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Posts Tagged ‘国費留学生’


『渡邉洪基というふるさと福井の大偉人』


   


     6月 26th, 2017  Posted 12:00 AM



私は福井県福井市出身です。
したがって子ども:小学校の生徒時代から
安政の大獄で斬首された橋本左内を最もふるさとの偉人として、
私生涯の尊敬偉人だと決めてきました。
福井県からの偉人伝をライフワークにもしてきました。
それで、福井県・福井藩・小浜藩・鯖江藩を自慢にすらしてきたのです。
大阪大学にて特に適塾からの系譜も明治維新にて、
藤野恒三郎先生がおられ阪大の名誉教授であり、
適塾での物品収集も彼だったと福井の親友にも伝えてきました。
それこそ福井時代には日下部太郎が客死のことも
当時の青年会議所とともに、まとめた経験もあります。
日下部太郎は国費留学生最初の人物です。
おそらく、明治大学の創立者:矢代操もいました。
ところが最近、大学同期から「工手学校」の存在を知りました。
そしてその開校には、渡邉洪基の存在を知り仰天しました。
東京府知事は由利公正だけと思っていたら、渡邉洪基も府知事でした。
それどころか東京帝国大学の初代総長まで努めたようです。
早速、福井の親友にも伝えたら彼も存在を知らないとのことでした。
当時より、文部省は学校新設には巨大な権力があったようです。
私も公立大学は総務省管轄であり、国立大学は文科省管轄、
この厳しさは、正直目に余るほどの体験もしてきました。
教授認定においても教員教授と学者教授があります。
やがて2018年の大学問題には新たな制度も出てくるでしょう。
ところが渡邉洪基はそれなら私立学校制度を推し進めた中心人物でした。
また工手学校こそ、現代のエンジニア養成の私立学校であったことや、
その創立概念には現代が失っている壮大な思想を知りました。
1800年代はその月毎の大事件、つまり日本国家が明治維新が、
小説で歪曲していることを明確にして私なりに発信してきました。
そういう意味では、ふるさと福井には渡邉洪基という偉人の存在を
改めてしっかりと伝説にしなければなりません。


* 「ふるさと福井の偉人たちへの敬愛あるのみ」
* 『行学はデザインにあり・「KK適塾」を開始します』
* 『日本の繊維産業、その先鞭をつけた人たちの偉業に続け』
* 「大阪大学の歴史の一つに、藤野恒三郎の存在」
* 「ふるさと偉人の「ち」の系譜を再興したい」


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『先輩は77歳での出版、恩師88歳の喜寿の会企画』


   


     6月 25th, 2017  Posted 12:00 AM



一昨日は、日本中が元アナウンサー、
その彼女の逝去に人間の悲哀と夫・歌舞伎役者の言葉を受け止めました。
その日、金沢美術工芸大学の工業デザイン専攻の先輩と後輩たちで、
同窓会と先輩77歳記念の「野次喜多本・喜多謙一の出会い百景」完成と、
恩師である平野拓夫先生88歳お祝いの会企画、打ち合わせをしました。
金沢美大の工業デザインは日本の工業製品、
車から精密機械、家電に至るまでを最も美しくデザインしてきました。
日本で最も小さな公立大学ですが、私たちの世代の先輩・後輩関係は、
それこそ、恩師の厳しいデザイナー訓練を受けた関係は伝統的な絆です。
おそらく、FBでのネットワーク充実ぶりも国内では最高の関係でしょう。
先輩である喜多健一氏は元ブラザーのデザイン部長であり、
私の先輩としては10歳年上ですが、
名古屋時代もお世話になり、さることながら77歳にて出版もされました。
私もその本で紹介もされましたが、
常に先輩の指示には何をおいても後輩自覚とデザイナー技能自信、
そして、日本の工業デザイン界ではトップ意識と誇りを守ってきました。
しかし、残念ながら現在の金沢美大にこの伝統があるかというと、
私見では、「すでに美大でのデザイナー育成は終わっている」のです。
現代の工業デザインはカーデザイナーを志望しながらも免許が無いとか、
他美大では、平然とした盗作も多くてやがてこれは国際問題かも心配、
私は未だに大学人であるとともに現役のデザイナーとして、
恩師達と先輩達にはこの伝統を遵守しています。
かねてより喜多先輩の人的交流の大きさは知っていましたが、
帯文が宝塚出身タレント遼河はるひ女史であり、
それこそ歌手の松田聖子さんの結婚式にまで出席されていたのでした。
空手部の先輩でもあり喧嘩早い私を何かにつけても私の支援者でした。
そして日本に最初のデザインを戦後最初の国費留学生、平野先生88歳、
喜寿の会を先輩の提案を支える一人になりました。
金沢美大、先輩と後輩そして伝統的な日本で最高だったデザイン教育を
改めて先輩の「喜多謙一の出会い百景」で学び直した一日でした。
恩師平野先生から、私は日本デザイン界の様々を引き継いでいます。
それも喜多先輩たちや後輩たちからの支援あってのことです。

