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Posts Tagged ‘展覧会’


「現代の道具・LSIのやり直し」


   


     5月 26th, 2013  Posted 12:00 AM

「道具を売る証人」=ミシェル・フーコー。
彼の音楽ならビートルズの「オ−!ダーリン」、
これが2004年の個展「プラトンのオルゴール」展の作品です。
2006年、金沢21世紀美術館に永久収蔵と個展開催。
M.フーコーをほとんど読み尽くして敬愛していた私は、
まさに、1980年代から集積回路=LSIの決定的なモノとして、
これをオルゴールに仕込みました。
なぜなら、一般的にはMC68000はミニコンLSIながら、
Macintoshを産み出し、これが現代文明を大革新したからです。
だから、私は現代の「道具の証拠」として、
その役割をM.フーコーとし、その音楽をビートルズから選び、
売られてもいなかったその曲のオルゴールを作品にしました。
この展覧会には、インダストリアルデザインがアートになりうる、
この思いを証拠立てることでしたが、
私がデザインを学んだ金沢市は作品を買い上げました。
おそらく、現代のパソコン、その完成品だったMC68000を知る、
そのような人は数少ないでしょう。まして、
集積回路=LSIの進化は、情報技術・電子技術の最高峰だと、
今でも暗黙知になっています。
しかし、私は異議申し立てをしなければなりません。
LSIの根本的なやり直しが必要になってきました。
たとえば、電子回路にLSIが並べば、その消費電力は大きく、
もはや精度制御しなければならない発熱量の大きさです。
私は、インターネットでクリック2回で、
カップ一杯分のコーヒーができるとまで断言しています。
それは、LSIで閉じ込められた現代文明では、
その消費するエネルギー=電力の消耗量を端的に比喩しています。
そこで「再生エネルギー」を
太陽電池だ、風力発電だというのは、将来性を隠避しています。
もし「再生エネルギ?」が可能になっても5%程度ゆえ無理です。
だからこそ、私たちが再度考え直すことは、
LSI神話を終焉させることです。
私はあらためてM.フーコーが、
なぜ、自分を「道具を売る証人」と言い切ったのだろうか、
現代道具であり続けてきたLSIを根本で変革することにこそ、
わが国の頭脳が祖国をもう一度、本当に豊にするだろう、
そんなことをこの作品コンセプトで確認しています。
すでに現物作品は美術館の倉庫に眠っています。

* 詳細は私の著作「プラトンのオルゴール」再読を!


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「大好きな画家・これが私のまなざし」


   


     5月 14th, 2013  Posted 12:00 AM

日本で美術全集を企画すると、必ずこの人から始まるらしいのです。
それはピエール=オーギュスト・ルノワールです。
日本人好みの極みでしょう。
そして、きっと、この画家を知る人はほとんどいないでしょう。
昔、親友の有名なグラフィックデザイナーから、
「お前の好きな画家は?」って尋ねられて、
彼の名前を出したら、
エーッって、凄く驚き、
「彼を知っている日本人は二人目、しかも二人ともプロだった」、
と言われたことがあります。
「彼の絵、買っておけば・・・」と言われました。
しかしとても高名過ぎて買えるようなモノではありませんでした。
私が生まれて、もうこれほど身震いをして眼差しを知った絵でした。
彼の絵画が私の身体をぶるぶる震わせるほどのモノでした。
ちょうどそのとき私は入院していて、妹が東京で学生でしたから、
彼女に彼の展覧会でのカタログを頼みました。
それ以後、フランスでは彼の作品集だけを探して、
私の大事な収集作品集になっています。
今年の3月に、5年ぶりにパリに出かけて、
また彼の作品集を買い求めました。
帰国後、これまでなかなか落ち着いて作品集を見れませんでした。
ようやく私の傍らにおいてゆっくり読み、見たいと思います。
これまで、私の「色彩論」はほとんど彼の絵画を使ってきました。
無論、私のパソコンの壁紙は彼の作品です。
ただ、私が絵画で選ぶ人は早死するか自死しています。
結局、画家という職能は、主観性で生きているだけに、
デザイナーが客観性で作品を仕上げるのとではまるで異なります。
画家であって自分の作品を追い求め過ぎると、
結局は寿命を自分で結果を出してしまうことが悲しいです。
しかし、彼の作品は、
たとえばパブロ・ピカソが現代絵画を進化させた代表だとすれば、
彼は、絵画の具象性と抽象性を見事に融合させた唯一でしょう。
彼を著名にした作品には「サッカー競技」がありますが、
その作品の色使いには、
現代のサッカーの興奮度を確実に予測していた色彩、
その対比で、競技場と観覧席を描きわけたものがあります。
この画家の名前は、
Nicolas de Staël=「ニコラ・ド・スタール」です。


