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Posts Tagged ‘妄想’


05月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 20th, 2017  Posted 12:00 AM

05月20日 仏滅(丁未)


変容させるほどの
自力となる知識が無いと、
それは
効力が生まれずに
意識は妄想を生み出す。



川崎和男の発想表現手法


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05月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 14th, 2017  Posted 12:00 AM

05月14日 仏滅(辛丑)


「非現実化」させる機能も
性能も効能も不明なことは
「妄想」になり、
「性能」があれば
「幻想」になるのかも知れない。



川崎和男の発想表現手法


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05月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 11th, 2017  Posted 12:00 AM

05月11日 先勝(戊戌)


夢想、白日夢などは
想像力による妄想と
言い切ることが可能。
たとえ妄想であっても、
「心的表象」=イメージである。
このイメージは、
感覚的な認識力と断言可能か?



川崎和男の発想表現手法


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05月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 10th, 2017  Posted 12:00 AM

05月10日 赤口(丁酉)


妄想は確かに想像力結果、
しかし、
「非現実化」という認識力が
創造力の実現、
現実性へのデザインを決定。



川崎和男の発想表現手法


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05月08日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 8th, 2017  Posted 12:00 AM

05月08日 仏滅(乙未)


想像は妄想を産み出す。
妄想から「非現実化」する
その能力は、
ひたすら、スケッチ化できる
認識という見識が必要だ。



川崎和男の発想表現手法


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03月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 19th, 2017  Posted 12:00 AM

03月19日 大安(乙巳)


想像力の根元には
ひょっとすれば
そこにには
妄想が潜んでいる。
妄想という想像に
一線を画することが必要だ。



川崎和男の発想表現手法


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『電源いらずの美しいホットメディアのAMラジオ』


   


     2月 23rd, 2017  Posted 12:00 AM



中学時代に「技術・家庭」という授業がとても楽しかったのです。
確か、技術の先生は美大出身だった気がしています。
そうして思い出すのは「半田付け」の授業では、
3球スーパーラジオがどうしても造れなかったのです。
高校時代には級友で電子回路に詳しいのが3名ほどいて、
真空管が1球、2球は造れたけれどと言ったら、
電気関係は向いていないと言われました。
企業に入ってチーフが電子回路図を広げてスイッチの位置とか、
電源位置などエンジニアとわたりあっていて、
デザイナーなのにエンジニアに回路図で対抗とは、
ということで、このチーフについていこうと思ったのです。
今もつながりがありますが、ベンチャーを大企業にしてしまいました。
私自身が回路図を書き直したこともありますし、
回路図が美しいのはオーディオの音も綺麗だったことを思いだします。
最近、AMラジオにこだわっていて、時間があればとかで、
ゲルマニュウムラジオ、1球、2球で電源無しのラジオを
絶対にデザインしたい、そんなことを考えています。
マクルーハンが、ホットメディアで「部族の太鼓」と言っていたラジオが、
今ではPadとそれ用のオーディオスピーカーシステムだと、
なかなかいい音なのです。
何を聞いているかといえば、なるほど、ホットメディアで、
確かに現代の太鼓かもしれないという気がします。
なんだか、時間を充分にとって、半田付けで、
これももう一回練習をしないと出来ないかもしれません。
まして老眼ではどうなのかとか思い巡らしながら、
この回路図の電子部品がとても進化しているのを見ています。
ともかく、ラジオはひとつも商品化していません。
が、製品化モデルは3点ほどあります。
FMでは無くて、しかも電源を使わずに、HiFiのAMラジオって、
とても美しい存在のモノ、そこからとてもいい音がするのです。
それだけで、絶対に美しいホットメディアの現代の太鼓のようなモノ、
それが造れると妄想しています。


* 『「トリタン」というフィラメントの明かりを今も求めている』
* 「手習いまだまだ諦めずに・・・」
* 「想像力と直感あれど『東京ラリア』具現化出来ず」
* 「新しい部族の太鼓かインターネットラジオというメディア」
* 「「ラジオ聴覚メディアの強さは革新された」

  


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『「形態学序説」からのデザイン原論思考が必要』


   


