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Posts Tagged ‘展覧会’


『資本主義からの逃走』
「 Media Integrationに向かってきた系譜・2 」


   


     4月 23rd, 2010  Posted 12:00 AM

Multimedia & Art Festival 1992
「マルチメディア」と喧伝されていた時期は長かったと思います。
1990年代であり、ちょうど「バブル時代真っ盛り」でした。
私は東京の「変な浮かれ様子」を北陸・福井から、
極めて冷静に眺めることができたのです。
東京からはいっぱい展覧会や仕事も殺到して舞い込んできましたが、
私の直感は、「これは変!、おかしい」と思ったので、
断れるものはすべて断っていました。
今になると、この判断は正しかったと思います。
当時、マスコミの寵児と言われたスター達は、
名前も思い出すことができません。
デザインに関わったコンサルタントとかコーディネーターは、
消えてしまっています。
私自身、仕事は、Apple本社とのProjectに関わっていたので、
日々充実していました。
1992年夏、箱根で「マルチメディア国際会議」が開催されました。

この国際会議には海外から600名、国内は企業トップ達200名でした。
これだけの国際会議は以後も経験したことが無い大規模なものでした。
民間人はたった4名で、3日間ともに参加していたのは、
松岡正剛氏と私だけでした。他の著名な方は会議内容がわからなかったから、
すぐに帰ってしまったのだと思っています。
この時から、松岡氏との交流が始まったのです。
主催しているApple社には、会議中にも関わらず、
途中、途中でプレゼンテーションを当時会長だった
ジョン・スカーリー氏にしていた。
この会議をすべて統率していたのは、現・マクドナルドの原田社長であった。
そして、この時の基調講演は、以後、私の「情報」への視点を大きく変えた。
そして「的中」していることでした。
Dr. Gordon Moore
基調講演のキーノートスピーカーはDr. Gordon E. Moore氏?でした。 
「ムーアの法則」を提言し、時代は彼の法則を実証しました。
彼の講演では三つのことを語ったのでした。
土・ガラス・空気
これからの時代、コンピューター・パソコンは、
● 「土」・・・これはシリコンを意味していました。
● 「ガラス」・・・これは光ケーブル=光通信です。
● 「空気」・・・これはインターネット・空中に情報です。
そして、私はこの会議で、スカーリー会長が、
「マルチメディアは意味が拡散するだけだから、
Media Integrationへと収束する方向を創ろう」と
プレゼ会議での発言に感動し、
今日まで、私は「何がMedia Integrationか」を、
デザイン領域の中で追いかけてきたと考えています。


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1月9日Staff Blog


   


     1月 10th, 2010  Posted 10:14 AM

1月9日

盛況に東京展を終了したDetour展
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)
のスケッチは、ご覧いただけましたか?
記録媒体等、お届けいただきました。
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『資本主義からの逃走』
 *「歌を忘れたカナリヤだったのかもしれません」*


   


     12月 17th, 2009  Posted 10:00 AM

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デザイン界と建築界は、
歌を忘れたカナリヤだったと、つくづく思います。

● まず今年のデザイン界で、
「やられたなー!」と思う作品=製品は、
ほとんど、まったく見つけることができませんでした。
展覧会も、あいかわらずの「形式」で「ごっこ」です。

● 建築界は、世界コンペで勝つことができません。
コンペで勝てる建築家は限られてしまっています。

デザインは未だに「かたち造形」でしかありません。
「かっこいいかな的」なモノは「玩物志向」です。
だから、ケータイも、家電も、情報機器も、
アジアからはあまり警戒も、尊敬もされません。

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●「歌を忘れた」というのは、
「実装設計と素材設計」にデザイナーの主導力無しです。
実装もこだわりました、なんて言うのですが、
みすぼらしくてとても評価できません。

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建築は、コンペに勝てないから、
日本の建設業が関われない、ということになります。
設備設計も敗北し日本製品でその建築は装備できません。

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結局、「都市計画」が「環境デザイン」という
とても救いがたい名称に変更したことが大失敗なんです。
かくいう私は、といわれそうですが、
今年は間に合いませんでした。

来春・来夏・来秋に、「成果」=「歌」が唱えるでしょう。
実装設計・素材設計・都市設計に来年は、
日本だから、やっぱり「出来てしまう」ことを
証明しないと、この不況からは脱出できません。
精進と修練の成果をめざしましょう!