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「高級店での思い出・銀座で学ぶ」


   


     4月 24th, 2013  Posted 12:00 AM

銀座といえばその象徴的な高級店があります。
時折、銀座でそのお店に立ち寄り主に展覧会を観ますが、
いつでも思い出すことがあります。
もうそのお店の方はいないでしょう。
もっと早くお礼をすべきだったと反省します。
私はオーディオのデザイナーから社会人になりました。
オーディオデザインが出来たことはとても幸運なことでした。
今なお上司とは付き合っていますが、
デザインを叩きこまれながら、彼にこんなことを言われました。
「工業デザインで最も欠落しているのは、
高級ブランドのモノ、
その素材や仕上げだから勉強しておきなさい」と。
そこで、私はよく銀座のその店の時計とライターを見に行きました。
ところが何度目かで、
私は支配人らしい人に声をかけられて別室に入れられました。
私は、名前や所属企業でデザイナーであることを話しました。
彼は私のことを、いつも見つめているだけの人物ゆえ
とても怪しんでいたらしいのです。
私の事情を知った彼は、すべての店員さんに、
私が質問し見たいモノはすべて見せるように指示してもらったのです。
だから当時から、
超高額な時計・ライターの素材や仕上げを識ることができました。
とても買えない高額高級品を若い時に触って見たことも幸運です。
私は若いときにこうした人に恵まれたと思います。
工業デザインは、あくまでも普遍的でシンプル性を追求しますが、
私も時に批判・非難する「デコレーション」の真贋は識るべきです。
とりわけ、ブランドモノのデザインとデコレーションの調和と技法、
その統一性と融合性こそとても大事なコトです。
モダンデザインが敬遠し近接しなかったコトかも知れません。
私が最初に、手で持って、素材と仕上げを学んだのは銀座でした。
私にそのような機会を与えていただいた方に、
今ならお礼ができそうです。
工業デザインからデザインの本質を幅広く受け止めた銀座は、
今も私にはデザインのふるさとかもしれません。


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「現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ」


   


     11月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

私が最も注目している現代アーティスト、
トマス・サラセーノの新作をインターネットNewsで知りました。
「クラウド・シティ」という題名=テーマは、
現代アートゆえの「問いかけ」、
それは批判であり、問題提起になっています。
ともかく、商業主義的な流行として喧伝されることには、
常に実態がともなわないことが明らかです。
これは特に情報社会になってからの顕著な悪弊だと私は思ってきました。
「嫌らしくて卑下して構わない」とすら私は直言しておきます。
「Cloud」、「Smart City」、「Smart Grid」、「Eco」、「Lohas」など、
うんざりです。
そして、情報系大企業にはこうした事業部があり、
広告もあり、
いかにも未来を招致している印象を企業イメージにしています。
しかし、小学生でも、そんなことに希望や期待など持っていません。
私などは実際に「デザイン実務」で、
そうした事業部のリーダーたちと接してきましたが、
「これだから日本の企業経営は失速している」と大確信しています。
企業研修などで講演をするとき、
現代アーティストの作品を事例に解説することがあります。
必ず問いかけます。
「この作品知っていますか?、作家を知っていますか?」、と。
ほとんど無知です。
もし、未来に向かって真に革新的なイノベーションをめざすならば、
現代アートの「問いかけ」、「批判」、「問題提起」に
敏感でいてほしいと思います。
そうとなれば、
選ばれしアーティストの展覧会は日本にやってくるでしょう。
また、そうした展覧会が日本オリジナルな企画展が生まれてくるはずです。
かって「マルチメディア」という
陳腐なテーマを語っていた企業が時代を招来したでしょうか。
否です。
私は、日本が現代で目覚めるためには、
アーティスト作品が日本展を目指してやってくるべきだと考えています。
まさに、
私は、現代アートと経済の活性化は直結した連鎖構造だと思っています。


