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Posts Tagged ‘家畜’


「時流の読書=信じないというスタイル」


   


     3月 31st, 2013  Posted 12:00 AM



私は読書好きだと思います。
小学時代には日本文学全集(角川書店)も、
世界文学全集(平凡社)も、読破していました。
一人っ子だったから、本は友達だったのです。
だから友人、親友は本の中にいっぱいいました。
これは今も学生達には
「亡くなった親友をいっぱいつくること」と言っています。
私の読書スタイルは三つあると思います。
まず、専門、専門周辺はできるかぎり本も持ち、読みまくること。
絶対に読んでおくべき本は好き嫌いなく読むこと。
時代ではなくて時流に合わせた本もできる限り読む、というスタイルです。
今夜紹介するのは、
今、世界的な大ヒット作と言われる「銃・病原菌・鉄(上下巻)」です。
基本は、
「なぜ、先進国と後進国には大きな差があるのだろう」
という質問の解明です。
地球の緯度=東西関係と南北関係が出てきます。
大麦・小麦と家畜、これはたった14種類しか、
いないということが根底です。
そこに、銃での大量殺戮や鉄による武器が加わり、
天然痘とマラリアが語られます。
これだけで歴史の解明は誰もが納得してしまうのでしょう。
だから、私にとっては「時流としての読書」でした。
この上下巻の話は十分にできます。
私は問題観をもっています。
そこには宗教の話はあまり語られていません。
確かにこの話の延長には、
文明が絶対に破壊に向かっていくということになります。
だから、この著者が書いたあと二つの著作も読んでしまうつもりでいます。
高校時代は哲学書をノートをとりながら読んでいました。
このノートは今も残しています。
なぜなら、哲学といわれる分野に、
すべての著作の根本があった気がします。
ただし、ある人物がこんなことも書き残しています。
「今、世間でもてはやされている著作などは、
ほとんど歴史にも残らないだろう」と。
これは明言です。
そのような著作も随分ありますが、
名古屋から大阪に来るときに相当に処分しました。
そろそろ、私は本も整理しておきたいと考えますし、
もう読書もいらないかもしれないと思いますが、
学生から、
「誰々がこんな評論を書いていますが・・・」とか質問を受けると、
やはり、買い込んで読んでしまいます。
大阪では、絶対に寝室には本は持ち込まないと言っていたのですが、
ベッドの周辺には本だらけなのでなんとかしなければなりません。
そういう点では「電子ブック」は、
本を読むスピードも三日かかるのは2日で十分です。
読書で最も大事なことは、
「信じる」という段階を相当に自分がチェックすることでしょう。


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「芸術という技法が引用したことから」


   


     3月 3rd, 2012  Posted 12:00 AM


アーティスト・角永和夫氏は、芸術という技法で、
私たちに突きつけてきた事実でした。
芸術技法がその事実を訴求していることです。
私のまなざしの評価軸=物差しは、
宮川淳から学んだことで咀嚼してきました。
だから「引用」ということばでまとめると、
この芸術は「自然と人間の関係」を
蚕という「家畜の存在」を引用していることです。
蚕が、今ではすっかり遺伝子操作された繭として
身体を包むのではなくて平面繭を吐き続けます。
そして、その役割を終えた命を自然界に戻すことはすでに限界、
役目終了の命は産業廃棄物だという事実。
繭は絹という人間にとって
素晴らしい美の素材を与えてくれますが、
蚕を家畜とする人間・対・自然は、
果たして人間が自然への対決を目指した成果でしょうか、
それとも自然界を見事に利用した調和でしょうか。
どちらなのかと言い切る事はすでにアポリアになりました。
私は、たかが蚕という虫に過ぎないからとか、
人間の文明=飢えと寒さから絹織物で身体を護ること、
その意味性を問い直します。
蚕を引用し再度検証し直さねばなりません。
芸術という技法は、
人間と自然の関係に「蚕と繭」を引用して見せた作品です。
私はこうした「引用」を差し出すアーティストを敬愛します。
だからこそ、芸術家の問題意識を
デザインは真正面からその問題解決に向かう姿勢が必要です。
まさしく、モホリ=ナジが
「デザインとは社会に対する姿勢」と言い残したことに通底します。
私は「繭と原子力」をこの引用から引き出すことさえ可能と考えます。
彼のこの芸術的営為は、米国を拠点としていることもあって、
自然保護団体からバッシングされていると
美術館のキュレーターの方々から聞きました。
私はこの作品制作の全過程をDVD出版してほしいと伝えました。
金沢21世紀美術館からは記録DVD15分をいただき、何度も見ました。
したがって、
このブログでの写真はすべて作家と美術館から拝借したものです。
今日は「ひな祭り」です。
女の子の成長を絹織物の着物を纏って祝います。
自然からの文明を創出した繭から絹素材が身体を護ります。
「ひな祭り」は文明から引用し昇華された文化という制度です。


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「蚕が平面繭をひたすら吐き続けた『SILK』」


   


