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Posts Tagged ‘家族’


『ミルクは物であり、物は原意的には牛である』


   


     3月 29th, 2019  Posted 12:00 AM



牛乳=milkは、人類が5500から6000年前に乳汁として飲んできました。
日本では「日本書紀」に搾乳が書かれています。
牛はともかく、ミルクを飲んだら牛のようになるとかで、
織田信長が「牛になるかどうかを試した」という話もあります。
それこそ「種痘をすれば、牛になる」という
流言飛語にも人々は惑わされました。
ミルクは100gあたり87.4gが水分であり、
いつでも、脂肪やタンパク質、ビタミン、ミネラルが
体に良いと思っています。
しかも、低脂肪であり、ミネラルがいいと私は思っています。
乳製品は貴重で、軍隊から帰ってきた伯父さんは
家族のためにチーズを持って帰ってきました。
祖母はそれを石鹸と間違えて「まったく泡立たない」と
言っていたことを思い出します。
ミルクで私が子どもの頃、最初につくったのはアイスクリームで、
食欲のないときは、これに頼ったり、
またチーズはどんなモノも試しています。
瓶に入ったミルクは、
懐かしさとともに一層美味しそうに感じてしまいます。
「物=モノ・ブツ」が原意で、もとはいろいろな牛を表す漢字でした。
牛とモノ、そして牛年の私は欠かさずミルクを飲んでいます。


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『インクルーシブデザインの間違いを正す=KK塾』


   


     10月 24th, 2015  Posted 12:00 AM



デザインというより、デザイナーの考え方、手法が
ようやく注目をあびましたが、それはいくつかの
デザイナー実績での誤解が他の学術芸術分野で拡大したようです。
たとえば、言葉では、コンセプト、マニフェストや
アイデンティティなどは定義や使い方間違いを発見しています。
現在、デザイナーの発想や成果への方法論での間違いは、
デザイン思考とインクルーシブデザインだと私は判断しています。
先般、ある大学が医学と工学、つまり医工連携に
デザインを加えるためにはデザイン思考の導入を重ねていました。
これは国家プロジェクトゆえに、
来月、その特別講演で私は是正と実務例を紹介します。
今夜はあらためて、インクルーシブデザインについては、
ニーズとシーズ、
あるいは文理融合やユニバーサルデザインが米国で提唱されたままに、
これもデザイン思考として取り入れていることへ、
論理的な正解を記述しておきたいと考えます。
インクルーシブデザインは、
インクルーシブとエクスクルーシブを
厳密に語彙論として再整理しておきたいと思います。
インクルーシブデザインとは、人称のデザインであり、
これは米国よりも英国でのデザイン思考がまともだと判断しますが、
私は、一人称のデザインでなければニーズの本質は不明だと考えます。
一人称、つまり、「私のニーズ=必要性は何か」がテーマであり、
この一人称=私の必要性を二人称=あなた:家族や兄弟や配偶者、友人、
あなたが必要かどうかを確認しない限り、ニーズになりません。
それどころか、
私=一人称とあなた=二人称の決定的な必要性が確認できなければ、
三人称である彼・彼女、彼ら・彼女らの必要性=ニーズと
その必要性を追求するシーズはありえないということです。
つまりインクルーシブとは一人称と二人称という範囲の指定であり、
エクスクルーシブは三人称であるという認識が必須だということです。
ところが、インクルーシブデザインで、
健常者に障害者や妊婦や幼児や老年者をデザイン対象とする
米国的な定義は大間違いだと指摘しておきます。
この思考方法では、必ず、デザインは機能的な活動、
形態は機能に従うという時代遅れな発想がとりついていくのです。
私は、このことも「KK塾」でオープンにしていく所存です。

* Website-HP


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12月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 12th, 2014  Posted 12:00 AM

12月12日 丁巳(赤口)


