kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘安全’


『政治が悪いと天災を日本は受けるのだ』


   


     7月 8th, 2017  Posted 12:00 AM



有明ビックサイトで、毎夏恒例の
文具大賞の表彰式や私が関わっている見本市を大まかに見ました。
しかし、九州では台風では無くて、大変な大豪雨。
観測史上初という豪雨天災でした。
帰阪すると、一週間5ch収録のTV報道を見直しました。
今回、間に合わなかったと土砂災害時での新たな土嚢デザインが
全く間に合いませんでした。
広島での土砂災害では、まだ開発中の新素材を現地で実験使用して、
私の研究室ミッションを続けてきたのです。
講座支援の大企業では、先般の飯館村現地実験の報告をしながら、
間に合わなかったと開発チームとも悔やんでいました。
ともかく、
「政治が悪いと天災を招く」とことは断言出来るのかも知れません。
60台の自衛隊ヘリコプターが入り、7500名も自衛隊員が被災地とは、
本当に何てー事だ、と思います。
天災被災地に復興デザイン=リスク管理だけではなくて、
被災地を絶対に無くすレジリエンスデザインが本当に絶対必要です。
かつては「危機管理デザイン」と言っていましたが、
危機は管理することではなくて、
解決することとが絶対必要になったのです。
宇宙工学での信頼・安全工学領域の専門家=実はいとこですが、
価値感には、安全・信用・信頼・安心を私の研究室は、
工学研究科から医学系研究科で、講座を開設してきたのです。
「人は不完全な存在だから、創るモノも不完全、だからリコール当然」
このことを言い換えているのです。
「不完全な人間だからこそ、人工物=モノは完全・完璧なモノを」、
これが、安全だけではないのです。
信頼し信用するから安全をデザイナーは念頭にすべきです。


* 『ヘリコプター救助の高度な技術は称讃されるべきだ』
* 『広島被災地に「パウダースマイル」を!』
* 『広島の土石流災害現場で開発中ながら試用実験』
* 『山は崩れてはならない=つちのかたちデザインが要る』
* 『DESIGN TOKYOのPROTO LABから次世代デザイナー出でよ! 』


目次を見る

『霾(つちふる)のは中国からの人災である』


   


     5月 9th, 2017  Posted 12:00 AM



黄砂が飛んでくるというのは子どもの頃習った気がします。
タクラマカン砂漠・ゴビ砂漠(見ておきたい)から、
中国、韓国そして日本列島に偏西風でやって来ます。
それは天災でしたが、中国の土地劣化によって今では、
「黄砂飛来」というもはや雨上がり翌日の人災になっています。
TV報道で北京などにはPM2.5=超微小粒子状物質が視界を閉ざしています。
PM1.0が米国で認められて
中国ではマスクどころか防塵マスクの人々を見ます。
この人災に日本まで大変な事態になりました。
問題は黄砂という天災が人災となり、硫酸イオンや硝酸イオンが
私たちにも多大な身体的影響を与え出しているのです。
私のふるさと福井にはエチゼンクラゲがやはり中国からやってきて巨大化、
大迷惑を受けていますが、同等のすべて人災でしょう。
現在、空気清浄と水清浄での新素材開発デザインをしていますが、
これはデザイン主導=コンシリエンスデザインでの新素材化が可能です。
あくまでもこれからのデザインテーマです。
こうしたことに取り組んでいるのは、KAIST=韓国科学院の環境デザインも
コンシリエンスデザインでこの人災解決に取り組んでいます。
デザイン領域の拡大事例だと思っています。
したがって、私の阪大寄附講座では安全信頼性と人災解決環境デザイン、
現在は、こうしたモノデザイン企画でこの領域に四名の招聘教授がいます。
近々、新素材でのセルロース戦略とカーボン戦術に取り組んでいます。
この新素材で、これからデザイン実験が必要ですが、
空気清浄のモノ=商品化も見えてきたと確認しました。
「黄砂飛来」とは「霾=つちふる」という漢字がありますが知られていません。


