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Posts Tagged ‘原電事故’


『完全命中の投げる行為がミサイルであるという知識』


   


     10月 2nd, 2017  Posted 12:00 AM



オリンピック種目である、やり投げ・砲丸投げ、この二つは不思議です。
それこそ古代にはやり投げも砲丸投げも対象物への命中技能。
それは狩猟する動物を的にしての体力と狩猟技能を競うこと、
そのゲームに過ぎなかったことです。
それだからこそどこまで遠方に投げられるかということでは無いはずです。
やり投げ・砲丸投げは古代体力の測定ゲームに成り果てたにすぎません。
人間には「投げる」という行為があります。
その最も機械工学的で最先端なモノとコトは、
ミサイルにその最先端技術があるわけです。
まさか自分の生涯に戦争の危機とは思ってもいませんでした。
と同時に、日本という島国国家観で最も欠落しているのは武器という知識。
おそらく世界的に最も無知識な民族が日本人でしょう。
理由はすこぶる簡単です。軍隊では無い自国防衛だけの
自衛隊という軍事集団がいますが、彼らの武器、
いや防衛システム機器については最も無知識な民族だと思います。
これは二度の原爆被災をし、さらに原電事故による放射能からも、
私たち日本人は原子爆弾の怖さはすでに語り継がれている物語性なのです。
だから、私たちはこの国を飛び越していく弾道ミサイルに
今では広島の何十倍もの威力ある水爆、
この怖さも物語性で語られているにすぎません。
したがって、私が今回も最先端のミサイル駆逐艦を差し出せば、
やっぱり川崎は右翼とか言われる始末です。
それならもっとこの危機迫る戦争それも電磁砲からミサイル駆逐艦までを
私は極右として提出します。
なぜなら、ミサイルはやり投げ・砲丸投げから進歩を重ねて来た、
機械工学の最先端の武器であるからです。
そして、こうした知識無きそれもデザイナーなどは、
真のデザイン=幸運で幸福な最先端的な知識無きデザイナーなのです。
最先端であるズムウォルト級ミサイル艦、この形態言語からのそれこそ、
重大なデザイン内容を熟知すべきだと私は考えぬく想像力が必要です。


* 『応答では移染と呼ばれるから真の解答が必要だ』
* 『大物主神から事代主神、このコンテクストの卓球台』
* 「海底資源探査船というわが国の技術は防衛されるべきだ」
* 「ロケットとミサイルはグッドデザインの問題」
* 「H2Aロケット・はやぶさ・しらせ=日本技術の結集象徴」


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『脱原発などありえない、範原発への期待』


   


     3月 9th, 2015  Posted 12:00 AM



福島の原電事故で本当に学ぶべきことを混乱させています。
私は原電のプルトニウム発電は即停止すべきだと考えています。
それはウラン239・ウラン240を発生させたことは学ぶべきことでした。
しかし、核分裂・核融合・核変換を学び直す必要があると思います。
原子力の陽子と中性子の核変換と原子力素材を見直すことです。
科学の力を全うに考えれば、ヘリウム3をどう扱うべきかです。
月面に存在するヘリウム3を中国政府は独占化を狙っています。
中国でまさかプルトニウム原電が70基開発などは、
とても不安どころか危険極まりありません。
反原発、これはプルトニウム原電開発には反対です。
半原発、現状の国内原電を確実な安全と安心工学でしばし利用、
それよりも、中性子衝突技術の進化をもっと科学技術化して、
核変換を行うことで、
放射能の無害化を現実化=範原発することです。
だから、脱原発というのは言語学的にも大間違いであり低能です。
私は反原発と範原発をデザインが有害化の低減を図るという
問題解決を行うべきだと考えています。
理想は、ヘリウム3をまず月面から地球に搬送する技術と、
もう一つは中性子衝突を使用済み核燃料でそのデザイン化です。
そうすれば、中性子の衝突で核分裂が起こります。
モリブデン・ヨウ素はそれぞれの半減期でテクネチウムとキセノン、
そうした核変換の技術指導をデザインしていくことで、
放射能無しのルテニウム・セシウムを人類は入手すると考えます。
そのために、マスコミ報道の安易な記事で惑わされてはダメでしょう。
もっとデザイナーとして、謙虚で賢明な発想によって、
核反応での核融合・核分裂、そして、
特に、核変換へのプロダクトデザインの造形言語化が必要だと
私は範原発を考えています。


