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Posts Tagged ‘学際化’


『「コンシリエンスデザイン看医工学」の提案』


   


     10月 7th, 2014  Posted 12:00 AM

私は講演時のプロローグは映像と音楽にはとても神経を使います。
阪大では「講義とは粛々とやるものです」とか言われましたが、
(バカじゃないの?だから学生は寝てしまう)と思ったものです。
今回は看護系ゆえにとかでTVドラマのサウンドトラックを、と。
著作権は学術的なことはOKですが、一応は著作権登録は聞きます。
しかし、最近はこうした音楽も世界的な曲でなければと確信します。
つまり、デザイン活動成果は国際的にならなければ意味無しです。
私の講演タイトルですが、背景は動画ですから動いています。
無論Keynoteです。PowerPointでは多重の映像と音楽無理ですし、
PowerPointは作成時に前頭葉は停止していますから駄目です。
まだ第二回の看護理工学の学会で専門家集団に、
私は初めて「コンシリエンスデザイン」を提案しました。
これまでも医工連携ブームではモノは出来ないことを主張しました。
必ずデザインが医工には必要であると強調しましたが、
デザイン界も勘違いがあって、医学にも工学にも駄目な輩が、
この研究と称している馬鹿な研究を見始めています。
何が駄目かといえば、論文になったとか特許をとったとか、
じゃなくて、肝心なのは患者へのデザイン支援でしかないことです。
せめて、解剖室や手術にも立ち会わず、医師もエンジニアも
それなりにデザイン理解が出来る優秀さが基本です。
そうして気づいたのは、看護学・保健学・基礎工学などを
結合・融合・統合が基本でなければいけないということです。
したがって、コンシリエンス、発音だとコンシェリエンス?かも。
たとえば、水素結合と言ってもまだ不明ですが、
学際化のための結合?学際の融合?学際の統一ではなく統合?です。
この講演とともに、研究室で仕分けされた完成目前も展示しました。
これからのデザインは「コンシリエンスデザイン」を
まず、医工だけではなくて、もっともっと学際化をと提案しました。

『コンシリエンスデザインの認識に向けて』
『「Consilience」概念定義のための書籍はここから』
『「コンシリエンスデザイン」名詞格を接頭語にした新概念』


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『「Consilience」に融合の基本概念があるだろうか』


   


     8月 16th, 2014  Posted 12:00 AM

Consilienceという言葉をある教授から与えられて以来、
ほとんど取り憑かれています。
科学と文化、学術と芸術、この「融合」を根本で熟考しています。
私にはまず、疑いがあります。
とりわけ、学際化とは専門領域を融合化するとか言われると、
融合って?となってしまいます。
正直、自分がつかみとって、認識している自覚が無ければ疑います。
それこそ、専門家と公認されていればいるほどそう思います。
かって、日本のトップクラスの研究所での限定された発表会で、
「こいつの発表が全く分からない」と確定したことがあります。
ところが、時代は彼を寵児にしてもてはやしましたが、
その知識の浅薄さは今もそれだけの人間になっているようです。
時代とか、その社会感覚、流行には嘘くささが極めて多いはずゆえ、
それを内村鑑三のある書籍には、その証が書かれています。
また、この基本書に液晶グラスが自分のデザインながら、
これぞ本当に重要なモノです。
100円ショップにまであるようなPCメガネでは何も解決しません。
重要なコトは、青色カットなど意味無く本当は「ドライアイ対策」。
パソコン画面に向かっている特にコンタクトをしていたなら、
ドライアイが目の病気を誘発することは間違いありません。
このデザインには、造形で、技術と医学を融解させ合わせています。
少なからず、二つの専門分野を対象デザインに向けて、
融解することになります。その融解させる工程での合体化です。
言葉の構造上では、必ず、融解+合体=融合は成立するでしょう。
しかし、融合させた結果が化学反応すれば、
融解させて合体化には、元の要素・要因は消滅することもあります。
したがって、融合とは必ずしも、二つの要素が残るわけではなく、
化学反応としての融合があることも認識条件だと考えています。

『PCメガネはドライ・アイ対策でなければいけない』


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「機械工学とデザインの学際化を・・・大学人としての願い」


   


