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Posts Tagged ‘商品デザイン’


10月31日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 31st, 2018  Posted 12:00 AM

10月31日 先勝(丙申)

現在のようにいきなり
「商品デザイン」をしてしまうことが、
デザインの本質を狂わせてしまっている。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』2ワイングラスのインジケーター


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10月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 23rd, 2017  Posted 12:00 AM

10月23日 赤口(癸未)

デザインされたかたちが、
説明される言葉は要らない、
説明無しが商品デザインの
かたちである、ということでを
私は廃棄し、あえて形が
言葉をも持つべきと考えている。



川崎和男の発想表現手法


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『神話性ナラシオンで富獄が語る空間・形態』


   


     10月 14th, 2017  Posted 12:00 AM




富嶽三十六景の中の代表的な浮世絵=風景画、作者は葛飾北斎です。
富士山にまつわる物語、
あるいは神話ともいえるナラシオンは識るべきでしょう。
私にとっては日本を代表する山は白山です。
だから富士山より白山なのですが、こんな話を聞いて愕然としました。
富士山と白山が喧嘩をしたのです。
だから、富獄=富士山・不死山が似合っています。
ともかく、どちらの山が高いかということで、
竹で雨樋を作って、水を流したら富士山から白山に流れたのです。
子ども心に富士山が嫌いになりました。
そして左は黄金比では必ず実証される構図です。
つまり、空間論の下敷きになる美しさがあるのです。
そして右はexponential curveそのままの形態論になっています。
まだ日本に透視図が浮世絵の構図ではないのに、
なぜ、北斎は知り尽くしていたのだろう天才であったという実証構図です。
そして、ほとんど日本人には識られていない、アルゴナウタイなのです。
アルゴナウタイというギリシア神話叙事詩でのメディアと同様の神話が、
この富獄の神話=かぐや姫・竹取物語と同じなことを、
私はメディア論:かぐや姫とメディーサ同一で追い求めたことがあります。
これは語り切れないほどのアルゴナウタイと富獄神話が同一であるから、
exponential curve=eXの解釈ができるとさえ思っています。
つまり、黄金比・exponentという構図は空間論と形態論で、
美しさを生み出しているのですが、
私の判断では、歌川広重の広重ブルーは北斎を超えていると思っています。
浮世絵にまつわるナラシオンは、広重も北斎も美しさの基本にあるのです。
結局、美学では語り切れない物語性が北斎にも広重にも見事なわけです。
したがって、デザインでの美しさには
明確な背景としてのナラシオンは必要条件なのです。
もっと断言すれば、ブランド価値や商品デザインでの美しさには
絶対的に神話的にもなりうるナラシオンが必須だということです。
デザイナーにとっての悟識=カント的にはその素養は浮世絵からも
後天的に確実に学べるということです。


* 『広報誌がまだジャーナリズムである』
* 『「形態学序説」からのデザイン原論思考が必要』
* 「どちらの『杖』を選ぶべきか、医学のシンボル」
* 『吟遊詩人の的確な叙事詩はロックにまで至った』
* 『透視図・次元的な隠喩としての焦点というイメージ点』


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12月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 21st, 2014  Posted 12:00 AM

12月21日 丙寅(先負)


いまや
簡単に「デザインコンセプト」と
企業理念や、商品デザインに使われている。

その安易で、簡単さを
私は容認しながらも、
実際の
企業活動や
商品、特に性能を評価したとき、
それが、デザイナーが関わっていても
間違いは正すべきだと考えている。



川崎和男「強い人間弱い人間」


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『無論、すべてがヒット商品になったわけではないが・・・』


   


