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Posts Tagged ‘子ども’


『創造性そのものの自己開発を語る生田教授』


   


     12月 2nd, 2015  Posted 12:00 AM

「KK塾2015」第二回目は東大大学院・先端科学技術開発センター教授の
生田幸士先生に、講師をお願いしました。
一昨年の「KK塾」でも講師をお願い、大阪で開催していましたが、
今年度からは大日本印刷の支援もありDNP五反田ビルで行っています。
生田教授とは親友であり、すでに20年近くお互いの研究開発を熟知。
出会いは、名古屋市立大学芸術工学部に「ロボット領域論」を必要とし、
彼がが名古屋大学教授時代からの付き合いです。
名古屋時代には、国立大学と公立大学の単位互換制度を最初に創りました。
どれほどの障害があったことでしょうか。
ところが今、
名古屋地区での国立大・公立大の単位互換制度は当然になっています。
どれほどの障害に二人が闘ってきたかは、
当時の障害を与えてきた周囲には全く未来が見えていませんでした。
今回は、生田教授が世界で最も小さなマイクロナノロボット、
それは血小板サイズの医療ロボットの話よりも、
創造性開発を、自分が高校生時代から身体化してきた経緯を中心に、
創造性開発の教育、その原理原則を講演していただきました。
特に、「ブームを追いかけることの無意味さ」には
聴衆の大きな賛同が具体的な実例紹介で明白になったようです。
これには、最先端でのロボット開発が目立っていることよりも、
学生への創造性開発、その教育実例を彼の出身高校時代から
留学時代、九州工業大学時代、名古屋大学、東京大学での
現在までの彼の教育手法が聴衆を引きつけました。
私も、彼の恩師であるロボット学者である森政弘先生の
それこそ遺言講座に引っ張り出されることがありますが、
それはロボットや工学ではなくて、宗教哲学からの創造性育成が中心です。
私たちは、お互いに電話をし合うと、長時間の会話になってしまいます。
今、東大では最もTV出演が最も多い教授だと思います。
彼には、ロボット学者ゆえ無論、鉄腕アトムがあり、
そのイラストは子どもたちを釘付けにしますが、
SF映画「ミクロの決死圏」を実現するのは、
彼のマイクロナノロボット開発です。
さらに、「化学IC」なども、今では3Dプリンターと言われていますが、
彼も私も光造形を日本では最初に、彼は光造形でマイクロナノ造形を行い、
私は人工臓器デザイン開発の創始者と言うことができるでしょう。
彼の余りにも膨大なプレゼン画面から、
私との対談はむしろ、会場からの質問にも応えてもらいました。


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『ワクチン経鼻デバイスから社会システムの変更を』


   


     8月 24th, 2015  Posted 12:00 AM

経鼻デバイスは現在、公表とともに、
未だワクチンそのものと、接種方法、遺伝子検査システム装置の
研究開発、その途中にあります。
正直、企業での開発進行は私にとって最近はゆっくり感があります。
ともかく、こうした医療に関わる新たなPPD開発そのものの
再デザイン化が短時間で必要だと考えています。
新PPD= Product Process Developmentを新規に企業定着すべきです。
この経鼻デバイスはまずワクチン供給ユニットによって、
左上のようにセットされて、そこからワクチンカプセルは、
取り出されると、逆向きでシリンジ先端に再セット。
そして両鼻分がデバイスに入ると、
それぞれ右と左に、デバイスの回転でミストが注入されます。
これは経皮デバイスではないので、無痛なことが最大特長です。
したがって、子どもたちにはこれからの接種デバイスとして
経鼻タイプのデバイスは歓迎されると考えています。
また鼻に先端が鋭角なことを避けるためには、
鼻孔にセットされるのは円形であれば、
デバイスが刺さる印象は無くなります。これが大特長です。
最も、シリンジで解決しなければならないのは、
針を経皮で突き刺すということから解放されることが肝要です。
さらに重大なことは、現在使用されている薬剤が
果たして、それぞれの人間に適しているかどうかがあります。
実際は、遺伝子との最適性が重要であることは解っていることですが
結局、薬剤の企業によって、この確かな方法が
全世界的の資本主義経済と製薬企業との間にその了解がないことです。
おそらくこれからの社会にとって、自己納得されるだけの、
薬剤適合性がいち早くもとめられるべきと考えます。
薬剤企業も、時代変換時が訪れていることに気づくべきと考えます。
私はまずボランティアでの後進国家へのワクチン提供を
PKDでのメディカルサポートプログラムとして
この計画を進行させています。


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3月2日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 2nd, 2015  Posted 12:30 AM

3月2日 丁丑(赤口)

子どもを護れない、
そんな日本になっている。
幼気な子どもが
彼らなりのSOSに
答えられない、そんな日本・・・

悲しくて哀しい国家だ。
悲しくて哀しいことには
喧嘩を挑むべきだ!

