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Posts Tagged ‘実技’


『「手」は最高のデッサン対象であった』


   


     5月 20th, 2019  Posted 12:00 AM



大学入試で「手」のデッサンの実技試験問題を出しました。
これだと、実技のサンプルがいりませんでした。
またその実技試験にいくつかの入試合格条件を大学側はつけました。
まず、配布された鉛筆を、持参したカッターで削ること。
それゆえに、削り方とその処理方法がわかること。
このため、手の怪我などの対応として医師の同席も必要でした。
入試番号を書くところから、削った鉛筆が必要でした。
これは名古屋市立大学 芸術工学部の実技試験、その最初40倍でした。
削るという作業から削り方からその始末で、
やっぱり手の器用さと手順、整理や整頓までがわかり、
その結果削り糟を床面に落とすことなど実技にも反映していました。
手の基本的なデッサン力、描写力を見るためなのですが、
構図、構想力も必要ではないのかと膨らませて、
様々な動きや仕掛けを考えて描く受験生も多くいました。
その後は毎年違うモチーフ、例えば持参した辞書とかを題材に指定なのに、
受験生は試験対策で「手」のデッサンに取り組んでいるので
みんながモチーフと手を描くようになっていました。
実技の試験では、この子は凄いと思う子たちは、
残念ながらほぼ一人も入学出来ませんでした。
この大学では、学科試験に点数配分を重く置いていたためです。
自分の手を描くというのは、今でもデッサンの基本です。
私も金沢美大で、いつも描かされていた常時の課題は「手」でした。


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『無駄な投機だった医工学の廃止が証明できている』


   


     6月 23rd, 2016  Posted 12:00 AM



文系と理系が大学教育では完全に分離してきました。
文理融合は必然の教育テーマになっています。
都合のいいことは、これをまた米国の大学から、
d.Schoolのそれこそコンセプトを知らされると、
余りに見事、i.Schoolを掲げて、
文理融合というより、デザインの発想を取り入れるのが大きな手法となり、
「デザイン思考」がその決め手ということになりました。
しかし、理系を文系に、文系を理系に接近させたところで、
その合致点は、結局、理系そこそこ、文系そこそこ、
デザイン思考ならば、デザインには確実な実技がともなっています。
具体的には、「スケッチが描けること」が必須なわけです。
スケッチが不得手であったなら図解の基本は?となり、
現実にデザイナーが居なくては、この教育は全く不可能なのです。
阪大は、デザイン思考に疑念を持ち、徹底的にその源にもどりました。
それは「コンシリエンス」という
知識・知恵の造語を19世紀に見つけました。
それを自分は「コンシリエンスデザイン」として、
最も何も社会化出来なかった医工学に当てはめる論理を打ち立てました。
そうしたら米国のMITでは「コンシリエンス」に
科学−社会自然学を適合させていました。
とても明快になりました。デザインは「問題解決」ゆえ、
その対象を「看医工学」に差し向けると、
一体これまで何を実現してきたのか、
どれだけ税金を投機し無駄に終わってきたのか、
その医工学の欠点が明らかになってしまいました。
なぜなら、看護学・医学・工学・保健学によって、
安心・安全・最新医療環境・予防までが明快に論理解決できたことです。
明言すれば、医工学のこれまでの効能性ゼロを証明してしまったことです。

*『デザイン言語表現がコンシリエンスデザインになる』
*『『デザインとは何か?』=デザインとは前頭葉である』
*『手描きスケッチのツール』
*『プロとして元気の素は鉛筆への作法』
*『イラスト・漫画はデザインスケッチでは無い』


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『資本主義からの逃走』
  「自転車は器械だと直感してきたけれど・・・」


   


     8月 20th, 2010  Posted 12:30 AM

道具か器械か
大学時代に、その教授がデザイン学生を多分意識してもらったのだと思い出すのです。
一般教養「哲学」では、「機械とは何か」が常にテーマであり、
試験問題にもずばり「機械について記せ」だったのです。
美大ゆえに、ほとんどそうした座学は無視していたと思います。
ともかく「実技」に明け暮れ、デザイン技能の習得ばかりでした。
卒業して、その教授がきわめて有名教授でした。
それからその教授の本を書店で見つけては読んだものです。

さて、この一ヶ月、「自転車」に囚われてきました。
それも「ことば」の中に「自転車」を置いて、
未来の自転車を「ことば」にしようと考えてきました。
その表現をボードリアール風に、と望んできたようです。
そこで、自転車は機械?、ということではまったく成立はしないと思い込んできました。
直感的に、自転車は「器械」でした。
ところが、道具・器械・機械・機器というアイテムで分ければ、
私の中では、自転車はまったく「器械」なのです。
「器械」は《周礼》で定義されていたはずですが、
道具と機械の相異点では、道具は「人力」であり、
「原動機」を応用するモノが機械ということになれば、自転車は道具のはずですが、
やはり「器械」なのです。
あらためてこの直感の詳細を述べていく必要を感じている次第です。


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