kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘名古屋’


『名古屋市立大、そしてオーザックデザインでの車たち』


   


     9月 16th, 2017  Posted 12:00 AM



多分、アレックス・ヘイリー「ルーツ」だったと思い出します。
これは翻訳が安岡章太郎だったので記憶にあります。
中でも、なぜ黒人の人種差別が未だに連続しているという理由がわかります。
が、私が思い起こすのは、多分?(詳細は蔵書で探せばわかるはず)です。
「日本の自動車」についての一節があります。
ちょうどその頃、貿易摩擦が大問題。
東芝製ラジカセがハンマーで壊される報道がありました。
日本車については、竹と紙でできたような自動車なんてという表現。
それは私自身、実感していましたから、
名古屋にはベンツS320で名古屋市大で新設の芸術工学部にて大学人開始。
と同時に、オーザックデザインを名古屋の国際デザインセンターに開設。
そこで、使う車ということになり、私はS320でしたが、
シボレー・アストロがスタッフ達に使い易く、
単独行動にはA-180にしていました。
福井ではボルボ運転手付きでしたが、アストロは頑丈で、
様々な所にスタッフたちと行きました。
しかし、やっぱりアメ車ゆえの車体構造には経年変化がありました。
それならということで私専用にはレカロのシート、電源の整備など、
私は徹底的に直してこれで、スタッフ達と行動にしました。
この徹底的な改造は、当時、ヤナセの横浜工場で改造したので、
ベンツVクラスの最高級車として、ヤナセのカタログには、
私用の車が掲載されていたのです。
私は自分で大学にはS320でしたが、やがて、大学への通勤は
ある教授からスポーツタイプの2シーターだよと言われ気がかりでした。
その当時には、なんとしても福祉車両なんていう車コンセプトが
決定的に間違っていると思い、Gマーク選定でもその可能性のある車を
カー選定では選ばれませんでしたが、トヨタのラウムに可能性あり、
この車をベースにいうことで、選定してその企業は、
以後、開発途中ラウムをそれも名古屋市立大学に持ちこんでくれて、
プロダクト専攻の学生達にも車開発の教材になったのです。
これでもかという改造に改造したベンツVクラスでも、
名古屋-東京間は、とても往復が厳しくて、
その話が私のところにキャデラック・リムジンになったのです。


* 『「福祉車両」とは決して言ってはいけない車』
* 『日本での特殊車両、その代表を見ると・・・』
* 『ツバメの巣、それが福祉の象徴です』
* 「*貿易国策の一つがGマーク賞制度、その審査委員資格*」
* 『わが人生最期の車は美しいデザインを』


目次を見る

『自分の車遍歴とカーデザイナー養成は同次元』


   


     1月 5th, 2016  Posted 12:00 AM



僕の自動車遍歴は運転免許証を手に入れるところから始まります。
最近はカーデザイナーを目指しながら免許証も持っていない学生には
驚くばかりですが、それ以上に、
「車が欲しい」という欲求が皆無という若者が増えてきています。
僕も大学に入ったその年の夏休みには自動車学校に行きました。
しかし、当時の学校の教官はとても品格が無く、
言葉遣いも命令調でありその指導態度は我慢出来ないほどでした。
若さの余りに私はその自動車学校で事件を起こして、
しかも父は警察官、その学校の校長は父の元上司ということで
即刻、退学させられましたから免許証はありませんでした。
ところが、交通被災直前に私は実施試験とペーパーテストで合格して
免許証を手に入れていました。
美大は、なんといっても全国からカーデザイナー希望者が集まる
それこそ当時は数少ない工業デザイン専攻でしたから、
カーデザインのレンダリングが学生時代から、みんながとても上手くて、
僕は理由を聞いて、カーデザインという言葉すら知りませんでした。
車イスになって退院と同時に車は左ハンドルであるべきと、
シボレーのモンザ・モンテカルロ・カマロと乗ってきました。
カマロもベルリネッタ8気筒で、
それこそ、福井・東京間を競ったくらいでした。
それをデザイン企業支援者たちから見かねて、
僕は運転手付きでボルボのステーションワゴンに5年間乗りました。
それでも、僕の車遍歴がとどまらずに僕仕様の車を求めました。
一時は5台もあった時代があります。
BMWもベンツの時代もありました。それも数台乗っていました。
ワゴン車でスタッフ移動に使っていた頃もありました。
キャディラックのロングリムジンは、ある経営者から突然プレゼント。
流石に、全長7mのリムジンは名古屋から大阪に来るときに辞めました。
ベンツの時代には、6万kmで乗り換えてきたぐらいです。
正直、工業デザイナーですが、それほどの興味対象ではありません。
最も、カーデザイナーをめざす学生には
徹底した教育=レンダリング訓練を厳しくしてきたと思います。
カーデザイナーや車関係は、全ての教え子を企業留学させています。
従って僕には車仕様は「障害者対応の仕様」とその「部品デザイン」、
これにはメーカー本社と日本の制度を一致させていくことが目安です。
車遍歴は常に「障害者対応」が僕には基盤になっています。


