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Posts Tagged ‘大学’


「日本システムが壊れた理由のひとつ」


   


     8月 22nd, 2011  Posted 12:00 AM

敗戦後懸命だった日本。
それからの日本システム。
それは日常性が確約されていた、
今となってはパラダイス国家でした。
大震災と原発事故はこのパラダイスを破壊しました。
しかし、それ以前、政権交代を希求に至ったのは、
すでに崩壊していたと思います。
格差社会とか「勝ち組・負け組」とかという言葉が象徴でした。
日本システムは中産階級がほとんど日本流システムの中核。
それは企業の家族的な情緒性と完全雇用体制の完備でした。
現在は正社員と派遣社員という企業構造が、
企業中心の日本システムを失いました。
しかも、正社員より派遣社員の方が企業機能を果たしています。
雇用体制での差別社会、リストラと呼ばれる「解雇」、
これは日本システムの根幹=骨抜きにしています。
無論、この方向に追い詰められた原因は少なくとも、
五つあるでしょう。
◆ 政治能力・政治的リーダーがいないこと。
◆ 国際的経済破綻の連続とその政治対応無策性。
◆ 企業法人税はじめ税制度の無策性。
◆ 未来不安が次世代の精神性を低能力化。
◆ 教育システムー小学から大学までの教育者能力不足。
理由はまだまだありますが、無策性と能力不足が、
あらゆる局面、あらゆるコミュニティ、
そして高密度情報社会での情報格差が覆い被っています。
たとえば、コールセンターなども外注であったり、
サービス性だのCRM、ISOだの、さらにはブランド化だの
この喧騒性の中で、肝心のことが見失われています。
私は 47歳で大学人になりました。
すでに16年になります。大学環境と世間との隔離を見ています。
新設される公立大学の学長候補になったこともあります。
そして辞退したこともあります。
すべからく、日本システムの崩壊が見えていたからです。
一方では、現役のデザイナーですが、
それゆえに、企業と大学の断絶性や、
法人化大学から公益法人までがまったく「革新性」皆無を
毎日体験しています。
ある予測には2300年には「日本人」という人類は滅亡、
これは「少子化」や今回の日本列島・放射能汚染からも
かなり想像可能になってきています。
だとするなら、東日本の復興ではなくて、
日本列島全体の復興という名の「新生日本システム」化です。
無策性と能力不足への対策は、想像性と創造性、
懸命さと賢明さ、精神性・日本人としての意識改革、
これらを各個人意識とそれを先導するリーダーが不可欠です。


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1月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 10th, 2011  Posted 10:00 AM

1月10日 赤口(乙丑)

原因は、
教員が納入備品や機器の条件を提示しても、
同等機能であれば
できるだけ安い業者に落札してしまう
お役所間隔と、
その感覚を当然としている業者に
大学が食われているからだ。

『デザイナーは喧嘩師であれ』教員極道


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11月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 22nd, 2010  Posted 9:30 AM

11月22日友引(丙子)

しかし、
現代の情報社会において、
大学も組織としての
変革を迫られている。

社会のあらゆる
集団や組織をリードする生態へと
変貌しなくてはいけない。

『デザインの極道論』量感


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11月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 19th, 2010  Posted 10:02 AM

11月19日大安(癸酉)

大学人になってから、
環境としての大学と、
その生態系を知った。
組織としての大学は成立し得ない。

組織論では説明できないところが、
大学という組織、場という環境、
その特徴なのかもしれない。

『デザインの極道論』量感


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10月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 1st, 2010  Posted 4:57 PM

10月1日 先勝(甲申)

大学というのは、
神学・法学・医学が分科学して
発展してきたという歴史を持つ制度である。

『デザインは言語道断』学際


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『資本主義からの逃走』
 「* 東京の白っぽい桜、想像力と創造力が・・・ * 」


   