川崎和男「喧嘩道」


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1月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM

1月22日 戊戌(友引)

私にとって、年上は格好の喧嘩相手である。
それは子どもの頃から、
年上には、真剣に喧嘩を仕掛けた。
だから、今も、
年上を乗りこえる、
そんな素敵な喧嘩がしたい。

川崎和男「喧嘩道」


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『ご飯のふりかけ最高もの・福井名産数多し』


   


     11月 14th, 2013  Posted 12:00 AM

子どもの頃から、ご飯には「ふりかけ」が必需品でした。
そうして、ふるさと福井には「ふりかけ」最高品が一杯あります。
なんといっても、蟹とウニが最高です。
残念なことは甲殻類アレルギーになりました。
理由は、除細動器を体内に埋め込んでからのアレルギーです。
したがって、ウニのふりかけが一番のお気に入りですが、
きわめて高額です。
このふりかけは出征を余儀なくされ、これが生まれたらしいのです。
おそらく国内のふりかけの中では最高品最高額品でしょう。
でも、大好きです。
ウニは子どもの頃には三国の浜のおばさんが売りに来ていました。
シンプルな曲げ木のパッケージに、
ぎゅうぎゅうにたくさん詰め込んでもらった記憶があります。
だから、名産となって、気取ったパッケージを見ると、
当時の簡素なパッケージの方が美味かったとさえ思います。
最近は月1にはふるさとに必ず帰るので、
ふるさとの味は、いつでも自宅にそろっているのがうれしいです。
ワイフは京都ゆえに、京都に帰ればやはり京野菜は買い込みます。
車椅子になって、父や恩師から北陸に帰って来いと言われたときも
結局は、帰ればあれが食べられるとすぐに思ったものでした。
味覚は14~5歳で決定するとさえ言われていますから、
北陸に育った私には、なんといっても「ふるさとの味」が、
今でも楽しめることはとても幸運なことです。
ただ、母とは21歳の時に死別しましたから、
母の味の記憶はあっても、もう確かめることはできません。
父母や祖父母の好みは想い出すことができます。
人って、結局は育った環境の食べ物こそ生涯の味の基本です。
私にとって、ウニは欠かせない食べ物のひとつです。


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『子どもは嘘をついてはいけないが、嘘をつくから大人なのか?』


   


     11月 9th, 2013  Posted 9:46 AM

先般、他大学特別講座で質問を受けました。
「子どもの時には、嘘をついたらしかられますが、
嘘をつけるようになれば大人の証拠です。どう思われますか」。
これはまさに人間界の真理です。
ちょうど、食品偽装という社会問題が全国に蔓延しました。
決して、彼らは「偽装ではなくて誤表示」と言い切りました。
さらに、「私の存在が企業に迷惑をかけるから退任します」と。
高校時代だったら、私は殴っていたでしょう。
企業代表として、お客様に大変なご迷惑をおかけしたから退任。
これが、大人の悲しいかな、本当の退任挨拶であるべきです。
正直、子どものころ、「嘘をつくこと」は絶対禁止でした。
ところが、「嘘をつく能力があること」が大人の必須条件!?
彼らが見失っているどころか、人間性を捨ててしまっていること、
それは「誤表示なんて誰も信用していないこと」、
明白に「偽装であり、利益獲得至上主義」でした。
さらにこの底辺に流れているのは、「内部告発」をする環境です。
いづれにしても、「きもちが悪い」。
食品偽装があることは随分以前から、私は直面化してきました。
「これ生ジュースじゃないよ!」とか、
「そば粉を嘗めて、本物かどうかわからない!」と。
ほとんどが相手と喧嘩をしてきたことになります。
私はプライドとして、偽物は絶対に造らないし、
そういう仕事を断ったがゆえに3~4年依頼がゼロでした。
全ては人間界の虚偽性と損得性にしか、
自分存在を決定してこなかった輩の行為です。
明白に言えることは、彼らには「モノの美しさ」などは決して、
ほとんど理解不可能でしょう。
私は、学生というマージナルな人格にこれを見るときには、
大激怒し、時には・・・ということも畏れません。
その最大の理由は、真面目に、真剣に「虚偽・損得」からは、
できる限り離脱しておくことが大事だと信じているからです。
時代は、必ず「真実」を露呈してくれます。
このような実例には、「喧嘩」してきました。


