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Posts Tagged ‘地球環境’


『コンシリエンスとレジリエンス』


   


     8月 27th, 2015  Posted 12:00 AM

デザインが問題解決の手法として、さらにデザインの学域を
統合させるということで、「コンシリエンス」にたどりつきました。
そして、このことばの源流までさかのぼると、
重大な人物に出会うことになり、「知の統合」に到着。この作者、
エドワード・オズボーンが、実際は、ウィリアム・ヒューウェルの
造語をさらに詳細に定義づけていることがわかりました。
1873年の彼の著作=History of Inductive Scienceに戻りました。
彼がScientist=科学者と言い出した最初の人でした。
そして、2004年に「レジリエンス」という心理学用語が登場しました。
これは心理学では長い間、物理用語であったストレスへの対抗、
精神力的な快復力・対抗心・克服力という概念とその方法論が
まさに問題解決、私はこれをレジリエンスデザインと名付けました。
地球環境の保全の重大さは、気候異変と感染症増大への
文系+理系と学術+芸術の統合性をコンシリエンスデザインと
丁度対峙する概念とその手法・実務論が危機解決学と定義しました。
最初は危機管理学と考えてきましたが、
危機は管理できるものではないということが明白になったからです。
危機は危険な状況をチャンス=機会ととらえて革新することでした。
危機管理学はリスク=起こるかも知れない予測の危険でしたが、
危険にはもう一つ、クライシスという起こってしまった危険があり、
これは管理では無く解決=デザインすることという結論でした。
そのためには学術と芸術が必然であり、この統合こそ、
コンシリエンスデザインでありその対抗力がレジリエンスになりました。
ところが統合ということの説得性、その論理を求めなければならず、
それは次の四つにおいてすでに認識的に論理的な分類ができていました。
機能的統合・ネットワーク的統合・規模的統合・文化的統合です。
したがって、コンシリエンスデザインでの危機解決は、
見事に、防犯・防災・安全・安心が統合概念に対応することが
とても明白になったと考えています。


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『コンシリエンスデザイン看医工学の学際化』


   


     3月 15th, 2015  Posted 12:00 AM

「コンシリエンスデザイン」とは、端的な定義を行えば、
学術性と芸術性、文科系と理科系の融合・結合・統合を
「学際化」することが定義である。
その学際化された教育と研究による
新たなデザインでの造形言語と形態言語によって
問題解決と危機解決を図ることである。
しかし、日本の国内外全ての大学機関に
この教育講座と研究機関は存在していない。
特に本来のコンシリエンス概念には
文科系と理科系のいわゆる文理融合にすぎなかったが、
コンシリエンスデザインは学術性と芸術性+文理融合により、
結合性・統合性による学際化である。
ところが日本は、March 11.2011=3.11・東日本大震災で
国土の三分の一を失った。日本は先進国家であり、
敗戦国家として広島・長崎で被爆経験と国家消滅を体験してきたが、
さらに大震災大津波の天災と人災である福島原発事故では
原子力利用で脱原発から再生可能エネルギーという
科学的な否定性までを呼び込み、
あらためて学術性の真善美と経済性産業性での
教育システムの見直しが当然となっている。
よって、この「学際化」を促し、特に人材養成、
その維持とその実務を具現化するのは「コンシリエンスデザイン」。
やがて100億人を地球環境では支えきれなくなるだろう。
気候異変と感染症増大、エネルギー問題を
学術と芸術の統合性をデザインとして、
問題解決・安全安心の医工連携を、デザインで、
看護学・保健学・医科学を母体に、
超資本主義や超民主主義を革新するための大学機関創成になると判断。
したがって、発想・表現・伝達はデザイン学教育の基幹であるが、
発想のための探索と調査、表現のための思考・意図などを
デザイン記号論にまとめる。
それは数理科学的な言語論としての展開性を
芸術と学術の学際性にまで整理統合する。
それは、造形言語と形態言語での伝達能力の養成を
実務学としてコンシリエンスデザインでの
問題解決と危機解決での教育と研究と実務プロジェクトで
医科学基幹とした学際性を完備させることを目標目的としている。

