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Posts Tagged ‘原点’


10月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 17th, 2016  Posted 12:00 AM

10月17日 先勝(壬申)


線は二つの点を結ぶ。

ということは、
必ず、
発想の原点は二つ必要だ。
この二点で、
発想の線が一本できる。



川崎和男の発想表現手法


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『越前和紙こそ、紙の文化を再活性できるはずだ』


   


     8月 8th, 2016  Posted 12:00 AM



「紙」は日本の文化の産物です。
それは和紙にその根幹があります。
ところがユネスコ遺産に、越前和紙が選ばれなかったということは、
本来1500年の和紙文化という継承性に対し、
日本の国家の勝手な制限制度によって、
和紙産地はまるで破壊されたようなものだったと思っています。
和紙づくりは越前の山奥で始まったと言われています。
川上御前という女性が突然現れて和紙づくりを教えたという
このような逸話が残っていますが、これは想像です、
多分、飢餓で苦しんでいる山奥の里に朝鮮からの誰かがおしえたのでしょう。
30代の自分は、福井県越前市の山里に「森羅万象悉く紙なり」という
このコピーでオータキペーパーランドという産地ブランドづくりに必死でした。
無念ながら、この産地活性化は成功せずに終わりましたが、
和紙そして紙への知識と見識をデザイナーとして一杯得ることができました。
越前和紙をレンブラントが使っていたということも最近は分かりました。
折角、日本の紙の原点である越前和紙をなんとしても駆使しようという
その動きが出てきました。
そこで、「大学ノート」と言われるいわゆる学習帳面に、
その最高級品で1000年は大丈夫という大学ノートに仕立てた
大学ノート様式の非売品をいただきました。
帳面ゆえ相当に廉価である必要があります。
確かにとても高額なノートもあるだけに、大学ノート仕様では
とても市場性はありませんが、自分自身がアドバイスを考えて、
なんとしても世界に誇れる紙を越前和紙からと思っています。
なにしろ、100円ショップで事足りてしまう大学ノートのままでは
とても商品、その価値創出はほとんど困難であり、最近では石灰からの紙も
そして古紙から10回もリサイクルし、しかも水無しでの紙が創られる時代です。
紙づくりには、水をどれだけ必要とするのかとか、
リサイクル性が要請されています。
それ以上に「書き心地」の大問題があります。
鉛筆、サインペン、ボールペン、筆、万年筆での書き心地です。
そうゆう意味では越前和紙はまだまだこのように一応大学ノートで、
という開発が見えてきたようです。
デザイナーとして最高のアドバイスを与えたいと考えています。


* 『和紙は越前和紙ぬきになぜ語れるのだろう!?』
* 「越前和紙から名塩和紙への悲しい物語り」
* 『納得出来ない日本の伝統技=和紙の切り売りと分断化』
* 『越前和紙に私専用を特注、なぜなら伝統の技能だから』
* 『やわらかい美しさのあるノート』


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『造形デザインがレジリエンスデザインを具体化解答』


   