#「野次喜多本・喜多謙一の出会い百景」
株式会社ギャラリーステーション
ISBN978-4-86047-265-8


* 「最も小さな公立大学・金沢美術工芸大学70周年」
* 『開学70周年「金の美」展の自分デザイン作品展示』
* 『工業デザイン教育での「手」のトレーニング』
* 『金沢美大には伝統的なアノニマスデザインがあった!』
* 「司法最高権威のインテリア=恩師の作品」
* 「誤解されたデザイン=デザインは意匠とともに問題解決」


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「モノづくり・コトづくり=デザインの源流でもう一度メモ」


   


     4月 10th, 2013  Posted 12:00 AM



最近ある雑誌のインタビュー記事を校正しました。
そこで、これはもう一度メモとして残そうと思いました。
モノ=物の歴史、
それはわが国では歴史的には神の存在として語られます。
コト=情報も同様です。
モノは「大物主の命」とコトは「事代主の命」です。
そして、このことを仏教伝来に照らし合わせると、
二人の人物が登場してきます。
最澄と空海です。
生年月日説としては766年説と遣唐使説も804年に唐に渡っています。
ところが、最澄は今で言う、国費留学生ですから、
徹底的に理論を学んで帰朝してきました。
空海は、最澄の留学を知って私費留学したと言われています。
しかも、彼は仏教を学ぶとともに、いち早く帰朝します。
ここで、両者の大きな違いが芽生えることになります。
最澄は論理=コトを学んで来ますが、
空海は論理=コトとその実務道具器具=モノを、
留学費用を使い果たし持ち帰ります。
これが、以後、
天台宗と真言宗を大きく生活観を変貌させたことになります。
つまり、仏教の実務、たとえばある儀式を行うにあたって、
空海はモノを使ってコトの重大さを庶民に伝えることが可能になりますが、
最澄にはそのモノが無いために、
あらためて空海にモノの使いかたとコト=論理の表現を、
学びなおさねばなりません。
つまり、
大物主の命はモノの管理に徹しますが、
事代主の命はコト=情報操作の頂点です。
デザインは、モノの造形だけではありません。
デザインは、モノづくりとコトづくりを「かたち」化する実務です。
そういう意味では、
まさにデザインは空海のごとくでなければならないのです。
最澄のごとく、コトづくりでは世界も日常も動きません。
世界観でのコトづくりとは「制度設計」ですが、
日常感でのモノづくりとは「形態設計」にあたりますから、
デザインの真の役割は、
「制度設計=コトづくり」+「形態設計=モノづくり」です。
つまり、あくまでもモノづくりとコトづくりは、
デザイナーが空海のごとくでなければならないということになります。


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「ふるさと福井の偉人たちへの敬愛あるのみ」


   