人は、個人性をすぐに壊すものだ。
個人性を壊すのは、
「組織」にいるときに、
その保全に懸命になる。

壊れていく自分存在を否定して。
それは、
自分を壊すだけで無く、
周囲、家族までを壊している。

川崎和男「強い人間弱い人間」


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「竹刀か、木刀か、喧嘩の手段にも剛柔あり」


   


     8月 26th, 2012  Posted 12:00 AM



一人っ子の少年は、
兄弟のいる少年たちにしばしば「虐め」られていました。
大抵は、兄たちがその少年を虐めて苛めるのです。
少年は、とても力で対抗はできませんし、
泣くわけにもいかず、仕返しを考え抜き決意をしました。
(そうだ、よし夕食時に殴りこもう)と考え、
自宅にあった父の剣道用の木刀を夕方時に持ちだそうとしました。
母が必ず、木刀を持ってどこにいくのと聞いてくれるだろう。
そうしたら、理由を言えば、母は止めてくれるし、
いじめられていることも告白できる、と。
木刀を持ち出そうとすると、
その母は、言いました。
「木刀だと、本当に怪我をし破壊をするから竹刀にしなさい。」
そう言って、木刀を取り上げられて、竹刀を渡しました。
少年は行かなければならなくなりやむなく兄弟の家に行きました。
そして夕食時にテーブル上のお皿というお皿を割りまくりました。
大変な騒ぎになりました。
以後、その少年は、
「何を仕返しするかわからない男だ」という噂になりました。
完全な自己防衛ができる身分になってしまいました。
帰宅すると、母が言いました。
「やるだけのことはできたの、気がすんだの」
少年は「・・・・・ん」とだけ答えましたが震えていました。
当然、その家族は血相を変えて怒鳴り込んできました。
母は、
「弁償をさせていただきますが、
兄弟そろって息子をいじめるのは辞めていただきたい。」
少年は震えが止まりませんでした。
母は父にその出来事、事件を告げました。
父は、
「やっつけるにも手加減がいる。
竹刀で物だけ壊したから許してやる。人には竹刀を向けるな」と。
その少年は喧嘩のやり方の手段ということを考えるようになりました。
竹刀は柔らかい、木刀は剛過ぎる、
だから喧嘩の手段は論理的にも柔が剛を制するということでした。
やがて、その少年は「喧嘩師デザイナー」と呼ばれるので、
「デザイナーは喧嘩師であれ」までを出版しました。


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「スイス政府防災マニュアルは憲法の具体解説」


   


     7月 9th, 2012  Posted 12:00 AM



永世中立国家を維持しているスイスは私には謎国家です。
永世中立によって「平和」のために、
全国民皆兵制、全ての住宅にシェルター設置は義務です。
スイスの防災マニュアルを読みました。
文字だけではなくグラフィックデザインとして、
本当に素晴らしく美しい本になっています。
まず、祖国ということ、
国の自由・国民の自由を定義しています。
これこそ「愛国」の基本でしょう。
あらゆる災害・戦時体制・原爆から死刑にまで、
国民がどう平和で安全に、
「いざ」という場合がとても懇切丁寧に、
おしゃれなイラストとともに編集されています。
国家転覆への情報対処・情報戦を
国民の認識方法まで述べられています。
「平和憲法」の文言にだけ頼っているわが国との違いを
あらためて、見直す必要があると思いました。
これは、憲法の具体的な行動規範です。
国民が平和で安全を確保する基準とは、憲法で制定していますが、
その具体的行動を「日常生活」でどう認識し、
しかも国民皆兵制ゆえに、成人は女性も武器訓練があります。
特に、私は、国家転覆の情報コントロールと死刑の記述は、
これなら国民全員が納得できると思いました。
スイスには死刑はありませんが、
国家維持を破壊する者や国家転覆者には、
絶対死刑というのは、説得制があります。
日本は、天災が一段と厳しい環境下にあります。
政党の嘘だらけの「マニフェスト」など不要です。
だれでもが分かりやすい、憲法を読むのではなくて、
具体的に、自分・家族・コミュニティ、そして国家が、
平和と安全を維持していく具体的な行動規範こそ、
安心国家の安泰性を確約するものと考えます。