* 「KAIST=韓国科学技術院の先生を招いて」
* 「KAIST・韓国科学技術院での講演」
* 『セルロース素材によるわが国の基幹産業化』
* 『除染されていない間伐材へのデザイン開発』
* 『ビジネスデザインモデルのためのコンシリエンスデザイン』


目次を見る

『芸術工学からコンシリエンスデザインに』


   


     4月 12th, 2017  Posted 12:00 AM



名古屋市立大学芸術工学部の新設時から、
大学人になった私は、当時の「芸術工学」を
「デザイン&アーキテクチャ」としました。
それから、わが国のデザイン教育を詳細に見詰めてきて、
デザイン理工学・デザイン医工学・デザイン文理学・デザイン政経学として、
これを大阪大学大学院に持ちこんだわけです。
そして、今ではさらにデザインを「コンシリエンスデザイン」として、
さらにデザイン実務とデザイン領域の設定をやり直しました。
ところが、今ではデザインは様々な大学に学部や学科になりましたが、
残念なことは文科系が主体になってきており、
将来、実務家としてデザイナーを目指す学生も、
雑貨品デザイナーが多くなってきているようです。
これは明らかにデザインの本質的な意義が未だに美術系、
すなわち、文科系に寄りかかっているからでしょう。
世間的には、経営としての「デザイン思考」が語られますが、
これはデザインの本質を逸脱していると私は明言できます。
なぜなら、コンシリエンスデザインは、19世紀の造語ですが、
文科系+理科系・学術系+芸術系の統合は、
四つの統合があるからです。
規模的な統合・機能的な統合・ネットワーク的な統合・文化的な統合、
こうした統合論から、改めて、問題解決、価値的な創出、未来創成が
デザイン成果の目標と目的になると帰納的な定義にもなるからです。
こうした見方から、この図解を詳細に見詰め直すことを望みます。
特に、問題解決のためには、問題を再提起し、
価値には安全・安心・防災・防犯が未来創成には必要と考えるからです。
そしてコンシリエンスを支える基盤がレジリエンス、
すなわち、どんな状況でもレジリエンス=精神的にも
強靱なことが希求されるからです。
コンシリエンスデザインはそのままレジリエンスデザインとは
通底していると私は断言することができます。


* 『行学はデザインにあり・「KK適塾」を開始します』
* 『匿名的な知恵=silienceである』
* 『「くまモン」参加のワッペンでレジリエンスデザイン』
* 『サイエンスの限界にある美学性をさらに造語化』
* 『コンシリエンスデザイン学域の統合図解』


目次を見る

02月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 25th, 2017  Posted 12:00 AM

02月25日 大安(癸未)


デザイン成果は
性能・効能・そして機能が
価値観である、
安心・信頼・安全が
必要である。



川崎和男の発想表現手法


目次を見る

02月08日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 8th, 2017  Posted 12:00 AM

02月08日 赤口(丙寅)


アナログであれ、
デジタルであれ、
信頼と信頼性の差異性
安全・安心という
望ましさと好ましさが
価値である。



川崎和男の発想表現手法


目次を見る

『「天然物」?という価値観を確認する』


   