     9月 21st, 2014  Posted 12:15 AM



ジュエルトーンブランドは徹底的にレコード盤周辺の
アクセサリー群を考え出せばできる限り商品化をしていました。
大ヒットを連続させていましたが、かなりその経過の中では、
自分の想像及ばずで失敗例もつくりました。
その一つに、レコード盤をパックするように、化粧品のごとく、
いや、女性が顔のパックをして不純物を皮膚から取るようにと、
レコパックなる名辞とともに、その道具化を狙いました。
これならレコード盤上、レコード溝に入っているチリを取り除く、
と思って、懸命に化粧品パックを製造しているメーカー相手に
そのパックを開発しました。
あるとき、革靴が汚れたと聞いて、皮表面のゴミも取れるはず、
そう思い込んだ私は、それを試みましたが、大失敗しました。
ひょっとすると、これは失敗作になるかも知れないと予感しました。
レコード盤をパックするという発想は当時話題にはなりましたが、
市場では、それほどヒットはしませんでした。
ともかく、レコード盤、レコード溝をクリーンにすることを
毎日毎日考え続けていた気がします。
ブランドイメージはすべてアイデンティティを遵守するために、
液体系はすべて真っ白のボトルにパッケージPIも統一していました。
結果、全国のレコード店舗での商品陳列は最も美しくなりました。
デザインは決して装飾やカッコ良さを求めて企画や設計せずに、
すべからく、商品存在性は問題解決でした。
商品陳列も店舗がより整理整頓や掃除がしやすくなりますから、
それが結果、美しい店舗になっていくことでした。
今ではレコードショップは、CDショップになりましたが、
街からこうしたショップもいづれ無くなっていくことだと思います。
アナログ時代からデジタル時代になって、
音楽ソースはすでにダウンロード購入される時代になりました。
20世紀の商品デザインは、特に、商品存在は効能性を生み出す
問題解決の手法であり、それは今も変わってはいません。


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「商品デザインの結末は資本主義の終焉を必ず決めるべきだ」


   


     9月 22nd, 2013  Posted 12:00 AM



私はApple商品のエバンジェリストであり、
Apple本社で日本人初のデザインコンサルタントでした。
しかし、資本主義と民主主義への強い疑問を抱いてきました。
私の目標は、この二つの主義からの解放です。
だから、カラー透明のiMac登場時には、100人中唯一私ひとり、
この商品登場に「ゴミの出現」と表して多大なバッシングを受け、
一時期はApple社からも排除されました。
それでもあのiMac登場でMac-PCファンは急激に増加しました。
しかし、数年であの製品は真実「ゴミ」になりました。
iPhone5cが登場して、いわゆるスマホのこのカラー商品デザイン、
これも「ゴミ」の登場であり、この必要性と企業収益は無関係。
すなわち、私自身のパソコン、スマホは常に買い換えています。
それも絶対にApple商品購買ゆえどれだけの投資でしょうか。
いわば私は「ゴミ」に惹き付けられてきたデジタルライフです。
この大きな矛盾構造に私自身の存在が確定しているのです。
問題は生産と消費のサイクルは資本主義に呪縛されているのです。
ただし、資本主義経済網の中のApple商品ゆえに、
多少は、商品デザインの美しさが救いになっています。
しかし、それはたった5%程度のユーザーが享受しています。
比して、マイクロソフト商品では、世界の95%のユーザーは、
もっと資本主義に閉じ込められて緊縛されているのです。
その企業TOPの莫大な私的財産によって、
文化構造も制御された時代構造にその批判はまったくありません。
私は、自分自身が資本主義と民主主義での閉鎖空間の中で、
わが人生は無抵抗で流されていくわけです。
あの9.11も3.11も、こうした商品は一瞬にして消滅しました。
それだけが、商品を取り囲んでいた資本主義の破壊だとするなら、
私たちが、奈辺で疑問視しているこの二つの主義を、
なんとしても、破壊ではなく超越するあらたな理想主義こそ、
デザイン=問題解決の集中的目標にするべきだと考えます。
大矛盾の人生であっても二つの理想主義を創出すべきでしょう。


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「商品・コミュニケーションから意味論的デザイン」


   