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『今年の筆記具を再確認しておく』


   


     1月 8th, 2015  Posted 12:12 AM

昨年末に、私は手帳やノート、スケジュール帳を手配しました。
それは、あくまでもクロコダイルに拘っていることです。
私はこのブログで、何度も筆記具は書き残しておくつもりです。
「弘法は筆を選ばず」は嘘だと思っているからです。
書くこと、描くことには生涯、徹底していたいと考えています。
それは当然、生涯がデザイナーで生きぬくことの覚悟です。
車イスになって、しばらく社会復帰するために、
あるホテルでトレーニングをしていた時期があります。
そのときに、私は当時とても買えないブランドモノを知りました。
そして、そうしたブランドモノを徹底的に買えないだけに
いっぱい学んだことがあります。
「買えなくとも借金してでもこれは買いなさい」と
薦められたモノ=ジャケットや鞄やブルゾンがあります。
それらはすべてクロコダイルでした。
なぜ、クロコダイルかというと、ワニ革は最も地球環境の指標です。
現在のクロコダイルは、養殖であり、型押しパターンです。
いわゆる天然ものであっても、革パターンの左右対称性は壊れています。
養殖モノは、天然風モノに変質し、また型押しも間違いだらけです。
しかし、最高級ブランドはそのことを知り尽くしています。
また、ボールペンもどこにいっても手に入るペンは、
筆記具の基本であり、残念ながら、国内メーカーはこうしたペンの
使い勝手やバランスを見抜いていません。
だから、紙に書く描くだけでなく、ボールペンキャップでPad用が
すでに出来上がってしまっているのです。
最も、私のPad使い勝手には至っていません。
理由はすごく簡単です。このキャップ開発で見抜けていないことが
あまりにもまだまだあることです。
ともかく、クロコダイルのパターン表現は、地球環境の変化、
そしてデザイン=デコレーションを取り違えていることも
自分の筆記具選びでのひとつの目安です。


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『SF映画が示唆していること=その真実性と想像性』


   


     12月 18th, 2014  Posted 12:00 AM

毎月必ず映画は3~4本は観ようと思っていますが困難です。
何事もリセットしたくて、いつものごとく京都で映画を観ました。
なぜ、京都?、それはワイフが京生まれ京育ちでもありますが、
車イス使用者にとって、私は京都が一番だと断言できるからです。
映画は、「インターステラー」というSF宇宙物語でした。
久しぶりの長時間映画であり、理解は相当に困難なものでした。
この映画監督や物語内容は、観ていただくか、読んでいただくこと。
滅亡していく地球から、惑星間移動の冒険を冒して、
地球環境の保全というストーリーでは、
5次元空間論が語られ、ブラックホールの新しい概念映像化、
SFで語り切るべき、場面構成や、コンピュータ運用での
新たな映画づくりはある意味では工業デザインでの想像力表現でした。
2次元の円が3次元になれば、球体となり、
どうすれば、ワープが可能になるかまでの正当な提示は、
おそらく観客自身の多次元空間やそれこそ光速度転送などの連続ゆえ
映像表現だけでは、とても難しい限りのSFでした。
余りにも宇宙空間や多次元性、光速度時間と現実時間での5次元は
もういちど、この原作を再読する必要を大きく感じました。
確かに、私が、心臓心拍の2次元から、3次元での置換から、
まず、想像であっても、2次元が3次元になれば、立体化どころか
光造形での形態化に気づいた想像力と同一でした。
しかし、この映像と物語性にはもっともっとせめて5次元空間が、
この映像表現だけでは、とても理解は不可能かもしれないでしょう。
正直、SF映画のほとんどが、地球環境の破壊は人類の存続性を
否定しています。これはとても重大な示唆だと思っています。
確かに、2030年までにこの地球環境には、
科学技術での修正と修繕が緊急に必要とされていること。
私はこのSF映画が地球滅亡からの解放を訴求してると確信しました。

