けれども、EONEという素晴らしい触覚だけの腕時計が出現して、
(デザインが負けた)と思ったのです。
私のデザインでは、視覚的には液晶表示。
聴覚では、英語発声でした。
しかも、動作は二つ、視覚は表示窓の開閉、ボタンを押せば発声です。
しかも、「T」と「ト」はTimeと時計であり、同じ点字なのです。
今は、新しいディバイスは発明しています。
が、EONEというこの触覚時計は、世界のデザイン賞をほとんど受賞するほど、
デザイン成果・発明で、デザイン=問題解決がついていました。
最近、あるもう著名なクリエーターをTVでドキュメントを見て、
この人のデザインは勘違いしたデザイン造形だと評価していましたが、
なるほど、と納得しました。
それはデザインとデコレーションの区別がついていないこと。
デザインと機能がしっかりと差別されていることです。
したがって、センス不足を感じるのです。
なるほど、センスとデザインの適合性は難しいのです。
やがて、例えばロボットの進化では、
そんなロボットがあったというロボット史では残るでしょうが、
決してデザイン史でそのロボットは語られないと確信します。
私も生涯の限界が近づいていますから、
例えば、いくつかの審査委員長を次世代に任せたいので、
その選別を真剣にし始めています。
まず、盗作平然なデザイナーは排除します。
商品やデザイン成果では効能性だけで見ています。
それは「社会的・時代的な存在」が中心です。
そして性能は発明一点に絞ります。
効能性+性能性=機能性となりデコレーションという加飾性の限界を
しっかりと判断して、経済的な成果は美しさでの商品価値。
それは安全・安心・信用・信頼の統合が次の評価です。
デザイン審査の委員選定は私には明解です。
デザインの本質を知らない審査委員が余りに多過ぎます。


* 「モノの美しさにあるバランス性が決定要因」
* 『センスの有無が判断できる椅子と曲の選択』
* 『薔薇というシンボルから花言葉も消した問題解決』
* 『製品記号論で語り直す時代がやっと訪れた』
* 『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』


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『米国は壊れてしまっているその追随国家観を捨てよ』


   


     1月 20th, 2017  Posted 12:00 AM



日本人には米国への大きな誤解を捨てられずにいます。
私はApple社でコンサルタントをしていて以来、
周囲からは「右翼」と呼ばれます。
全くの間違いです。少なからず「左翼」ではありませんが、
右翼ではないのです。
それは米国相手に仕事をしてみれば一辺にわかることです。
現在の民主主義なる多数決などは絶対に信用しないこと。
白人主義、キリスト教教義への大疑問、
しかもポピュリズムでの勘違いから、
米国後追いには大きな疑念を持つことが絶対に必要です。
今回、米国の大統領選挙には、ヒラリーにせよ、トランプにせよ、
米国全体の文明度が後退してきたことゆえに、私は選挙戦最初から、
共和党・トランプになることは当然のこと予想していました。
それは何と言っても「変」なのです。何がか?と言えば、
黒人を解放したのは共和党のリンカーンであり、北軍が勝ったのです。
にもかかわらず、民主党のオバマ大統領が選ばれ、
私のメガネはペイリン副大統領候補に選ばれるとともに、
ふるさと福井県小浜市はオバマ礼賛を行うというポピュリズムでしかなく、
米国では民主義よりもポピュリズムでの世界観の大破壊が進行したのです。
明らかに民主主義は破壊されてヒラリーであろうがトランプであろうが、
「白人主義」がトランプを選び出し、
その背後でのとんでもない世界征服観念が
米国の底辺集団の人気だけを押し出してしまっているのです。
米国の正当な知性は失われました。
世界がとんでもなく壊れていくようです。
米国内の混乱から遠ざかるべきでしょうがそれさえ不可能でしょう。
英国はEUを離れ、ロシアの強権発動、中国の一党独裁、
さらに北朝鮮の狂気、韓国の大混乱、それを相手に大丈夫でしょうか?
なんとか、わが国の義と善と美という神道的発想だけが頼りです。
私は右翼ではありません。ただし、左翼の能無しではありません。



* 「商品が記号となった実例・私の体験と確認」
* 『ロシアでの冬期オリンピックに象徴されていたこと』
* 『中国の模倣づくりは市場経済論と一党独裁で破綻する!』
* 「拉致問題解決が先決、現代問題解決は不可能を表徴」
* 「軍需こそデザインによる革新の真の目的」



