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Posts Tagged ‘危機管理デザイン賞’


『研究棟看板「Consilience Design Interdisciplinary Studio」』


   


     4月 8th, 2015  Posted 12:00 AM



「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」は、
英訳するのに困りました。
コンシリエンスデザインは、明らかにコンシリエンスという概念は
出来上がっていて、この論理性は未来を確実にしています。
看医工学という、看護学・保健学・医学・工学は、
これまでの医工連携での限界性を打ち破る学際性が明確にありますが、
医工連携に固守している輩には、もう誤魔化しが不可能なことを
指示しているのですが、看護理工学会では看医工学という名辞は
大好評でした。
コンシリエンスは文理融合をデザインが超越させます。
そこで、コンシリエンスデザイン学際化スタジオが的確でした。
この2年は「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を
単純に受け入れていました。が、従兄弟は信頼・安全性工学では、
それも宇宙開発事業での展開で権威でしたから、
「危機は管理出来ない」と言われて、それから私は、
すでに教科書や、資格制度を洗い直し、「危機管理デザイン賞」の
審査委員長も退任しました。
「危機の管理は不可能である」と「危機は解決すること」から、
危機解決学へのデザインそれは学際的でなければを組み立てました。
「前例が無い」と言われれば言われるほど、
確実にこれはデザイン実務でこそ、危機、それも管理では、
リスク=起こるかも知れない危険だけではなくて、
クライシス=起こってしまった危険を問題として即解決学になりました。
これから、私は危険とは、生命が失われることが最大の問題です。
だからこそ、医学を取り囲む学術だけではなくて、デザインゆえに
芸術を組み入れた文理融合までの統合的な学際化をめざします。
学際化を果たす教育・研究・開発を産官学にまでと意図しています。
「Consilience Design Interdisciplinary Studio」が至極、
私には的確だと思っています。



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「『ふだん』・『まさか』安全と安心は相対的でしかない」


   


     9月 8th, 2013  Posted 12:00 AM



大阪のこの自宅にてすでに8年目です。
9月5日の日本列島全体が「ふだん」ではなくなっていました。
3.11以後、この亜熱帯の小さな列島に竜巻と凄まじい雷鳴が轟き、
「まさか」という事態に驚きました。
自宅は大阪市内の上町台地ゆえ裏側には大阪城があります。
少なからず、豊臣秀吉以上の景観を見つめることができます。
しかし、「ふだん」の景色は異様な雲行きでした。
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を開設して、
これまでの危機管理学:国際経済関係論を母体にしてきた学域、
危機管理学にデザイン工学で、机上の論理=Desktop論を、
「産業」に持ち込みたいと考えてきました。
2012年3月29日に石巻市で副市長にプレゼンをしました。
その後の無反応さ、7月2日には中川前防災大臣へのプレゼン、
大臣の意志決定力の無能さを敢えて書き残します。
そこで「危機管理デザイン賞」の設定は8月1日弁護士会館。
私は真剣にプロの覚悟でこの「国難」に対して、
「デザイン工学」+「危機管理学」=新産業の創成でした。
よって、今春退任であった大学にそのまま「寄附講座」として、
自分の人生を行学の士としてやり尽くそうと考えてきました。
したがって、大学時代の同級生達はリタイアしていますが、
私なりの道に入りました。
おそらく、私が自分の人生の「ふだん」は「まさか」に変容です。
ようやく、学域設定の基盤がまとまりました。
「危機」には、「ふだん」起こってしまった危険=CRISISと、
「まさか」と想像と準備していた危険=RISKがあります。
しかし、このふたつの危険を「機会」と捉え成すとき、
CRISISとRISKを包括的=まさにインクルーシブな科学的手法、
それこそ「デザイン工学」で新たな学域と実務手法になりました。
私は、多分、この大阪で海抜120mからの景観を毎日見るでしょう。
もし、私がこの場を離れるときは、明確な諦観で、
この列島を離れる時だと思っています。
だから、私にも「ふだん」と「まさか」を保持しているわけです。


