kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘名古屋’


『ドクヘリがいっぱいある街がいいのかも知れない』


   


     4月 17th, 2019  Posted 12:00 AM



ドクヘリ=ドクターヘリコプターは、
20世紀の終わりに試験運行を開始、
私もこの政策企画書を当時読んだ経験があります。
2001年に本格的な事業が開始されました。
そして、私自身が2006年には、阪大への赴任がドクヘリでした。
というのも、名古屋から心臓発作、
手術のために阪大附属病院へ救急搬送されたのです。
まだまだヘリコプターは、進化しなければなりません。
私が空中で最も興味深い対象物は、ヘリコプターであり、
ダビンチのスケッチでも、ヘリコプターの原図が残っています。
このドクヘリには、パイロット・医師・看護師、
そして救急用の医療機器が搭載され、救急自動通報システム「D-Call Net」
システムの導入後、事故対応から病院治療へと短縮化が図られています。
私が最も愛してやまないのは、
ユーロコプター仕様のドクヘリ(左上)です。
私の救急搬送時の映像も、友人の教授に収めてもらいました。
高度500メートルであれば、揺れもなく多くの人の救助ができます。
もうすでにドクヘリも100機以上になっているのでしょうか?
43道府県にまだまだ53機でした。
大きな病院では、ドクヘリの街が必要でしょう。


目次を見る

『ユニバーサルデザインからヒューマン・センタードデザインへ』


   


     2月 10th, 2019  Posted 12:00 AM



「ユニバーサルデザイン」の知らせが
米国の友人たちから、私にきたのは1995年でした。
しかし、それより以前、1986年名古屋で開催された
世界デザイン博覧会でマイケル・カリルが
「ユニバーサルデザイン」を最初に語りました。
私は主体として、ユニバーサルデザインの教育を
最初に政府に提案をしました。
名古屋では市民講座や市の職員へのワークショップを行っていました。
その後、ユニバーサルデザインは
商業主義的な流れを受けてメチャクチャになっていったのです。
丁度その頃、2000年に建築誌『SD』が終巻号をむかえ
「ヒューマン・センタードデザイン」に大きく変わる時でした。
人間中心主義で、
それこそ、今ではインターラクションデザインという
ITでの「人間中心主義での関係性」が求められました。
一昨年私は学術×××××でキャリアと論戦を張り、一方的に負けました。
今では、デザインでは、至極当然の考えとして
もはや違う段階へと進んでいるユニバーサルデザインを
いまだ研究課題とする全国の家政学部に、
私は呆れかえり、その研究課題への研究費を反故にしました。
すでにそれら研究課題への応答、回答、解答はデザインの分野で
提示、具現化されていましたから。
まだまだ、ユニバーサルデザインを主軸として
語るデザイン界や、デザイン教育は多いのです。
次の次元に向かうヒューマン・センタードデザインでこそ、
デザインでの本質があります。

* 公自単情安省空


目次を見る

『生録は、今はデジタル、しかしアナログで感得』


   


     1月 30th, 2019  Posted 12:00 AM



生録(ナマロク)が1975年頃、流行りました。
オープンリールデッキを持って行き、演奏者の奏でる音を、
自分のオープンデッキで録ってくるのです。
今の生録はリニアPCM録音で、すでに協会があるほどです。
それぞれの生録は、明確に異なっています。
当然、当時はアナログで、現在はデジタルです。
そしてオープンリールデッキは骨董品扱いです。
実際は、もはや倉庫の中にある骨董品の私のデッキと
ミキサーを駆使して作曲をしていました。
PCM録音も、名古屋で開催されたジョージ・ベンソンのコンサートで
車イスだから自由にナマロクをやってしまった経験があります。
「やってもらっては困ります」。
「何でだ?」、と言えば、まさか車イスが、となり、自由でした。
しかし、オープンリールデッキ8chでやれれば
きっともっと音が良かったと思います。
それこそレコード盤を造るメーカーは2社しか残っていません。
しかし、2社は残っていますから、このブログでもデジタル、アナログ
未来と過去をつないで、進化とその真髄が
失われないよう紡いでいかなければなりません。
そういう意味でも、骨董品となっても、
しっかりと書き留めなければと思っています。
ナマロクもアナログ時代の方がやっぱり良いのです。
「感得」とは絶対にアナログが基本だと思っています。


