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Posts Tagged ‘原電事故’


「義務あるいは責務原子力へ」


   


     4月 3rd, 2011  Posted 12:44 AM

この天災被害は一つの事象ではなく、
被害者それぞれの事件だという認識が必要です。
しかし、明確に原電事故は一つの人災的な象徴事件です。
したがって、
東日本大震災という名辞に問題意識が入っています。
だから、この対応策を発想していくことは問題解決として、
「応答」でしかありません。
現政権の応答態度は、当然、非難されてしまうのです。
たとえ応答であってもその答え方に「激励」が欠落しています。
被災者は「激励がこもった応答」なら納得するでしょう。
すでに3週間です。
東日本大震災による原電事故という問題認識も誤りです。
だから、問題解決は「応答」処置をつないでいるだけです。
しかもこの応答には復旧ではなく「修繕」です。
ところがその方法論は訓練されてきたとは思えません。
原発には「反原発」と「原発推進」の対決が歴史性を蓄えています。
少なくとも、この対決は今後必ず私たちを二分するでしょう。
この二分を「仕方無し」としてきた歴史が糾弾されるべきです。
つまり、「原発推進」も「反原発」も20世紀の遺物です。
私は「義務原子力」を世界が一丸になって取り組むスタートが、
福島原発と天災が啓示になっているものと判断しています。
私を推進派と反原発の人からから見られていますが、
私は「義務原子力」、「責務原子力」であり、
原発からの冷静で知的な進歩をデザイン対象にしたいのです。
もう、原子力蒸気機関での発電は終焉させる手法が不可欠です。
蒸気機関で連続湯沸かし機電力=エネルギーという発想から、
なんとしても抜け出す必要があると考えています。
具体的にはフランスの原子力技術にも限界があるということです。
日本こそ本当の技術立国として、被曝経験結果、今回の事故から、
大きな教訓で、「義務原子力」、
あるいは「責務原子力」に果敢に向かってほしいのです。
でなければ、復興の企望につながりません。

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「資本主義からの逃走」
  「日本・東日本大震災からもう一度復興と再建」


   


     3月 22nd, 2011  Posted 12:00 AM


M9.0大震災は、1000年に一度ゆえ想定外。
さらに、原電事故はフェールセーフへの過信。
日本は敗戦後の大復興から復活を果たしてきましたが、
もう一度、私たち・日本は復興と再建を余儀なくされました。
私はすでに天災ということではなくて、
これほど科学と技術で人間生活を日常化してきた限り、
天災もすべからく人災が呼び込んでいるとさえ思います。
天災を想定外と言わざるを得ないとすれば、
天災と戦災で包囲されている地球上の生命体である人間は、
自らが人災を引き込んでいると断言すべきかもしれません。
特に、原子力発電に関しては、
社会的賛否を常に対立させてきました。
一方は「安全神話」に、
一方は「核アレルギーでの全否定」にと、
相反したままに電力会社と都市文明の利得が優先されてきたことは事実です。
となれば、日本は戦災で被曝し、今度は天災で被曝寸前状況になっています。
私は、人類が生み出してしまった科学成果、
このアポリア=解決不可能の思考停止にこそ、
より積極的に立ち向かっていく「生」を対称化すべきと考えてきました。
職能・デザイナーとして、デザインの本質と結論しています。
したがって、原電推進でも反原発でもありません。
人類の、たかがデザイナーに過ぎませんが、
されどデザイナーとして、真摯真剣に、
アポリア脱出を使命・義務としての
行学実務を生きがいにしたいと思っています。
敗戦後、復活をまた余儀なくされました。
私自身、健常者から身障者として、二重苦を受け入れています。
それだからこそ、多分もう残された時間では、
復旧・復興・復活まで見届けることはできないとも推測しています。
しかし、されどデザイナーとして限界まで、
デザイン職能で生き尽くしたいと祈念しています。
原電は「建設」ではなくて「生産」です。
「規模のダウンサイジング」と「社会制度の高密度情報化制御」が、
原子力への千年計画デザインであるべきでしょう。
「推進」と「反原発」を止揚しなければ、この国難解決は不可能であり、
人智の行学実務に、あらためてデザイン位置を確認しています。


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「資本主義からの逃走」
  「天災から10日過ぎてこれから」


   


     3月 21st, 2011  Posted 12:01 AM


大震災は大津波で東日本を破壊。
その上に福島原電事故に連鎖。
この10日間、夜明けまでTV報道を見続けています。
原電事故においては、今日も懸命の自衛隊・消防隊・警官隊が、
身代わりになっていただくがごとく、
「冷やす」献身的活動にひたすらです。
彼らの無事を祈るばかりです。
私は、このブログを自身への義務としています。
正直、現場シーンを見続けているので言葉を失いそうになります。
まず言葉を失わないことで、自分の思考バランスを保っています。
昭和23年は福井大震災で、私の生命がやっと母の胎内にありました。
今は亡き父母、祖父母、親戚から語り継がれた話を抱いて生きてきました。
そしてこれから多分復興し復活までどれだけの日々が必要なのでしょうか。
神戸震災もようやく16年目の現在は復興を果たしました。
日本人の力量です。
しかし、今回は原電事故が重なり、
放射性物質・放射線・放射能、
そしてその単位まで全国民が知れば知るほど、その不安に襲われています。
知りすぎる必要も無い術語を知ることは恐怖に繋がってしまいます。
しかし、無知であってはさらに自身も周囲も護れません。
今度は放射能被曝情報その外電が国内の不安感増長にもなり始めています。
私は、毎年最低4~5回以上は、CTやレントゲン検診を受けています。
すでにどれほど放射線から放射能が蓄積されているのでしょう。
放射線レベルは時間当たりの照射度数でしかありません。
放射能が体内に蓄積されるのは個人差があるでしょう。
これから、復興に私たち日本人は向かっていかなければなりません。
「これから」を、
私たちはそれぞれの職能の役割に懸命でありたいと思うばかりです。


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