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『資本主義からの逃走』
  「資本主義から離脱してきたデザイン」


   


     11月 26th, 2009  Posted 8:00 AM

私は金沢美術工芸大学の出身です。
「産業美術学科・工業デザイン専攻」でした。
明らかに、
産業=資本主義への献身性への教育です。
「インダストリアリズム」=工業下意識主義を
下敷きに「デザイン」を学びました。
しかし、決して、
産業美術的な教育を受けたわけではありませんでした。
それが、大きな財産となっています。
常に、「トレーニング=身体性でのデザイン技術」の
習得と「理想主義としてのデザイン美」でした。
いわゆる実技は、「平野門下生」として、
徹底的に「身体化」されてきました。

●デザインストローク
●スタイライゼーション
●フィッシュボーンプランニング
●ジョイントワーク
●ファスニングシステム
●レタリング

自作モデリング、がほとんど「平野門下生」が、
基礎・基本としてマスターさせられました。
したがって、
本当に「造形デザインが出来るデザイナー」は、
こうしたトレーニングを身体化できた連中だけです。
日本の少なからず、産業デザインで、
「商品デザインの造形」は、このトレーニングを
受けた者だけ、というのが私の持論です。
しかし、
インダストリアリズムの終焉とともに、
「デザイン職能」は、時代的に大きく変貌しています。
私は、産業デザインとは、
「欲望の刺激装置」と言ってきました。
つまり、「欲しくさせる装置を仕組むデザイン」です。

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「インダストリアリズムの終焉」という副題で、
私は「プラトンのオルゴール」という著作と、
展覧会をしました。
1994年のことです。

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1994年・ギャラリー「間」での「プラトンのオルゴール」個展

2006年、この個展でのインスタレーションは、
「作品」・「スケッチ」・「展示計画」が、
金沢21世紀美術館に永久収蔵されました。

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2006年の永久収蔵から2008年一時常設展

1996年、名古屋市立大学芸術工学部が新設。
この芸術工学部では、
「産業」を「健康」の基盤にする「デザイン」でした。
89年・ベルリンの壁崩壊。
91年・ソビエト崩壊。
こうした時代変遷の予測は、
私はすでに、美大で「産業美術学科」でありながら、
柳宗理先生、平野拓夫先生
平野先生は最初の国費デザイン留学生であり、
Gマーク制度創設者の一人によって、
「身体的に」たたき込まれていたと考えます。


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11月18日Staff Blog


   


     11月 18th, 2009  Posted 10:22 PM

11月18日

以前、岐阜県現代陶芸館にて、
「ロシア・アバンギャルドの陶芸
-デザインの実験-」
という展覧会が開催されました。
BOSS(川崎和男)は、
この展覧会を高く評価しました。

カンディンスキー、マレーヴィチらが
国立陶磁器工場を拠点にした、
前衛運動としての陶磁器作品の
軌跡が展示されました。

写真は、アレクサンドル・ロドチェンコが、
残したデザイン画から、美濃と瀬戸の
名工が、ティーセットを復元したものです。
展覧会開催時に限定で発売されて、
BOSSも購入させていただきました。

BOSSのBLOGでも、
BOSS独自の視点と論点で、
ロシアアバンギャルドについて

書かれています。

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『資本主義からの逃走』
 「現代アートの象徴性からデザインでの創生へ」


   


     10月 28th, 2009  Posted 10:38 PM

資本主義の崩壊は、1927年に「予見」されています。
それは、「大恐慌」の2年前のことです。
それから20世紀の戦乱となり、冷戦につながりました。
共産主義・社会主義・資本主義・民主主義という
理念の崩壊は、1970年代からだと私は思っています。
なぜなら、時代変革の「予見」は、経済学・哲学などよりも、
「現代アート」にもっもと端的に、象徴されているから、
感覚、感性で「予見」の正当さを理解できてしまうのです。