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「蓑豊館長はやっぱりすごいなー」


   


     9月 11th, 2012  Posted 12:00 AM

2005年、金沢21世紀現代美術館から、
館長が名古屋のスタジオに来ていただきました。
この美術館にはFさんが赴任されていました。
彼女からの紹介があったのかもしれませんが、
「私の美術館全部を使って個展をやりませんか」と言われました。
大驚愕であり、プロダクトデザイナーに展覧会というのは、
とてもわが国では考えられないことでした。
そして、1994年ギャラリー・間での個展、
「プラトンのオルゴール」作品からインスタレーションを
すべて永久収蔵します、とのことでした。
私は「遺作展になっても構わない」という覚悟で、
この壮大な個展に取り組み、2006年76万人が観ていただきました。
金沢21美術館は、年間200万人を集客する国内最大に活性化しています。
蓑館長は、その後、サザビーズで副社長を務められ、
途中、慶応大学で二人で講演もし、食事もする仲良しになれました。
帰国されると兵庫県立美術館館長に就任されました。
兵庫県立美術館では、
脳科学者茂木健一郎氏と対談イベントをしたこともあります。
が、その時はまったく活性化されているとは思えませんでした。
そうしたら、この「超<集客力>革命」を出版されるほど、
この美術館は今や83万人/年・見事に生き返っていました。
おそらく、
日本の美術館のあり方を革新したのは、蓑豊氏と断言していいでしょう。
同じ関西に居ながら、なかなかお目にかかれずにいたところ、
電話をいただき、「君のこと、書いたから」とか、
私も、
「倉俣史朗のデザイン・夢の形見に」に帯文を書いていただいていました。
今回は、県立美術館開館記念10周年に、話をしに来ないかと誘われました。
12月に兵庫県立美術館のイベントを引き受けました。
早く会って、見せたい作品や紹介したいアーティストがいます。
蓑館長なら、
「美術館ほど面白い知的な場」はあり得ないという、
意志決定できる人物です。
「あの作家はダメ、彼はすごい」とか平然と毅然と評価されます。
きっと私の作品のこれはダメとかも言っていただきたいのです。
早く会いたいと思っています。
日本のすべての美術館はもとより、
すべての公的な「場」は、
この本で書かれているシステムに変革されるべきです。


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「金沢美術工芸大学の大阪での大学大同窓会」


   


     8月 15th, 2012  Posted 12:00 AM

私は金沢美大卒であることを幸運に思っています。
先月、大阪で関西地区の同窓会に出席しました。
案内葉書が届いたとき、行きたいなーと思いましたが、
車椅子でOKの会場だろうか、とすぐに考えます。
そして、そのことを確かめると、
会場を変えたりということもこれまで経験してきたので、
それは申し訳なくて、「不参加」として返信しました。
ところが後輩から、「どうして来てくれないんですか」と電話を受け、
「いや車椅子だし会場のことも・・・」
「何言ってるんですか、当然、バリアフリーの場所ですよ」
と言われて参加しました。
1959年卒から今年卒まで関西地区で80数名も集まって、
東京同窓会からも代表が、金沢から同窓会代表も参加ということで、
美大らしく、ビデオまで制作してありという大盛会でした。
Facebookのファンページでも800名も存在するネットワークです。
必ず、個展や出版や映画などの案内も
そのページでいつでも見られる組織になっています。
毎年、東京銀座・金沢・New Yorkでは、大展覧会が恒例化してきました。
それも参加者は700名もいます。
絵画界・彫刻界・工芸界・デザイン界ではそれぞれにリーダー格がいます。
しかし、そのようなことはまったく関係なく、
先輩ー後輩の関係は根強くスムーズに繋がっています。
会ったことはありませんが、
あの作品、あの漫画、あのパッケージ、あの映画、あのCFという具合に、
先輩・後輩の作品がいっぱい日本を席巻しています。
今、大先輩は故柳宗理先生のヨーロッパでの足跡調査をされています。
私は金沢美大卒業であることは、
本当に、人生の「大幸運」だったと噛みしめています。