目次を見る

『創造性そのものの自己開発を語る生田教授』


   


     12月 2nd, 2015  Posted 12:00 AM



「KK塾2015」第二回目は東大大学院・先端科学技術開発センター教授の
生田幸士先生に、講師をお願いしました。
一昨年の「KK塾」でも講師をお願い、大阪で開催していましたが、
今年度からは大日本印刷の支援もありDNP五反田ビルで行っています。
生田教授とは親友であり、すでに20年近くお互いの研究開発を熟知。
出会いは、名古屋市立大学芸術工学部に「ロボット領域論」を必要とし、
彼がが名古屋大学教授時代からの付き合いです。
名古屋時代には、国立大学と公立大学の単位互換制度を最初に創りました。
どれほどの障害があったことでしょうか。
ところが今、
名古屋地区での国立大・公立大の単位互換制度は当然になっています。
どれほどの障害に二人が闘ってきたかは、
当時の障害を与えてきた周囲には全く未来が見えていませんでした。
今回は、生田教授が世界で最も小さなマイクロナノロボット、
それは血小板サイズの医療ロボットの話よりも、
創造性開発を、自分が高校生時代から身体化してきた経緯を中心に、
創造性開発の教育、その原理原則を講演していただきました。
特に、「ブームを追いかけることの無意味さ」には
聴衆の大きな賛同が具体的な実例紹介で明白になったようです。
これには、最先端でのロボット開発が目立っていることよりも、
学生への創造性開発、その教育実例を彼の出身高校時代から
留学時代、九州工業大学時代、名古屋大学、東京大学での
現在までの彼の教育手法が聴衆を引きつけました。
私も、彼の恩師であるロボット学者である森政弘先生の
それこそ遺言講座に引っ張り出されることがありますが、
それはロボットや工学ではなくて、宗教哲学からの創造性育成が中心です。
私たちは、お互いに電話をし合うと、長時間の会話になってしまいます。
今、東大では最もTV出演が最も多い教授だと思います。
彼には、ロボット学者ゆえ無論、鉄腕アトムがあり、
そのイラストは子どもたちを釘付けにしますが、
SF映画「ミクロの決死圏」を実現するのは、
彼のマイクロナノロボット開発です。
さらに、「化学IC」なども、今では3Dプリンターと言われていますが、
彼も私も光造形を日本では最初に、彼は光造形でマイクロナノ造形を行い、
私は人工臓器デザイン開発の創始者と言うことができるでしょう。
彼の余りにも膨大なプレゼン画面から、
私との対談はむしろ、会場からの質問にも応えてもらいました。


目次を見る

『10年ぶりに書庫奥で見つけ出した日本語辞典』


   


     9月 8th, 2015  Posted 12:00 AM



自宅の地下に倉庫=書庫と駐車場があります。
正直、大阪に来てこの10年、書庫に赤坂・福井・名古屋と、
ずーっと持っていた辞典シリーズがありました。
しかし、どれだけ探しても見つからず、
この「ことば」の意味を徹底的に調べたいという時は、
この辞書には解説が必ずあるはずと思ってきました。
先日、ワイフとスタッフが書庫の最奥部に行き、
このシリーズ全巻がそろってあるのを見つけました。
本当は、自宅には書籍を最初は一冊も置かないことに決めていました。
そして、もう購買することも辞めようとぐらい思い、
相当に名古屋時代に処分してきましたが、
書籍は毎月増え続けています。
なんとか電子書籍にすべくと思っていますが、なんとも書籍のページ感覚は
私には捨てがたくて、PAD内よりも本そのものに戻ってしまいます。
そこで、おそらく日本語辞典となれば、広辞苑・大辞林・
そして明解国語辞典ですが、
これらはすでに電子書籍で十分、けれどもこのシリーズは、
日常の傍らに置いておきたくて、
地下から持ち上げて自宅に配置することにしました。
自宅には書籍があっても読み終われば地下書庫行きルールを辞めました。
当然にワイフの反対がありましたが、
スタッフを巻き込んでこれは自宅にあるべきを主張しました。
私がこれまでも「ことば」に拘ってきたのは、
デザインは「かたち」を追求しますが、
建築界ほど「ことば」はありませんでした。
そのことが若いときから、
「ことばとかたちの相対論」が生涯のテーマでした。
それから数冊の本を書き出版もしました。連載記事が本になりました。
私は日本語のことばひとつひとつの原意が気になって仕方ありません。
漢字はなんと言っても同郷の白川静氏、
そして相反していた藤堂明保氏を確かめます。
さらに奥深い意味性ではこの辞典シリーズに向かわなければなりません。
この10年、どれほど書庫を探したかわかりませんが、
書庫の最も奥にこれが収納されていたのです。
今、影干しをして自宅のシェルフを決めてこれを置いておくつもりです。
一冊毎に開けてみれば、なんとも辞書の香りがしてきます。
この匂い好きです。