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「実演販売を見るのは大好きだから、道草文化が必要だ」


   


     10月 1st, 2013  Posted 12:00 AM

子どもの頃は「道草」が大好きでした。
特に、下駄屋さん、魚屋さん、鍛冶屋さん、米屋さんの店頭で、
おじさんやおばさんが「もう、帰ったら」と言われるまで、
それらの仕事ぶりを見るのはあきないものでした。
先日、大阪駅に帰阪して、ワイフが買い物をしているときに、
お店の人に了解をいただいて、「御座そうろう」(今川焼)、
その焼き上がるまでをじっくりと楽しむことができました。
小豆はやっぱり「半殺し」=粒あんに限ります。
あの旅人を「全殺しにしますか?それとも半殺し」という話を、
私はワイフにこれでまた何度も話をしました。
全殺しとはこしあんと呼ばれますが、私は苦手です。
まして、この写真のしろあんは邪道でしょう、と思います。
粒あんを買ってもらいましたが列になっていて
十二分にそれまで楽しみました。
私は、最近、学童の集団登校はとても悪い慣習だと思いますが、
その集団登校の列に無判断な車が飛び込む事故を見ると、
とても哀しい時代を感じます。
しかも、その加害者への余りにあまい罰則が出ると、
その加害者をとても許せません。
私自身も、酔っ払い運転で、私が2度目で、
私が交通被災1 週間後に加害者は逃げました。
3度目の事故で彼が逮捕されたのはそれから2年後でした。
交通事故裁判に出て裁判長から私の気持ちを聞かれました。
その回答で、私は退室命令を受けてしまいましたが、
私は今でも、その時の気分を思い出すときに、
被害者私は「なぜ?」という気持ちがもどります。
わが国は、加害者にはとても甘くて、被害者には納得できない、
そんなルールがまかり通っています。
学童時代の道草で、どれだけ職人の本職技に見とれたでしょう。
販売実演を見る楽しみと、もっと安全な町を思い出します。
しかし、付け加えるとするなら、
日本全体は世間の社会学者が喧騒するほど、加害者は激減、
安全性は確保されているがその質とルールが大問題なのです。


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「憧憬の人物、その実筆書状を探す」


   


     7月 24th, 2013  Posted 12:00 AM

明治維新において、そのヒーローを坂本龍馬と人は言います。
私は大きな間違いだと思ってきました。
彼はその書状・手紙が多量にあっただけであり、
それほどの思想があったわけではありません。
小説になりやすかっただけの人物だから、あたかも歴史扱い。
江戸城の無血開城だとか、明治維新を無血革命も大間違いです。
「安政の大獄」は明治維新のために拷問・獄死・自決だけでなく、
斬首、その日の気分で優秀な能力を惨殺しました。
大勢の優秀な憂国の士の能力は血染められたのです。
子どもの頃から、私のヒーローは「橋本左内」です。
かつて、越前市(元・武生市)で越前打刃物の展示がありました。
その時、橋本左内と横井小楠、二人の「定め書き」を見ました。
その記憶をどうしても確実にしたくて、
市長に私自身も書状を書きました。
返事はさりげない「デジタル記録づくり」を知らされましたが、
納得いかずに、秘書課長あてにメール。
「そのようなものは存在しません」
私は執拗に「あるはず」。
「確かにありましたから、データを送付」。
これではないと確認すると、徹底的に調べました。
ありました。福井県が買い取って所蔵していたものでした。
写真撮影には2週間、書類審査があって・・・、
切れました。
何がなんで写真がほしいのです。
手をつくして、データをいただきました。
「デジタルデータにする」というその方法違っています。
おそらくそうした手法を全ての行政は知らないと思います。
私なりに送付されたデータでプレゼン資料を作りました。
15歳で彼は「啓発録」を書き、
16歳で大阪の「適塾」=大阪大学医学研究科源流に学び、
20歳で福井藩藩医となりますが、
一時、大老候補となった松平春嶽と江戸に出ます。
25歳、滋賀藩の井伊直弼大老によって政治犯となります。
その斬首刑直前の4通の書状を
徳富蘇峰が一時所有は明らかでした。
その4通の書状を見ながら、
26歳、斬首されました。
10年間の彼の行動は「書」が無いだけに今なお闇ですが、
「適塾175周年記念大阪大学の講演」で、
私は先端デザインの下敷きとして語るつもりでいます。


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「手紙、そして私自身の肉筆は大事」


   


