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Posts Tagged ‘子供’


06月01日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 1st, 2018  Posted 12:00 AM

06月01日 先負(甲子)

僕の母親は、
ほかの多くの親と比べると
少し変わっていた。

今思えば、
子供の個性を大事にしてくれていた
とわかるのだが、
当時は自分の 「 わがまま 」を
とことん聞いてくれる最も都合よく、
そして頼もしい存在だった。



『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


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『超音速だからこのカラーは零戦と同じかも』


   


     12月 14th, 2017  Posted 12:00 AM




まるで「ネギ」のようだって言うのは素人感性です。
子供の頃、ともかく記憶したのは
まずは拳銃:ピースメーカーと軍艦と戦闘機でした。
これらの絵が描けて本当にほとんど知っていました。
今、子供が新幹線や山手線の駅名を言えるようなものです。
だからNASAが開発した超音速機、その船体=飛行機は
SHIPと呼ぶので私も船体としますが、
この音速機=東京からニューヨークを5時間というのは、
大丈夫と思いますが、コンコルドを超えた飛行機の登場です。
よくNew YorkのJFケネディ空港でコンコルドを見ました。
どうしても乗りたくて申し込みを2回やりましたが、駄目でした。
そうしてコンコルドは無くなってしまったのです。
あの模型が置かれている国内のホテルは知っています。
とてもモデルとしても美しく、これほどの模型はなかなか無いでしょう。
では、このNASA開発の超音速機はまるで「ネギ」だと言われていますが、
その指摘は間違いだと私は思っています。
これはあくまでも私の推測でしかありません。
なぜ、「ネギのような」というのは、
二つの理由があると思っています。
一つは明らかに来年度の流行色がグリーンとホワイトだということです。
そしてもうひとつは、零戦のカラーリングです。
最初の零戦、真珠湾攻撃は灰色だったらしいですが、
零戦の性能とその攻撃法にあったのだと私は思いたいのです。
零戦性能は長距離を飛ぶものでしたが
操縦技能が訓練されたパイロットたちは、
急降下一撃発射にありました。
急降下するそのスピードは、特にスッピットファイアーなどにとって
その急降下しながらの戦法は恐ろしく正確だったらしいのです。
そこで急降下スピードを知って音速機はグリーンになったのでしょう。
グリーンといってもそれはカモフラージュ柄です。
そして特に高度があって、その飛翔物体色としては、
おそらくプロモーションビデオを撮れば、
きっとこの物体色=船体カラーは美しいと私は思っています。


* 『「電卓」内の増殖化と焦点化にパソコンがある』
* 『軍事技術である人間工学 は軽薄に語るべきでない』
* 『ケプラー452b星人かもしれない』
* 『大戦学理を超えた平和構築の情勢報告』
* 『情報戦とマッハ戦から無関係であってほしい』


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staffblog 6月9日


   


     6月 9th, 2017  Posted 11:55 PM

6月9日


本日は、
大阪大学医学部附属病院
小児医療センターにおきまして、
川崎による、子供達への
「スケッチ教室」が
開催されました。



阪大病院では多くの子供たちが
毎日治療をお受けています。
その生活の中で、
少しでもこれまでとは違った経験を、
他では得られない体験を、
と考え、実施に至りました。


プロのデザイナーさんから
教えてもらえる!
ということに喜んでいる子供たち、
初めて触れるチョークや黒板に、
恐る恐る描き出す子供たち、
なんの気遅れもなく、
どんどん描いていく子供たち。

全ての形は紙コップから練習を、
今日、参加した子供たちには、
もう、この意味がわかるはずです。


ここから、
次のアクションにつなげていきます。


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staffblog 1月20日


   


     1月 20th, 2017  Posted 11:50 PM

1月20日


今期3回目、今年初めての
KK適塾が開催されました。

講師は、お二人とも
ソーシャルデザイナーという肩書きをお持ちです
村田智明氏と
太刀川瑛弼氏。


この三人でのトークセッションは初めてです。
中ではこんな動きのあるシーンも生まれました。


今回は自然と「デザイン教育」、
特に子供に対しての教育というテーマに焦点が。


お二人とも幅広いお仕事をされており、
それぞれのテーマに沿って
話題を展開いただきました。


最後は恒例の握手です。
ご参加いただきました皆様、
ありがとうございました。



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『ディスクールはアンドロイドロボットで消滅させられた』


   