     12月 24th, 2015  Posted 12:00 AM



工業デザイナー仲間と話をすると必ずこの車の話になります。
フェラーリでも、ポルシェでも、ランボルギーニでもなく、
ボンドカーになってしまいます。
成金趣味を超える所有と使用、
その価値は爆買する中国人には売らない主義、
それを今も護りどこまでデジタル化を許しアナログ性を護り抜くべきかは
企業現在のモノづくりの限界設定であり、
価値感のあり方に対する「閾値」決定論になっていると私は考えています。
「価値論」の根本は今流行の「デザイン思考」では決して到達しません。
なぜなら、
デザインには三つの方向があります。
相互作用力と重力=現在時代力、電磁力=経済と文化と歴史です。
さらに思考には、思うことと考えること、
この三つが反映されてこその「デザイン思考」には大欠落があります。
それは「野生の思考」から「デザイン思考」が
生まれたわけではないのです。
元来、デザイナーの方法論がビジネススクール以上の方法論、
それも「イノベーション」を導き出すというのであれば、
シュンペンター発想が歪曲された資本主義上では成立不可能なことです。
そこで私の使命は「コンシリエンスデザイン」に辿り着きました。
日本のモノづくり原点から一度は経済的な大試練を受けた、
新たな公益な資本主義と
デザインの統合主義=コンシリエンスデザインです。
具体的に私は一つのカーデザインにその具体性を唯一見いだしています。
だからデザイナー仲間が集まるとこの車、ボンドカーになるのです。
そのディテールには風=風圧と速度を曲面造形の抵抗とその解消解答です。
これはコンシリエンスデザインとレジリエンスデザインのシンボルです。
レジリエンスデザインというのは、一言で断言してしまえば、
ストレスには決して押しつぶされない抵抗自力の端正力です。
人間は決して自然とは調和などできるわけがなく、
しかも人間には有限があります。
生きていくことが死んでいくことへの道程であり、
そのことを忘れて生きているにも関わらず、年老いて直ぐに気づくのです。
ボンドカーにある曲面造形には、風圧抵抗:前進しなければならないこと、
その抵抗を真正面で受け止めて、
後方では見事に重力で地面に張り付くという造形での解決策です。
私は安易に「デザイン思考」とは呼ばずに、
「コンシリエンスデザイン」と呼んでいます。


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『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』


   


     8月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM



私が椅子のデザインを追いかけたのは、車いすのデザインと
そしてある家具メーカーを家具見本市に出展させるためでした。
椅子を倚子というのが本来として、倚子の歴史を調べました。
一つは禅家所乗物・發子・独搨にたどりつき、
日本の仏教伝来と実は深い関係があったことや、
西洋でも、多分、土製と思われるスツールをメトロポリタンで見ました。
車いすのデザインではシェーカー教徒の家具全般を知り、
そのためにふた夏、ボストンの郊外にあるシェーカー教徒の村を訪問。
そして、デザイン界では今なお名作であるハンス・ウェグナーのYチェアに
禅家所乗物の一つ=日本では説教台の原点を見ました。
ウェグナー自身が、この椅子に関して
自分が中国の乗物から大きな影響を受けていると記述していました。
(この記述を探していますが、まだ見つかっていません)
美大時代には、イタリアのアビターレがインテリア・家具を学ぶ
まさにテキストでしたが、それは自分で選んだ家具をまずスケッチし
その上で覚えることをしていました。
それは、デザインのための資料で刺激・インスパイヤーされる、
一つの訓練でもあり、絶対に盗作をしないことの基本姿勢でした。
中国では、いわゆる物真似家具がとても安く生産されて、
それをジェネリック家具とかジェネリックプロダクトということへは
私は職能的倫理観をもって、この考え方をジェネリック薬品と比較し、
徹底的に論破を主張してきました。
「オリジナルからインスパヤーされてもオリジナルを超えられない」と、
美大時代には教わってきました。
ところが、ジェネリック家具どころか、オリジナルデザイン作家が
逝去すると、そっくりな家具を平然と行うことや、
それがあたかもアノニマスになっているからと自分の作品にすることは
私は絶対に許すことが出来ません。
まして、デザイン系大学で教員自らがジェネリックプロダクトとは
決して容認どころか、これは訴追する必要がると考えています。


http://www.nanna-ditzel-design.dk/F6.html
これを自分のデザインとまで発表するのは「盗作」である。
彼女は逝去されている。


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『アートからの革新=フォンタナの作品から』


   


