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Posts Tagged ‘味’


『ワインはセンスを決めるひとつのアイテムだ』


   


     8月 15th, 2017  Posted 12:00 AM



車倚子生活を余儀なくされた私は、
リハビリ病院はおそらく最も短期でそこを退院しました。
退院するとそのまますぐに東京プリンスホテルに入りました。
それには二つの意味がありました。
40歳までの余命と言われた私は、
自動車(モンザ)の運転練習とワインの味を暗記するためでした。
東京プリンスホテルはほぼ20年ほど利用したのです。
ホテルでのワインはどれも好きにはなりませんでしたが、
ホテル内でエルメスや高級ブランド品を識りました。
しかし、最初にJALのファーストクラスで渡米したとき、
カリフォルニア産「ベリンジャー」に出会って驚愕し好きになりました。
現在のファーストクラスはJALもANAも食事アイテムランクが落ちています。
結局ワインは育成風土によるとの判断で国産の方がいいことを知りました。
ワインを教えられたのは、
「フランスにおける日本年」に日本代表で招待されて、
丸一日ワイングラスへのワインの垂れ流れ方:Jambsでの品評など習ました。
そして、ワインといえば最高級品は「ロマネ・コンティ」でしたが、
私が心酔し出したカリフォルニア産にそれに匹敵する「カレラ」を知りました。
もうひとつは、なんといっても映画007ではおなじみの「ボインジェ」は、
ワイン収集の要になったのです。
子どもの頃には、赤玉ポートワインと言われていたモノが、
今では高級な飲み物としてその選別は香水やファッション性を持っています。
それゆえに、私はワイン・香水・酒・葉巻などは、
オーディオや車・カメラ・万年筆と同格のモノであり、
センスを極める、そのようなモノだと想っています。


* 『酒、現在はジンの効能性=社会的存在価値について』
* 「酒とタバコと、そして・・・」
* 「ソムリエナイフの歴史的進化は普遍的です」
* 「カメラ修行は今なお・・・」
* 『アナログプレーヤーは45回転がふさわしい』


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『牛乳プロセスから新パッケージは看医工学デザイン』


   


     4月 18th, 2017  Posted 12:00 AM



牛乳orミルク?と聞かれれば、
私の年代だと「牛乳」、紅茶なら「ミルク」と答えます。
高校生ぐらいまでは、牛乳瓶が毎朝、自宅に届いていたと思います。
小学生の頃は、牛乳瓶の紙蓋円盤が面白くて、収集したり、
何枚かを重ねて車輪として工作したものです。
現代、コンビニに行けば多彩多量な牛乳パックを見ます。
牛乳パックに内面が紙パルプゆえ、
これをミキサー撹拌して、はがき用紙を紙漉きセット「すきっこ」は
私が越前和紙産地として発売し、ニューヨークでも大ヒットした商品。
そんなこともあって、ともかく、牛乳パックのパッケージデザインでは
あの「おいしい牛乳」とかに大興味。「おいしい生活」からのヒント?
出来る限り「飲み比べてその味を確かめています」。
理由は二つあるのです。
牛乳の味評価軸が見いだせません。
繊維には七つの評価軸を論文化して、一応の評価をマーク化も終えました。
ともかく、牛乳は3〜5種類飲み比べてみることです。
あたかもペットボトルの水を飲み比べて味検討のようにです。
そうしたら問題?牛乳になるプロセスに思いがけなく興味が湧きました。
また、こんなことを思いついてしまい、
しかも現在取り組んでいる新素材との関係がデザイン対象になったのです。
そうか、濾過素材?そのロボット化?チーズ化プロセスの進化手法?など
もう数アイデアに包まれています。そして明らかにこれは看医工学であり、
コンシリエンスデザインの具体事例に間違いありません。
かつて、牛乳瓶の蓋集め興味が拡大してしまったようです。
牛乳って面白い!、
となれば、豆乳はもっとデザインテーマは、
間違い無くデザインで拡大し進化するでしょう。


