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Posts Tagged ‘土’


『陶器での鼠志野その復活が使い勝手を増やしている』


   


     4月 13th, 2019  Posted 12:00 AM



形態には、大きさ・素材・使い勝手が主要な事項です。
よく、陶磁器と言われますが、
陶器(土)と磁器(石)には大きな違いがあります。
これは陶芸家の若尾利貞氏が美濃焼で「鼠志野」を復活した、
陶器=土を焼いた鼠色に対比した色彩の器の湯呑です。
鼠志野は、エンベリッシュ=embellishであり、
デコレーションやオーナメント=装飾ではありません。
私が、美濃焼をTV番組で紹介する機会があり、
お互い初見は距離感のある「大学人」と「陶芸家」でありましが、
互いの仕事やその姿勢に魅了され交流を重ねた記念のモノです。
若尾氏は、日本では最高ランクの陶芸家であり、
しかも、鼠志野の復元から新たな伝統工芸を
完成させた素晴らしい功績の作家です。
また独自に確立された技法により、
陶器素材には鼠色と対比する緋色が表れるその豊かな表情は、
エンベリッシュだからこそ、新たな使い勝手があります。
陶芸家の「形態言語」としては、最高のモノです


鼠志野


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『Fayetの多機能なステッキをもっと知るべきです』


   


     8月 22nd, 2018  Posted 12:00 AM



「Fayet」というブランドを知らない人が多分多いとわかっています。
これは、ステッキの超有名なブランドです。
フランスの例えば薔薇の木をイタリアに渡して、
ステッキとしてはここでは書けない事もあります。
ステッキは心臓病の人には当時の気付け薬のウィスキーもありますし、
それこそ吹き矢から、護身用ナイフもあるほど、
ステッキが多機能であることがとても多いのです。
私デザインのステッキもあります。
400年の歴史ある有田焼、そして奈良県のステッキと取り組みました。
現在は流行しているステッキは、大きな問題があります。
まずステッキのハンドヘルドがHUSATから見れば、問題が多く、
Fayetで試作を重ねている杖のハンドヘルドは、
円形である必要性から杖を真っ直ぐにする機能性があります。
そしてこれからは、杖の樹木は国際的にも国内産に限っています。
最も重要なのは土とステッキとの接触面です。
私デザインのステッキの先は、北海道の水産現場で使っている長靴であり、
それは今では手術用シューズ靴底や、
ロボットのアシモもここのビブラム靴底を使っています。
現在はここのゴム仕様が一番だと思っています。
私がいつでも現在のステッキではFayetの様々な多機能性を見ることです。
かって仕込み刀剣であった吉田茂のスッテキなども本物を知りたいです。
私は車倚子ですが、ステッキならば、Fayetを事細かに知るべきです。


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11月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 16th, 2017  Posted 12:00 AM

11月16日 赤口(丁未)

木・火・土・金・水という思想と
空・風・水・地・火は、
仏教思想。
このマトリックス=5×5= 25、
それぞれに全世界概念がある。



川崎和男の発想表現手法


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『2017アライアンスフォーラムに今年も出席』


   


     11月 10th, 2017  Posted 12:30 AM




クーラーが出始めた時、ある企業では取り締まり役だけの部屋に取り付ける、
そんな話はあまりにも当然ですが、
一人の取締役が、正面切って大反対をしました。
この企業を真に支えて、暑い思いをして汗だくで働いているのは誰か?と。
クーラーはその企業の工場現場に取り付けられたという逸話があります。
その息子さんは父上の考え方を米国でしっかりと理論づけをしました。
株式資本主義は大間違い、
企業は株主のために存在しているのではありません。
企業とは公器であって、米国の企業ガバナンスが間違っている。
日本らしさとして公益資本主義を提唱した人物が原丈人氏でした。
箱根での集中三日間のセミナーで、偶然に私はこの親子に会ったのです。
このセミナーはApple本社が開催し、今の時代、スーパーハイウエイや、
土(シリコン)と空気(インターネット)とガラス(光ファイバー)、
この三つで世界が変わる。基調講演はゴードン・ムーア氏でした。
昨年、公益資本主義が阪大で語られ、阪大の招聘教授であり、
もうすでに財務省参与で「アライアンス・フォーラム」の中心人物。
2150年までへの改革を呼びかける人物になっていました。
昨年もこの会議に招待、彼の日本での事務所にも訪ねました。
私自身、すっかりと公益資本主義が、なんとしても日本から、
まずはG7を変革するこの思想をデザインに取り入れています。
今回も彼からの提案とすでに実践されている企業実績が紹介されました。
ROC(Return of Company)利益配分をまず社中にという発想と効果紹介。
ESG(Environment Social Government)構築実情を聞いてきました。
彼は、父上の博物館まで建てました。横浜にある鉄道博物館です。
そして、今、彼はアフリカに革新的な12の銀行を新設しています。
私は公益資本主義でのデザインを「コンシリエンスデザイン」として、
最先端のデザインを「KK適塾」で活動を今年度するつもりです。