目次を見る

staffblog 11月08日


   


     11月 8th, 2018  Posted 8:00 PM

11月08日


「スガツネ博 in名古屋」にて、
講演を行いました。
お陰様で満員のお客様にお越しいただきました。


スガツネ工業株式会社
専務取締役からご紹介をいただき、
講演がスタートです。


モノづくり関係者の方に対して、
川崎の事例を中心に内容を展開。


デザインに必要な考え方に至るまで、
一通りをお話しさせていただきました。


終了後は名古屋の企業の方、
名古屋市立大学の教え子や、
名市大当時の関係者の方とお話しし、
展示を拝見しつつ、帰阪しました。


講演にお越しくださいました皆様、
ありがとうございました。


目次を見る

staffblog 10月02日


   


     10月 2nd, 2018  Posted 12:04 PM

来たる11月8日



「スガツネ博 in名古屋」にて、
講演をさせていただきます。

●日 時:11月8日(木) 15:30〜17:00
●会場:名古屋市中小企業振興会館
   吹上ホール 第1ファッション展示場(2階)

●定 員:120名程度
●参加費:聴講無料・事前登録制

ぜひお越しくださいませ。


目次を見る

staffblog 9月18日


   


     9月 18th, 2018  Posted 11:55 PM

9月18日


本日は、ホテル名古屋ガーデンバレスにて、
2018年度合同講演会にて
講演させていただきました。


名古屋の企業の方のご縁で、
文具やプラスチックなど様々なメーカーの
方々の前でお話しする機会をいただきました。


年に一回行われる講演会とのことですが、
開場満杯のお客様にお越しいただきました。


モノづくりの基本に関するお話から、
今、話題のキーワードに至るまで、
実務としてのデザインについて、
展開させていただきした。


目次を見る

『名古屋市立大、そしてオーザックデザインでの車たち』


   


     9月 16th, 2017  Posted 12:00 AM



多分、アレックス・ヘイリー「ルーツ」だったと思い出します。
これは翻訳が安岡章太郎だったので記憶にあります。
中でも、なぜ黒人の人種差別が未だに連続しているという理由がわかります。
が、私が思い起こすのは、多分?(詳細は蔵書で探せばわかるはず)です。
「日本の自動車」についての一節があります。
ちょうどその頃、貿易摩擦が大問題。
東芝製ラジカセがハンマーで壊される報道がありました。
日本車については、竹と紙でできたような自動車なんてという表現。
それは私自身、実感していましたから、
名古屋にはベンツS320で名古屋市大で新設の芸術工学部にて大学人開始。
と同時に、オーザックデザインを名古屋の国際デザインセンターに開設。
そこで、使う車ということになり、私はS320でしたが、
シボレー・アストロがスタッフ達に使い易く、
単独行動にはA-180にしていました。
福井ではボルボ運転手付きでしたが、アストロは頑丈で、
様々な所にスタッフたちと行きました。
しかし、やっぱりアメ車ゆえの車体構造には経年変化がありました。
それならということで私専用にはレカロのシート、電源の整備など、
私は徹底的に直してこれで、スタッフ達と行動にしました。
この徹底的な改造は、当時、ヤナセの横浜工場で改造したので、
ベンツVクラスの最高級車として、ヤナセのカタログには、
私用の車が掲載されていたのです。
私は自分で大学にはS320でしたが、やがて、大学への通勤は
ある教授からスポーツタイプの2シーターだよと言われ気がかりでした。
その当時には、なんとしても福祉車両なんていう車コンセプトが
決定的に間違っていると思い、Gマーク選定でもその可能性のある車を
カー選定では選ばれませんでしたが、トヨタのラウムに可能性あり、
この車をベースにいうことで、選定してその企業は、
以後、開発途中ラウムをそれも名古屋市立大学に持ちこんでくれて、
プロダクト専攻の学生達にも車開発の教材になったのです。
これでもかという改造に改造したベンツVクラスでも、
名古屋-東京間は、とても往復が厳しくて、
その話が私のところにキャデラック・リムジンになったのです。