『中国の月面着陸ロケットの思惑・範原発を!』


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『電力の自由化と電気の自由化があります』


   


     6月 13th, 2014  Posted 12:00 AM



March 11.2011-原電事故が遠因だったのかも知れませんが、
「電力の自由化」が政策化されたようです。
日本の電力は、地方毎に寡占状況でした。
私はエネルギーは、水・食糧・電力があると言ってきました。
しかも、電力供給のためには自由経済化でなければなりません。
それは「発電・送電・変電・蓄電」それぞれの企業化が当然、
つまり一つの電力会社ではなくて、現状の企業も役割分担が必要。
さらに再生可能エネルギーということ自体が変だと思っています。
なぜなら、エネルギーは不変の法則がありますから、
現状提案されている太陽発電・風力発電には大きな疑問があります。
March 11.2011ゆえに、福島復興プロジェクトを近因にした、
とても賛同出来かねる、たとえば洋上での風力発電・変電などは
私はそのプレゼンでの誤魔化しを見逃してきませんでした。
特に、洋上での変電などは落雷対策に知恵無しであり、
風力発電も未だに環境アセスメントの調査逃れなどは絶対に、
私は最大に注目と発言をしています。
むしろ、これからの波動力発電やあらたな水力発電などには
素晴らしい研究が増えてきていますが、これまでの電力会社では
ほとんど見向かれてもいません。
私は学生達には新たな発電を太陽発電と風力発電以外が重要ゆえ、
そのような講義やワークショップをしています。
その根本は、電力と電気を使い分けることの熟考が大事です。
変電と蓄電にはまだそれほどの技術が生まれているとは言えません。
変電所は子どもの頃、最大に風景画のテーマでしたが、
気候変動での竜巻や落雷には、景観としてのデザインが必要です。
蓄電こそ、これからは行動する私たちの電源になります。
しかし、わが国が先導国家でなければいけませんが、
まだまだこれからの技術領域であり、
そのことがまったく不明な新たなPCディバイスや自動車の出現は、
厳しく批判しておかなければなりません。
電力の自由化は電気の自由化を分別しておかなければいけません。


『電気には「質」がありそれは正弦波測定で確かめられます』
「現在使用のバッテリーパック・・・携帯電力を再考」


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「現代日本を憂う情報・憂国のパロール」


   


     7月 19th, 2012  Posted 12:00 AM



3.11以後のわが国・祖国を憂います。
ちなみに、大震災・原電事故・現政権への不信などを
ともかく、「日本の選択」から「反原発の思想史」から、
単なる商品書籍的な評論から、とんでもない粗悪本、
つまり右から左までを読みあさってきました。
最も私は祖国という表現をするほどですから、右よりと、
時には罵られているような書き込みも目にすることがあります。
「私なりの新保守主義」を創出したいと
目論んでいることは間違いありません。
基本は、父や祖父達が敗戦から創り上げてくれた「楽園だった日本」、
特に、日本の伝統美と自然美を護り抜きたいからです。
それも、デザイナーという職能で
表現していくことに徹したいと考えています。
私は、「政権交代」に賛同は最初からしていませんでした。
どうしようもなくて自民党に投票しました。
それは、民主党では経験不足は明白、
だからといって自民党という迷いの中でも政権交代には反対でした。
結局、そこにこの国難です。
的中しました。党則も無い政党は、イデオロギーさえ混乱していて、
「リーダーシップ力」など求める方が無理だったと思っています。
私は、もう政党政治も困難であり、
議会制民主主義も限界にきているという判断にいきついています。
それは、資本主義と民主主義に呪縛されてきた、
そんな現代史から開放される最期を見届けることになるのかもしれません。
「憂国のパロール」を私はデザインでささやかに支えるつもりです。


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「東日本大震災のNHKジャーナリスト講演から」


   