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『サインカーブ的なデザイン主導での製品化と商品展開』


   


     12月 1st, 2016  Posted 12:00 AM



誰もがベンチャー企業家になれるわけではありません。
いわゆるインターネットがらみでのIT企業化は相当に困難だと思います。
1000社のベンチャー企業が30年後には、2.8社しか残らない、
この現実結果はベンチャー企業化の難しさを表していると思います。
しかし、これからもわが国の基幹産業は、
インターネットとの関係は不可欠でしょう。が、IT 化からの離脱も重大です。
しかし、今やブームとなっているIoT=Internet of Thingsは、
勘違いしている企業目標が多いようです。
確実に二つの兆候が目立ってきていると判断しています。
基幹産業は必ずビジネスモデル展開だけでは不足しています。
そして2020年、東京オリンピック後の日本の経済状況は低迷するでしょう。
そこで、もう一度再考の深度を深めて熟考に熟考での製品企画から
製品計画・商品企画・商品計画をいわゆるベンチャーキャピタル的に
デザイン主導を見詰め直したいと考えています。
その思考方法には、ビジネスデザインモデルの提示をし直すことです。
少なからず、製品化のための計画には研究・開発投資は、
リスク投資であることは間違いありません。
そして商品化からの商品展開での投資回収では、デザインは不可欠です。
そこでのベンチャー的な投資とはあくまでも、投資回収が目的です。
したがって、この目標も、問題解決・価値創出・未来創成は少なからず、
デザイン目的の明確な視覚化として、
私はこのサインカーブ的な発想を試行します。
投資目標と、製品化でのデザイン目的をこの図のように設置してみれば、
たとえば、ベンチャー的な投資でのリスクは
デザインが四分の一は背負っていると考えます。


* 『SF映画に示唆される未来性の確認には「目印=sign」がある」
* 『「百貨店の終焉」が始まっていると見ている』
* 「相対化をささえる『かたち』と『ことば』」
* 「ビジネスモデルはビジネスデザインモデルに」
* 「ビジネスモデルにデザインを組み入れた意義」


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6月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 8th, 2016  Posted 12:00 AM

6月8日 友引(辛酉)


Simple is Bestという
この表現や、
デザインというと
機能性、
これはデザインへの
大きな勘違いがある。



川崎和男の発想表現手法


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『コンセプトからイノベーションは起こらない』


   


     3月 6th, 2016  Posted 12:00 AM



「KK塾」は親友であり同僚、そして今や医学系研究科長の
澤教授にお願いしました。
おそらく、
TV医療ドラマでは有名な心筋の再生医療を知る機会だったはずです。
心臓移植では国際的な権威ですがそれこそ阪大の心臓外科医どころか
緊急医療医としても
医学界では相当の人間生死の現場で経験を持つ医師です。
ところが、
世界でそれも日本の最も慎重し過ぎる薬事法を
「ハートシート」適用させた教授です。
「ハートシート」は患者自身の腿の筋肉を培養して、
細胞シートを心筋シートにして患者の心臓に張り込むことで、
心臓移植どころか、心臓を再生させてきました。
この実績は
日本の薬事法を薬剤でもなく医療機器でもなく細胞シートを
日本の国内法に適用させてしまいました。
これは特に米国を刺激し、
今では世界中からメディカルツーリズムとして
阪大病院にての手術を可能にしています。
澤教授は、心臓外科医だけではなく、無論次世代の医師養成だけではなく、
大阪を中心とした「街づくり」の中心人物になっています。
私自身、私の心臓から身体は阪大にすべてを任せています。
工学研究科から私のミッションである「コンシリエンスデザイン講座」も
今では医学系研究科にて、医学・看護学・保健学、そしてその周辺から、
まだ発表待ちの医療機器、その動物実験、医療環境デザイナーなどは、
すでに、「コンセプトからのイノベーション」ではなく、
「ラインからのアライアンスイニシアティブ」として
やがて公表されることになることを狙っています。
「コンシリエンスデザイン」対「レジリエンスデザイン」は
まさにデザインの本質である発想は「コンセプト」からは逸脱しています。
「lineによってmagic balletなgigがgood vibes」になること。
「デザイン思考」がイノベーションを生み出すと勘違いしている
現代日本を変えます。
「コンシリエンスデザイン」だからこそ、
その実例を看医工学で実際例を紹介講演してもらいました。
生老病死をAIによるゲノムからの再生医療は
医療環境を超えて
新たな街づくりに向かっていることを知って貰ったと確信しています。