     12月 15th, 2012  Posted 12:00 AM



自分のアイデンティティは、ふるさとに在るということが大事です。
そしてこの大事さの確認には、
ふるさとが輩出した偉人の存在を認識し、
素直な敬愛が大切だと私は思って生きてきました。
 杉田玄白・「解体新書」、日本初の解剖医学者
 松平春嶽・福井藩主、明治維新を支えた見識人
 梅田雲浜・安政の大獄で獄死というほどの反体制政治犯
 日下部太郎・二番目の国費留学生、留学大学で今なお伝説
 由利公正・五箇条のご誓文の執筆政治家
 岡倉天心・福井藩出身の武家の子息として生まれる
私はその時代時代、
特に明治維新から近代国家を創ってきた偉人への敬愛は、
自分を勇気づける大きな一つの手段だと思っています。
もちろん、
それは彼らが歴史上も偉人であるからというだけではありません。
自分を育んでくれた子供の頃、
その当時叱られたおじちゃん達やおばちゃん達も敬愛しています。
彼らはその象徴だと考えています。
子供の教育で大事なことの一つに、「偉人伝の読書」というのが、
世界的にも指摘されています。
山口県では吉田松陰と橋本左内が、
安政の大獄で牢獄で交わし合った詠歌が話題になったこともあります。
熊本で講演したとき、熊本県の関係者から、
横井小楠が越前藩にはお世話になって、と冗談交じりの会話をしました。
確かに、
横井小楠と橋本左内が越前打刃物産地への取り決め書きの本物を見た時は、
当時のあの若さで二人が越前藩産業に苦心していたことに感激しました。
現在私は、大阪大学の微生物研究所初代所長・藤野恒三郎名誉教授の
「杉田玄白から福沢諭吉・近代日本の医学史」の再版を企画しています。
これほどまとまった著作は、
日本の近代医学史として、
大切に教科書にすべきだとも考えているからです。
藤野恒三郎も私の敬愛する食中毒発見をしたドクターであり、
魯迅の先生と言われている藤野厳九郎の甥です。
私はふるさとの偉人への敬愛そのものが私の一つの思想だと思っています。
そして、もっとも敬愛する人は、と質問を受ければ、
「父と恩師達と橋本左内」と答えることにしています。
そういう意味では、
ふるさとがあるということは幸運な人生だと感じています。


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「手を頭脳化するトレーニング=デザインストローク」


   


     4月 21st, 2012  Posted 12:00 AM


「HIRANO DESIGN METHOD」のイニシャルトレーニングです。
A3(B2)サイズに2mmピッチ、フリーハンドで鉛筆下絵に
「デザインストローク」=3~2ミリ線を引き、
そのままもう一度、2~1ミリ戻りながら仕上げていきます。
これをほとんど正確に引けるように訓練を繰り返すのです。
一枚仕上げるのに平均18時間。
これはベトナムからの国費留学生で多軸加工自動CAMシステムから、
先端デザインを博士前期課程とした3枚目の作品です。
まだ合格させていません。
私は美大時代、9枚描いてやっと合格しました。
平野門下生はすべて最初に合格するまで苦しむ課題です。
私の時代は、丸ペンに黒インクで描いていました。
現在は、イラストペン0.2mmを数本使います。
これを数枚仕上げれば、三つの効果が身体化するのです。
直角・直線・水平垂直が見分けられるようになります。
次の課題がレタリングをフリーハンドで描く基礎になります。
そして、手描きする「手」の運動神経が柔らかくなるということです。
レタリングでセリフ体とサンセリフ体をトレーニングし、
デッサンも「デザインストローク」で、
私は生きている鶏をA1(B1)サイズで50枚あらゆる角度で描きました。
そうすると、アイディアスケッチが、
頭の中が空っぽ=無思考状態でも、
手を動かせば「形態」が何か描けてしまうのです。
だから、たとえばデザイン対象アイテムをテーマに無思考状態でも、
「手が考えて線を描いて頭脳にイメージが投影」されます。
私は、その状態を「手が頭脳化」していると言っています。
一気に仕上げる18時間はほとんど徹夜仕事になります。
若いときなればこそ、
この訓練はデザイン実務に入っていく最初のトレーニングです。
今はパソコンで書体を選べばレタリング作業など無しで事足りますが、
やはり「手で考える」というのは、
デザイン実務の根本という考え方は教育者としての哲学になっています。
多くても5枚程度で、
完璧なデザインストロークの基本が身体化するはずです。
だから私は、
発想の根本は、絵=フリーハンドが最も近接していると確信しています。


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