     12月 1st, 2014  Posted 12:00 AM



ヘシオドス(ヘーシオドス)の「神統記」は、
西洋の知の起源の一つ、「ギリシア神話」や「ローマ神話」など
これらの源になっています。
そして、デザイン原論の代表としては、
パウル・クレーの「造形思考」のカオス論や、ゲーテの「色彩論」
そして、「形態学序説」Morphologyにもその体系は繫がっています。
まず、人間が最も不明としていた、カオス=混沌と死は、
タナトス=死の神の設定であり、その兄弟には眠り=ソムナス。
そして、ゲーテはソムナスの子どもであるモルフェー=白日夢を
形態学の入り口に文字通りモルフォロジーと名付けています。
タナトスやソムナスは西洋絵画にも描かれてきました。
そして白日夢であるモルフェーは、今も、薬の名前に残っています。
モルヒネは、まさにうとうとと眠りと夢見心地を誘発する薬名です。
では、果たして白日夢という朦朧とした状況ではなくて、
妄想から幻想という想像力=イメージの世界観を明確にする命題は
生物学的に、まず、形に注意しそれは器官や構造にまで至ります。
形態発生学のなぜ、「その形に至るのか」という論理は、
生物学・言語学やがては都市形態学や数理形態学にまで拡張します。
したがって、デザインにとっての形態学はまだまだその論理は
残念ながら読み解く才能が不足していることは認めざるをえません。
パウル・クレーが、イメージはカオスから生まれてくることから、
根本的には芸術作品はすべからく「見えるように表現する」という、
この結論に至ります。
だから、あえて私は、デザインが造形から解放されるためには、
見えている形態から、その構造や機能、さらにはその発生の逆読みが
絶対に必要だと考えているからです。
多分、そろそろ、自分の職能であるデザインのその原論、原則論を
語るには、モルフェーの白日夢に浮かんでくる造形発想が必要です。
つまり、デザインで造形をイメージする根本には死と眠りと白日夢、
これらから見えるようにしていく表現が、
見えない制度までをデザイン発生させる思考論理を求めています。

「Morpheusの白日夢から」


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11月01日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 1st, 2014  Posted 12:00 AM

11月01日 丙子(大安)


デザイナーは
デザイン意図をスケッチ・図面、
そしてモデルで
それを製造・生産へと提案する。

スケッチは、デザイン意図の発想であり、
図面は、そのかたちの正確な伝達である。
そしてモデルは手本である。

モデルを見本という、
図面で想像=妄想してはならない。

そんなデザイナーは「喧嘩」も出来ないものだ!

川崎和男「喧嘩道」


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『ロボット学者第一人者・森政弘先生の講義 その2』


   


     7月 27th, 2014  Posted 12:17 AM



森先生自作の講義演出用の回路模型は二つあり、
その一つは、シャープペンシルの芯に電流が流れて煌めきました。
聴衆からは会場が光輝きを見て、全ての人たちは感動しました。
とても繊細なワーキングモデルだけに、
先生が怪我をされないようにとみんなが思っていた雰囲気でした。
そして、私にとっても強烈な「臨済録」の一節が提示されました。
・・・仏に逢えば仏を殺し
・・・父母に逢えば父母を殺し
・・・祖師に逢えば祖師を殺し
この講義で私はこれまでの大疑問が理会に達するのでは・・・
そのシャープペンシルの芯が光輝くのを見て、
先生に質問をしました。
その芯が燃えて光輝く一瞬が「生きていることですか?」と。
先生は、そのシャープペンシルが燃え尽きて、芯がより細くなり、
そして折れる実物を私に見せていただき、
「違うよ、光輝いて燃え尽いているここも人生なんだよ」。
私は、3度も冥府への道に行ったことを話しました。
最初は、交通被災で、もし放置しておいても体力があれば、
手術をということで、真っ暗闇の道に佇んだことがあります。
2度目は、草月会館で講演をして会場が真っ暗になり、
講演終了ですぐに羽田から小松空港、そしてそのまま入院、
やはり冥府らしき真っ暗闇にいました。
3度目は、「重篤ゆえ」という敗血症・多臓器不全死直前でした。
祖父が私の作品集を持って、「もう来てもいいだろう」、
「まだですよ」と母の声を聞いて現世に戻る苦しみを受けました。
だから、無神論を最近は確信していたのですが、
もし、仏に逢えば仏を殺し・・とは妄想と対峙することでした。
そんな話を先生に質問に交えて先生の講義を聴きました。
二元性一原論が語られて、先生は言われました。
「最近のモノは全く壊れないモノばかりになり、
壊れるモノを技術者はつくってならない風潮です。
モノは頑丈で壊れないから、今度は、
人間が壊れる存在になってしまいましたね」。
この講義の核心が今も鋭く私に突き刺さったままです。


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