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『深緑色の画面・深緑から利休鼠』


   


     2月 16th, 2016  Posted 12:00 AM



今回の「KK塾」で私は画面表示・モニター基準色を紹介しました。
これはモニター設計、それもCRTから液晶ディバイスになってからも、
かねてシリコングラフィックス社とALIAS社でCG制作を見ていた時期、
その経験からのカラー表示を紹介したのです。
これにはいくつかの理由とその意味があります。
それは視覚的に安全なカラーと疲れないカラーがあるからと、
最近ではモニターからの青色が突出していて「ブルーライトカット」、
これがあたかも流行となっています。
100円ショップ商品の遮断メガネには、
大きな勘違いがあると思っているからです。
人間には可視光線というニュートンによって発見された
紫から赤色までの7色(白色人種では6色)の色環があります。
とりわけ、モニターからの色表示はすべて光=電磁波ですから、
これらが視覚的に害を成すかどうかはまだまだ研究の成果が必要です。
しかし、紫外線や近赤外線・遠赤外線は、可視光線を超えていますから、
有害なことは納得できます。
特に「ドライアイ」は角膜の三つの層に悪影響を与えていることは
立証されていますから、メガネは「ドライアイ対策」が必要です。
今回私は、深緑を提案しました、
といっても、
PC:Macからの出力もプロジェクターと一致していませんから、
基本的にはPANTONE®カラーのNo.7712から7720までを準備しました。
肝心なのは日本語で言うところの「深緑色」です。
この色をベースにしたときに、これがいわゆる鼠色系になると
これは「利休鼠」になっていくことことを知った時は
大きなショックでした。
しかもその「利休鼠」の色は北陸の初冬の曇天の空の色でした。
私がかつて液晶モニターからの近赤外線が持つ危険性を公表したときに、
あるメーカーは私を訴訟しようとすらしました。
しかし、その近赤外線は特にプラズマ画面からが多くて、
日本ではある省から危険勧告があり、
欧州からはその様式のモニター輸入は全面的に拒絶されたのです。
今、この画面色を私はワープロでの背景画面に使っています。


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『象形の姿形に潜む意味の吟味』


   


     1月 14th, 2016  Posted 12:00 AM



僕は漢字の形態は、象形文字からの系譜があり、
その系譜には意味となっている姿形が潜んでいることに
深い興味があります。
また、日本人には漢字だけが象形文字というのは
大きな勘違いであり、
アルファベットもヒエログラフに至る象形文字の歴史があります。
したがって、僕は自分のデザイン活動や論理の見直しでは
常に文字を見ます。
特に、気になっている文字は、漢字が略形化されてしまって、
象形の姿形が無く、
伝達の記号になっているのは残念でたまりません。
中国語などでは、実際、中国語自体など在るわけがなく、
漢語に区分されるとともに地域語があるにすぎません。
それは地域ごとに文化がまるで異なっていること、
これは価値感に繋がっていることは間違いありません。
そしてこれは漢語の原語である象形文字の姿形が異なってしまうことです。
そういう意味では、僕は日本語の漢字について、
視覚的な伝達、たとえば高速道路などの略字は認めますが、
本来の略字化についてはとても気になっています。
特に、芸術の芸と藝については、
やはり藝術であるべきであり、工芸は工藝だと思っています。
僕はいくつかの漢字については、象形文字への系譜として
意味が含まれている姿形そのままを生かしていきたい、
その期待観は常に持っていたいと考えています。
代表例では「医学」が今では「醫学」という漢字であったことが
忘れられていることです。
「医」と「醫」では全く意味が異なってしまうことに違和感があります。
おそらく、このように感じているのは僕ぐらいかもしれませんが、
「医学」と「醫学」では全く異なってしまうことです。
明らかに「醫」には薬の瓶までがその姿形にあることや、
「医」のように巫女が弓矢を引くという占い部位が無いことです。
「醫」には癒やしていくという意味が姿形にある象形文字であることです。
文字には表意文字と表音文字というのでは、
アルファベットが表音文字という短絡な分類よりも
僕はヒエログラフとしての象形文字だったことが大事だと思っています。
僕は中国人や中国語が統一のために単略化されたことが
実は歴史上でも偉大な文化を失っているように
あえてもう一度僕は漢字が略字化されることには象形の姿形を再考、
その重大性を書き残したいと考えています。
特に、象形の姿形をサイン=記号化するのはデザインにとって、
とても重大なことだと考えています。


