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Posts Tagged ‘室内’


『音響空間には「音像」と「音場」がとても大事だ』


   


     4月 15th, 2019  Posted 12:00 AM



音響には「音像」と「音場」があります。
そして、菅野先生が提唱された「レコード演奏家」として
CDもあれば、LPレコードも、カセットも、
そして、カートリッジやコードから様々なオーディオ機器を
通して、今では体感し確かめられるのです。
私は「音像」はJBL4343をステレオで確認出来ます。
それはボーカル曲だと、音像で虚像的なボーカリストが
センターに立って歌っていると明確に感じます。
さらに、「音場」をつくる二つのスピーカーシステムには、
コンピュータで室内の家具や人数に合わせてどこでも、
最適な音響を鳴らすことが可能になります。
これはB&Oの低音=ウーハー・中音=スコーカー,
高音=ツィターが、360度の床・天井までを
空間的に、音場を創り出します。
これが私の人生の半分を占めて居るとさえ覚えます。
私は音響では、「音像」と「音場」での空間使い分けが
とっても非常に大事だと思っています。
残念ながら建築学では、この肝心さが抜けています。


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『桜満開なれど・・・戦争はせまってきている?』


   


     4月 14th, 2017  Posted 12:00 AM



本日は多分、大阪大学の吹田キャンパスは例年のごとく、
それも桜は満開でした。
研究室では招聘教授とともに新素材の実験をしました。
近々にはこの実験の目的を発表したいと想っています。
さて、私自身、樹木にいつ頃何の木を知ったのだろうかと
自分の思い出を探ってみると、どうも漆の木と桜の木だった、
この二本が思い出されます。
したがって、漆の木は触ると被れると知らされていて、死ぬかと思うほどの
大変な漆被れになったことがあります。
漆はさておいて、
この春の時期になると、桜の木が室内にもどうしても欲しくなります。
それは名古屋でも住まいの近くは隼人池周囲は見事な桜の木が満開でした。
「花の下にて 春死なん・・・」をいつもこの時期には知らされる思いです。
果たして、現状はと考えると、
北朝鮮・韓国に今や米軍が布陣している有様はもはや想像力が及びません。
私の自宅は北朝鮮のターゲット地区であり、
東京の42万人に対して、大阪のこの地区は48万人が死亡という予測です。
日本にはやはりシェルターが必要では無かったでしょうか?
生物兵器だとしたらという恐怖があります。
この季節に思ってしまうとは。
これほどまでに戦争が起こりそうな気配の日々に、
ある意味では、在原業平の
「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」を
替え歌として詠み直せば、
「世の中に 絶えて戦争の なかりせば・・」と詠みたく思ってしまいます。
ともかく、日本のこの時期、見事な桜だとしても、
悲惨さを想う気持ちがどうしても起こってしまいます。
ひたすらに、自宅の桜に、現在からの解放を祈るばかりです。



* 「スイス政府防災マニュアルは憲法の具体解説」
* 「生きることの模範・範疇・範囲として」
* 『非常事態宣言の街=パリにて、決意!』
* 「岸辺のアルバム=家族平和とは安泰」
* 『負のサイクルを即刻停止させるデザイン』


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『車社会は必ず大変動を起こすだろう・カーシェアリング』


   


     10月 13th, 2013  Posted 12:00 AM



プロダクトデザイナーの私は、それなりに車好きです。
カーデザイナーを育成もしましたから、
まぁまぁ、男としては乗りたい車を所持してきました。
一時期は、5台保有していたこともあります。
ところが、最近の男の子は、大学に入って免許の無い子もいます。
確実に「車離れ」も始まりました。
「カーシェアリング」を体験してみました。
私は車倚子ゆえに、まだ車倚子使用者用などはありませんから、
このシステムはすべてワイフに任せました。
パソコンで会員登録をし、IDや運転者ID、パスワード、
利用料金支払い方式などすべてをインターネットで済ませて、
東京豊洲で、iPhoneで登録した車と出会い、
あっという間に、その車を乗り回しました。
清潔な室内の車に乗って、デザイナーとしての直感は、
「所有」と「使用」という資本主義が壊れていくと感じました。
車は所有し使用するという関係は、やがて分化するでしょう。
「所有」して「使用」するというのは、大きな趣味となり、
「使用」だけでいいなら、「借用」すればいいのです。
カーシェアリングという方式をすでに行政が主導し出しています。
となると、そのためのデザインには、
これまでのカーデザインは通用しません。
カーデザインは「形態設計」だけで終わるわけではなくて、
「制度設計」をデザイナーがプランニングして、
その制度を成り立たせるカースタイリングは無くなるはずです。
おそらく、「使用」だけして、その最近辺に停車する、
そのような社会がくるでしょう。
車も「自動運転」になり、空中を飛ぶ社会を私は期待しています。


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