     12月 22nd, 2012  Posted 12:00 AM



大阪大学大学院での大学人として、デザイナーとして、
最終的な結論に至ったことは、
「商品デザイン」・「コミュニケーションデザイン」、
あるいは、モノのデザイン・コトのデザインはすでに、
「記号論・意味論としてのデザイン」に決着しました。
来春3月に阪大を退官するにあたって、
一つの焦点を決定づけておきたいと考えています。
学生たちには、
「デザイン」と聞けば、
手法・実務・問題解決・美学的存在性の具現・問題提起と方向決定が
身体化してくれればと願って講義をしてきました。
それは、現在の日本の経営者やリーダーには、
特に日本の美学・能狂言から伝統工芸、
さらには宗教哲学や思想への統合的な見方など、
そうしたことが欠落しているから、
日本人のリーダーたちが考える
グローバリズムすらゆがんでいると判断しているからです。
特に、アジア近辺からの留学生には、
第二次世界大戦後の自分の国と日本の関係を
自学してほしいと訴求してきました。
そこには、あの世界大戦時に日本は必ずしも、
帝国主義に徹していたわけではなく、
日本の武士道やその美学性を発露していたことも講義では語ってきました。
最も、その講義は最近では
日本人学生は居眠りしがちだったことも告白しておきます。
今年は、特に、
「記号論」を先端的統合的な学際化としてのデザイン解説にしてきました。
その論理化には、二つの方法がありました。

 ・最大公約数的思考 The greatest common divisor theory
 ・最小公倍数的思考 The least common multiple theory

この思考方法を積み重ねて、結果と効果、
すなわち、それが意図ある造形のかたちと
意味される造形としてのかたちに「成っている」という論理でした。
私は、この考え方が、
現代どこにたどり着いたのかということを見直してみると、
それは、論理演算として
コンピューターに繋がってきたものと断言することができます。
ある概念集合の様々な要素や要因から、
その素数的な共通項を積み重ねると、
この画像の α・β・γ・ζ が最大公約数的な構造になります。
そして、その集合体の残存して集合が ζ という
最小公倍数的な構造になっているということです。
したがって、その ζ にこそ、
「記号論・意味論としてのデザイン」結果・効果が、
デザイン造形の「かたち」であり、
「かたち」に結実しているデザインだったということです。


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「『マーク+ロゴタイプ』が経常利益を決定している」


   


     11月 3rd, 2012  Posted 12:00 AM



経常利益とは、企業の正常な収益率を示す指標となる利益です。
私は営業利益だけではなく、
営業外収益の根幹には
「企業存在イメージ相当価値」であると考えてきました。
その「企業存在性」を認知されるのは、
企業名を明確に視覚化している、
マークとロゴタイプだと定義することが可能です。
したがって、「商品デザイン」において、
視覚認識要素として企業名表示は最重要です。
昨夜、私は国内企業がほとんどロゴタイプだけで企業存在を表している、
そのことへの大不満を述べました。
それこそ、ロゴタイプ=読むというより、
マーク=一瞥がどれほど認識力が強いかは歴然としています。
ロゴタイプをマーク化する造形処理もひとつのデザイン手法ですが、
マークだけで「企業存在アピール」は強力です。
そして、ブランドと言われる企業には、必ず、場所も銘記されています。
そういう意味では、最近、「made in Japan」という表記が、
一つの強力な収益のための商品価値構造になっています。
マーク・場所・創業年・企業内容のシンボルなどが経常利益要素です。
経常利益の要因は変動しますが、この要素は不動であり永久性があります。
営業外利益の中の営業外費用対効果として、
「マーク+ロゴタイプ」の象徴性は、しっかりと理論武装するならば、
エルンスト・カッシーラーの四段階説を理解するべきでしょう。
実体的段階・機能的段階・構造的段階・象徴的段階で適合させてみれば、
すでにわが国の「商品存在」は、
構造的段階から象徴的段階に存在すべきモノの供給でなければなりません。
ところが、ロゴタイプだけの企業名では、
その商品の実体的段階ですら低コスト競争では全く敗北し、
企業存在そのものの象徴性すら喪失してしまっているのです。
すでに「商品消費は記号消費であり、その価値性は差異性でしかない」、
この論理は流行しましたが、
日本のほとんどの経営者たちは読破理解していなかったと判断しています。
グローバリズムの功罪の詳細に、
利益構造、特に経常利益の根源的要素として、
企業イメージ戦略を再構築しなければ、
日本の企業の活動領域は次第に縮小していくことでしょう。
「マーク」認識の訴求化は最大の企業テーマだと断言しておきます。


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「『007』形態言語を変更した新たな造形言語の失敗事例」


