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『照明の文化論としての陰翳礼讃』


   


     8月 31st, 2015  Posted 12:00 AM

日本には文化として照明には二つのことばとその結果の漢字があります。
ひかりとあかり、その結果として影があり、影には、陰と翳です。
ひかりとは、見つめられない、まぶしさがあり、
あかりは、見つめることができる炎である焚き火や蝋燭の炎でしょう。
古来、日本人には、まぶしさとあかりそれぞれのコントロールは、
障子の存在であったと私は理解しています。
そして、このひかりとあかりを制御してきた影の存在を体系化した
文化として谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」という美学論を持ちました。
この記述は、なんとも廁の美学性まで語られるのです。
私は「陰翳礼讃」こそ、今なお熟読されるべき照明論だと考えます。
「陰翳礼讃」は一言で断言すると、
太陽の光線は朝日、夕焼け、木漏れ日を障子という素材で、
光線=ひかりを見事にあかりとその陰翳効果にしていくのです。
現代技術は、ひかりのコントロールに焦点があたっていますが、
私が最も重要だと考えているのは、陰翳の技術というより手法です。
光はその光度を限りなくアップさせることは可能になってきました。
そのことで、私たちの視覚能力は狂ってきたこともあります。
たとえば、液晶LCDモニターからブルーライト光線が多くて、
ブルーライト削減かカットの眼鏡が最もらしく語られます。
しかしこれは大きな間違いであり,重要なのはドライアイ対策です。
同様に,空間の明るさは、灯りとしての照度が暗がりの制御であり、
それは暗闇に差し込んでくる一条のあかり、木漏れ日のまぶしさまで
人間の視覚能力の対応性を築くことだと私は考えています。
あかりごこちこそ、陰翳礼讃につながっている照明論です。
すなわち、暗がりのなかでの灯りを造形言語=designing languageで
照明のデザインを行い、その結果としての陰翳こそ、
形態言語=designed languageとしての結果認識だと理解します。
照明論は明白にLEDとWifiとIRと電磁波そして放射能の制御に
私はこれからの照明論の統合性=コンシリエンスデザイン現象が
あると言い切ることができます。
それは機能論としてのひかりの安全、規模論としてあかりの安心、
ネットワーク論としての無線化技術、文化論としての陰翳です。


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『危機解決学としてのコンシリエンスデザイン』


   


     8月 28th, 2015  Posted 12:00 AM

私は危機解決学としての実務デザインとして、ここから開始しています。
私は生きていくことを、
いやそれだけを懸命に考えていたのは青春から壮年期でした。
今や、人間が生きていくことが死んでいくこと、
このことが老年期になると日常的に思い至ってしまいます。
最も、私は28歳で交通被災、45歳で心臓障害、62歳で敗血症ですから
よくもまだ生き延びていると思います。
確か、28歳で交通被災したとき、心無いドクターは私に、
「君は40歳が限度、ほら統計でも明らかでしょう」と言われました。
ところが気づいたら40歳になり、Apple社でコンサルタントでした。
63歳で阪大を定年退官して、
ひたすら、March 11.2011・東日本大震災へのデザイン復興策を
デザイン中心主義で考えついたのは、
「最悪な状態」に対してそのデザインは?
いや、何が最悪な状態へのデザインか、でした。
その根本は、「生き延びる」ことです。
確実に日本での犯罪は減少していますが、最近の殺人事件では、
まだ13歳程度の中学生が殺されます。
私は「コンシリエンスデザイン看医工学」で、学際の統合化を
四つの解決学にむけたデザイン、その具体化に取り組んでいます。
防犯・防災・安全・安心への実務的デザインの具現化です。
特に、防犯では、もっと確かな監視カメラや、犯罪者への管理です。
すでに首都直下型地震も予測値が具体化されてきたと思います。
感染症の増大も日々高まってきています。
危機管理学では机上の論理に終わるでしょう。
それなら、「最悪な状態」=生き延びることへのデザイン提案です。
ただ残念なことは、なかなかこの問題解決にデザインをという、
次世代デザイナーが本当に少ないことです。
もうサラリーマン化している企業病のエンジニアもデザイナーも不要。
私は「最悪な状態」にデザインを賭けてくれる次世代デザイナーを
真剣に求めています。


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『コンシリエンスとレジリエンス』


   