     2月 8th, 2017  Posted 12:00 AM




街が街らしくその活気を最も感じるのはこうした回転焼き屋さんです。
小学生時代はよくのぞき込んでその作業を長く見ていたものです。
私が今最もよく知っているのは新大阪駅の「御座候」という今川焼きと、
月に一度は必ず映画を観に行く京都寺町の鯛焼き屋さんです。
改めてこのブログに取り上げたのは、
鯛焼きでも、これは「天然物」という名称があると知ったからです。
確かに鯛焼きゆえ、その鯛も回転焼きにすぎないにもかかわらず、
「天然物」?、この名称に心惹かれました。
そして思い起こすと鯛焼きでもこの寺町で月に一度は食べるのですから。
先般京都で確認してみると回転鯛焼きのその道具で明解に分かりました。
(そうか、天然物だったんだ)と凄く嬉しくなったのです。
つまり、鯛焼きの型はすべて一匹一匹を回転させるのです。
これは労働量は相当なものですがあんこが確実に鯛焼きの尻尾までです。
店先にはなんと「天然物」と銘記がありました。
なんだかとても嬉しくてしかもこの「天然物」とした商売にとても喜び、
流石、天然物だから凄いというほど、自分を納得させたのです。
「鯛焼きは天然物に限る」というもはや私の理念が決定してしまいました。
このアナログ性は生き残ってほしいと思います。
それこそ、最近はご当地名物がEコマースや「ふるさと納税」で入手出来ます。
この便利さは淘汰されるはずでしょうし、そうあってほしいのです。
それは商品価値の問題です。
価値とは「望ましいコトと好ましいコト」です。
しかもこの価値には信頼と安全と安心が必ずなければなりません。
それは人間という不完全な存在だからこそ、
人間のしかもアナログな手づくりには、
信頼性・安全性・安心性では不足していることを
デザイナーは再考すべきと考えています。


* 「実演販売を見るのは大好きだから、道草文化が必要だ」
* 『PPMはすでに図表表現が異なっている=KK適塾』
* 『ゲームコールセットの信用と信頼にある価値』
* 『四句分別にある明解な「的」は曖昧性を強化する』
* 『デザイン領域の「統合」による安全・安心・防災・防犯』


目次を見る

12月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 23rd, 2016  Posted 12:00 AM

12月23日 大安(己卯)


安全・安心
そして
信用・信頼
これらが「価値」に直結する。



川崎和男の発想表現手法


目次を見る

『ファッションも完全完璧な信用・信頼・安全・安心だ』


   


     12月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM



またまたスマホを買い換えました。
iPhoe7のそれもジェットブラックです。
理由は簡単です。こうしたガジェットはともかくいつも新製品。
よく、新製品は故障するかもしれないからとか言われますが、
そういうことには自分は一切気にしていません。
私は「どうせ人間自身が完璧ではないのだから、その製品が故障する」、
このことでは、リコールを容認する立場でしたが、
信頼・安全性工学である宇宙工学を
いとこから知ってから「完全な製品づくり」、そのデザイン、
これが工業製品の大目標でなければならないと考えています。
故障やリコールを絶対に皆無にするということ、
それは信頼し信用し安全であり安心が
工業的モノづくりの最終決定であること。
人間だからこそ、工業製品とのあり方の根本に今頃再決定したのです。
確かに宇宙工学や医療工学に対する信頼・信用・安全・安心、
この完全で完璧さが最適解答だと認識しています。
そこでとりあえず持っていたApple WatchとiPhone7を完璧な使い心地を、
ということになると、かねてから私の連載や本づくりの編集者N氏の
この解説本で詳細を確かめようということになりました。
腕時計としてはいわゆる機械式のそれなりの時計、
全く新たな盲人用時計(デザイン出来なかっただけに無念なり)、そして、
Apple Watch(HERMES)をファッション性としても選んでいます。
そして、iPhone7との新しい連携、
この信用・信頼・安全・安心を再確認してみようということです。


* 『物欲によるモノの美と美あるコトへの自分』
* 『腕時計には本来、機能性の無いモノだった』
* 『宇宙開発の信頼・安全性工学からデザインが学ぶこと』
* 『四句分別にある明解な「的」は曖昧性を強化する』
* 「デザインすることの勘違いは大間違い」


目次を見る

『四句分別にある明解な「的」は曖昧性を強化する』


   