     6月 21st, 2013  Posted 12:00 AM

大阪大学を定年退官して、
現在は特任教授にて研究室はインテリアを変更し残っています。
大学人のときは、論文指導はしていましたが、
今年はすでに3本論文を 1st Authorとして国内外に書きました。
このブログで2本目を紹介します。
前回は、自動車技術関係、今回は、機械工学領域が相手でした。
両方とも東京大学系からの「依頼論文」です。
これからは「危機管理デザイン工学」そのものの学域定義が目標。
この専門家としての博士を阪大中心に養成していきたいのです。
したがって、この2つの論文も、「March 11.2011」という、
自分の生涯で経験したくなかった国難が背景ですが、
もはや、日本という国家での「技術とデザイン」の学際化が目的。
特に、機械工学という問題解決の手法と、
デザインという問題解決の手法との境界の明示、
そうして両学域の融合点の発見についてです。
今回、初めて「形態の言語化と言語の形態化」を基点にしました。
つまりデザイナーは造形をして形態をつくることになっています。
少し難しく言えば、造形した形態は「言語」です。
だから、私はこれを「造形言語」と「形態言語」と呼んでいます。
「造形言語」=designing language=デザイン造形した形態。
「形態言語」=designed language=デザイン解決された形態。
この二つを次のように、「記号論」で再解釈・再定義します。
designing languageとは、意味する・表現形態であり、
designed languageとは、意味された・内容形態です。
この「記号論」あるいは「記号学」にデザイン、デザイン解決、
その最適解が造形する意味のある形態と、
造形されているから意味されている形態という関係があるのです。
もう少し難しく付け加えると、「記号論」的には、
designing language=造形言語=表現(Signifiant)言語と
designed language=形態言語=内容(Signifie)言語です。
これが、デザイン実務である問題解決で、
  ● 話題・応答
  ● 課題・回答
  ● 問題・解答
このそれぞれへの答として、
デザインと機械工学との学際性についてがこの論文です。


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「『学際化』によって危機管理デザイン工学をめざす」


   


     5月 10th, 2013  Posted 12:00 AM

4月から、大阪大学大学院を一旦退任し、
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を開設しました。
その基本となるように危機管理デザイン工学を
定義可能かどうかを、どこか学会に論文提出を考えていました。
幸運にも、日本機械学会誌から依頼論文をいただきました。
私にとってと講座学生にも、
これは大きなチャンスになりました。
依頼論文は4頁でしたが、
デザインと機械工学、この二つの学域を「学際化」論にしました。
連休前には準備論文を殴り書きしたら6頁にもなってしまい、
大慌てでこれを削り落としながら、
かえって、論旨を短くすることが出来ました。
そして、その論旨を図解化することや、
図解をしながら、再度論旨の要点をまとめることに繋がりました。
韓国から帰国して、
あらためて、原稿締め切りを確認したら、
当日が締め切りということで、またもや大慌てになりながら、
自分を集中させて取り組みました。
まだ描き終えていなかった図解も、論旨検証をしてまとめました。
一応大学を退任して、特任教授という立場になったからこそ、
今年は正月から論文を書くことができたのかもしれません。
正直、大学退任時期になったこともあって、
いくつかの学会を退会しましたが、
残っておくべきだったかもしれません。
もっとも、今、寄附講座選任での博士後期課程学生もいます。
このところ、論文作成に向かいながら、
「デザイン」は、科学=知識体系=分科学の統合に対して、
学域の接着剤のようなものだと実感し直しました。
なんだか、落ち着いて、これまでのデザイナー・大学人、
この二つの実体験を「ことば」の集大成=論文化可能です。
私に残された時間を常に意識するようになりましたが、
かえって、次世代、次・次世代に書き残すこと、
本当に増え続けている気がしてなりません。
私のこれから大学での大きな役割は、
「学際化」するデザインの実務だと思っています。


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「大きなヒントだ!『危機とは、何が危機か』」


   


     5月 7th, 2013  Posted 12:00 AM

「March.11.2011」を体験した私自身の運命。
私はデザイナーという天職である幸運があり、しかも車倚子生活。
自分の生涯でこの国難と真正面に対峙しなければなりません。
そして、大学を退任しましたが、
「までい-Project」=東日本大震災の復興デザイン計画と、
それをさらに大きな視野で捉え直す「危機管理」へのデザイン。
これが私にとって最期の仕事になると常に言い聞かせています。
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を率いています。
しかし、危機管理学・危機管理工学、
さらに、危機に対するデザイン、プロダクトデザインの学際化。
この学際化で「危機への臨機応変なデザイン」と、
その「産業化」をめざしています。
問題は、「危機とは何か」ということ、
私の定義づけの言い換えは、「何が危機か」です。
おそらくこれからも、このFBで、
その「応答・回答・解答」デザインを記述していくでしょう。
資料を読み込んできましたが、
最近、この「危機とは何か」について、
真正面からしかも冒頭で、
この考察を「ことば」にした本にやっと出会いました。
とても大きなヒントです。
というよりも、私の人生でこうしたことは度々起こります。
それは、常にこの「問題提起」を掲げていれば、
誰かにささやかれたように、思考のヒントを目前にするのです。
まず一回読んで、さらに私が読みあさった資料から、
この考察のままでいいのだろうか、と再思考します。
結論は、
まだ浅薄過ぎると言うのはこの学者への反論のようですが、
それは、私がデザイナーであり、大学人として、
しかも「危機管理デザイン賞」を選別する責務での判断です。
さらには、「危機管理を成就する産業そのもの」に、
プロダクトデザインで主導していくことだけに、
私は、これだけの定義では無いと明言しておきます。
危機管理学と工学とプロダクトデザイン、
この三つの学際化によって、
この天災と人災、日常が「危機状況」に対して、
わが国の産業化をと考えています。