#「公益」資本主義 英米型資本主義の終焉
# 増補 21世紀の国富論
# 新しい資本主義
# だれかを犠牲にする経済は、もういらない
# 21世紀の国富論

* 『2016ワールド・アライアンス・フォーラム会議に出席』
* 『行学の士ならば、基幹産業は絶対に見つけ出すべきだ』
* 『製品から商品へのデザイン投資のサインカーブ』
* 「 Media Integrationに向かってきた系譜・2 」
* 『「企」とは、つま先立ちして目標を見定めている』 


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『「場のちから」の「ば」と「ち」にあるデザイン』


   


     7月 16th, 2016  Posted 12:00 AM



美大時代、デザイン系の本は数冊でしかありませんでした。
その数冊でも、
「この本は間違いだらけだ、燃やせ」ということも教授からの声。
だから、ほとんど建築系の本を読み漁っていました。
その時に、「デザインにはことばが無い」と思っていました。
だから自分は「かたちとことば」を積み重ねようと決心したのです。
大学人になって、建築系の論文も相当読みましたが、
正直、建築家の著作の方が面白いと同時にデザイン論としてもまともです。
大体、有名なる建築家の文章・文体は立派だと思っています。
最も美大時代は建築家から
特に美術評論のほとんど読解困難な文体に憧憬してきました。
最も読破し、大きな影響をデザイナーとして受けてきましたが、
最近は
「ことば、語彙、日本語漢字原意など」は劣ってきていると告白します。
盟友である内藤廣氏は、
オリンピックスタジアムで相当に批判を受けていました。
が、絶対に彼が誤った判断であろうが、絶対味方を自称してきました。
彼は東大退官後もますます多忙にもかかわらず
彼のことばは待たれている、
だから著作が一段と増えてきていて、自分は焦ります。
ただし「場のちから」についてはじっくりと話をしないと、と思っています。
なぜ「場」なのか?、「場」=ジョウ・じょうであること。
「場」はことばの「バ・ば」でもあり、
いのち=いの「ち」ゆえに、つち=土があり、とち=土地があり、
みち=道があり、さらにまち=町・街があるから、
ち+から=ち+空があるというこの思惟を
何としても伝えなくてならない、そんなきもち=気持ちです。
「場にちから」というかち=価値と読みここち=心地があるからでしょう。
こうした場と地、力と言葉を彼に伝えるつもりです。
彼には、スケッチ・写真・建築というかたちとことばがありました。
内藤廣は、やっぱりかたちとことばをしっかりと表現できる男でした。
自分はめんどうな男と彼に呼ばれていますが(笑)、
大好きな建築家。そして人物です。


* 「『ち』は知の草書体になった理由に神髄がある」
* *「かたち=か・かた・たち・かちという代謝性」*
* 「花綵の国のことばには「ち」、土地と価値がある」
* 『経緯が敬意に、形態言語から自分の造形言語化を』
* 「オフィスチェアの進化の座り心地」


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『伝統の革新は新素材開発と情報エンジニアリングを図る』


   