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「危機管理産業創成をデザインが主導する」


   


     7月 31st, 2013  Posted 12:00 AM



「March 11.2011」で私たちは同胞達を失いました。
なぜ、自分の生涯で、この国難と向き合うことになるとは、
どれだけ報道や、現地で、前政権での大臣プレゼンをしてきました。
「危機管理デザイン賞」を創立しました。
結果、定年退官ながら、大阪大学吹田キャンパスにある
私の研究室に残って、
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」をやります。
7/30、阪大中之島センターで、大阪と東京を回線で結び、
基調講演(大阪府警察本部長)後に、
私は「危機」の定義とデザインでの産業創成を話しました。
画像は、プレゼンのその一枚です。
「March 11.2011」は、「危機」です。
危機とは、危険で大変な事態=生命に関わります。
しかし機会=賢明な即判断、想像できる限りの危険対策準備です。
危険であるからこそ、これを絶好のチャンスと熟考し、
即判断、即準備し、「制度設計」と「形態設計」を産業にも
有効な危機管理デザイン工学領域を学域に創ろうと考えます。
その具体例は、
Crisis=起こってしまった大変な事態に即対処すること。
Risk=明日起こるかも知れない大変な事態に即準備すること。
この二つから、幾つかのプロジェクトをすでに実務化しています。
むしろ、大学を退官したからこそ、
新たな視野にある「危機管理デザイン」を産業化できるとさえ、
私は存分に熟考と実務に邁進できるのかもしれません。
これまで、国際関係論で1960年代から1990年代の学域に、
私は「デザイン」=問題解決と未来創出を導入します。
大阪と東京で、この講座のキックオフとともに、
内閣官房では、稲田国務大臣と藤巻参議院議員、
この二人に早々に会合をもっていただきました。
国家ミッションに「デザイン」、
その実務を始める記念日になりました。


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「大きなヒントだ!『危機とは、何が危機か』」


   


     5月 7th, 2013  Posted 12:00 AM



「March.11.2011」を体験した私自身の運命。
私はデザイナーという天職である幸運があり、しかも車倚子生活。
自分の生涯でこの国難と真正面に対峙しなければなりません。
そして、大学を退任しましたが、
「までい-Project」=東日本大震災の復興デザイン計画と、
それをさらに大きな視野で捉え直す「危機管理」へのデザイン。
これが私にとって最期の仕事になると常に言い聞かせています。
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を率いています。
しかし、危機管理学・危機管理工学、
さらに、危機に対するデザイン、プロダクトデザインの学際化。
この学際化で「危機への臨機応変なデザイン」と、
その「産業化」をめざしています。
問題は、「危機とは何か」ということ、
私の定義づけの言い換えは、「何が危機か」です。
おそらくこれからも、このFBで、
その「応答・回答・解答」デザインを記述していくでしょう。
資料を読み込んできましたが、
最近、この「危機とは何か」について、
真正面からしかも冒頭で、
この考察を「ことば」にした本にやっと出会いました。
とても大きなヒントです。
というよりも、私の人生でこうしたことは度々起こります。
それは、常にこの「問題提起」を掲げていれば、
誰かにささやかれたように、思考のヒントを目前にするのです。
まず一回読んで、さらに私が読みあさった資料から、
この考察のままでいいのだろうか、と再思考します。
結論は、
まだ浅薄過ぎると言うのはこの学者への反論のようですが、
それは、私がデザイナーであり、大学人として、
しかも「危機管理デザイン賞」を選別する責務での判断です。
さらには、「危機管理を成就する産業そのもの」に、
プロダクトデザインで主導していくことだけに、
私は、これだけの定義では無いと明言しておきます。
危機管理学と工学とプロダクトデザイン、
この三つの学際化によって、
この天災と人災、日常が「危機状況」に対して、
わが国の産業化をと考えています。


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「『危機管理デザイン賞』特別賞の二つ」


   