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「カレイドスコープ=万華鏡というレトリック」


   


     5月 13th, 2012  Posted 12:00 AM

間もなく「金環日食」が見られます。
正直、とても期待しています。
TVでこの日食の見方など注意点が報道されています。
大事なことです。
きっと、自分の生涯ではもう見られないでしょう。
そこで気づいたのが、「万華鏡」のことです。
これは、人間の視覚感覚をとてもうまく利用したモノです。
小学校時代には自分で工夫して作った経験があります。
これは知人からプレゼントされたモノです。
中には貴石や宝石が詰め込まれていて、
しかも一点ダイヤモンドがあるということで。
日本のダイヤモンド業界のシンジケートも教えてもらいました。
時折、万華鏡を見つけると収集したいと思ってしまいますが、
コレに勝るモノには出会っていないので、
収集というビョーキには取り憑かれていません。
日本には江戸時代に入ってきたモノと言われています。
私が気に入っているのは、
鏡の利用です。
私は、展覧会手法やインスタレーションに「鏡」を使います。
なぜなら、「鏡の背後には、冥府への階段がある」。
このレトリックに心惹かれています。
そして、万華鏡の組み合わされている鏡は、
冥府世界観をさらに錯視虚像世界に変換していることです。
このヴァーチャル的なリアル感は、
唯一、一回しか見ることができません。
体験というのは、たった一回とか、唯一であることが大事です。
翻って失敗は二度繰り返さないということにもつながりますが、
それがなかなか出来ないものです。
だからこそ、あらためて人生が万華鏡のごとしという、
このレトリックがあてはまるのでしょう。
金環日食、ますます楽しみです。

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「ビーズのきらめきに・・・・・」


   


     5月 1st, 2012  Posted 12:00 AM

『ゴルゴ13』がビジネス書になると思っていたら、
やはり、ビジネス書「ゴルゴ13の仕事術」がありました。
私はほとんどビジネス書は読みませんが、
ついついamazonしてしまいました。
この連休中に済ませてしまいたいこと、いっぱいありますが、
最も子供の頃から、そんな予定をすべてこなしたというのは、
「受験時代」ですらできなったのでもう諦めというか「諦観」です。
となるとやはり「ビーズでブレスレットづくり」に夢中になります。
京都に行くと大量に素材を買い求めてきます。
「夏用」を買い込んであります。
が、やはりその他の部品アイディアがあって、
それがあればアクセサリーの根本を革新できるはずだから、
アクセサリー「ブランド」持ちたいとも考えてしまいます。
しかし、そろそろリタイアを考えていますから、
このビーズで遊ぶことも一つのやり方だと思っています。
車椅子生活を宣告されて、読みあさった本は、
すべからく「老年生活」のハウツー本でした。
老後は「ものづくりと園芸が最適」という内容ばかりでした。
そしてやってはいけないことは三つありました。

  • 商品として売ってはいけない・そのような金銭欲を離れること。
  • 人に教える立場になって「先生」と呼ばせてはいけないこと。
  • 「展覧会」などで見せびらかしてはいけないこと。

これを読み終わったとき、
(どうしよう、プロのデザイナーは商品づくり、教育、展覧会開催)、
これがプロの核心だからと随分戸惑いました。
「先生」と呼ばれることは恩師から、
「先生とは先頭先陣を切って生き延びること」だからと教わりました。
だから、リタイアしたら趣味に徹することだと確信しています。
父は70歳ですべての社会的な立場から離れました。
そして79歳、散歩中に道端で倒れて逝ってしまいました。
9年間は、中国(戦地めぐり)・沖縄・靖国神社行事出席でした。
それは7年半も軍人だったことへのなんらかの慰霊だったのでしょう。
その気持ちを存分に使い果たしたのかもしれません。
私もビーズの彩りや輝きを単純に「無」のきもちで見つめられます。
ブレスレットをプレゼントすると
まだまだ僅かの人ですがみんな喜んでくれます。
リタイア後を真剣に考える人生の季節になりました。
ただし、「命がけ」で果たしたいことはまだあります。
「戦闘と戦陣」に向かっていく時間に
限界が見え始めていることは確かです。