     5月 7th, 2016  Posted 12:00 AM



一般には陶磁器で一括りにされてしまいますが、
これは明確に素材から陶器と磁器に区別して理解しておく必要があります。
簡単には「陶器」は土器からの古代歴史性があります。
六大古窯は陶器の歴史として、縄文の時代が深く関与しています。
なぜなら「陶器」は土を粘土にして焼き上げた歴史が歴然とあります。
「磁器」の歴史は石の粉をさらには骨の粉を粘土状にして焼いたモノ。
しかし、陶磁器なるモノはありえません。
なぜなら、陶器と磁器になるように土と石それぞれの粉を焼き上げるには、
現代的なセラミックとしての工業技術が不可欠です。
したがって、今、最も注目出来るのは、
手前味噌ながら磁器にプラチナ釉薬での鏡面仕上げですが、
完全にこの製造方法はオープンゆえ、
あたかも自分たちのオリジナルという盗用がはびこり出しています。
しかし、六大古窯であった越前焼に、素材である青粘土と新技法での
革新的な陶器が若い作家から生まれました。
この越前焼が最高品になる可能性があります。そうするつもりです。
この技法によって、ようやく、デザイン的な解決を
自分の鍛え上げてきたタケフナイフビレッジとの協同をねらっています。
陶磁器にしてもすでに焼成温度の管理は不可欠ですが、
これだけではありません。
新しい素材の応用、技法としての加工エンジニアリングが決め手でしょう。
この革新的な素材開発と情報エンジニアリング、そのデジタル手法を
伝統工芸の伝統技の継承とその革新性に再配置していきます。
それは新デザイナーの登用とともに解決制作をデザインします。

*『有田プラチナ釉薬仕上げ工程デザイン』
*『六古窯・越前焼ー若い才能が復元から再興を始めだした』
*『最高級品・アストバリーの技法を超えるには』
*『陶磁器は進化も革新もしていなかった、私の判断』
*『陶磁器メーカーの相次ぐ倒産はやむなしかもしれない』


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『IoTではなくIoMetというライン手法』


   


     4月 8th, 2016  Posted 12:00 AM



ムーアの法則、その提案者であったゴードン・ムーアが
1992年箱根でのApple社主催のカンファレンスで、
3原則を提唱しました。
土=シリコン、ガラス=光通信、空気=インターネットは
将来、つまり現在を変革すると基調講演をしました。
まだ、30代だった私はそれを信じて以後の動向を見てきました。
私が現在辿り着いているのは「コンシリエンスデザイン」と
その対象を「看医工学」に決定しています。
そして、発想思考方法は「コンセプト」から離脱することが出来て、
「コンセプト」から「ライン」へと更新することを実務実績にしています。
相変わらず、世間的な未来予測は「コンセプト」、概念あるいは観念ゆえ、
「スマートシティ=Smart City」
「IoT=Internet of Things」
「Big Data」という大雑把な概念・観念が吹聴されています。
「AI-Robotics」人工知能のロボティックスとの共生が謳われています。
僕はこれらを「Line Method」でその詳細に入りこんでいます。
理由は、実務対象としての看医工学にするには、
ライン=最新さを伝統的な脈略で吟味する必要があえると
判断するからです。
スマートシティは、明らかに技術進化して革新化された医療環境です。
それはIoTではなくて、Internet of Medical things=IoMetです。
さらにほとんどタイトルでしかないビッグデータは、
サーバーネットワークとその対処対応システムの完備が必要です。
結局、ロボティクスが再生医学に結びつくことは確かです。


*「革新が始まっているから、私の『夢の形見』」
*『「KK塾」大野ゆう子教授からスタートしました』
*『資本概念の変容と変質はイデオロギーを消去す』
*『非常事態宣言の街=パリにて、決意』
*『K塾最終回 松岡正剛氏からの新たな知の編集』


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『ふだん・忘れた頃に、まさか・想定外はありえない』


   