その「予見成立」の理由は、単純明快にまとめられます。
ひとつ、「南北問題」、とてもなつかしい言葉です。
ひとつは、「宇宙船地球号」。
もうひとつが、「コンピュータ」です。
ともかくこの三つを置き換えると、

● 先進国と途上国の貧富格差とあらたな民族紛争。
● 地球環境問題、温暖化やCO2やサスティナビリティ。
● パソコンとインターネットでの情報意識社会化。

ということになるでしょう。
二つの現代アートが象徴しています。
まず、地球を象徴化した作品と、
tomas-saraceno・Universes in Universe : Tomas Saraceno

人間の生命を象徴化した作品です。
rafael-lozano-hemmer・Pulse room : Rafael Lozano-Hemmer

地球は、まさしくwebsite=蜘蛛の巣のように、
情報に包み込まれているのです。
包まれているのではなくて、
「包み込まれている」ことにこそ、
時代認識の象徴がある。
その時代認識は、
資本主義と民主主義に包まれているのか、
「包み込まれている」のかということは、
大きな差異があるということになります。

そして、
もう一つの、観客である人間の生命をそのまま、
脈拍を電灯の点滅で具体的に感じ取らせつつ、
空間、それは地球でしょう。
そこでの「自己の存在性」を再認識させる作品です。
私は、この二つの現代アートに具現化されている
「包み込まれている」という認識は、
ただただ、それこそ、Bottom of the Pyramidの
トップゾーンの1億人だけが、現代文化として、
平和に、いや平然と受け入れることが可能です。

結局、
「地球に存在、生きているすべて」の人々が、
認識=包み込まれているわけではありませんから、
そこに、資本主義って?、民主主義って?ということ。

「包み込まれているすべて70億人の認識」には、
決してならないとするなら、
Bottom of the Pyramidの根本や基盤や理念は、
再創生されるべきではないかと私は思います。

私は現代アートの象徴性を読み取りながら、
再創生のデザインがあるべきだと考えているのです。
しかし、哀しいかな、現代アートが示しているのを、
理解し、さらに「予見」できるのは、
トップゾーン1億人の中の、一握りの人たちだけです。


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『資本主義から逃走せよ!』
金融工学の始祖はマルクスだった_14


   


     5月 8th, 2009  Posted 9:50 AM

このところ、「多忙」です。
これはとてもいいことではありません。
体調=心臓の負担も自覚できるようでは、
不安になってしまいます。

そして、最も不安なことは、
「パンデミック」がとうとう起こってしまいました。
私の直観は当たってしまいました。
「ワクチン・シリンジ」の開発、
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それは、PKD(Peace-Keeping Design)という世界的なデザイン運動の
具体的デザインとして提案し、マスコミにも取り上げられています。

そして、今、金沢21世紀現代美術館で、
「愛についての100の物語」という大規模な企画展に招待されて、展示をしています。
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21museum005
21museum007
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講演にも行く予定です。

さて、このブログはむずかしいと周囲に言われています。
しかし、この程度ぐらいは読みこなしてほしいのです。
なぜなら、「貿易立国・日本」は、
すでに、「産業の方向性」を間違っていることを指摘しておきたいのです。
たとえば、「マクロ経済」と「ミクロ経済」という分類がありますが、
この分類はすでに時代遅れなのです。

簡単に私的解説をしてしまうと、
「マクロ経済」は、世界経済・市場論・貨幣論を語ってきました。
「ミクロ経済」は、日常生活での市場論と大雑把に言っておきます。

私は、「市場論」と「貨幣」について、
「スピード論」が決定的に欠落しているのです。
「貨幣のスピード」について見届ければ、
たとえば、「都」と「鄙」、
すなわち、「都市=大都会」と「地方=田舎」での
「貨幣価値」に速度性があるということです。


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