「想像力の尊大さをリドリー・スコットに観る」
『SF映画に示唆される未来性の確認には「目印=sign」がある」


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『倫理観の原点、その詳細の要点を語り継ぐ』


   


     10月 26th, 2014  Posted 12:00 AM

自由主義はどこかで壊れてしまっていると私は思ってきました。
最近、その明白な道徳性、倫理観が残ってたことで再確信しました。
それは美しさを確かめる自分の職能感につながっていたので、
私が正面から喧嘩を売っていってもそれは正解だったと思うのです。
あの3.11大震災時に、
日本人は世界が注目するほどの礼節さがあったと絶賛されましたが、
それはメッキが剥がれてることを日本人自身は自覚しているはずです。
3.11が明らかにしたことは、敗戦を経験しながら、
理想的な国家を再建してきたはずですが、全てを無くした真実です。
地球環境が存続性を危うくしていること、気候変異があること、
世界を破滅させるかのような感染症の増大、そしてテロ連動です。
それならば、日本人は武士道商売道には連綿と継続されてきた
原点のさらなる詳細と詳説がまとまっていたことを思いだすべきです。
特に素晴らしい言説は、やはり、武士道の家訓に見事でした。
これらが壊されたのは、敗戦でのGHQ通達がありましたが、
もっとそれを加速し膨大化したのは、自虐史観としたなんでも否定の
左翼思想であったことは歴然としています。
私は、家訓の代表に「朝倉孝景条々」17条を選びます。
この家訓=条々は武田家・上杉家なども現代に生きる慧眼思想です。
まず、すべての家訓には、質実剛健さと質素倹約が根底にあります。
質実剛健を戦意昂揚のものとか、質素倹約の豊かさを否定とした
左翼思想は、現代の子どもたちの学力さえも成長を止めています。
女性大臣が、左翼的な教育が学力低下と関係性ありは正当でした。
しかし、未だに、もはや「御成敗式目」から「家訓」を否定する
そんなグループに訂正を余儀なくされている現実がまだ残っています。
私は、この家訓は、企業理念として、商業経営の効用と効果の指標、
企業存在を社会的な正義と語り継がれていくことを期待しています。


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『新素材デザイン=「固丸くん」の商品展開は制度設計が必務』


   


     9月 30th, 2014  Posted 12:00 AM

これからのデザイン対象領域には「新素材」デザインが必要です。
そのためにはどうしてもデザイン領域の拡大が必要と主張します。
「H2Oセルロース」という新素材を製造から制度化をめざしています。
広島の土砂災害では、急遽メンバーたちがボランティアで、
この素材の確証を求めて手伝いに入ってもらいました。
私のスタッフも現地入りしましたが、行方不明者がまだいらして、
カメラを向けることも憚れたと報告が入りましたが、
この新素材開発の実証ということで撮影することが認められました。
「セルロース・スマイル」という現場雰囲気のコトデザインを
この素材はまだまだ開発分野がデザインとして残っています。
しかし、明らかに広島の土砂災害ではいい確証がえられました。
たとえば、まだ紙粘土が水で固まるコトの明確な科学性には
不明点も残っていますが、「水素結合」であることは明らかです。
広島にて、このパウダーを泥水・泥土に混ぜることは、
これまでセメントで固めることの不具合さは明確になりました。
コンクリートでは土壌をアルカリ化してしまいますが、
このセルロースであれば、放置すれば土壌に戻ってしまいます。
そこで、私のデザイナーとしての役割もはっきりしてきました。
散布方法の新たな手法デザイン、その重機デザイン、制度化デザイン
そして、新たには除染作業に向けるべきパウダー化です。
最も重大になってきているのは、このパウダーのパッケージ化です。
新素材のブランド化では、絹織物からポリエステル産業への
新たなデザイン領域を策定して適用製品化アイテムも発表しました。
今、地球環境には自然の猛威は火山爆発や伝染病感染までが
大きな危機解決デザインを求めています。
私は新素材デザインは危機解決デザインそのものだと考えています。
まもなく、このセルロース新素材の制度デザインを訴求します。