* 『乳牛は決して美味しいミルクを絞り出すわけではない』
* 『蜜柑の食べ比べと「蜜」という文字』
* 『水には様々なペットボトル入りがあるけれど』
* 『水というエネルギーの国際化』
* 『布の感性評価はこれまで無かったからこそ』


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『書を教えるべきだったー和紙の味覚、趣味の聴覚を』


   


     7月 19th, 2016  Posted 12:00 AM



衝動的に「書道俱楽部」をFB上に創りました。
日本デザイナー「衝動」俱楽部としたところから始まったからでした。
これは若手デザイナーの太刀川氏が書道を始めて、そのことのやりとりで
やっとデザイナーにその仲間らしき人物が次世代に現れたと思っていました。
「日本デザイナー書道俱楽部」を二人っきりでスタートしたところ
徐々にメンバー参加が出てきてくれました。
そして「しまった」という事態も知ることができました。
最も、大学人になって以来、あれもこれも伝えたい教えたいということは、
デザイン以外にいっぱいありました。
カメラ、オーディオ、モデルガン、ナイフ、鉄道模型、万年筆、
すなわち自分の趣味、こだわりでした。
こだわりというのは拘りという表現で狭く取られていますが、
本来は「木垂れ」からの派生の歴史がありますから、
デザイナーは知識から発想の知恵にいたるまでを自分が恩師たちから
教えられたようにと思いながら、本当に教育は困難なことです。
さて、書道では、筆と和紙、それから硯、硯石、毛氈と至ります。
とりわけ紙墨相発というように、和紙はその根元を伝えなければなりません。
和紙には「味」、まさしく舌で感じる味覚があるのです。
紙パルプにない、草紙というのではない、雁皮・三椏・楮の味です。
有名な和紙や書道具店では、「紙、舐めていいですか」って言うから
すごく嫌われていますが、硯、硯石も舐めることが肝心です。
だから、新素材も舐めること、味覚と聴覚で確認することにしています。
こうしたことを次世代デザイナーには伝えて継承していってほしいのです。
でも、ともかく「日本デザイナー書道俱楽部」が出来て、
にんまりと喜んでいたら、ワイフから、
「よくそこまでやりたいのね」と言われましたが、
これが本当にデザインを教えていく根本だと信じています。


* 『紙墨相発・電子ペンとノートとのインターラクション』
* 『ペン・ボールペン、そしてスタイラス、この進化を追う』
* 「ひらがな練習」
* 「もう一度、漢字と『書』へ」
* 『納得出来ない日本の伝統技=和紙の切り売りと分断化』


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『タバコ・喫煙再開せず』


   


     1月 18th, 2014  Posted 12:00 AM



心臓を痛めてからやむなく禁煙。
浪人時代にすでにこっそりと喫煙をしていました。
浪人時代、ふるさとから大阪にもどろうとしていた時、
母は私にチョコレートをくれました。それを見ていた父が、
「もうすでにタバコを吸っているだろうそれならコレをやる」。
すでに喫煙している私を見透かしていた父から、
いわゆる洋モク、ロスマンズを3箱もらいました。
しかし、父は、洋モクは自分が働くようになるまでは買うな、
そう諭されて、時々、まったく喫煙していない父が、
ロスマンズをプレゼントしてくれました。
デザイナーになってからは、ロスマンズを吸っていて、
自分がデザインしたオーディオ機器のカタログには常に、
そのロスマンズを広告担当にお願いをしていました。
そんなこともあって、すでに日本では手に入らないコレを発見。
老年期の私は買い込んで吸ってみました。
とても懐かしい味がしましたが、もうとても無理でした。
20年も禁煙していた私にはこのタバコ喫煙は不可能でした。
あらためてパッケージを見てみると、怖い写真が貼ってあります。
禁煙を促すパッケージになっていました。
やはり、タバコはとてもこの時代には不要のモノです。
無論、心臓疾患のために禁煙を果たした私には思い出のモノです。
最近は、禁煙を常にうるさく友人達に言ってきましたが、
その友人も65歳を過ぎても喫煙をしている彼らには言いません。
それは、どうしても喫煙から離れられないのならば、
もう「楽しみである喫煙」には楽しんでもらいたいと思うのです。
だから、このロスマンズを彼らに私の思い出とともに贈呈します。
まもなく、タバコは世の中には不要のモノになるでしょう。