     1月 19th, 2016  Posted 12:00 AM



昨年は「ロラン・バルトの生誕100年」でした。
ロラン・バルトは構造主義者として、ディスクール=言語表現、
つまり、書かれたことや言われたことの概念提唱者でした。
生誕100周年記念として、まさに、ディスクールのパターンを
スカーフにした表現はディスクールのデザインでした。
そのパターンの原書が「恋愛のディスクール・断章」そのままのモノ。
僕は読み直しましたが、生誕100年にして、
ディスクールでの抱擁は見事に破壊されていました。
それは、アンドロイドロボットの出現でした。
アンドロイドロボットは、「なぜ、人間は人間であるか」という
この難問解決のデザインだったからです。
単純なアンドロイドロボットとして「ハグビー」があります。
日本人は抱擁し合うことは照れ(若者には無くなりつつある)が残りますが、
フランス人からは、メールの最後にWarmest hugsと書いてきます。
結局、恋愛はすべての小説の最大テーマであったと言えます。
それこそ、日本最古の小説・源氏物語さえそうであったのです。
しかし、無論、恋愛には言葉・言語が本当は要らないように、
恋愛の言語化構造は
ハグすることで一遍に改めての意味が溶解し消滅します。
つまり人間にとって恋愛は一瞬の熱病=これは僕の私見ですが、
その熱病は感染して起こるのか、感染しているから熱病=恋愛でしょうか、
まさに生誕100年目に断章された結果は「ハグビー」というロボット、
つまり言語(ことば)では無くて形態(かたち)によって、
結論が明らかになってしまったことです。
これは言語の脆弱性を形態=ロボットが消滅させたことになります。
なぜか人間は抱擁されることで
コミュニケーションの新鮮度が増加されます。
人工物アンドロイド・ハグビーを抱き合うことが、
あの熱病=恋愛のごとくコミュニケーションを強めてしまうのです。
喋りまくる子供たちはハグビーを抱きしめれば、集中力を持ち、
アルツハイマーの老人の孤独感を消化してしまい、
断絶した者同士が、見知らぬ者同士が饒舌に会話しあうということです。
しかし、恋愛のディスクール・断章はロラン・バルトの生涯のテーマ、
その一部分に過ぎませんでした。
それはアンドロイドロボット・ハグビーに
「作者の死」をつきつけています。
ディスクールの作者が、彼の死に言説化を求めたように、
アンドロイドの創作者は、
どのようにその死と立ち向かうのでしょうか、ということ、
その指定出が起こってしまったということです。


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『毎夏、再自覚決心の日』


   


     8月 7th, 2015  Posted 12:00 AM



子供の頃から、ヒロシマ・ナガサキは正直よく分かりませんでした。
修学旅行でヒロシマ原爆記念館に行ったときも、
歴史の一コマ見学でしかなかった気がしています。
しかし、留学生をインドから受け入れたときに、
彼女が「パキスタンにインドは原爆実験で勝った」と聞いた瞬間、
私はなぜか激怒し、彼女を広島と長崎に行かせました。
帰ってきた彼女はその小旅行の経験を話して大泣きしました。
それが日本留学=インドのデザイン官僚としての最大経験でした。
ところが伯父(母の兄)から、ある日手紙が来ました。
伯父は80歳傘寿になって、
「自分は徴兵、広島で郵便兵のとき被爆し、被爆手帳を持っている。
元気で暮らしてきたがこれまで誰にも言わずに生きてきました」と。
その伯父と私は親戚でも容貌が似ていると言われてきましたが、
私は被爆者である事を隠さないと生きてこられなかった伯父を
改めて敬愛しました。彼は高卒ながら有名大企業の社長室長までを
自力で成し遂げただけに、凄い人と思っていました。
ところが、これほど身近に被爆経験者でありなおかつ80歳まで
隠して生きてきた伯父の気持ちを想うとさらに尊敬を深めました。
「被爆者であることを隠さないと結婚もできなかった」らしいのです。
父は七年半、青春を戦争従軍で終わりながらも、
伯父が被爆者だとは知らなかったはずです。
私は、終戦となるためにふるさと福井も徹底的に空爆被害をうけ、
敗戦をするにはどれだけの人命が失われてきたかを受け止めています。
毎夏、私たちはこの日、多くの人命を失った敗戦事実を
受け継いでいくことを再決意しなければならないでしょう。
ヒロシマ・ナガサキ、そしてさらにフクシマの被爆体験こそ、
日本人であるアイデンティティを「平和」に差し出す能力だと考えます。
「決して戦争をしない民族」という理性的人間である自覚こそ、
それが日本人だと確認することが出来ます。




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6月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 8th, 2014  Posted 9:30 AM

6月8日 辛亥(仏滅)


何かのかたちに「成る」というのは、
まさしく、
子供たちのそれこそ
アニメーション・キャラクターたちが
ヒーローでいることの
証ではないだろうか。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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6月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 7th, 2014  Posted 9:30 AM

6月7日 庚戌(先負)