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「『危機管理デザイン賞』特別賞の二つ」


   


     3月 29th, 2013  Posted 12:00 AM

「第一回危機管理デザイン賞」は審査委員会が、
応募を離れて「知られていない団体」をあえて選びました。
危機管理学や危機管理工学はまだまだ学際化されるべき学域です。
すでに大学にも、この関連講座はありますが、
ほとんどが「制度設計や行政論」に偏っています。
しかし、審査委員会は今回は3.11で見逃された活動に注目しました。
一つは、救急医療で人知られずに活躍したNPOがありました。
AMDA=Association of Medical Doctors of Asiaが
いち早く救護に入って、
どれだけの人命や救護活動をしていたことでしょうか。
この団体は、今回の3.11に関する情報も大変に精通していました。
もう一つは、この団体こそ、
北海道から自衛隊を被災地に隊員輸送を行いました。
3.12には15000人を送り込んだと言われています。
その成果は、本来なら35000人の同胞を失うかも知れなかったことが、
結局は15000人も救助していたことはほとんど報道もされず、
彼らも喧伝しませんでした。
無論、
3.11を裏から目立たず支えたグループや団体や個人も数多かったはずです。
そこで、
この二つのグループに会長賞=Excellent awardとして表彰しました。
昨日はグランプリに「検体DNA採集セット」を選びましたが、
危機=「最悪の事態」にデザイン=問題解決実務が、
制度設計だけではなくて、形態設計や実務設計で、
こうした危機=「最悪の事態」から、
人命が開放されることを意図しています。
制度設計としての危機管理学、形態設計としての危機管理工学、
さらにこの二つをさらに学際化=デザインすることで、
私は、この専門職種が必然だと考えています。
この二つの会長賞からも、
危機管理の専門職は新しいテクノロジストの養成でもあると考えています。
大阪大学大学院・工学研究科では、
「危機解決の産業を日本から起業し、
その主導をデザインが牽引する」こと、
これを目指して、
私はこれまでの医療・原子力・ロボット・警備などを
デザインでまとめ直すこと。
私の最期の仕事だと考えています。
インターン学生を求めています。
かなうなら、
専門のテクノロジスト・ドクターを養成したいと考えています。


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『資本主義からの逃走』
「『工業デザイン』と『デザイン工学』の大きな差異」


   


     10月 26th, 2010  Posted 12:00 AM

「デザイン工学」
私は「工業デザイン専攻」の卒業です。
「工業デザイン」は言葉となっていますが、
「デザイン工業」はありません。
変わって、「デザイン工学」という言葉は生まれています。
「工学デザイン」は日本語には見あたりません。Product Design Engineeringはあります。
「工業デザイン」はインダストリアルデザインを意味。元来は産業デザインでした。
今、工業デザインは、インダストリアルデザイン・プロダクトデザインまでを包含しています。
NHKでは、「工業デザイン」という領域がアナウンス用語になっていて、
インダストリアルデザイン・プロダクトデザインは使われません。
そこで、「工業デザイン」と「デザイン工学」とを比較すれば、
当然、これには大きな差異性があります。
「デザイン理工学」と「デザイン医工学」
「デザイン工学」に、工業デザイン・インダストリアルデザイン・プロダクトデザイン、
さらには建築デザインから新たな工学的な専門領域も含まれた言葉になっています。
私は、「デザイン工学」は領域設定があまりにも広大になるので、
「デザイン理工学」と「デザイン医工学」に分別しています。
さらに、「デザイン工学」をもっと拡大して、
「デザイン文理学」と「デザイン政経学」、
さらには「デザイン数理学」などや「デザインロボティックス」などの範疇も提案しています。
「デザイン」(動詞)+「情報」(名詞)
「デザイン」(動詞)+「情報」(名詞)というのは、
デザインする対象領域の「情報」に対して、
対象と実務営為を詳細化することと学際化を意図している言葉だと私は判断しています。
「環境デザイン」は「デザイン環境」にはまだ至らず、
「映像デザイン」が「デザイン映像」にはまだなりえていません。
同様に、「メディアデザイン」が「デザインメディア」にはなっていませんが、
環境や映像やメディアがすべて「デザイン工学」に包含されていると考えることもできます。
けれども、わたしは、あらためて「デザイン●●」を、
デザイン実務を詳細化・綿密化・統合化・学際化する呼称になりうると主張しています。