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「君の居場所・coppers早川(篤史)作品「KAIJIN 75」」


   


     9月 10th, 2012  Posted 12:27 AM



届いていました。
先般、松屋銀座での個展ギャラリーに2日通いました。
本当に久しぶりにアート作品を求めました。
早川親子の鍛金彫刻作品です。
アッと思うほど、惹き付けられました。
その夜に、あの作品群の中のアレを、
わが家のやっぱりスピーカーシステムJBL4343の上に置こう。
そう決心すると、ともかく会議前に求めておこうと決めました。
正直、仕事中も、
すでに自宅に作品が来ているイメージが常に浮かび上がっては消える、
そんな繰り返しが起こっているのは、
仕事への情熱を演技している連中への怒りを抑えられました。
「大企業病」というのは、
大企業にぶら下がっているサラリーマンの罹病だと定義できました。
それに引き替え、早川親子(父と息子)の作品は、
父がまずは師匠でありながらも、息子さんは二代目でも無く
この親子の強烈なライバル関係が清々しいのです。
この作品は息子さんの作品です。
生きている実感と社会での役割を凜と果たしているのです。
それが見事に作品に表れています。
彼らは、三重県で制作活動をされています。
いわゆる芸術関連の学歴などは無いそうですが、
そんなことはどうでもいいことです。
ところが、芸術系の学歴の無いことから作品への上から目線の人や、
この作品をロボットにして動かしたらとか、
LEDで光らせるべきと忠告されるそうです。
私はアート作品へのそのような期待は、
まあまあ一般的興味が膨らんだだけに過ぎないことだと思いますが、
つまらない鑑賞の仕方だと言っておきます。
もちろん、銅と真鍮という素材加工の技術性やその染色方法は、
高度でオリジナリティが存分であることが基本です。
しかし、もっと重大なことは、
「作品を私物化」したときに、その物欲と美学的な満足度を
どれほど真剣に「日常化」していく決心と作品への憧憬です。
私にとって、買い求めてまで側に置いて毎日眺めるのは、
常に、眼を透明にできる作品と出会うことです。
この作品は、これから私と一緒に、
私のオーディオ=耳と眼が共時性を持って、
生きている確認ができることです。
これから、この作品と対話したことも書き残したいと思っています。


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『資本主義からの逃走』
「虚空回帰は空虚感排撃のデザイン」


   


     8月 17th, 2010  Posted 12:00 AM

エーテル=虚空
古代西洋哲学には、土・水・空気・火に対して、
天体に充満している媒質概念・エーテル=aitherがありました。
私が最も不思議に思い続けていることは、
古代インド哲学・サンスクリット語でも、
大気や万物の存在空間を アーカーシャ=ākāśaと音声的にも近似した概念があったことです。
aither≒ākāśaはとても酷似していることです。
土・水・空気・火≒地・水・風・火、そして「虚空=ākāśa」です。
万物、世界要素の五大があり、これを五感(香・味・色・蝕・声)で受け止めて、
広大無辺、永遠、清浄などが私たち人間界と天界にあるという認識論です。
この認識論は、コペルニクス、ガリレー、ケプラー、ホイヘンスにとどまらず、
ニュートンの絶対空間論にまで及んでいました。
つまり、aither≒ākāśa=虚空概念だったわけです。
したがって、私たちが「空虚感」というのは、
認識すべき世界要素をまったく全廃している喪失感です。
私たちは、現代、ある種の「空虚感」に苛まされるとするなら、
「虚空」という概念が本来もたらしてくれる恩恵を失っているということです。
私は、あらためて虚空蔵菩薩という可視化されたシンボルを見詰めなおさざるをえません。
しかし、私の言説がオカルトや非科学性につながっているという誤解は受けたくありません。
ともかく、「空虚感」を与えないデザインをめざしたいだけです。


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