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「岸辺のアルバム=家族平和とは安泰」


   


     12月 26th, 2011  Posted 12:00 AM


1977年TBS・TVドラマ・山田太一原作脚本に、
「岸辺のアルバム」という名作がありました。
精神的な家族崩壊と水害での完全崩壊が描かれたヒットドラマです。
そして1993年北海道南西沖地震M7.8は奥尻島に火災と津波が襲いました。
私はその地震で津波の恐怖を知りました。
そして被災した人たちが、最も失ってしまったもの、
それが家族のアルバムの大事さだったことを知りました。
3.11では自衛隊無くしては、この災害救援はありえなかったと思います。
しかし彼らの活動はまったく報道すらされませんでした。
たまたま彼らが救援や捜索で
一番に被災地の後片付けで心を配っていた物が写真・アルバムでした。
その報道画面を見つめて胸がしめつけられて涙しました。
家族アルバムは、家族の平和=安泰の物事メディアです。
したがって、「安全と安心」だけでは、国民の平和、
生命と財産の保護保全では無いのです。
「安全・安心・安泰」この三つが重要だと考えます。
安泰とは、ただのんびりとしている印象がありますが、
安全+安心=安泰という方程式になるのでしょう。
したがって、安全対策+安心対策は安泰創出です。
この方程式を忘れてはならないことを再確認すべきでしょう。
アルバムは、写真であり、その写真とは「物事の記録」です。
家族アルバムは、
ジャーナリズム対象=日々の記録が家族だということです。
ということは、災害時に持ち出す最大の財産、
その最も具体的な物は、貯金や預金通帳、
金品では無くて、アルバムが一番なのです。
だとするなら現代、家族アルバムは
「クラウド化」しておくべきことになるでしょう。


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『資本主義からの逃走』
 「# 男のくせに・・・ #」


   


     5月 8th, 2010  Posted 12:01 AM

指輪とブレスレット・大好きです!
私は多分、趣味と言ったらなんでもかんでも、
好きになったら、留めを知らないほど夢中になってしまいます。
これはきっと「一人っ子」だったからでしょう。
だから、ブログでもこのことは随分と書き散らかしています。
趣味なんでしょうが、「指輪」とか「ブレスレット」には、
いつも心惹かれれば、欲しくなってしまうのです。
ただし、これは動機があります。母でした。
私が美大進学となって、ようやく学生服からいわゆるジャケット、
明らかにVAN世代ですが、これも変遷します。
学生服も、高校からは「仕立て」られていた
「高校規則指定どおり」を着ていました。
母が「仕立て」たものを着せてくれていました。
VANを初めて買いに行ったとき、
母は、「デザイナーになるのなら、思い切りキザになればいい」。
「男もうんとオシャレしなさい」ということで、
指輪とブレスレットを買ってくれました。
「こんなの女々しいから、イヤだ」と言いました。
が、母は、「綺麗なモノを身につけなさい」ということで、
その日から、指輪とブレスレットです。
夕食時、家族3人ですから、
父は、「なんだ!、それは、女々しい」と一喝でした。
が、「母が買ってくれてたんだ」と言ったら、
それ以来何も言いませんでした。
私は、今も、美しい指輪、美しいブレスレットを探し求めています。
指輪とブレスレットなど、
「男のくせに」って言われてきたこともあります。
しかし、私は、新しい指輪やブレスレットに出会うたびに、
47歳しか生きられなかった母と出会う気がしてなりません。
「男のくせに!」。そう言われれば言われるほど、
私は、指輪とブレスレットにますます夢中になっていく自分に出会います。
その出逢いを母が今も見つめていてくれる気がしてなりません。
デザイナーで良かった!と思っています。
男のくせに、をいっぱいできますから。


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