     8月 9th, 2015  Posted 12:00 AM



私はあまり講演会に出かけるタイプではありませんが、
このところ2回に渡って若い建築家集団の定期的講演会に行きました。
最も、前回は内藤廣氏であり、彼から講演前に例の国立競技場の
現場設計チームで苦渋の統率をしていましたから、
これまでのプロセスを聞くことが出来ました。
今回は北川原温氏で、彼の高校時代先輩からの誘いを受けたからでした。
しかし、北川原氏とは35歳当時から、そして、ある建築コンペでは、
建築家では無い私が審査委員としてその審査に加わり、
彼にある地方のある施設の建築を彼に決定する裁断をしました。
前回も今回もこの講演会は、建築家自身の生い立ちから
思想までを聞き出しながらのとても面白いものでした。
北川原氏の建築活動の後ろ側は、彼の生い立ちや思想の原点があり、
講演会での会場からに質問後には、私に司会側から質問がきました。
正直、建築界とデザイン界はとても近い存在であり、
私もGマーク審査委員長時にはグランプリは建築を選んだほどでした。
今回、彼が建築思想の裏側は現代詩から現代アートが強くありました。
そして何と言っても、ルーチョ・フォンタナが出てきたことに
私はビックリしながらも、かつて彼を建築コンペで選んだ納得の基本を
再確認することができました。
フォンタナのキャンバスにテンションを与えて、
「切り開く」作品は、まさに「革新」を実在化した作品でした。
それは、革新という言葉の意味が、
「革をピーンと張って刃物を入れる」という行為そのものでした。
私もフォンタナのこの作品には現代アートの革新そのものがありました。
私は「革新」という意味とフォンタナの行為を会場で語りました。
それはただ、そのコンペで彼が選抜されただけでなく、
彼とその後の交友をお互いだけが知り合う内容と一致していまいた。
そういえば、次期大阪大学総長とは二人きりで会談をして、
「アートとデザインの違いは?」という最初の質問に、
簡単に答えれば、
「アートは主観的であり、デザインは客観的」という回答をしました。
つまり、アーティストは主観的創造=自分主張を表現しますが、
デザイナーは客観的に作り手使い手の意見=客観性を大事にします。
アートからデザインへ、デザインからアートへ、
私はデザインをアートに、という試みをしたことがあります。
彼も建築をアートに出来るクリエーターでした。

*「イノベーション』大衆化した原意も疑う」


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『日本人の根本的な倫理観、その原点を見つめ直す』


   


     10月 25th, 2014  Posted 12:00 AM



日本人にとって、最も規範性を決め、倫理観の原点を探ると、
私は二つあると判断しています。
その一つは武士道と商売道であり、武士道とは忠誠と生死への態度、
商売道とは儲けることよりも、儲けたことで何をなし得るかです。
今や、世の中はメチャメチャだと言わざるをえません。
まず、なんと言っても武士道も商売道も「家訓」としてさらに、
その詳細と制限、不自由さを取り決めています。
自由であることを不自由にすることこそ実は幸不幸を決定しています。
なんといっても、鎌倉時代、武士という職能、御家人時代の倫理、
それは「御成敗式目」51箇条は、すべてを漢文とせず、
ひらがなも用いられていて制限は警察権と裁判権に集約されています。
その制限は道徳の正当な論理性は、自由さを制限していますが、
私が最も共鳴するのは、裁判裁決の平等性です。
たとえば、裁判の迅速性であり、20日以上かかってはならないこと、
これに私は脱帽せざるをえません。現代は、裁判とは長期どころか、
生涯の闘争になってしまっています。
しかも有力者によって庇護されたり、損得が決して起こらないこと、
まるで現代とは大きな違いがあります。
「御成敗式目」の不自由さの根幹は、必ず死を迎えること、
あるいは死を持って購う潔白さという美しさこそ武士の正義。
正義には不自由さで制止されることこそ、極めて重要であり、
不自由さゆえの解放は、倫理性、正義性を身体化するからこそ、
真の自由さを存分に出来るという理念、思想、道徳、倫理です。
よって、自由さを制限する暴力性などは非在なのです。
解放された自由さにある不自由度には、平等感があるということです。
御成敗式目には、暴力と嘘への裁決がとても明白に規定されています。
私は、この御成敗式目、武士道規範に立ち戻るべきだと主張します。
私は嘘つきには、成敗するために武力発動は当然であり、
これはまったく暴力ではないということです。