     8月 27th, 2015  Posted 12:00 AM

デザインが問題解決の手法として、さらにデザインの学域を
統合させるということで、「コンシリエンス」にたどりつきました。
そして、このことばの源流までさかのぼると、
重大な人物に出会うことになり、「知の統合」に到着。この作者、
エドワード・オズボーンが、実際は、ウィリアム・ヒューウェルの
造語をさらに詳細に定義づけていることがわかりました。
1873年の彼の著作=History of Inductive Scienceに戻りました。
彼がScientist=科学者と言い出した最初の人でした。
そして、2004年に「レジリエンス」という心理学用語が登場しました。
これは心理学では長い間、物理用語であったストレスへの対抗、
精神力的な快復力・対抗心・克服力という概念とその方法論が
まさに問題解決、私はこれをレジリエンスデザインと名付けました。
地球環境の保全の重大さは、気候異変と感染症増大への
文系+理系と学術+芸術の統合性をコンシリエンスデザインと
丁度対峙する概念とその手法・実務論が危機解決学と定義しました。
最初は危機管理学と考えてきましたが、
危機は管理できるものではないということが明白になったからです。
危機は危険な状況をチャンス=機会ととらえて革新することでした。
危機管理学はリスク=起こるかも知れない予測の危険でしたが、
危険にはもう一つ、クライシスという起こってしまった危険があり、
これは管理では無く解決=デザインすることという結論でした。
そのためには学術と芸術が必然であり、この統合こそ、
コンシリエンスデザインでありその対抗力がレジリエンスになりました。
ところが統合ということの説得性、その論理を求めなければならず、
それは次の四つにおいてすでに認識的に論理的な分類ができていました。
機能的統合・ネットワーク的統合・規模的統合・文化的統合です。
したがって、コンシリエンスデザインでの危機解決は、
見事に、防犯・防災・安全・安心が統合概念に対応することが
とても明白になったと考えています。


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『コンシリエンスデザイン学域の統合図解』


   


     8月 18th, 2015  Posted 12:00 AM

学問・教育の領域を図解化したのはバウハウス時代が鮮明でした。
私は大学人になって以来、芸術工学という学術と芸術に、
デザイン、その実務性、職能性、デザイン学、デザイン工学を整理。
私自身は美大での産業美術学科からプロになっての経験母体と、
大阪大学大学院では、
デザイン理工学・デザイン医工学・デザイン文理学・デザイン政経学と、
四つにそれぞれの学域を設定し、なおかつ、より大きな統合化を目標。
それは、安全・安心・防災・防犯で健康と生命を囲んできました。
周縁に配置した学域も、信頼学・価値学・保健学・防衛学になりました。
そうして、学術と芸術、文科系と理科系、その統合も、
機能的統合・伝達網的統合・規模的統合・文化的統合で解釈を可能にし、
コンシリエンスデザインにて、直接的には看医工学を焦点にしました。
名古屋市立大学に芸術工学部が新設され、芸術工学研究科完成にて、
私は大阪大学大学院で、この体系化を積み上げてきたと思います。
この大きなきっかけは、March 11.2011・東日本大震災でした。
現代日本は、戦後70年であっても自虐史観とともに拉致問題を抱え、
それでも2020年のオリンピック・パラリンピックに期待がありました。
しかし、東日本大震災どころか、気候異変と感染症増大など、
本当は学術も芸術もコンシリエンスされ、しかもデザインが主体でした。
しかし、性悪説に陥った連中には、日本の問題は破壊されています。
私は、性善説がインターネットの誤ったコミュニケーションや
マスコミの商業主義で台無しになっていることへ喧嘩をしかけます。
その大前提に、学域の体系化をこれまでのプロ経験から組み立てました。
あくまでも、この学域論理に従って私は自分の活動に経緯をもたせます。
それがプロフェッショナルなデザイナーであり大学人だと思います。


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『日本戦略は二つある。3D-Printerと3D-Printing』


   


     4月 14th, 2015  Posted 12:00 AM

INTERMOLD 2015=金型展・金属プレス加工技術展で特別講演をします。
今年に入ってからの私の講演テーマでは、
必ず「コンシリエンスデザイン」を基軸に話をしています。
最大の理由は、世界的にも学術と芸術の融合であり、
学際化は語られているほど具体的に実行されていないことと、
この学際化にはデザインがいわば接着剤になるということです。
大阪大学大学院医学系研究科に、私はこの講座を新設しました。
特に、看医工学という学際化で、二つを目標にしています。
危機解決学で安全と安心を、健康と生活での危機を産業的に解決です。
そのために、修士課程という教育と具体的な共同開発での
デザイン開発と制度デザインを果たしていくということです。
このまま博士課程になるでしょう。
こうした目標の一つとして3Dプリンターの世界観を日本戦略化する、
ということについては、機器開発・ハードウエアでの3D-Printerと
技術開発・ソフトウエアでの3D-Printingがあります。
私は、光造形をやりたいがために大学人になりました。
光造形でトポロジーをまず制作しました。クラインボトルです。
最もこれは数学的には、擬似クラインボトルですから、
これを空間論に持ち込みましたが、光造形の経験もない輩には、
未だに「トポロジー空間論なんて・・・」ですが、
3Dプリンターブームでは、この光造形が基盤ですから、そのうちに、
私の提唱が認識されるでしょう。
なぜならモノが空間論的に実証されるからです。
昨年は大阪で製造生産領域でこの話をしましたが、今年度は東京にて
コンシリエンスデザインでの特に、機能性を話すつもりです。
その理由は、デザインというと即、機能的が評価軸になりますが、
私は、この機能論が、哲学的に語られてきた機能主義からも
さらに詳細に実務、それこそ3D-Printerという製品と
3D-Printingという技術を学際化効果としてなら、
「コンシリエンスデザイン」で語れることを明らかにするつもりで