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『資本主義からの逃走』
 *「数学と物理とデザインと」*


   


     10月 11th, 2010  Posted 12:00 AM

数「学」と物「理」
美大系へ進学するのは、特殊な「ひと」。
今もそのいわば常識のようなことが蔓延しているようです。
私も出身高校に、浪人後、美大に合格したと報告に行ったとき、
職員室で、どよめきがありました。
「ウソだろう、なぜなんだ、なんで美大なんだ」と言われました。
その反響に私自身が驚いたほどです。
問題は、数学とか物理というのは、「理系」であり、
「理系」と「文系」、この種別を日本の高校で決定しようという制度になっていることでしょう。
無論、職能として「数学者」や「物理学者」、
いやもう少し広範囲に「数学系学者」と「物理系学者」にとって、
それぞれの「専門」としての数学と物理は、先端系=未知探索へ向かっています。
さて、それならデザインにとって、
数学と物理がどこかでしかも無意識的かもしれないほど介在している概念があるかもしれません。
私は、数学の「学」と物理の「理」、つまり、学と理に注目してきました。
焦点連鎖の「次元」
結果、数学的に焦点化していることと、物理的に焦点化していること、
それはそれぞれの差異が明確である概念として、「次元」がその焦点だ、とみてきました。
次元=dimensionです。これもいづれ「デザイナーとして」整理します。
このことに気づいたのは、
EWSというコンピューターと出逢った時からの印象的な、私なりの一つの結論です。
デザイナーは「かたち」=形態を造形化する職能です。
ただし、デザインもすでに「デザイン系」と言うほど拡大と拡張をしています。
かって、インダストリアルデザインが「口紅から機関車まで」と言われました。
私は、「日本酒から人工臓器」とか、「タワシから原子力」など、
様々なフレーズで、デザイン系の広がりをあえてアジテーションしてきました。
こうしたフレーズの中でデザイン対象となる形態・空間に、私は「次元」を置いています。
その理由は、数学的次元と物理的次元の差異性・同等性には、
基本的な思考軸が「学」であり「理」だと思うからです。
学際化の超「次元」
そしてこの「学理」の学際化にこそ、
デザインが寄与する役割は「空間・形態・次元」の連鎖系にあるものと推察しています。
ところがデザイン以上に、
現代アートは先んじて、いとも簡単に超「次元」的、主観的な連鎖表現をしています。


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『資本主義からの逃走』
     「逃走の手立ては、情報変革化による学際化」


   


     8月 5th, 2010  Posted 12:00 AM

Red Ryder
「Red Ryder」というソフトを知っておられるとしたら、
それはパソコン創生期を存分に知っておられる方でしょう。
電話回線とパソコンでメールがやりとりできる。
それをパブリックドメイン(無償配布)した最初のソフトです。

このソフトで、構築されたのがBBS(Buliten Borad System)=電子掲示板でした。
これが現在のE-mailにつながっていきます。
残念ながら、BBSはユーザー志向が性悪説に向かってしまいました。
BBSは本来はSIG(Special Interest Group)へという理想主義を掲げていたのですが、
BBSでは匿名的な誹謗中傷へと情報化が拡張しました。
ここに集う人たちは不幸を自らに呼び込む性根に自分を情報化してしまった情報社会の被害者です。
そして、性善説を志向する情報の変革化は、ソーシャルネットワークとして、
TwitterやFaceBookを生み出しました。
しかし、これもTwitterストレスやFaceBookでのFishinngが横行し始めています。
私はたとえばTwitterが「販売促進」だとか「企業革新」の手立てになることは容認できますが、
それは現状の「変革」に向かっているものではないと考えます。
「変革」は理想主義に向かっていなければ「正道」ではありえません。
したがって、「情報変革化」はさらに進化を希求すべきだというのが、
私の認識でありデザイナーとしての目標です。
学際化
さらに、何の情報化を変革していくべきなのかを考えると、
それは「学際化」です。
専門家した学識、その融合化・総合化・統合化です。
これは「学際化」ということを徹底的に「情報化」する専門性を
開発することが求められているということです。
もし、これまでの歴史で「学際的」だった人物をあげるとするなら、
ピタゴラスやレオナルド・ダヴィンチなどになります。
しかし、彼らの学識や史実的記録は、
「変革」をもたらしたコトやモノは無かったものと私は判断しています。
しかし、「変革」の動機付けになった発想や表現は、
「情報」となって私たちは今なお大きな理想主義の手立てになっています。
私はここが偉大なポイントだと思っています。
私は「逃走」しようと投げかけています。
走って逃げようというのです。
「闘争」ではありません。
私の性格なら「闘争」を叫びたいのですが、
歴史を見れば、「変革」して、「革命」に至るのは、決して「闘争」ではありません。
したたかな「逃走」という「闘争」が「正道」だと確信しているのです。


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