     10月 3rd, 2013  Posted 12:00 AM



「March 11.2011」を体験してしまいました。
だから、私は最期の仕事をデザイナーとして、
ふだん・万一の危機=CRISISに対してと、
まさか・想定出来る=RISKに対して、デザイン解決を求めます。
東日本震災の天災と人災で本当に私たちは学んだのでしょうか。
南海トラフは間違い無く起こるでしょう。
私たちは忘れた頃にを思い出す必要があります。
そうして、今度こそ、想定外はありえないのです。
四国、黒潮町には2分間34mの津波が予想されているのです。
幼児、児童、生徒、介護者は2分間で50m高台に逃げられません。
この想定を「忘れてはならない」のです。
私は、デザイン手法で「空中都市建設」を考えています。
黒潮町に限らず、この日本列島全体を空中都市にしたいのです。
東京オリンピック・パラリンピックまでの7年間、
ふだんを危機にまさかを考えて、即行動が私の一番のテーマです。
私はデザイナーの知恵を一杯集めたいと思っています。
この祖国、日本列島を土=つちに、土地=とちを空中に、
そして町・街=まちを創ることをやり遂げなければいけません。
まさか、忘れた頃に、少なからず想定されている所から、
デザイナーが入り込んでいくべきだとずーっと考えてきました。
膨大な同胞を失いました。
彼らのまさかを絶対忘れてはいけないのです。
となれば、ふだんをもっと強化しなければいけません。
私のデザイナー・大学人最期に、CRISISとRISKへのデザイン設計。
3.11以後から、私は「までい Project」と呼んできました。
東北弁での「までい」とは、真剣に、真面目に、
絶対に想定外などを残してはいけないのです。
デザイナーみんなの力を借りたいと考えています。


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「改めて陶磁器を問う」


   


     4月 6th, 2012  Posted 12:00 AM


陶磁器と言っても、最近はその意味が不明です。
陶器とは、土を粘土とし焼成したモノであり、
磁器とは、石を粘土としたモノですが、
現代ではまとめて陶磁器と言っています。
よって、いわゆる作家モノというのが、
いかにも芸術的な価値観で評価されていますが、
私はもっと明確に、生活容器としての価値性を
ユーザー自身が知識として持つべきことと思っています。
まして、「手づくり感」についても、曖昧で手芸的な感覚になっていて、
それがあたかも大きな価値観になっていることを
正して行きたいと思っています。
轆轤での手業が下手になり、
陶磁器としてのバランスも下手になり、
日常的な容器機能が無いにもかかわらず、
そのような陶磁器が氾濫し始めています。
デパートの陶磁器売り場そのものが、
陶磁器流通を破壊し始めている現実を批判していく必要がありそうです。


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「音を求めて『闇に座す』」


   


     2月 11th, 2012  Posted 12:00 AM


「土」と「立」の修辞的な直喩造形デザイン。
私がデザイナーになってからは「音」を対象にしていました。
そして、歩けない、立てなくなった私の願いを造形に、
直裁的に求めて座禅用の倚子にすべてを込めました。

    闇-沈黙に座す。

    沈黙の密度が許す
    その反物質という口癖が 音・・・か
    事件は予想されうる饒舌が
    沈黙のことを度外視している・光景か
    祈りと願いへの思い込みは
    沈黙を信じる態度であろう。
    大地・乾坤の間の「土」に「立」つ
    それまでが「闇に座す」。
    これが、「音を求める」私のやり方と思う。

音をデザイン行為とその対象で聴いてきました。
その態度に倚子、それも瞑想するために座す倚子をデザインしました。
その倚子に込めた知識を歴史から求め、五大思想で支えました。
発想してから20余年という時間で、
美術館に配置し鑑賞と使用をしてもらいました。
そして、私は座ることは出来ても立てない倚子でしたが、
倚子は土の上に坐し立つということの象徴であることを明示しました。
そして、歩けなくなったこと、立てなくなったこと、
この宿命的な現実を諦める確認を造形、
デザイン手法に込めることで、
これから生きていくためにもその象徴、
オブジェとしてイスにしたわけです。
それが、ちょうど金沢でデザインを学んで、
金沢21世紀美術館での個展開催、
「いのち・きもち・かたち 川崎和男展」で
里帰りができるとは思ってもいませんでした。
きっと、「闇」を「音」で見つめようと、
常にしてきた私のやり方を神様が認めてくれたのかもしれません。


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