何かのかたちに「成る」というのは、
まさしく、
子供たちのそれこそ
アニメーション・キャラクターたちが
ヒーローでいることの
証ではないだろうか。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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『磁器お皿・三つのパターンと料理手法に進化無し』


   


     2月 6th, 2014  Posted 12:00 AM



この数年、陶磁器に深く関わってきました。
子供の頃から陶磁器については最良品が私の生活にありました。
そして、大きく気づいていることには、
これまでお皿・器の絵付けと磁器素材と料理盛りつけに対して、
陶磁器づくりと料理人の間には、
全く工夫どころか革新も無く既成概念がそのまま商売の無慈悲。
西洋料理をベースにすれば、現代料理は、
真っ白=ボーンチャイナだけに料理を配膳してきたことです。
それは、磁器への絵付けパターンに最も技術集約をしてきたモノ、
九谷焼は日本料理界でも料理の盛りつけを際立たせないことで、
九谷焼そのものが残念にも市場性を失ってきたのです。
産地もそのことを知って、九谷焼然を如何に表現するべきか、
現代料理との整合性を図ってきたようですが無駄です。
私はこのお皿と料理の関係性で、見失っていることを指摘します。
まず、料理人がボーンチャイナ=真っ白器に頼り過ぎだったこと。
これは料理人能力が備わっていないことを明示しています。
私の見捨てがたいコトには、現代料理と称する和洋折衷様式です。
西洋料理・日本料理・中華料理の「器選び能力」の有無を見ます。
したがって日本料理で九谷焼を最適合させれる能力を評価します。
無論、高価でもいい加減な九谷焼も増えていますから、
これらは論外ですが、ボーンチャイナの白背景での日本料理、
これは最悪のお皿と料理の関係です。
ミシュラン評価もこれが出来ていませんから無視すべきでしょう。
陶磁器づくりと料理づくりの関係は至極大事です。
しかし、陶磁器産業と料理の関係を、活性化策ということで、
行政や能無きプロデューサーの提案実施は随分みてきましたが、
これまで全て失敗していることは明らかです。
その最大の理由は、磁器づくりと料理づくり、
それぞれのあるかと思わせているが能力無しが増えています。
確かに料理道具は進化しましたが、進化せず。
比して、磁器づくりは全く進化していないと私は判断しています。

【ブログの関連記事】
『陶磁器産業地を視察して・伝統産地は県行政を決定する』
「六古窯・越前焼ー若い才能が復元から再興を始めだした」
「陶磁器は進化も革新もしていなかった、私の判断」
「自然から学んだはずだった・・・のだが?」
「陶磁器メーカーの相次ぐ倒産はやむなしかもしれない」


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「機関車の魅力=鉄道の魅力に潜むデザイン論理」


   


     6月 25th, 2012  Posted 12:00 AM



大阪駅に帰って来ると、
C57155の車輪が迎えてくれます。
子供の頃から、蒸気機関車が大好きでした。
「デゴイチ」か「デコイチ」かの区分にも私見があります。
そしてなんといっても北海道で、
蒸気機関車が全面ストップ寸前、まだ東芝マンでした。
それゆえに「蒸気機関車・SL録音出張」までしました。
しかもその録音はLPレコードとして商品化できました。
3重連で走りそこに雷鳴が、という素晴らしい音録りをしました。
鉄道は、子供たち、特に男の子にとっては魅力があります。
そこで、次のような課題を考えることができます。

■1.「新幹線はとても速い」だから「子供達に人気がある」
■2.「新幹線はとても速い」だから「目的地に速く着く」
■3.「蒸気機関車はかっこいい」だから「未だに人気がある」

この三つのテーマの中で、いわゆる数理的論理性は2だけです。
ところが、デザイン的な論理は、1と3です。
それには、二つの重大なキーワードがあると考えます。
まず、新幹線は流体力学的にも
造形デザインでスピード感がある形態=形態言語があります。
この造形言語による形態言語が、子供たちを虜にするのです。
また、蒸気機関車の造形言語には、力強さがあります。
この力強いという形態言語にさらには郷愁感が加わります。
したがってこの郷愁感には、
ノスタルジーやアンティック感は人間の感性を静謐に刺激します。
私は、現代デザイン・未来デザインとしての鉄道には、
速度性がある造形言語が創出されるべきだと思っていますが、
もう一方では、蒸気機関車のZゲージでは、
ドイツでの蒸気機関車のある種類に拘っています。
それは、速度感が編年的にアンティック感へ移行する感覚、
その魅力を見極めたいと思っているからです。
稲妻と雷鳴の中で、三重連で走るD51の姿=形態言語は、
今も私の脳裏には明確に思い出すことができます。
造形言語と形態言語の関係、
この構造主義性はこれからのデザイン論理として研究が必至です。


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