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12月02日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 2nd, 2015  Posted 12:00 AM

12月02日 赤口(壬子)


日本人が発想出来ない民族であること、
それには
二つの実例を私は体験している。

・「ブーム」流行を常に意識し、
その流行に自分をいつも沿わせてしまう。
・革新者の側に居て、
さも、自分が革新者という勘違いが多い。

私はこの実例者を一杯知っている。



川崎和男の発想表現手法


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『低レベルな能力でデザイン評価はしないでほしい』


   


     8月 1st, 2015  Posted 12:00 AM



元来、デザインは応用美術とか図案や装飾美術からという源流があり、
意匠になり、設計になり、そして策略や資源と時代変遷してきました。
しかし、私は美大時代、工業デザイン専攻では、
すでに、発明の設計実務学、問題解決学として
学習と訓練を受けてきました。
美大卒業し、家電入社したときには意匠部でした。
したがって、デザインの真意論・本質論・技術論・文化論では、
ようやく、産業から健康、文化として
文理融合と学術芸術の統合として、
「コンシリエンスデザイン」にたどり着きました。
ところが、楽しみにしていた東京オリンピックでは、
建築とグラフィックに、統合的なディレクター不在と経済効果での
アスリート興業商業主義の悪用としか思えないデザインの大勘違いが
横行し始めています。
建築コンペも狂い、エンブレム選別も知識不足の商業デザイナーでは
コピーだ、ジェネリックだ、せめてアプロプリエーションぐらいの
ハイレベルにも到達せずに、
情報社会で低レベルマスコミに混乱させられています。
そこで、かって35年前に私が伝統工芸産地で包丁、
キッチンナイフの「一体化」と新素材開発、刃先アール寸法など、
問題解決の解答デザインをしました。
ところが、たとえば、ほとんど最初に素材でダマスカス鋼風が、
あたかも刃物という恥ずかしいほどの
能なし刃物産業が世界的に流行しています。
オリジナルデザイナーの没後に、
デザイナー名を騙って自分デザインとは、
ジェネリック家具で氾濫を始めています。
そこに、TPPでの著作権問題を米国主導にするとは、
多くの官僚と議員たちの権力志向の能無しレベルを加速しています。
やがて、私、没後には
私のオリジナル=問題解決=デザインは消滅するのでしょう。
せめても生きているときには、恩師の作品やオリジナル性には
脳外喧嘩師でありたいと決心しています。
ともかく、官僚と議員からデザインの離脱を宣言しておきます。
つまり、オリンピック・パラリンピックを支えるべきデザインが
根本で間違ったがゆえに、夢は消えたのです。


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『まだまだ進化するシャープペンシル、だが作法がない』


   


     7月 1st, 2015  Posted 12:00 AM



ある大学の教授が、筆記具使用を調べた結果、
ほとんどがシャープペンシルであり、
鉛筆使用がたった1名しかいないという記述を読みました。
私は絶対に鉛筆派であり、
意識してシャープペンシルを拒絶してきました。
図面であっても、鉛筆にずーっと拘ってきました。
鉛筆を削ることと墨をすること、
これは私にとって文房具の存在意義と考えてきた根拠です。
ところがまったく削らずに使えるとか、0.5mm以下まで登場すると、
シャープペンシルルに興味がわきました。
シャープペンシルの存在意義は格段になってきたようです。
そして、とうとうあの細いペンシル芯が折れない、とまでなると、
<ホント?〜>となって、自分でも使い始めてしまいました。
シャープペンシルを日本で最初に使った大名や、
それが元来は鉛筆からの発想や、
シャープペンシルと鉛筆の歴史的な競合研鑽ともなれば、
もはやシャープペンシルは見過ごせない存在になりました。
海外からのゲストや海外出張時のお土産には、
私は必ず日本の文房具を持って行き、
「日本の具体的な素晴らしさ」をさも、自分が開発者のごとく、
自慢げに話ができるものであり、大絶賛を受けるのです。
おそらくここからまた新たなシャープペンシルが進歩していくでしょう。
それこそ、
日本ならではの文房具技術の革新を生み出していくこと明らかです。
そこで、私なりには、
シャープペンシルの技術進化は
もっと文具の「作法」として成し遂げる文化があるでしょう。
現在のシャープペンシルには、技術だけからの解放を求めます。
ともかく、シャープペンシルには
デザインの勘違いが未だにあることは明らかですが、
それでもこの進化結果は
次世代のペン文具を想像させることは間違いないでしょう。


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