目次を見る

『広報誌がまだジャーナリズムである』


   


     8月 10th, 2015  Posted 12:00 AM



私は福井在住の頃、福井県行政のまさに敵あつかいでした。
それは福井県行政がいまだに時代遅れ、を指摘するからでした。
県行政からは広報誌など名古屋にはまったく送付無しでした。
今は福井市と越前市から「広報誌」が届きます。
つまり、全国にこうした広報誌はどれだけ発行されているでしょうか。
私は今も越前市の広報大使をしているので毎月の日毎の企画を知ります。
決してこうした広報誌が行政の税から作成されていたとしても、
いわゆる「ジャーナリズム」の基本の基本は全うされています。
だから一般マスコミの雑誌出版は消尽すべきだと断言します。
もはや出版業界そのものが低迷どころかもう時代的な即応性を
失ってしまっていますから、ジャーナリズムそのものは、
新たなメディア、それはインターネットでのHP以上があるのに、
すべての出版業界は発明も出来ないのには私は呆れています。
呆れると言うより、ジャーナリズムの基本理念を喪失してる業界の
能力レベルが時代的に露呈してきただけの実話に過ぎません。
私にとって、デザイン系・建築系・技術系・芸術系などは
現代は全てが行政の発行する広報誌以下のレベルに成り果てています。
その理由を決定的に記しておきたいと考えます。
ジャーナリズムというのは、基本は日々の記録であり、
それはナラシオンから離脱した大きな物語から小さな物語が、
出版そのものの革新性が求められているという重大な事に、
いわゆる雑誌というメディアはHP辺りでうろうろしていることです。
まず、過去を大きな物語として語れる編集者は消滅しました。
現代を記事として出版しようがHPアップしようが時代読解力無しです。
そして、得てして出版は未来を語ろうとしても、
それらはすべて取材して編集、
それも編集学に無知な記事だと勘違いしているのが出版業界であり、
マスコミもサブカルチャー雑誌も、行政の単なる「日々の記録」を
決して超えることが出来ません。
かつて私は17年もある雑誌に連載をしていましたが、
それは出版としての経済投資効果を得られずに出版が終焉しました。
私はその変わりがこのHPでの小さな物語というジャーナリズムとして
それは自分自身への編集学そのものだと考えています。


目次を見る

『JBL4343の上には造形美のあるモノを置く』


   