     12月 24th, 2011  Posted 12:00 AM



震災直後のNHK取材は3D撮影であり、
監督されたNHKメディアテクノロジーの智片通博氏に
阪大で特別講演をしてもらいました。
依頼後時間が経ちましたが、
かえって「風化しそうな」記憶を再確認できました。
私自身は震災直後から東芝で
「復興計画デザイン」に関与してきました。
ほぼ10ヶ月かけて「全計画」を書き上げ、
来年早々、東芝トッププレゼンします。
デザイナーとして40年の実務経験からの発想です。
講演では、取材編集はあの日の参議院予算委員会から始まります。
時間経過にそったNHKの天災時対応の詳細や、
そうした放送台本が放送直前の修正まで見ることができました。
私はメモを相当に取りました。
講演を見聞し、幾つか私の心に残り書きとどめたことです。
●震災の歴史的記念は
これは残すべきかは被災された方の気持ちが大事で記念館など不要。
●市町村合併によって町名に何ら東北地方性が失われていた。
●1000年に一度の天災でこそ
「役立たない技術」などはまったく人類に不要。
●NHKは日本人全員の生命と財産を守るマスコミとして
相当の日常的準備訓練があったこと。
●「みちのく」を復旧し復興することが政治で可能だろうか。
●マスコミとしてのNHKに対して、
ミニコミの必要性がもとめられますが、そのあり方。
●箱根を境界として、
日本が二分されてしまった現状から国力再建の可能性。
私は、あらためて国難の中にたたずんでしまっている
自分を客観視しました。
講義後、講座担当教授としてこのような話でまとめました。
1860年、日米修好通商条約提携に向け、
勝海舟・福沢諭吉が乗った咸臨丸が出航。
1854年から1859年は「安政時代」、社会不安に天災続き、
特に大阪も安政南海地震で大津波、
結果、難波(津波災害から)、梅田(埋め田)という地名が生まれるほど。
NHKでも若い取材者は、精神的ショックが相当だと聞きました。
現実、大学生にもボランティアに行きつつも、
そのやりきれなさで自殺者が出ています。
私たち日本人にとって、この震災・津波・原電事故は、
日本を「壊滅」させました。
それ以上にタイでの洪水は、産業的海外基盤を失っている状況です。
祖父や父世代が、日本を敗戦ながらも「楽園国家」にしてくれました。
その楽園環境に麻痺していたのかもしれませんが、
現実、まだまだ復旧さえ進まないわが国は
本当に「絆」をもって再興すべきだと再決意しました。


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「仮面社会=ペルソナか、マスカレードか」


   


     11月 10th, 2011  Posted 12:00 AM


資本主義社会の終焉は、
民主主義構造を脆弱にして、これをも破壊するだろう。
この予感を大学人になって以来持ち続けてきました。
その兆候というより、現実化・現前というより
事件が取り巻き始めてきました。
東日本大震災も原電事故、そしてこれから起こりうること、
すべてに、「仮面」ある人と策略が見え隠れしています。
「やっぱり、あの企業は」とか、
日和見的な企業人=経営者とか大学人が出てきています。
彼らや彼らの組織は仮面を被っていたにすぎないのです。
企業がブランドと呼ぶものは仮面だったのかもしれません。
ペルソナとはパーソナリティの原意であり、
マスカレードとは実体を化粧し隠匿させる美的手法です。
いづれも、日本的伝統、伝統的美学・倫理性の前では、
「剥ぎ取られるべき」ものにすぎません。
「能面」の表情には、陰影でその能面という仮面下の
実体をさらけ出す美学的手段があります。
資本主義を手段化し、経営トップだけが「経営=自己利益獲得」、
技術者は知的使い捨て労働者にしていただけです。
民主主義こそ、人類の最高理想主義とかに、
そろそれその仮面=マスカレードとペルソナを
剥ぎ取る時期が到来してきたのでしょう。
それは、さらに仮面を被った国際関係の中にこそ、
巨大で太刀打ち困難な「国家危機」すらまちうけています。
私は、日本の伝統芸「能」の根本に、
仮面、ペルソナか、マスカレードか、
この分別を見極める日本民族の美的智恵があると通告しておきます。
本来、社会的リーダーたる人のが、
もし仮面だけならば、剥ぎ取るべきでしょう。


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「悲しき列島での悲しき連帯」


   


