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Posts Tagged ‘勝海舟’


『イントロ画面を新作して「KK適塾」にした理由』


   


     12月 24th, 2016  Posted 12:00 AM



私は「コンシリエンスデザイン」を次世代デザイナーへ、
いや、低迷するわが国のデザイン職能を語り直す手法にしてきました。
そして「KK塾」から「KK適塾」に変更しました。
最大の理由は、二つあります。
一つは大阪大学は懐徳堂から適塾となった経緯を伝えること。
そして「後世、適塾名を成すとなれば橋本左内をもってなす」でした。
橋本左内は幕政批判ゆえに「安政の大獄」にて斬首の刑。
彼が現代をも見通してきたことこそ、私は語り継ぎたいのです。
なぜならわが福井は越前藩から幕政を批判し新政府案出の一人でした」。
明治維新を引き込んだ最重要人物だからです。
坂本龍馬でも、福澤諭吉でも、勝海舟でもありません。
西郷隆盛は橋本左内の手紙を肌身離さずだった言われています。
ロシア・中国・アメリカとの対峙あるべきことの意欲を伝えていたのです。
前置きが長くなりましたが、
「KK適塾」あるいは「講義・講演」でのイントロ、
その動画を新作にしたのです。
2004年に大阪大学フロンティア研究機構に特任教授として、
名古屋市立大学との兼務になった時のロボット、
「舞」と「踊」を実現出来る時期になったようです。
そして、もう一つは光造形での「トポロジー」を様々に、
3D-CADでEWSの進化とともにCG動画にしたのを準備。
今年度最終の「KK適塾」で見せることができました。
この動画は来春3回目に、
どうすれば見られるかという新提案をするつもりです。



* 「心を持つロボット表現として、『泣き出す表情』」
* 「ロボットが『心』を持っている?かどうか、ということ」
* 「基本はトポロジーの形態が出来るかだった」
* 「二回捻ったトーラス(ドーナツ)同様にすれば」
* 『日本で最初のCAD解説本が示していたこと』


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「徳富蘇峰の評価も忘れられて・・・・」


   


     7月 25th, 2013  Posted 12:00 AM



坂本龍馬評価・無血革命と言われた明治維新、
私は日本人が集団化したときの評価を、正当に観ることが肝要。
このことを私の生き様の中心に決めてきました。
だから私の判断が全て正しいとも思ってはいませんし、
私自身、意地であっても固守するという気概を肝心にしています。
かつて、ある事で、
「おまえは、友情と憂国とどちらが大切か!?」と聞かれて、
「憂国であり、たとえ虚像であっても憂国無き友情など無視!」。
こんなことで絶交経験もあります。
そういう意味では、橋本左内のごとくを選びます。
彼は15歳にして以下の「啓発録」を書きました。
        ● 去稚心・稚心を捨てる
        ● 振気 ・気概を発揮
        ● 立志 ・志を立てる
        ● 勉学 ・学問を尊ぶ
        ● 朋友 ・友人を選ぶ
この五つは子どもの頃から、たたき込まれてきたと思っています。
福井県では必ず「立志式」が慣行となり、
「啓発録」という教科書も独自にありますし、
改訂を楽しみにしています。
だからこそ、小説であたかも明治維新の歴史的史実を疑います。
むしろ、わが国のジャーナリズム発祥人の一人である徳富蘇峰、
彼が、数少ない橋本左内自筆の書を所有し、
奥書きをしたためていた事実を心から喜んでいます。
適塾といえば、福沢諭吉は塾長でした。
しかも、橋本左内と生年は同時です。
左内は1849年に入塾ですが、諭吉は1854年に入塾です。
そして1859年に左内は惨殺されました。26歳です。
1860年「咸臨丸」に諭吉は乗りますが、
艦長・勝海舟とは「犬猿の仲」になったと聞きます。
諭吉が生涯、体制派ではない理由、
その心底には同塾生への想いがあったと思いたいのです。
徳富蘇峰もきっとその想いだからこそ取得保管したのでしょう。
私もこの五条で生きのびる覚悟です。


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「東日本大震災のNHKジャーナリスト講演から」


   


     12月 24th, 2011  Posted 12:00 AM



震災直後のNHK取材は3D撮影であり、
監督されたNHKメディアテクノロジーの智片通博氏に
阪大で特別講演をしてもらいました。
依頼後時間が経ちましたが、
かえって「風化しそうな」記憶を再確認できました。
私自身は震災直後から東芝で
「復興計画デザイン」に関与してきました。
ほぼ10ヶ月かけて「全計画」を書き上げ、
来年早々、東芝トッププレゼンします。
デザイナーとして40年の実務経験からの発想です。
講演では、取材編集はあの日の参議院予算委員会から始まります。
時間経過にそったNHKの天災時対応の詳細や、
そうした放送台本が放送直前の修正まで見ることができました。
私はメモを相当に取りました。
講演を見聞し、幾つか私の心に残り書きとどめたことです。
●震災の歴史的記念は
これは残すべきかは被災された方の気持ちが大事で記念館など不要。
●市町村合併によって町名に何ら東北地方性が失われていた。
●1000年に一度の天災でこそ
「役立たない技術」などはまったく人類に不要。
●NHKは日本人全員の生命と財産を守るマスコミとして
相当の日常的準備訓練があったこと。
●「みちのく」を復旧し復興することが政治で可能だろうか。
●マスコミとしてのNHKに対して、
ミニコミの必要性がもとめられますが、そのあり方。
●箱根を境界として、
日本が二分されてしまった現状から国力再建の可能性。
私は、あらためて国難の中にたたずんでしまっている
自分を客観視しました。
講義後、講座担当教授としてこのような話でまとめました。
1860年、日米修好通商条約提携に向け、
勝海舟・福沢諭吉が乗った咸臨丸が出航。
1854年から1859年は「安政時代」、社会不安に天災続き、
特に大阪も安政南海地震で大津波、
結果、難波(津波災害から)、梅田(埋め田)という地名が生まれるほど。
NHKでも若い取材者は、精神的ショックが相当だと聞きました。
現実、大学生にもボランティアに行きつつも、
そのやりきれなさで自殺者が出ています。
私たち日本人にとって、この震災・津波・原電事故は、
日本を「壊滅」させました。
それ以上にタイでの洪水は、産業的海外基盤を失っている状況です。
祖父や父世代が、日本を敗戦ながらも「楽園国家」にしてくれました。
その楽園環境に麻痺していたのかもしれませんが、
現実、まだまだ復旧さえ進まないわが国は
本当に「絆」をもって再興すべきだと再決意しました。


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