     3月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM


蚕は「家畜」ゆえに、一匹ではなくて一頭と呼びます。
「家畜」という存在を
人間は自然からその生命を剥奪することでつくりあげました。
人間が自然を手なづける=制御と管理を図った大きな事例が「家畜」です。
しかも最近の蚕は遺伝子技術で、
人間から繭形成までコントロールされています。
アーティスト角永和夫氏の「SILK」が
投げかけ問いかけている問題の本質は、
「家畜」という自然界での存在性を
人間の利得保持だけをめざした略奪行為にほかなりません。
2万頭の蚕が美術館のセット漁網に
ひたすら三日三晩繭を吐き続けるのです。
しかも彼らは上に登っていく習性があるために、
漁網もそれに対応する機械仕掛けです。
これはアートとしての作品づくりに蚕の特性と習性を利用しています。
美術館の一室は27度室温が保たれるとともに、
作家のみならず美術館スタッフも動員し
蚕を漁網に取り付かせる支援をしますが、
人間は全員、
防護ユニフォーム=原発作業員と同じ服装にならなければなりません。
「家畜」である蚕とのインターラクション性は、
まさに原発事故に立ち向かうことを象徴しています。
さらに、
命尽き果てるまで繭を吐き続けた蚕を桑畑で余生を、と図りますが、
2万頭は、産業廃棄物ゆえに桑畑は汚染されてしまうことになります。
自然界から利得だけを獲得しようとする人間は、
あらためて「家畜」という自然界との対決において
何が重大であるのかを再熟考させられる問題の前に立たされているのです。


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「『SILK』Projectが示唆している重大さ」


   


     3月 1st, 2012  Posted 12:00 AM


金沢21世紀美術館での現代アートはいつも共時性があります。
それこそ美術館の社会的存在性=効能性にいつも驚愕させられるのです。
私は米国在住の日本人アーティスト・角永和夫氏の作品「SILK」は、
その制作から廃棄までというドキュメンタリーで
ジャーナリスティックな芸術表現の恣意性に呪縛されました。
9m*15mの漁網上に2万頭の蚕が
室温27度の中で三日三晩かけて平面繭を吐き続ける「家畜行為」を利用、
自然界を人間が制御することの
根源的な意味性を私たちに投げかけているのです。
私は、「自然との調和などありえない」、と主張してきました。
蚕・養蚕産業・家畜・人工的な改変・産業廃棄物
すべてを芸術表現とすることで、
人間、人工的行為と自然との対決観を見せつけられました。
この芸術表現の恣意性が
全く共時性があるということを熟考してみてください。


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『資本主義からの逃走』
 *緊急考察!・人類の存続は家畜とともにある!*


   


     5月 23rd, 2010  Posted 12:01 AM

動物疫病
21世紀に入って、いきなり、家畜を襲ったのは、
「狂牛病・BSE」=牛海綿状脳症でした。
私はこの事件をLANCET(英国の医学専門誌)で読んだときには、
何らその後、日本でも大変な事態になるとは思いもつきませんでした。
以後、LANCETの予測は的中していきます。
鳥インフルエンザが、
万一、マラリアとの間で突然変異が起これば、という予測も知りました。
人類の滅亡が予測されていました。
そして、日本の「温暖化」が予想以上のスピードで、熱帯にいるべき蜘蛛の出現です。
とうとう鳥インフルエンザが襲ってきました。
インフルエンザがとてつもなく強力で多種になりました。
思いもよらぬ「豚インフルエンザ」が起こりました。
これは人類が豚を差別していたことの結末だと私は思いました。 
「馬インフルエンザ」もあるのです。
しかし、馬へのワクチンは相当に万全だったと思います。
なぜなら、馬はサラブレッドという競走馬という存在があるために、
防疫と治療方法があったと聞きます。
しかし豚は食用家畜という産物扱いだったわけです。
さらに鳥インフルエンザにはまだまだ不確定要素があります。
口蹄疫
ラングがパロールになる制度
そうしたら、「口蹄疫」です。
私たちは、病名とか疫病名というラング=術語が、
会話=パロールの中に入ってきて怖さを知るのです。
これはラングがパロールになることは「危険」であり、
「安全破壊」があるという実例です。
会話=日常生活に入ってくる言葉の重要さを、
持って知るべきひとつの制度だと判断します。
日本列島は、島国ゆえに、
これまで世界的な疫病の流行からは遮断されてきました。
しかし、鳥インフルエンザはもとより、
国際的な流通往来、グローバル化は、
疫病流行は巨大な安全崩壊を招き入れています。
宮崎県で起こってしまった「口蹄疫」は、
ある種の細菌兵器のようなものです。
毎日、宮崎県の苦しみを見聞し、
国家的対策の後手後手を知るとき、
わが国に国家防衛は確実に欠落した制度であることを
再確認させられているだけです。
国家防衛
政府という機関、政治家という職能、
この権力義務と権力判断力、権力知識、権力戦略の無力さは、
「和牛」と「和牛の伝統文化」が喪失されていく報道、
そのジャーナリズムの批判性が、いかに無力であるかを知ります。
家畜
家畜というのは、「畜」という漢字には、
「好」という漢字と同列の意味性があります。
つまり、母が赤子を大事にする形象がこめられています。
だから「家畜」なのです。
「家畜」は、人類の家族だと考えることができます。
よって、家畜にここまで頻発する疫病は、
人類の存続性に連鎖しています。
細菌兵器
緊急に、
「疫病」は細菌兵器です。
ある意味ではテロだと判断対処するべきです。
その国家防衛・危機管理・安全維持制度が、
デザインされるべきでしょう。
そしてこのデザインには強靱なリーダーシップが不可欠です。


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1月19日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     1月 19th, 2010  Posted 9:00 AM

1月19日 仏滅(己巳 )


このところ連続して起きている
企業による不祥事の中に、
帰属している集団や組織に
飼い慣らされた
家畜になってしまっている
個人を見てしまう。



『デザインの極道論』あやしい


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