*INTERMOLD 2015
http://www.intermold.jp/seminar/sp/4/


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『Consilience Design Phenomenaの形態・制度設計の効用』


   


     3月 22nd, 2015  Posted 12:45 AM

私がデザイナーとして、大学人として辿り付いているのは、
形態設計と制度設計による安全と安心の未来社会の創出です。
しかし、その前に、日本人には天災人災での福島復興が前提です。
この前提には、自然と人間、地球と人類の問題があります。
その問題解決には、私が主張している「ち」という
日本語が理念構造に配置した「血液から、知性、土地など」全てへの
デザイン記号論があると認識しておかなければなりません。
デザイナーはForm=かたち=形態設計を成し遂げ、
そのFormに突き動かされた感性と感情=きもち=Emotionが、
社会と時代のFrom=社会形式の制度でEmotionを制御するのです。
結果はデザイン効用としての命=いのち=Lifeを繋いでいくのです。
そのためのデザインは、学術でのデザイン工学や、
芸術でのデザイン技能に押し込められてきたことから解放が必要です。
私は学術の文科系+理科系に対して、さらに芸術から学術を
もう一度引き離すことを「コンシリエンスデザイン」と定義します。
これまで、大学での文理融合が複合学術領域では制限があり、
芸術を専門的な機関で呪縛していることからも解き放ちます。
かつて、大学は、宗教と医学と法律から出発しました。
その時には、医学はアート=芸術領域でした。
わが国の科学研究の系統・分野・分科の細目を見直しました。
やっとこの中には、これまでのデザインは美術から解放され、
デザイン学が複合領域にあります。
また、設計学は摩擦学→トライポロジーから派生したままです。
当然ながら、医学の細目からは人間学は保健学に含まれています。
私は、もう一度この系統・分野・分科からの統合学として、
明確な看医工学を配置し直しました。
コンシリエンスデザイン看医工学が、危機解放学の基盤であり、
結局は、「かたち」・「きもち」・「いのち」を
デザイン記号学として、造形言語と形態言語に具体的に整理します。

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『コンシリエンスデザイン事象を創出する職能』


   


     3月 17th, 2015  Posted 12:00 AM

Phenomenaは私がComputer Graphicで実体験した現象・事象です。
バーチャルで夕陽朝陽、火炎、水蒸気、水の様々な動きでした。
この過程を米国で私は間近に見護ってきた経験があります。
したがって、その体験は現象や事象を現実視できることです。
私はこの過程では必ず記号論的な、
意味すること=designing languageと
意味されること=designed languageが働いていることを知っています。
だからこそ、コンシリエンスデザインという学際化の過程、
その「大切さ」は誰が、いやどのような職能が果たすべきかです。
「大切」ということがコンシリエンスデザインの要です。
それは、危機解決による安心安全である解答と
生命と健康を愛護できうる解答であるためには切断仕切ることです。
その覚悟を常に持ち得るプロフェッショナルは、
学術的背景・芸術的背景・文科系的基盤・理科系的基盤を持ちうる、
デザインディレクターであり、それはデザインテクノロジストです。
デザインディレクターという職能は数名が決めました。
しかし、今では、それがなぜそのような職能名が出来たのは、
忘れられていますから、あくまでも、どれだけの見識・胆識を
護り抜いて大切に出来うる能力が実績としてあるかどうかです。
ましてや、これからデザインの革新と変革は、
コンシリエンスデザインを少なからず看医工学が基幹です。
現象と事象を創造できるプロフェッショナルには、
大切さの覚悟を学際的に統合できる才能を私は求めます。
その才能が学際化して融合・結合・統合を仕切る覚悟が不可欠です。
学際化を基盤と背景にしたからこそ、簡潔に切り捨てる覚悟、
私がコンシリエンスデザイン看医工学で育成された職能家は、
デザインディレクターからデザインテクノロジストとして、
地球存続とエネルギー創発を求めます。

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10月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 23rd, 2014  Posted 12:00 AM

10月23日 丁卯(友引)

「火の粉を被る」
これは、通常ならお人好しその者です。
しかし、
これほど、喧嘩に真っ当で、
非難も承知で正義漢はいません。

火の粉を被る、なら、
まず、火の粉は焼き尽くすことが
その役割ゆえ、
火の粉防止の
絶対にカバーできる安全安心素材で
身を守る、
そして無口で対処する、
これが喧嘩作法である。
結論は歴史が評価するものだ、