『広島被災地に「パウダースマイル」を!』


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『秋の味覚・松茸が豊作らしいが・・・』


   


     11月 18th, 2013  Posted 12:00 AM

松茸は幼い頃には自分でも秋になれば在る場所を知っていました。
大きくなって、松茸は秋の味覚の高級品でした。
ところが、この秋は豊作だったらしく、
いわゆる、商品として「訳あり=キズがあれば」は半額です。
豊作ということで、思い切り食べることができました。
しかし、それは例年よりも雨が大量だったとか、
天候異常が強く影響をしていたようでした。
味は随分楽しむことができましたが、天候異常=多量の雨とかでは
私には、心持ちが引き裂かれてしまいますが、
やはり、この香りと味の料理には食欲が負けてしまいます。
食欲は人間としては、自然の感覚ですが天候異常では、
とても想像外が頻発しています。
私たち日本人には、3.11の哀しみを引きずっていますが、
フィリピンでのあの台風を超えた長時間の竜巻での災害は、
「まさか」を超えてしまっています。
おそらく、地球環境の異常さが激変していること、その正反対、
松茸の豊作への食欲と、私たちは対決しなければいけません。
原発問題反対を唱えながらも、
電力供給と消費を維持しなければという感覚の問題です。
私は60歳華甲を迎えて以来、自分の命の時間を日々考えます。
それはほとんど、人間の欲望との対峙の仕方にほかなりません。
命の大切さは、生きている実感を支えている地球との関係です。
実際、この秋は思う存分に松茸への食欲を確認しつつ、
その一方で、地球環境の破壊を抱いている有様です。
正直、私にはまだまだこの生き方と欲望の際限性は不明です。
しかし、明確に言えることは、
欲望への素直さと大きな心配の狭間で、
私自身苦しむことを受け入れることでしょう。
その根本には、きっと、あの世は無いのでは無いだろうか、
そんなことを肝にすえて生きのびる欲望の素直さに、
自分の存在性を確認する毎日があるだけと思うことにしています。


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『地球環境の変動と株価変動でみる企業意識』


   


     10月 7th, 2013  Posted 12:00 AM

新人デザイナーの頃、インプリンティングされたことは、
デザイナーの生涯に大きな興味と専門家知識を磨きます。
素材テクスチャが磨かれました。
ブラジリアン・ローズウッドという木目の工業化でした。
印刷会社の職人さんから自然物の木目を感覚でデザインすること、
この誤りを強く指摘されましたから、
その後の自然物素材の工業化では常に実物検証に徹してきました。
これは、私自身の知識と感覚を合一化する有効なプロ意識を育成。
したがって、例えば、皮革製品については「見立て」が可能です。
この10年にわたって地球環境の悪化は自然物皮革を破壊しました。
特に顕著な実例はクロコダイル皮革の大変化です。
自然物のクロコダイル皮革テクスチュアが狂ってきました。
まして、その工業化=型押しという技法では大間違いが横行、
にもかかわらず、その市価設定まで間違ってきています。
したがって、自然物、いわゆる本物までの見立て誤りも増加です。
たとえば、高級ブランド腕時計のベルトまでを見抜けます。
高級時計特にスイス製については言及すべきことがあります。
ともかく、これは一方が本物で正確なノートカバーです。
そして、もう一方は工業製品としてのブリーフケースです。
この工業製品、型押しでのクロコダイル製品は、
デザイナーまたは企画者がクロコダイルテクスチャに対して、
知性と感性を失っていることを断定することができます。
これは、自然物のテクスチャだけの話ではありません。
日本の企業意識、大企業病とベンチャー企業オーナー意識までが、
すこぶる破壊されているということにも繫がっています。
その評価を確認する方法は景気と連動しています。
すなわち、景気指標の「株価変動」が表していることです。


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「デザイン講座は制度設計と形態設計での問題解決」


   