     6月 16th, 2015  Posted 12:00 AM



私の自宅で最も権威性のある場所。
それは、私が常に目にするのはフリーランスデザイナーになって、
絶対に使用しようと考えていたJBL4343の右側トップ面に
選んだモノを置いてます。
まだ、若き金属彫刻家、
いや、金属オブジェ作家の早川氏のロボット的オブジェと、
徳田正彦氏(徳田八十吉)の九谷焼、
恩師であった柳宗理先生の茶器、
そして、倉俣史朗先生のアクリル花瓶です。
写真の色会わせにバカラのガラス器も置きました。
ここはいつも迷います。
JBL4343は5.5回目のメインテナンスを終え、
あと10年は大丈夫ということで、
エージングがようやく1ヶ月を過ごし、
あと半年はかかるかもという状態です。
このスピーカーは、東芝に籍を置いたままフリーになり、
ふるさと福井時代は、パイオニアのサービスマンの方に、
名古屋時代から、
今までも新たなサービスマンの方に面倒をみてきてもらいました。
私のデザイン活動を東京・福井・名古屋・大阪と見てきてくれました。
だから、このスピーカーシステムの上で、
私のデザイン活動を見守ってもらうモノ、
私はここは選び抜いています。
徳田八十吉氏の作品は、私は高校時代に衝撃を受けました。
そうしたら美大の先輩。
在米日本大使館の入り口には、氏の大皿があり、説明を受ける前に私から、
さも私の作品のごとく説明をしたものでした。
ともかく、倉俣史朗氏と柳宗理氏の作品、
この造形には今はやりのデザイン思考など、
全く無関係であり、若手金属オブジェ作家の作品は、
二回個展会場に通って選んだモノです。
これらの作品には、私の所にやってきたそれぞれの経過があります。
そして、造形の美しさは、私を刺激してくれています。
少なからず、
自分の作品でこの作品群の中で、明らかな存在感が無いモノは、
私のデザイン=造形言語から形態言語として、
完成はしないことになります。
したがって、モノを所有し使用するに至るには、
これらのモノとともに
絶対に呼吸をしてくれるかということになります。
したがって、もう一方のJBL4343の上の作品は、
まだ決定打がありませんが、
工芸作品として美大後輩の作品もあります。
それこそ、やや先輩風で、私にはもっと安く売ってくれ、
と言ったモノですが、
後輩がこの作品づくりで、
やはり、彼の工芸作家としての力量があります。
だから、
このスピーカーシステムに乗ってこない作品を私は評価をしていません。


目次を見る

『華厳経に入ろうと思う・森政弘先生の講義から』


   


     1月 12th, 2014  Posted 12:00 AM



私が仏教関係の書籍を最も読みあさったのは29歳でした。
それは車倚子生活を余儀なくされたので、
「なぜ、自分にこのような生涯が・・・」という疑問からでした。
したがって、仏教関連の書籍は相当に持っていますが、
先般、森政弘先生の講義を受けて、
すぐに先生の「仏教新論」とともに、
講義の核心であった「華厳経」はこれから徹底的に読破を決定。
届いた「華厳経」の口語全訳は上下二巻でこの厚さがあります。
少なからず教養的に知っている程度では森先生の講義本質には、
私はとても到達はできないと考えました。
「華厳経」は、様々な仏様同士の会話であり、
この経典が仏教の骨格であり、あの道元もこの引用がありました。
森先生は、坊さんが葬式で読むあの「お経」の意味に興味があり、
この「お経」から哲学的な思考とその結論を知ったという話です。
いわゆる「般若心経」の解説本のいい加減さも批判されました。
私にとって「読書する」ということは、
一人っ子で育ったこともあってか、とても好きな領域です。
私は常に思います。
「読書」が何よりも好きだったことが、
そういう家庭でそだったことがとても幸運だったと思います。
「大学人の間は持っていなさい」と恩師に言われて、
名古屋から大阪にほとんどの書籍を移しました。
もう書籍などいらないとすら思っていましたが、
結局、自宅の寝室は常に書籍だらけになってしまいました。
ともかく、整理をし直して、
これからこの「華厳経」の世界にどっぷりと入ってみます。
最近は、電子本であれば読書も簡単ですが、
この上下二巻は、本の香りがします。
これを読み終えたなら、また私の活動の何かが変わるでしょう。


目次を見る

『3D-Printingの基本にもう一度戻るために』


   


     11月 3rd, 2013  Posted 12:00 AM



8年前、阪大に移籍するときには名古屋で書籍を処分ということで
悩んでいましたが、今は亡き恩師にその相談をしました。
「君が大学人の間は選んで持って行きなさい」と言われました。
そして、もう本はなるべく買わないようにとさえ思っていました。
しかし阪大に来てからますます書籍は増え続けてもはや限界です。
自宅マンションの地下室に書籍を置いています。
ところが、最近は、恩師から大学人の間は持っていること、
この言葉を噛みしめるようになりました。
特に、私は「光造形」や「ラピッドプロトタイピング」が目的で、
大学ではそのことを研究の第一線でやってきた経験があります。
結局、3D-Printingは光造形からの系譜にありますから、
現代の3D-Printing関連の書籍よりも、最初の頃には、
「光造形」や「ラピッドプロトタイピング」書籍は極々僅か。
だから、当初、いつかは自宅でもこうしたことが出来るという、
そんなまさに人間の夢物語りを見つけることができます。
おそらく現代のプロトタイピングの原型的な記載があるだけに、
本当に持って来ておいて正解だったとつくづく思います。
恩師に心から感謝です。
現代の3D-Printing関連書籍の前に居る度に、
こうした原初的な書籍意味こそ人類には不可欠だと思っています。
この関連書籍には、「いつかはこのことが日常化する」ということ、
そのことの実現が今、ぴったりと来ている最中です。
そういう意味では、多分、こうした書籍だらけの場所に、
私は佇むことになるのは間違いないだろうと思います。
無論、全てを精読したわけではありませんが、
ああ、このことを確かに夢見ていたと思うことしばしばです。
私が決心してきたことは確実に私だけの図書館には、
私の夢が一段と現実になっていくことを確かめています。