     3月 29th, 2013  Posted 12:00 AM



「第一回危機管理デザイン賞」は審査委員会が、
応募を離れて「知られていない団体」をあえて選びました。
危機管理学や危機管理工学はまだまだ学際化されるべき学域です。
すでに大学にも、この関連講座はありますが、
ほとんどが「制度設計や行政論」に偏っています。
しかし、審査委員会は今回は3.11で見逃された活動に注目しました。
一つは、救急医療で人知られずに活躍したNPOがありました。
AMDA=Association of Medical Doctors of Asiaが
いち早く救護に入って、
どれだけの人命や救護活動をしていたことでしょうか。
この団体は、今回の3.11に関する情報も大変に精通していました。
もう一つは、この団体こそ、
北海道から自衛隊を被災地に隊員輸送を行いました。
3.12には15000人を送り込んだと言われています。
その成果は、本来なら35000人の同胞を失うかも知れなかったことが、
結局は15000人も救助していたことはほとんど報道もされず、
彼らも喧伝しませんでした。
無論、
3.11を裏から目立たず支えたグループや団体や個人も数多かったはずです。
そこで、
この二つのグループに会長賞=Excellent awardとして表彰しました。
昨日はグランプリに「検体DNA採集セット」を選びましたが、
危機=「最悪の事態」にデザイン=問題解決実務が、
制度設計だけではなくて、形態設計や実務設計で、
こうした危機=「最悪の事態」から、
人命が開放されることを意図しています。
制度設計としての危機管理学、形態設計としての危機管理工学、
さらにこの二つをさらに学際化=デザインすることで、
私は、この専門職種が必然だと考えています。
この二つの会長賞からも、
危機管理の専門職は新しいテクノロジストの養成でもあると考えています。
大阪大学大学院・工学研究科では、
「危機解決の産業を日本から起業し、
その主導をデザインが牽引する」こと、
これを目指して、
私はこれまでの医療・原子力・ロボット・警備などを
デザインでまとめ直すこと。
私の最期の仕事だと考えています。
インターン学生を求めています。
かなうなら、
専門のテクノロジスト・ドクターを養成したいと考えています。


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「『危機管理デザイン賞』第一回のグランプリは」


   


     3月 28th, 2013  Posted 12:00 AM



第一回の「危機管理デザイン賞」の授賞式を法曹会館で3/15に行いました。
まだ、デザイン賞設立のアピールが出来ていませんが、
応募された作品は、二つにわかれました。
一つは、これまで、防災や坊犯で考えられて開発されたモノと、
3.11でこうした災害や非常事態にも間に合うというモノでした。
私は、3.11を事例としても、
デザイン変更してそれが、
レジャーやアウトドアにも使えることを提案しました。
3.11を経験したからこそ、今後の地球環境保全やエネルギー開発など、
今後、
わが国が開発し輸出できる「産業」になってもらいたいと考えています。
そしてそうしたモノを産業化するには、最初から、
デザインが主導していくことです。
大阪大学大学院・工学研究科は、
「危機解決産業の創設をめざすデザイン開発の重要拠点」と
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を、
4月から活動を開始します。
3.11の復興計画を10ヶ月かけて作成し防災大臣にプレゼンしましたが、
前政権はまったく駄目だと判断したところ、
この「危機管理デザイン賞」の審査委員長を拝命しました。
そして選び抜いた「グランプリ」は、
長年、警察の鑑識用を開発してきた「ニプロ株式会社」の
現場でのDNA検体採集セットを選びました。
これはまだ開発中ですがこうした授賞によって、
これまでは都道府県毎の鑑識器具道具のセットを
「防犯という危機管理」に対して、
すべてをわが国の実用はもとより、
全世界が使えるように「産業化」を支援します。
本賞の設立のひとつの大きな目標です。
これまで覚醒剤検査セットなどもこの企業にはあります。
それは裁判用の確実証拠品になります。
検体DNA採集では、今は単なる綿棒やポリ袋ではとても不完全ですが、
このグランプリ製品こそ、
「危機管理デザイン」ということを表しています。
「危機管理」とは、「最悪の事態」にデザインが関与して、
生死を明確にするコトです。
検体DNA採集というのは、「危機と防犯」を結びつけたモノですが、
このような事態に、
即応できるということを「進化」させた知恵だと思います。
第一回目ですが、グランプリ・ゴールド・シルバー・特別賞を見れば、
わが国のこれからの技術が「最悪な状態」を「デザイン」が解決すること、
これが明快になると考えます。