     4月 10th, 2011  Posted 12:00 AM

原電事故は「真実を露呈」しました。
大学人として「やっぱり感」と「無念感」です。
いくつも大学機能や大学法人制度に反省と、
大学・研究機関の制度設計・実施実現の再構築、
これらが必然たる具体例と象徴が明確になりました。
比して、鉄道技術=UrEDASという危機管理技術は見事でした。
その反対に、一般の方々もロボットへの期待感がありましたが、
結果は、「使えない」、「使い物にならない」ということでした。
海外から、ロボット提供が話題になりました。
日本のロボット技術は最高のはずだったのでは、
この期待感を一瞬にして失いましたが、当然です。
海外からのロボットも、肝心なモノは届いていません。
理由は明快です。すべて軍事ロボットですから提供されません。
無論、私もロボットデザインを研究課題として、
試作モデルを二台持っています。
ロボット学界からは、「たかがデザイナーの」程度だったはずです。
しかし、私のは「ロボット」という呼称すら捨てています。
「ノーメンクレーター」という呼称にしています。
これまで講演会では紹介してきましたが、
これからこの呼称由来と、
「ロボットデザイン基礎学」展開に入っていけることができます。
幸い、デザイナーが原子力をデザイン対象としてきたことは、
出身である東芝には受け入れてもらっていましたので、
一昨日プレゼンテーションができました。
「原子力は推進ではなくて、さらに進化させます」。
強行な推進もまして反原発ヒステリー主張も讒言です。
重大なのは「進歩」と「進化」です。
原子力への人間としての義務確認です。
今、ロシア・フランス・米国、相手に原子力技術成果を披露です。
日本のモノづくりは、「人間としての心あるモノづくり」。
まず、生産のライフライン復旧と生活のライフラインは同次元。
復旧ではなくて、「再構築」あるいは「新規開発実現」です。
大学には現政権からのアイディアが求められていますが、
「世界第二位で良い」と断言した閣僚のいる政権は無能です。
そんな政権支援より民間企業での具体的成果を成し遂げます。
「官(管)」より「民」です。
「学者」ではなく「実務者の連帯」です。
私たちは現国家体制に守護されてはいません。
自分自身で自己防衛しなければならない「悲しい民族」なのです。
パラダイムの大転換は、「日本の民」が果たすことなのです。
日本はあの「悲しき熱帯」ではなく「悲しき列島連帯」なのです。


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「言葉に意味なし、ことばで学ぶ」


   


     4月 4th, 2011  Posted 12:00 AM

毎日毎日、原電事故は事態が悪化。
これまでの海外情報は
大震災に対してはとてもまともでした。
しかし原電事故については
国際的な「風評」発信になっています。とても無念です。
特に、原電事故での放射能は目に見えないだけに、
その「情報」だけになります。
この「情報」にも隠匿事実があるかもしれません。
そんな疑念に至るような解説が連続しました。
そして、この情報には専門的な単位が使われます。
今回私たちはシーベルトやベクレルなどという単語を知りました。
人間が最も「学ぶ」のは、このような事態に思い知らされます。
そして、人工物でしかも常に管理や非常訓練を怠ったなら、
どれほどの悲しみに突き落とされるかということです。
私は、この悲しみを私は「哀しみ」と言い換えて、
さらに自分への自責をため込んでこそ、
「勇気」が出ると断言しています。
今、ある意味ではこの不幸時から何を学び取るかということです。
学び取るということ、それはやはり命がけのことです。
学び取るというのは、体験が最も支援してくれます。
体験であり、しかも命がけで学び取った知識が、
本当の知恵につながっているのです。
「知識」ゆえに学識者、さらに、
御用学者の言葉が最も伝わらないことを全国民が学びました。
いかにも知識人という人が最も人間性を晒すかも知れません。
私はいっぱい見てきた体験があります。
まず、知識ではなく自己責務を果たすことが大事です。
自分の義務を自問し決断することが大切です。
「解説」などは無用です。シーベルト・ベクレルは言葉です。
「決断」した「覚悟」のことばが必要です。
私は言葉とことばと表現を変えています。
ことばには言霊が宿っている決断・覚悟・責務を表示します。
言葉は形式に過ぎず、言葉では「企望」にはなりえません。
ことばが「企望」を創出します。