* 『「福祉車両」とは決して言ってはいけない車』
* 『日本での特殊車両、その代表を見ると・・・』
* 『ツバメの巣、それが福祉の象徴です』
* 「*貿易国策の一つがGマーク賞制度、その審査委員資格*」
* 『わが人生最期の車は美しいデザインを』


目次を見る

『自分の車遍歴とカーデザイナー養成は同次元』


   


     1月 5th, 2016  Posted 12:00 AM



僕の自動車遍歴は運転免許証を手に入れるところから始まります。
最近はカーデザイナーを目指しながら免許証も持っていない学生には
驚くばかりですが、それ以上に、
「車が欲しい」という欲求が皆無という若者が増えてきています。
僕も大学に入ったその年の夏休みには自動車学校に行きました。
しかし、当時の学校の教官はとても品格が無く、
言葉遣いも命令調でありその指導態度は我慢出来ないほどでした。
若さの余りに私はその自動車学校で事件を起こして、
しかも父は警察官、その学校の校長は父の元上司ということで
即刻、退学させられましたから免許証はありませんでした。
ところが、交通被災直前に私は実施試験とペーパーテストで合格して
免許証を手に入れていました。
美大は、なんといっても全国からカーデザイナー希望者が集まる
それこそ当時は数少ない工業デザイン専攻でしたから、
カーデザインのレンダリングが学生時代から、みんながとても上手くて、
僕は理由を聞いて、カーデザインという言葉すら知りませんでした。
車イスになって退院と同時に車は左ハンドルであるべきと、
シボレーのモンザ・モンテカルロ・カマロと乗ってきました。
カマロもベルリネッタ8気筒で、
それこそ、福井・東京間を競ったくらいでした。
それをデザイン企業支援者たちから見かねて、
僕は運転手付きでボルボのステーションワゴンに5年間乗りました。
それでも、僕の車遍歴がとどまらずに僕仕様の車を求めました。
一時は5台もあった時代があります。
BMWもベンツの時代もありました。それも数台乗っていました。
ワゴン車でスタッフ移動に使っていた頃もありました。
キャディラックのロングリムジンは、ある経営者から突然プレゼント。
流石に、全長7mのリムジンは名古屋から大阪に来るときに辞めました。
ベンツの時代には、6万kmで乗り換えてきたぐらいです。
正直、工業デザイナーですが、それほどの興味対象ではありません。
最も、カーデザイナーをめざす学生には
徹底した教育=レンダリング訓練を厳しくしてきたと思います。
カーデザイナーや車関係は、全ての教え子を企業留学させています。
従って僕には車仕様は「障害者対応の仕様」とその「部品デザイン」、
これにはメーカー本社と日本の制度を一致させていくことが目安です。
車遍歴は常に「障害者対応」が僕には基盤になっています。


目次を見る

『創造性そのものの自己開発を語る生田教授』


   