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03月15日Staff Blog


   


     3月 15th, 2013  Posted 9:53 AM

3月15日

第一回「危機管理デザイン賞」授賞式と
受賞者による発表会の件で
東京に行ってきた
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)

多数ご応募の中、企業様、
個人様、計17組が受賞されました。

BOSS総論
受賞者発表の後、BOSSが総論を行いました。
安心、安全を創造する為の
デザイン考察など、
今後の危機管理の指標が示されました。


その後、受賞者の皆様による
プレゼンテーションを行いました。
応募段階では明示されなかった、
未来に向けてのご活動等を拝聴し、
皆様の危機管理に対する
問題意識の高さに大変感化されました。

受賞者記念撮影
最後に、受賞者の方々との記念撮影を行い、
式は無事終了いたしました。
危機管理デザイン賞にご応募された皆様、
受賞式にご参加頂いた皆様に
御礼申し上げます。

尚、今年の4月より
危機管理デザイン賞の応募を開始し、
今年10月開催の
防犯防災総合展(大阪)
危機管理産業展(東京)
を通して審査を行う予定です。

危機管理にご興味、ご関心がある皆様からの
ご応募を心よりお待ちしております。

危機管理デザイン賞の詳細は
こちら⇒


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「今日からフランスへ」


   


     3月 4th, 2013  Posted 12:00 AM



一昨日「最終講義」を終えました。
母が47歳で逝きましたから、私も47歳で生き方を変えました。
1996年に名古屋市立大学芸術工学部が新設とともに、
私は大学人になり、デザイナー活動と二足のわらじを履いたのです。
2006年には、芸術工学科・博士後期課程が完成年度とともに、
私は大阪大学大学院に転籍しました。
「光陰矢のごとし」です。
64歳にて阪大を退官することになり「最終講義」をさせていただきました。
退官しましたが、
「危機管理デザイン賞」総合審査委員長ということもあり、
大阪大学大学院工学研究科は、3.11という大経験を乗り越えて、
これからmade in Japan産業を「危機管理関連産業へのデザイン応用支援」の
重要拠点として、国家ミッションを引き受けることになりました。
特任教授(名誉教授)・プロジェクトリーダーとして
現研究室をさらに拡大していくことになりました。
講義前日には、「危機管理デザイン賞」の審査で、
大阪市内のショールームで応募賞品や、
阪大研究室に送られてきたり、
作品ともども持ち込まれた応募者と会談もしました。
気づいたことは、わが国がこれほど天災・地震や津波国であることですが、
「危機管理」といっても、まだまだ知識不足が多いことでした。
もちろん、
グランプリやゴールド、シルバー賞、特別賞候補などを決めました。
その翌日には、阪大発祥の大阪大学会館にて「最終講義」でした。
大勢の人が見えて、会場は満杯になり、
お花やプレゼントを一杯いただきました。
明日から、
フランス芸術大学(エコール・デ・ボザールはフランス各地に散在)
パリにて、
退官後、引き受けることになった「危機産業創成デザイン重要拠点」にて、
阪大が「危機管理産業のmade in Japanをしていく話をしてくるつもりです。
最終講義にご来場していただいた皆さんや、
来れないからと連絡いただいた皆さん、
そして、すべてを管理してくれた研究室やオーザックデザイン、
現スタッフ、元スタッフに心から感謝します。
帰国とともに、
デザインによるこの災害から危険、危機への産業化を主導します。


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「これからの私、私が賢明で懸命になること」


   