     11月 15th, 2016  Posted 12:00 AM



「やさしい」という日本語には観自在性があります。
それは「優しい」と「易しい」であり、
この峻別が曖昧にされていた時代がありました。
これは道元的な「四句分別」が必要と行き着いたことがありました。
観自在=思考闊達な想いと思いに、ある意味ではYesかNoかについて、
日本人にはどちらか明確にという世界的な風潮がのりかかりました。
しかし、私はこれを日本の仏教、特に禅宗的な道元思想の中で、
観自在に潜む曖昧性への積極化を「的」という表現に込めたことがありました。
その当時には、思想界においてもこの論理を中村雄二郎先生に
徹底的教えていただいたという幸運がありました。
安全だけども安心はできないことと安心だけど安全だとはいえないこと。
信頼はできるけど信用はできないことと信用はできるけど信頼はできないこと。
主観的だけど客観性があること、客観的だけど主観性が入り込むこと。
私は日本の、YesだけどNoでもあることは、NoではあるがYesということ。
おそらく、日本独自の哲学だから、白か黒かと迫られても、
グレーが存在すること。
こうしたことから、「やさしい」ということにおいては、
優美という決して目立ってはならない優しさある美と、
容易だから易しいだけで美も無視されていることにおいても、
日本人にはこの思考思潮、この重要性を見つけました。
自分の生涯での思考だと、未だに迷っていると言わざるをえません。
けれども「四句分別」で乾坤の生と死を見詰めていると判断しています。


* 『ロボットという玩具?・ロボットはおもちゃか?』
* 『わが哲学の恩師・中村雄二郎先生』
* 『デジタルな火と水を傍らに置く重大さ』
* 『思考の「考」は思うことを経験が判断する』
* 『コンセプトから逃走してほしい・・・』


目次を見る

『診る・看る・観る・視るを取り囲む安全と安心の環境』


   


     8月 18th, 2016  Posted 12:00 AM



コンピュータの表示機をディスプレイと呼んでいた時期がありました。
モニターという呼び換えによって、その表示には、
映す・写す・撮す・遷す、という表示内容がありました。
しかし、一般的には移すという行為が移すになり、
結局、映すということで、映像と言われて映像機器が
今なお、液晶TV・モニターも映す機器になっています。
ほぼ10年、映像モニターのデザインに携わっていましたが、
以後、その映像機器メーカーはその基本が無くなり、
企業の商品そのモノのデザインには機器らしさの根本が消えたかのように
デザインの魅力は無くなっているようです。
これは液晶TVのデザインにも造形言語と形態言語を失ってしまっています。
最近、オーストラリアの液晶TVがこのライン性を取り戻しています。
そこに「デジタルサイネージ」という商品群が登場しましたが、
根幹が無いがゆえにデジタルサイネージは電子看板となって
これこそ映像ディスプレイに引き戻してしまっているのです。
性能性・効能性・機能性を失っていると自分は判断しています。
自分が引き込んできたのは「アッサンブラージュ」という美術的手法でした。
それに付け加えたことが、診る・看る・観る・視るという機器と行為を
IoTを焦点化したinternet of Medical Things=IoMeTでした。
これは病院と自宅、訪問看護での新たな効能性=社会的に存在する意味、
すなわち、患者への医療環境から医療情報をネットワークによって、
安心と安全を与える看医工学を成立させるシンボルを形成しています。
いわゆる患者のBig Dataへの社会制度を支えるモノが、映像機器を
システム化だけではないダイナミックスを社会の情報環境に与えること、
この可能性という進化にたどり着いたと考えます。
「デジタルアッサンブラージュ」は、
診る・看る・観る・視るを映像機器をさらに進歩させていると確信しています。




* 『デザイン対象となる医療関連の開発について』
* 『IoMeTのためのMedical LogとConnect nome』
* 『温故知新から不易流行の「IoMeT」へ』
* 『IoTではなくIoMetというライン手法』
* 『自宅玄関には涼しさを「デジタルアッサンブラージュ」』


目次を見る

1 2 3 4 5 6