「幸不幸の連鎖の中で」
「あらためて『幸』文字の意味をかみしめる」
「テロという名の殺戮に怒りを込めて」


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「六古窯・越前焼ー若い才能が復元から再興を始めだした」


   


     9月 30th, 2013  Posted 12:00 AM



六古窯というのは、縄文・弥生時代の土器から陶器文明、
日本にかつて存在した代表産地です。越前焼がその一つでした。
秀吉が朝鮮征伐で陶工を九州に連れ帰ってから、
日本の陶磁器は進化したと言われてきましたが、
私は最近、強い疑いをもってきました。
それは、欧州も日本も中国も、陶磁器は何も進歩していません。
若い頃、越前焼を故・加藤唐九郎の膨大な陶磁器辞典で知り、
越前焼でそのことを訴求し過ぎて、出入り禁止になりました。
ところが、最近、地元新聞社記者の方とその話をしました。
そうしたら、「司辻 健司」氏という若手陶芸家の作品を
記者の方からいただきました。
長年に渡る「青粘土」による平安時代の技法復興の作品です。
六古窯は消滅したと言われる方もおられますが、
私は、ほとんど陶磁器は進化してこなかったと断言できるのは、
この六古窯にこそ、日本人のオリジナルな技法があるのです。
若い作家が追い求め、それを支える研究会が出てきました。
私は、ここに21世紀からの新たな陶磁器文明を、
デザインが主導出来ると考えています。
これまで、土産物的な陶磁器は全く不要です。
デザインには、新素材開発、たとえば、私は有田焼で、
プラチナ釉薬」を開発しました。
だからこそ、欧米に対して陶磁器の再文明創出をねらいます。
今、この越前焼を手にすると、とめどない幸運さを感じます。
誰も思いついていない、日本だから出来る陶磁器文明開始です。
私は、この技法を文明と呼んでいます。
なぜなら、織り=織物=寒さを防止、焼=器=飢えを防止、
これが文明だからです。
デザイナーは、それこそ、縄文・弥生、そして平安にも、
文明の原点があり、それを文化相発する職能だと確信するのです。


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「景観への精神状況がそのままファッションに連鎖している」


   


     9月 2nd, 2013  Posted 12:00 AM



景観論をデザインの背後におくことに気づきました。
それも当時話題のファッション誌に連載を始めたばかりの時。
ともかく、読解困難な文章を書かないかぎり、
日本のデザインは時代遅れになり、
ことばからモノは遊離すると、30前の私は思い込んでいました。
モノの世界がことばから離れるほど、人は、その魅力を感じない。
この考え方は今も変わっていません。
なぜ、芸術も建築などその存在をことばで再度語り直すのだろう。
今もその考え方を私は強くひきずっています。
景観論の原点で、私は「光景・風景・情景」を書きました。
案の上、その連載から私ははずされました。
しかし、その頃の思考は若さがあって純粋だったと思います。
ところが、その文章に再び出会いました。
ある人のwebsiteにそれが掲載されていました。
以来、私が景観から「景気」を読み取り、
景気後退=不景気=depressionに辿りつきました。
景気や株価変動為替の動きほど世界を決定づけることは皆無です。
絶望を「死に至る病」と断言した哲学者を信頼すれば、
哲学が人間の精神をどれほど読み取り、
解説してくれるかを識ります。
結論は、不景気になれば、人は安物衣類を身に纏います。
それをmodeと呼ぶこと自体が、精神状況の表現に直結しています。
つまり景気あるいは不景気はファッションに連鎖しているのです。
世の中、世界、時代は、すべてが同義語です。
それを人は眺め、その空気に包まれるとき、流行に晒されます。
その流行を最も受け入れるのは若者の精神状況に限定されます。
ファッションが「モードの体系」でことばの中で解説されたとき、
私が驚喜したことは、そのままデザインとモノに繫がっています。
それはデザインとファッションの関係に連続し、
とりわけ、不景気とファッションの関係も、この関係だと、
私はひとまず書いておきます。