目次を見る

『「アート&クラフト運動」はデザイン原点でもあるが・・・』


   


     10月 23rd, 2013  Posted 12:00 AM



「アート&クラフト運動」について、私には調べ尽くしています。
それはデザイン史にとっては重要な基盤であるからです。
この創始者、ウィリアム・モリスの生涯と彼の作品、
さらに彼が後々まで影響を与え現在もこの影響は連続しています。
このところ、ワイフが非常勤講師としての授業のための、
いくつかの資料、さらに彼女が購入した資料を改めて見ました。
私の結論は、デザインのデコレーション性と彼の自宅での実証、
これらを照らし合わせれば、今なお彼の作った壁紙など、
彼の残したパターンは現代性を強く持っています。
しかし、彼が現代デザインに影響を与えているかというと、
私には、彼のパターンのデフォルメ性や、
「赤い自宅」(彼は建築後はすぐに売り払い住んでいません)には
インテリアでの英国中産階級の「住みやすさデザイン」は評価。
日本では写実主義は結局は残らなかったという見解に照合すれば、
彼のデザイン運動は、私には、デザイン運動とは思えません。
もし、どうしてもといえば、彼の出版での「美」の追求については
私は「デザイン」が最も求めている「美」は容認しています。
彼のデフォルメは、写実性を下敷きにしてまったく正確です。
したがって、彼が現代のデザインをどこまで牽引していたかは、
まだまだ論議を尽くすべきです。
そういう意味では、国際的にもこの研究者は少ないと思います。
私はまだ英国には行ったことがありませんが、
「赤い家」と後にグラスゴーで活動したC.マッキントッシュは、
現地で確認する必要があると思っています。
それは、グラスゴー大学とグラスゴー美術学校では、
お互いに、PDEという資格制度すらあるわけです。
PDE=Product Design Engineerというのは、
日本では「設計論」と「デザイン」の専門家です。
この資格制度を立ち上げるために、一人の学部長が来日して、
この制度の背景は名古屋で創られた歴史があるからです。
「アート&クラフト運動」のデザインでの位置設定は重要です。


目次を見る

『久々にCDを購入する・・・もうその時代は終わったと思うが』


   


     10月 17th, 2013  Posted 12:00 AM



オーディオからデザイナーをスタートさせたこと、
それは私にとってとても大きな幸運でした。なぜなら、
オーディオからダンディズムを学べる恩師を持てたことです。
実は、もうCDの購入は辞めました。
理由は、まだリッピングしていない相当のCDがあることと、
CDよりも直にインターネットで音楽がデータとして購入可能です。
しかし、私は恩師録音のCDは買うことにしています。
もちろん、すぐにリッピング(Appleロスレス・エンコーダ)します。
iPod classic160GBは、カテゴリー毎に5台目ですが、
まだあるCDのリッピングをすれば、もう人生はそれで充分、
一応そうは思うのですが、ついつい新曲にはひかれます。
最も、私が惹かれるのは、
なんといっても恩師と同等の力量ある評論家選出の音響と音楽。
しかし、これはもうほとんどありえません。
あとは、私が講演会スタートで利用する音楽の収集です。
もう一つは、このFB内に「オーディオファイル達のクラブ」、
その中で、信頼できる人が選び抜いている音楽は、
どうしてもともかく一度は聴くことにしています。
恩師自らの録音や、彼が選び抜いている音楽については、
なるべく、いや絶対に私の収集曲になります。
かつて、オーディオ評論家の何人かの人たちに、
東芝のデザイナーとして意見を聞いていた時期があります。
その当時には、正直、どうしようもない評論家がいました。
そうして、この人がいつかはこのオーディオ界で有名になるかも、
そんな人が現在メディアでの発言を読むと、がっかりします。
そういう意味では、私にオーディオだけでなくダンディズムを
徹底的に仕込んでいただき、
名古屋の自宅では、オーディオチェックをしていただき、
そのまま恩師連載に取り上げてもらいました。
だから、リッピングしてもこのCDは持ち続けるでしょう。

 


目次を見る

1 2 3