     3月 30th, 2010  Posted 1:20 AM


もうすぐ4月、上京してきてからの寒さが怖いと思います。
桜も戸惑っているような蕾や開花も、寒々しい感じです。
ふっと、社会人になって就職してきた時の桜の色を思い出しました。
北陸育ちで大学も金沢だった私には、
東京の桜がとても「白っぽかった」ことが重なりました。
気持ちはすこぶるもうデザイナー気分でした。
しかし、これから始まる社会人、そしてデザイナーになるぞ!、
そんな気分に、なんと桜が、
白い華に見えていたのはなぜだったのだろうかと思います。
もう40年も前の感覚に振り戻されました。
自宅には、教え子が贈ってくれた
盆栽の桜は見事に桜色で花開いていました。
その桜を見てから上京し、
早稲田大近辺や霞ヶ関近辺、そして六本木近辺の桜は、
あの上京した当時の「白っぽい桜色」です。
連日、大学人として、デザイナーとして、
ひたすら「何に自分を向かわせるべきか、懸命」です。
自分が正直に行動していることは自負できます。
白っぽい桜色
社会人としては、日吉から銀座に通勤していました。
東横線で、大きな施設が綱島にありました。
労災病院でした。
ラッシュアワーの車中から、その施設の周囲にも桜が咲いていました。
28歳、その施設の体育館から、
東横線を見つめる日々がありました。
「もう、二度と東横線には乗れないな、
なぜ自分はこの施設の体育館でリハビリをしなければならないのか?」
車椅子生活のためにリハビリ施設から見えた桜、
それもとても「白っぽい桜色」だったのかもしれない・・・。
あのリハビリ施設で、現在、大学人になっている自分など、
まったく想像もしていませんでした。
想像力がデザイナーの資源です。
その想像力に自分の未来など決して見えていませんでした。
その程度の想像力なのに、「想像力をなんとか創造力」として、
デザインを蓄積してきたものだと思います。
あらためて、また東芝のデザインセンターを訪ねます。
これまでもいくたびか、
フリーになっても行きました。
講演にも行きました。
しかし、今度の訪問は何かあらためて自分の想像力を
確かめに出かけるのです。
1972年同期入社、多分1600人ぐらい新入社員だったはずです。
今、その一人が社長として「原子力事業」を率いています。
私が育った東芝が、「未来を原子力」に向かわせています。
自分の想像力と創造力を再び重ねることになるのかもしれません。
まったく不明ゆえに、
私の想像力が「白っぽい桜色」なのかもしれません。


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『資本主義からの逃走』
  「デフレ・スパイラルは、極度な鬱病」


   


     1月 3rd, 2010  Posted 8:00 AM

100103

鬱病景気

21世紀になって、10年目を迎えます。
新しい世紀が「革新」だという情報操作に、
全世界が期待しました。
ところが、「宗教戦争」という名の「資源剥奪戦争」は、
金融工学という詐欺工学で世界を「鬱病景気」へと
落とし込んだのです。
その時点で、「大学」という科学と技術と思考の学府は、
世界中の大学が破綻したのです。
そのことに気づいている大学学長はほんのわずかです。
この予測は二人の人物が指摘していました。
この二人を特定すらできない大学人だらけです。

日本は、イノベーションを「技術革新」と訳したときに、
もう取り残されていたのかも知れません。
これが私なりの検証です。
イノベーションは「景気循環の起因論」でした。
だからインフレーションはその「景気循環の疾病」だと、
日本のいわゆる経済評論家は誰も指摘もしていません。
理由は簡単です。
日本で「経済」は文科系学問であり、
計量経済学もそれほど理系要素を教えられる大学の存在を
私は知りません。
「マルクス」に乗っ取られてきた大学もひょっとすれば、
敗戦とともに情報操作されていたのでしょう。
「インフレーション」はどれだけ日本の「経済学」で、
教えられ、学ばされてきたことでしょう。
けれども「デフレーション」の核心、
ましてその対策を戦略化できる経営者は、
彼らの経験的「野性」に頼るしかありえないでしょう。
「イノベーション」と「インフレーション」の構造は、
「デフレーション」へのトリガーを内在していました。
だから「デフレスパイラル」なる「不景気=鬱病」を
臨床的に治療できるのはデザインという理想主義です。

理想主義実践者=一部のデザイナー

けれどもデザインといってもデザイナーではありません。
デザイナーという職能家すべてが、
その治療ができるはずはありません。
私はそれをやるつもりです。


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