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「モダンデザインへ、ロシア・アヴァンギャルドから」


   


     3月 15th, 2012  Posted 12:00 AM

モダンデザインというよりも、
デザインの源流として、
私はロシア・アヴァンギャルドを位置づけています。
マレーヴィチやマヤコフスキーなどがその代表者ですが、
陶磁器でみると、1920年代には、スエーチンやチェホーニンの作品から、
ロシア革命が一段落し、
革命後次第にスターリンやレーニンの独裁制が強まり、
彼らからの粛正によって、表現形式と内容の後戻りが見えてきます。
シュプレマティスムとしてのスエーチンのレプリカは
MoMAで手に入れることができました。
それから岐阜の現代陶磁器美術館での
ロシア・アヴァンギャルド展は感動的な展覧会でした。
ロシア革命が「ナロード・ニキ」=(人民の中へ)という平等主義は、
コーヒーカップでの加飾においても、幾何学的な正方形や長方形、
そして単色での色面構成でした。
しかし、次第にそれはかつての貴族的な装飾に戻っていきます。
モダンデザインの源流が
次第にデコレーションとしての加飾性を抱え込むことで、
共産主義あるいは社会主義の階級制は復活するのです。
それはデコレーションを過飾してしまうことで、
モダンデザインの破壊につながっていきます。
ロシア革命を芸術・建築・演劇をデザインで統合していったリーダーたち、
彼らの芸術表現活動への圧力や粛正に注目します。
彼らは自殺や虐殺される歴史こそ、
イデオロギーが芸術によって
意識改革できる手段であることを証左しています。
クズキッツフやチェホーニンの作品=シュプレマティスムが
影を潜め始めます。
私の想像では、スエーチンのコーヒーカップ、
そのレプリカをMoMAが製作した意味に、
モダンデザインの源流があったからだと思っています。
こうしたロシア・アヴァンギャルドでの陶磁器技術は
現代と遜色ありません。
むしろ、その色面構成などは現代での商品価値を
今でも確実に持っていると評価しています。

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「誤謬へのシンボライゼーションプロトタイプ」


   


     2月 9th, 2012  Posted 12:00 AM

日本のインテリア界には大誤謬があります。
日本には「倚子」の歴史が無かった。
だから、イスを「椅子」と表記します。
私は徹底的に調べ抜いたことがあります。
きっかけは、ニューヨークのメトロポリタン美術館で、
ギリシア時代のイス=石で作られていたスツールと
中国の古代倚子を見てからでした。
日本では仏教伝来とともに、「倚子」が入ってきていました。
「禅家所乗物」・「高座」・「説教台」・「独榻」(トクタツ)・
「凳子」(テンス)、
このような呼称のイスがありました。
凳子は現在も中国語に残っています。
にもかかわらず、国内家具メーカーも、
イスの輸入商社も、日本にはイスの歴史が無かったと宣伝しています。
全く間違っています。
その結果が、「倚子」=人が寄りかかるではなくて、
「椅子」=素材である木に寄りかかるという表記になってしまったのです。
私の評論著作「倉俣史朗のデザイン・夢の形見」では、
彼の作品をイスとし、イス全般を「倚子」と表記すことに拘り、
編集担当の方にもこの歴史的事実を了解してもらいました。
そして、イスのデザインにおいては商品化が相当に難しい領域ですから、
あくまでも展覧会での招待作品として、
こうした日本の歴史性とともにプロトタイプを発表してきました。
とりわけ、イスのデザイン表現では、
彫刻的なまでの象徴性=シンボライゼーション=効能性が求められます。
したがって、イスにおいてはすでに、
歴史的評価デザインでインテリアが決定されています。
リートフェルト、ミース、コルビジェ、ジオポンティなど、
作家的なイス存在が空間の質を決定します。
「一脚のイスは一つの建築空間設計より難しい」と言われる所以です。
これが私のインテリア空間への基本的な造形デザインへの姿勢と態度です。
赤いイスは機能性表現であり、
その他は効能的な存在性の造形表現です。

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