     12月 2nd, 2015  Posted 12:00 AM



「KK塾2015」第二回目は東大大学院・先端科学技術開発センター教授の
生田幸士先生に、講師をお願いしました。
一昨年の「KK塾」でも講師をお願い、大阪で開催していましたが、
今年度からは大日本印刷の支援もありDNP五反田ビルで行っています。
生田教授とは親友であり、すでに20年近くお互いの研究開発を熟知。
出会いは、名古屋市立大学芸術工学部に「ロボット領域論」を必要とし、
彼がが名古屋大学教授時代からの付き合いです。
名古屋時代には、国立大学と公立大学の単位互換制度を最初に創りました。
どれほどの障害があったことでしょうか。
ところが今、
名古屋地区での国立大・公立大の単位互換制度は当然になっています。
どれほどの障害に二人が闘ってきたかは、
当時の障害を与えてきた周囲には全く未来が見えていませんでした。
今回は、生田教授が世界で最も小さなマイクロナノロボット、
それは血小板サイズの医療ロボットの話よりも、
創造性開発を、自分が高校生時代から身体化してきた経緯を中心に、
創造性開発の教育、その原理原則を講演していただきました。
特に、「ブームを追いかけることの無意味さ」には
聴衆の大きな賛同が具体的な実例紹介で明白になったようです。
これには、最先端でのロボット開発が目立っていることよりも、
学生への創造性開発、その教育実例を彼の出身高校時代から
留学時代、九州工業大学時代、名古屋大学、東京大学での
現在までの彼の教育手法が聴衆を引きつけました。
私も、彼の恩師であるロボット学者である森政弘先生の
それこそ遺言講座に引っ張り出されることがありますが、
それはロボットや工学ではなくて、宗教哲学からの創造性育成が中心です。
私たちは、お互いに電話をし合うと、長時間の会話になってしまいます。
今、東大では最もTV出演が最も多い教授だと思います。
彼には、ロボット学者ゆえ無論、鉄腕アトムがあり、
そのイラストは子どもたちを釘付けにしますが、
SF映画「ミクロの決死圏」を実現するのは、
彼のマイクロナノロボット開発です。
さらに、「化学IC」なども、今では3Dプリンターと言われていますが、
彼も私も光造形を日本では最初に、彼は光造形でマイクロナノ造形を行い、
私は人工臓器デザイン開発の創始者と言うことができるでしょう。
彼の余りにも膨大なプレゼン画面から、
私との対談はむしろ、会場からの質問にも応えてもらいました。


目次を見る

『10年ぶりに書庫奥で見つけ出した日本語辞典』


   


     9月 8th, 2015  Posted 12:00 AM



自宅の地下に倉庫=書庫と駐車場があります。
正直、大阪に来てこの10年、書庫に赤坂・福井・名古屋と、
ずーっと持っていた辞典シリーズがありました。
しかし、どれだけ探しても見つからず、
この「ことば」の意味を徹底的に調べたいという時は、
この辞書には解説が必ずあるはずと思ってきました。
先日、ワイフとスタッフが書庫の最奥部に行き、
このシリーズ全巻がそろってあるのを見つけました。
本当は、自宅には書籍を最初は一冊も置かないことに決めていました。
そして、もう購買することも辞めようとぐらい思い、
相当に名古屋時代に処分してきましたが、
書籍は毎月増え続けています。
なんとか電子書籍にすべくと思っていますが、なんとも書籍のページ感覚は
私には捨てがたくて、PAD内よりも本そのものに戻ってしまいます。
そこで、おそらく日本語辞典となれば、広辞苑・大辞林・
そして明解国語辞典ですが、
これらはすでに電子書籍で十分、けれどもこのシリーズは、
日常の傍らに置いておきたくて、
地下から持ち上げて自宅に配置することにしました。
自宅には書籍があっても読み終われば地下書庫行きルールを辞めました。
当然にワイフの反対がありましたが、
スタッフを巻き込んでこれは自宅にあるべきを主張しました。
私がこれまでも「ことば」に拘ってきたのは、
デザインは「かたち」を追求しますが、
建築界ほど「ことば」はありませんでした。
そのことが若いときから、
「ことばとかたちの相対論」が生涯のテーマでした。
それから数冊の本を書き出版もしました。連載記事が本になりました。
私は日本語のことばひとつひとつの原意が気になって仕方ありません。
漢字はなんと言っても同郷の白川静氏、
そして相反していた藤堂明保氏を確かめます。
さらに奥深い意味性ではこの辞典シリーズに向かわなければなりません。
この10年、どれほど書庫を探したかわかりませんが、
書庫の最も奥にこれが収納されていたのです。
今、影干しをして自宅のシェルフを決めてこれを置いておくつもりです。
一冊毎に開けてみれば、なんとも辞書の香りがしてきます。
この匂い好きです。


目次を見る

1 2 3 4