     4月 20th, 2013  Posted 12:00 AM

正直、子どもの頃に「手書きでの日本語書き」は鍛えられました。
とても父に感謝しています。
手書きの文字は、今流行の「美文字」だと自負しています。
もちろん、毛筆での文字書きも大好きです。
あえて、今回は時折、メールでなくて手紙を書くことを写真に撮りました。
相手は、私が最も敬愛するクラフトデザイナーの小松誠氏です。
彼の作品はいつもハッとさせられる美しさがあります。
おそらく、
どんなテーブルであっても、彼の食器や特に花瓶を選んでいる人は、
最高に美しさを見極めた人物だと思っています。
彼も私同様に、大学人を退任と同時に「作品集」を出版されました。
食い入るように彼の作品を見て、欲しいモノをいくつか見つけました。
そこで、彼には手紙を書きました。
彼なら、細字が良いと思いました。
毛筆ではないだろうとか迷いもありましたが、
この迷いも手紙への楽しみです。
さて、長らく大学人をしてきて、
日本人は、文字書きがとても下手が圧倒的に多いと思います。
学生には、かなり厳しく「文字の書き方練習」を命じます。
だから、毛筆展などは、見つけると必ず見ることにしています。
ふるさと福井駅には、毎回、県民の「書」が展示されていて、
ソースカツ丼ともどもに楽しみのひとつです。
「書」という文化については、懸命に見極めの技と、
自分も書写したいものがいくつかあります。
したがって、この手紙を書く楽しみのための万年筆収集は、
とてもあきらめる気にはなれません。
すごい万年筆ではとても高額なモノがあります。
買える価格ではありませんが、高額な時計以上のモノもあります。
そろそろ万年筆収集は辞めようかとも思いますが、
そのペンで、「私自身の文字」を知りたいと思うのです。
かつて、ある高名なデザイナーの先生からいつも、
葉書をいただいていました。
無論、その葉書も毎回優れたデザインでしたが、
まだ読み取る力が備わっていなかったのでしょう。
その先生が突然に逝かれてしまわれたのです。
そのデザインされたポストカードと直筆の文字を失いました。
これは私にとって、なんたる不覚なことだったと今も思っています。
それだけに、私は、ポストカード、便せん、筆記具、毛筆は、
すべからく「私自身」だと思っています。
だからこそ、手書き文字は「私の身体」だとも確信するわけです。


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「日本・日常的な地図図形認識を変更すべきだ」


   


     1月 23rd, 2013  Posted 12:00 AM

私たちは毎日、日本を地図図形で認識しています。
というよりも、子どものときから「刷り込まれて」いるのです。
確かに南北に上が北海道から南は九州です。
そして、世界地図でも日本はセンター配置になっています。
しかし、日本は「極東」と呼ばれるほど
片隅・端っこの小さな島国でしかありません。
この意識は全国民が欠落し全廃しているほど
意識には無いというのが現実です。
TVで毎日、天気予報の地図は、私たちの意識の中では、
ほとんど完全な「図形としてのわが国」は、
地図上の「かたち」として脳内に収納され焼き付いています。
おそらく、今、中国の意識には南北は水平であり、
日本海を手前に、太平洋の向こうに米国が意識されているはずです。
<右・地図>をしっかりと見つめれば、地勢的な都市位置や、
気候的な変動を確認する私たちの意識は
まったく別次元になるものと考えます。
それは、もし次の大震災・大津波なども
地図パターンの認識によって全く発想が変化するでしょう。
私は、「かたち」の専門家です。
自分がモノの「かたち」をスケッチするとき、
どこからどこを見つめながらスケッチを描いているかは、
大問題だと40年も毎日考えてきました。
だからこそ、
日本のこの国土観は地図パターンと同一で、
私たちの思考停止を招いていると断言することができます。
<右・日本パターン>を日常化すれば、
沖縄の位置も、北方四島の位置も、
もっと防衛的いや軍事的に,
考え直す時期がきているものと判断せざるをえません。
私にとって、
「デザイン」は理想主義の具体的・日常的・実務的な手法そのものです。
その根幹には「かたち」・「パターン」認識が、
感性から知性を支配していることは確実です。
このような発言そのものが「右傾」だとか、
「戦争礼賛」だとかという評判につながりますが、
そのような軽薄さを私は拒絶することを
改めて今後も発言し続ける覚悟です。
なぜなら、この日本という国に生まれ、
<左・地図パターン>こそ、日本と思ってきた自分を、
より国際的な思考世界に配置し直すことが、
実際的には本当の「自分の位置」を確認することだと思うからです。
「自分の位置」=「日本という地図図形」、この認識の一新こそ、
自分の存在性を再確認する一番の方法だと確信するからです。


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