     2月 27th, 2013  Posted 12:00 AM



2月26日誕生日でした。
本年度で大阪大学大学院は定年退官が決定しました。
しかし、昨年、「危機管理デザイン賞」審査委員長を拝命し、
昨年7月2日には、前政権の防災大臣に1時間半も
プレゼンテーションをしましたが、
案の上、この「政権ごっこ」などは、
全く私の想いとはかけ離れていました。
8月1日には、弁護士会館にて、
危機管理デザイン賞」創立の講演をしました。
その結果として、
大阪大学大学院工学研究科の私の研究室に、
特任教授として、
「危機産業創成デザイン重要拠点」づくりが与えられました。
64歳にして、再度、この国難国家をデザイン主導、
大阪大学大学院を重要拠点とした、
プロジェクトリーダーになる決意をしました。
ところが、インフルエンザで阪大病院に入院するとか、
グアムに行くとか、東京でのクライアントに会うとかでした。
幸いにして元気を回復し、
博士後期課程=博士号取得者もいることから、
3月2日には「最終講義」をします。
デザイン界の恩師・平野拓夫先生や従兄弟やふるさとの伝統工芸産地から、
教え子たちも来ていただけることになりました。
今回のインフルエンザで、多分、もう本当に駄目かと思うほどでしたが、
元気になってしまい、熊本大学にて後輩の依頼で講演をしてきました。
まだ、走り続けることになりそうです。
公共政策では、制度設計論が様々な大学にもありますが、
私は、3.11があったからこそ、
国家防衛から警備警察、さらには防災・防犯などへの
新しい産業を「デザインで牽引する」というテーマを抱きました。
ようやく、新政権が本格的になろうとしてくれています。
であるならば、
デザイナーとして、デザインディレクターとして、
そして大学人として、大阪大学大学院をハブに危機産業の創成こそ、
これからの「公共」のあり方を支える、
産業構造を創出したいと考えています。
これが、これからの私が、
より賢明になり、より懸命に行学を貫く所存です。


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「デザインが新産業MADE IN JAPANを創成させる!」


   


     2月 25th, 2013  Posted 12:00 AM



人間の存在は、天災と人災に毎日、そして日常さらされています。
つまり、人間の存在=生きることそのものが危険いっぱいなのです。
それこそ、3.11という大天災は、
一瞬にして同胞達が消滅してしまいました。
連日、日本国中のどこかで人命は「危険」と共にあります。
天災であろうが、まして人災であろうが、
私たちには「想像し創造する力」があります。
天災も人災も、人間には多大な問題ですが、
そうした問題解決には、
人類は永い歴史の中で大きな知恵を見つけだしました。
それは、どのような問題・問題意識に対決するには、
あきらめることや批判し非難することではありません。
何と言っても、問題と対決するならば、
「想像し創造すること」=問題解決をいつも念頭に置くことです。
それこそ、問題解決の実務は「デザイン」に他なりません。
私は、3.11対策で1年間、
デザイン実務で何としても問題解決に向かいました。
しかし、この問題解決を図るには、政治的な力が不可欠でした。
つまらない「政治ごっこ」の政権などに図れるはずがありませんでした。
力無い大企業も全くあてにならないことを思い知りました。
だから日本国家思いの大組織と「危機管理デザイン賞」を新設しました。
そして、丁度、阪大退官時と重なりました。
それなら、新たなMADE IN JAPANでの新産業エリアを、
デザイン主導で開拓していくことに気づきました。
研究室を引き継いで、新産業=危機管理産業そのものを、
最初から、この関西から発信しようと考えました。
しかも、インフルエンザを経験して、
どれほど単なる風邪であっても生命の危険を想い知らされました。
地球環境問題には、Peace-Keeping Designとも重なりました。
原発問題も、相当に思考を深めなければなりません。
俄然と勇気を出して、私の人生の最終章をかけて、
新産業開発をデザインで主導していくことを決心しています。
あくまでも、「モノづくり」で問題解決を成し遂げるつもりです。
このwebsiteにて、新たなアイディアをいっぱい発信していくつもりです。
そのためには、インターンとしてのデザイナーを求めたいと考えています。


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