   


     10月 27th, 2012  Posted 12:29 AM



映画「007」は50周年の新作ができたということです。
なるほど、私にとっても大好きなこの映画、
少年時代から今日に至るまで、
私の生涯の楽しみだったということです。
デザイナーとして、この映画のアイコン性を確かめてみましょう。
まず、007のロゴタイプとオープン画像の渦巻きが
最もそのシンボル性を確立しています。
そして、主人公は世代が代わり、
物語りに登場する武器である拳銃が
「ワルサー」であることもよく知られています。
しかし、ワルサーも物語り年代に合わせて、
武器アイテムもワルサーのモデルチェンジと重なっていたことは
007マニアは知っているでしょうがほとんど知られていません。
ワルサーは明らかに三つの形態言語を持ってきました。
ワルサーという拳銃の歴史上では、
007に登場してきたモノの、
第二世代のPPKとP5は、ほとんど一般的には見分けがつかない
確固たる形態言語を持っていました。
したがって、第三世代の形態言語になろうとしているP99が
最近の小道具武器になっています。
しかし、
第二世代の形態言語を新たなモデルチェンジするための造形言語は、
銃器マーケットでは失敗作と言われています。
性能を含めた商品デザインとしては不成功になっています。
私は、デザインすること=造形と呼び、
デザインされた形態を言語と定義しています。
つまり、
デザイン意図を込めて造形すること=designing language=造形言語、
デザインされた形態=designed language=形態言語と呼んでいます。
したがって、この50年の歴史に登場したモノとしての拳銃デザインは、
アイコンとしてのイメージ=記号化された形態ですら、
造形言語の変更が失敗に至ることを示しています。
つまり、なぜPPKやP5を造形言語を変更してP99にしたかは、
拳銃市場の流行の読み違えがあったからでした。
しかもこのデザインは欧州の著名なデザイナーによるものです。
この失敗が拳銃市場では大きな問題になっていることは事実です。
私は、商品デザインにおける造形言語と形態言語の関係=構造を
この「007」のアイコン=記号からも解読出来ることを、
特に、次世代デザイナーに熟知してもらいたいと考えています。
私は、造形言語と形態言語・アイコン・記号のデザイン実例として、
「007」は参考事例になると明言しておきます。


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「進化著しいスピーカーシステム」


   


     9月 2nd, 2012  Posted 12:04 AM



私はスピーカーシステムには病的なほど拘りがあります。
IPadやiPhoneはすっかり音楽視聴のスタイルを革新してくれました。
かつては小型スピーカーシステムは、
「ブックシェルフ」と読んで、書棚に収めて配置するモノでした。
いくつかの名作があります。
故・瀬川冬樹先生にJBL4343と聴き比べて紹介された製品は
もう使えませんがまだ所有しているほどです。
最近では、この一体化したステレオスピーカーユニットになりました。
この二つは、音楽を使う小さな教室では十分な音圧と再生が可能です。
海外ブランドで著名なモノも結構、日本製ですが、
このメーカー・Jawboneはヘッドセットからスタートしましたが、
デザインの緻密さと正当性は高い評価を得てから、
とうとうスピーカーメーカーに進化しました。
JAMBOXは周波数特性もあるメーカーに依頼して測定したもらいました。
想像どおりでしたから、B&W zeppelin airにはおよびませんでしたが、
なかなかの特性を持っていました。
私が小型スピーカーでは、特にf0に拘っています。
ところが最近の商品カタログではこの性能記述無しを見かけますし、
ショールームでも答えられない店員さんが増えています。
確実にHi-Fiスピーカーシステムと呼んでいいと評価しています。
講演会などでは、
本格的なJBLやBOSEなどを
PAシステムまでスタッフが持ち込んでいましたが、
これからは、BIG JAMBOXで十分かも知れません。
ワイフは自分の講義では、iPadとBIG JAMBOX-Redを使っています。
今は、このBIG JAMBOXをいくつか会場に配置すれば、
それなりの「音場効果」が出るのではないかと模索中です。
それにしても、Jawbone社のモノづくりは、
商品デザインとして本当にまとまっていると評価しています。


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