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「デザイン史の講義を語るにはロシア・アヴァンギャルドから」


   


     12月 21st, 2012  Posted 12:00 AM



17年間、「教育としてのデザイン」を語ってきました。
名古屋市立大学時代は、
明確に「デザイナー養成」が大一義の目的でした。
大阪大学大学院では、「デザイン」を専門家の立場から、
前期は、すべての学部からの希望者に、
後期は、大学院特論として工学研究科相手なので、
デザインに関する「教養」となることを目標にしてきました。
いづれにしても、
デザインの歴史をどこを起点に語るかということは、
いくつかの入り口があります。
一般的には、
・ウィリアム・モリスの
  「アーツ&クラフツ運動」を踏まえて「バウハウス」、
・そして米国での大量生産・大量消費から現代へ
・日本の「民芸運動」から、戦後のGHQへの室内装飾
・具体的なデザインされているモノからなどがあります。
が、私は、ロシア革命・ロシアアヴァンギャルドを起点にしてきました。
そしてこの講義資料は、
MITによってまとめられた「fifth dimension」があります。
昨日は、今年最後の講義で、
ロシア革命からロシアアヴァンギャルドを主体に話してきました。
その大きな理由は、
「ロシアアヴァンギャルド」や「バウハウス」は沢山、著作がありますが、
「Resolution “A” in Art」(1919)については、日本語版は皆無だからです。
学生たちは、これまで、「デザインのイメージ」は決まって、
かっこいいかたち、色、機能性、設計への付加価値づくりに
集約しています。
「海洋デザイン戦略論」という講義も担当していますが、
阪大・神大・大阪府大の大学院博士前期課程への講義においても、
ほとんどの学生のイメージが同等です。
したがって、「教養としてのデザイン」には、
実務・マネージメント・手法・問題解決・思想、
そして産業経済哲学としての「デザイン」を認識してほしいからです。
私はデザイナーとして40年、
もちろん「かたち」に集約されるデザインの基盤・背景・論理の源流を、
ロシアアヴァンギャルドからバウハウスから現代のコンテクストが
最も大きな歴史だと確信しているからです。
現在、
日本の産業界がデザインを疎んじている傾向がある最大の問題は、
経営者に芸術運動であったロシアアヴァンギャルドには、
明らかに、
「経済哲学」があったという教養が大欠落していると私は判断しています。
すべからく、「歴史、あるいは原点・源流に回帰すること」は、
デザインに限らず、
「生きていくことの基本」があるということです。


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「63歳まで生きました・母より年上です。」


   


     2月 26th, 2012  Posted 12:00 AM


63歳です。
母は47歳で逝きましたから、年上になったと思います。
交通事故被災28歳で、40歳までと言われながらも、
確かに45歳で心臓も交通事故の後遺症で悪くし、
その後も心臓発作や敗血症で重篤を3度も体験しました。
「生きています」。
まだやり遂げなければならないことがあります。
まして、国難の最中にある時代を
最期になんとかデザインで復興を仕掛けたいと思っています。
子供時代に最も集中して工夫をしていた「糸車」を再現してみました。
本当は「糸巻きの芯材」を使いますが、
もうほとんど芯材はプラスチックですから、
やはり銀座の手芸店でみつけた糸車を使いました。
子供時代には、輪ゴムを3本程度、
それだけでどれほどスピードが出るかを工夫しました。
この「糸車」から、
次にモーター駆動の自動車づくりをしていった思い出があります。
デザイン課題で、「動具・音具」という課題を出しますが、
その原点は私のものづくり起点に重なっています。
あらためて今年の誕生日は金沢です。
この街での4年間が私の人生の大きな下敷きです。
この「糸車」を徹底してデザインで
「より美しいモノ」にしてみたいと思っています。
63歳の誕生日は子供の頃のものづくり原点を再現してみました。


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