川崎和男「喧嘩道」


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『今年早々、最高の講義を受ける・森政弘先生の仏教論』


   


     1月 8th, 2014  Posted 8:58 AM

わが国のロボット学者・森政弘先生の講義を受けました。
東京大学の 先端科学技術研究センター: RCASTにて、
ロボット学研究会での限定的な講義に参加し、その後の懇親会で、
森政弘先生を囲んで、長時間質問ができて最高の知的刺激、
いや、智的な宗教学講義を存分に楽しめました。
大学人になってからは、自分で講義や講演はしますが、
昨年から楽しみにしていた「講義」で大変に有意義な時間を持ちました。
「楽しんでロボット学・ロボット創造を宗教学、仏教」を学んだ訳です。
これは人生において、今だからこそ、まだまだ学ぶこと、
それは「楽しむ・遊ぶ・智恵」を根本から再学習することができました。
昨年末から、どうも私の周辺には「ロボット」からもう一度、
「人間」、自分の専門性を生涯に照らし合わせる重要な時間が流れてます。
私自身、宗教、特に仏教の様々な哲学性を真っ白にされた想いで一杯です。
仏教用語は勿論のこと、
華厳経から禅宗、座禅、般若心経、それらの森先生の研究資料など
実物も見せていただきながら、エネルギッシュな講義は3時間半でした。
しかし、全くその時間を感じないほどのめり込む講義でした。
どれほど、バカになれるか!・・・?
私はそれなりの読書家だと自負してきましたが、
すべてがクリア化されました。
まだまだ、読みこなす原典・経典を思い知らされました。
時に幾たびか、鳥肌がたつほどの仏教哲学に身心が包まれました。
幼少の頃から、曹洞宗道元は身近な存在であり、
永平寺の第一道場で修行をさせられた意味を存分今日知る事ができました。
もっともっと、森先生のロボット・制御工学からの安全と安心、
その根本にある仏教哲学の深遠さを私はこのまま携えられるでしょう。
3.11での国難への私の態度を先生に尋ねることができました。
「字眼」の真骨頂、その眼差しのあり方を私は決して忘れないでしょう。
そして今日の講義を残された日々の大きな石杖にすることができそうです。
デザイナー、大学人である前に、
すでに「悟り」とさえ思われる「講義」こそ最高の「楽しみ・遊」でした。

【カンブリア宮殿】
・放送予定日:2014年1月9日(木)よる10:00 – 10:54
・放送局:テレビ東京系にて放送
・詳細はこちら>>


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「『ふだん』・『まさか』安全と安心は相対的でしかない」


   


     9月 8th, 2013  Posted 12:00 AM

大阪のこの自宅にてすでに8年目です。
9月5日の日本列島全体が「ふだん」ではなくなっていました。
3.11以後、この亜熱帯の小さな列島に竜巻と凄まじい雷鳴が轟き、
「まさか」という事態に驚きました。
自宅は大阪市内の上町台地ゆえ裏側には大阪城があります。
少なからず、豊臣秀吉以上の景観を見つめることができます。
しかし、「ふだん」の景色は異様な雲行きでした。
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を開設して、
これまでの危機管理学:国際経済関係論を母体にしてきた学域、
危機管理学にデザイン工学で、机上の論理=Desktop論を、
「産業」に持ち込みたいと考えてきました。
2012年3月29日に石巻市で副市長にプレゼンをしました。
その後の無反応さ、7月2日には中川前防災大臣へのプレゼン、
大臣の意志決定力の無能さを敢えて書き残します。
そこで「危機管理デザイン賞」の設定は8月1日弁護士会館。
私は真剣にプロの覚悟でこの「国難」に対して、
「デザイン工学」+「危機管理学」=新産業の創成でした。
よって、今春退任であった大学にそのまま「寄附講座」として、
自分の人生を行学の士としてやり尽くそうと考えてきました。
したがって、大学時代の同級生達はリタイアしていますが、
私なりの道に入りました。
おそらく、私が自分の人生の「ふだん」は「まさか」に変容です。
ようやく、学域設定の基盤がまとまりました。
「危機」には、「ふだん」起こってしまった危険=CRISISと、
「まさか」と想像と準備していた危険=RISKがあります。
しかし、このふたつの危険を「機会」と捉え成すとき、
CRISISとRISKを包括的=まさにインクルーシブな科学的手法、
それこそ「デザイン工学」で新たな学域と実務手法になりました。
私は、多分、この大阪で海抜120mからの景観を毎日見るでしょう。
もし、私がこの場を離れるときは、明確な諦観で、
この列島を離れる時だと思っています。
だから、私にも「ふだん」と「まさか」を保持しているわけです。


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