     8月 25th, 2013  Posted 12:00 AM

『March 11. 2011』東日本大震災が立ちはだかったままです。
前政権の政府力量の皆無さをなんとしても解決するべきだと、
私は大学を去るにあたって、最も大きなストレスでした。
ところが、退官後も阪大に残りました。
あらためて、デザイナーと大学人を残った人生の役割にしました。
名古屋市立大学で大学人になってからも、
プロのデザイナーとして作品を商品化して、
産業経済の実務家としても、それ相応の仕事と使命を自覚。
それこそ父から言われ続けてきた「行学」を続けてきたはずです。
あらためて、「行学」についてまとめると、
「行為と学業、修行と学問」を十二分に果たしてこそ、
己の生きがいと働きがいを生き様にするということです。
まして、自分の生涯で、やっと祖父や父たち世代が、
敗戦から、理想的な国家はすでに全滅瀕死の状態だと思います。
私は、デザインをまさに策略であり、問題解決の手法、
このように考えてきましたから、8年前に阪大に転籍後には、
学問領域を四つにわけて、さらに中心の実務学を配置しました。
しかし、一人でこの四つの領域を成し遂げることは不可能です。
ただし、絶対に書き残すことは、
もはやデザインを専門学校や美術系、あるいは工学系では、
とても問題解決の先導であり主導である実務手法は不可能です。
定年退任してから、私はこれまで以上に多忙になってきました。
理由は、四つの「塾」をデザイン講座先導と主導、
これらの「行学」の根本にしました。
その実務手法の目標と目的を具体的なモノとコトにしました。
何をデザインで解決した形態設計の行学だろうか。
何をデザインで解決した制度設計の行学だろうか。
私にはこの実務手法を残された時間に配置しました。
活動はこの秋、10月から活動を開始する覚悟です。
今は「国難」の時です。
それは大震災と大津波で「地球環境」を思い知ったのです。
原発事故も何ら解決していません。
けれども、先進国家のわが国だから出来るのです。
「行学」を果たす者には、最も最適解を出していくのは、
「デザイン」だから可能だと信じています。


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「『危機』・ことばの定義について」


   


     8月 16th, 2013  Posted 1:20 AM

終戦記念日は、歳毎に、私は「敗戦記念日」と思います。
先般も映画「終戦のエンペラー」を観て無念でした。
とりわけ、March 11.2011を受け止めてから、
私は阪大に「危機解決産業創成デザイン重要拠点」
自分の研究室名とし特任でプロジェクトリーダーになっています。
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」では、
「危機」というテーマを学術的に追いかけてきました。
7月30日にキックオフにて大阪府警本部長に基調講演後、
この講座の紹介を済ませました。
私の脳裏には、敗戦後以来、また再びの国難を「危機」として、
さらなる学術をプロダクトデザイン実務での問題解決を図る、
ほとんどの周辺学域設定をすませたと思います。
「危機安全学」は、制度設計の学問となったのは、
1960年のキューバ危機から、国際関係論として発生してきました。
今では、日常の防犯・防災から企業危機からテロリスト対策まで、
大きな学問に発展してきましたが、
デザインが接着剤となれば制度設計論から形態設計論になります。
「危機」とは、この文字通りの「危険」と「機会」にあります。
つまり、危険さを機会=チャンスとしての問題解決です。
そしてなんとしても「安全と安心」の確立をすることです。
私の父は、青春を20歳から28歳まで、戦争に従軍し、
焼け野原のふるさと福井に復員し30歳で私が生まれました。
父は今更ながら私を厳格に育てたのは「行学」思想でした。
現在わが国には、国際的な「危機」に取り囲まれています。
「靖国問題」・英霊に礼をつくすことは護らねばなりません。
「教科書問題」・教育での歴史教育を最も最高にします。
「南京問題」・虚像報道で国家までが非難されることに反対です。
「慰安婦問題」・軍事につきまとう事実性を明快にします。
なぜなら、3.11によって、私たちにつきつけられたこと、
それは、地球環境が悪化していくことへの対策です。
さらに、エネルギー問題の根幹を再確認しました。
日本だからこそ、この「危険」を「機会」にして、
「宿痾」=難問解決をデザインで実務的な解決をすることです。


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