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「義務あるいは責務原子力へ」


   


     4月 3rd, 2011  Posted 12:44 AM

この天災被害は一つの事象ではなく、
被害者それぞれの事件だという認識が必要です。
しかし、明確に原電事故は一つの人災的な象徴事件です。
したがって、
東日本大震災という名辞に問題意識が入っています。
だから、この対応策を発想していくことは問題解決として、
「応答」でしかありません。
現政権の応答態度は、当然、非難されてしまうのです。
たとえ応答であってもその答え方に「激励」が欠落しています。
被災者は「激励がこもった応答」なら納得するでしょう。
すでに3週間です。
東日本大震災による原電事故という問題認識も誤りです。
だから、問題解決は「応答」処置をつないでいるだけです。
しかもこの応答には復旧ではなく「修繕」です。
ところがその方法論は訓練されてきたとは思えません。
原発には「反原発」と「原発推進」の対決が歴史性を蓄えています。
少なくとも、この対決は今後必ず私たちを二分するでしょう。
この二分を「仕方無し」としてきた歴史が糾弾されるべきです。
つまり、「原発推進」も「反原発」も20世紀の遺物です。
私は「義務原子力」を世界が一丸になって取り組むスタートが、
福島原発と天災が啓示になっているものと判断しています。
私を推進派と反原発の人からから見られていますが、
私は「義務原子力」、「責務原子力」であり、
原発からの冷静で知的な進歩をデザイン対象にしたいのです。
もう、原子力蒸気機関での発電は終焉させる手法が不可欠です。
蒸気機関で連続湯沸かし機電力=エネルギーという発想から、
なんとしても抜け出す必要があると考えています。
具体的にはフランスの原子力技術にも限界があるということです。
日本こそ本当の技術立国として、被曝経験結果、今回の事故から、
大きな教訓で、「義務原子力」、
あるいは「責務原子力」に果敢に向かってほしいのです。
でなければ、復興の企望につながりません。


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「資本主義からの逃走」
  「日本・東日本大震災からもう一度復興と再建」


   


     3月 22nd, 2011  Posted 12:00 AM


M9.0大震災は、1000年に一度ゆえ想定外。
さらに、原電事故はフェールセーフへの過信。
日本は敗戦後の大復興から復活を果たしてきましたが、
もう一度、私たち・日本は復興と再建を余儀なくされました。
私はすでに天災ということではなくて、
これほど科学と技術で人間生活を日常化してきた限り、
天災もすべからく人災が呼び込んでいるとさえ思います。
天災を想定外と言わざるを得ないとすれば、
天災と戦災で包囲されている地球上の生命体である人間は、
自らが人災を引き込んでいると断言すべきかもしれません。
特に、原子力発電に関しては、
社会的賛否を常に対立させてきました。
一方は「安全神話」に、
一方は「核アレルギーでの全否定」にと、
相反したままに電力会社と都市文明の利得が優先されてきたことは事実です。
となれば、日本は戦災で被曝し、今度は天災で被曝寸前状況になっています。
私は、人類が生み出してしまった科学成果、
このアポリア=解決不可能の思考停止にこそ、
より積極的に立ち向かっていく「生」を対称化すべきと考えてきました。
職能・デザイナーとして、デザインの本質と結論しています。
したがって、原電推進でも反原発でもありません。
人類の、たかがデザイナーに過ぎませんが、
されどデザイナーとして、真摯真剣に、
アポリア脱出を使命・義務としての
行学実務を生きがいにしたいと思っています。
敗戦後、復活をまた余儀なくされました。
私自身、健常者から身障者として、二重苦を受け入れています。
それだからこそ、多分もう残された時間では、
復旧・復興・復活まで見届けることはできないとも推測しています。
しかし、されどデザイナーとして限界まで、
デザイン職能で生き尽くしたいと祈念しています。
原電は「建設」ではなくて「生産」です。
「規模のダウンサイジング」と「社会制度の高密度情報化制御」が、
原子力への千年計画デザインであるべきでしょう。
「推進」と「反原発」を止揚しなければ、この国難解決は不可能であり、
人智の行学実務に、あらためてデザイン位置を確認しています。




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