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Posts Tagged ‘展開’


「『危機管理デザイン賞』を創設しました」


   


     8月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM

2023.8.1・昨日、日本は世界に向けて本賞を設けました。
わが国は、伝統的、四季的、自然環境と日常生活を
堅固に結びつけてきた美しい花綵の国ですが、
一方では、自然災害、台風、地震、雷に晒されてもきました。
ところが、最近では地球温暖化などで、
気候状況は、竜巻、大豪雨、落雷など
とんでもない危機状況に入っています。
3.11は当然ながら、今後の南海トラフや火山爆発も予知されています。
まず、自然環境での危機回避があり、
人災は、学校のいじめ問題から原子力発電、放射能はもちろんのこと、
テロから企業へのスパム攻撃まで複雑化と多様化と回避困難が拡大です。
よって、本賞を設けることで、危機管理産業から危機管理制度設計まで、
モノのデザインとコトのデザインを顕彰してその活性化を目指します。
本賞のシンボルマークには、「ヘルメスの杖」を引用しました。
アスクレピオスの杖やヒギエイアの杯も検討しました。
つまり、この賞には、
人類が歴史的な命の守護をどういうシンボルに象徴してきたか
ということに焦点を絞りました。
「生きる」こと、「生き延びること」、
危うい事や「まさか」、「いざ」という危険性=命の防御、
その象徴を求めました。
したがって、このブログでも、
ヘルメスやアスクレピオスなどについてメモ記述をしてきました。
それは、私の思考メモでした。
「ヘルメスの杖」への異論が存在していることも十二分承知し、
しかも、「ヘルメス学」という知的歴史性をテキストにした結果の、
マークとロゴタイプの統合シンボルです。
この賞シンボルは、本賞創設とともに、
危機管理産業・モノデザインと危機管理制度設計・コトデザイン、
その展開・アプリケーションを完備させました。
ここで紹介していくつもりです。
無論、本賞受賞によって、あらゆる「想定外」=「まさか」を回避し、
「いのち」を本賞選定基準からもう一度、
見つめ直すモデルケースを普遍化していきます。


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6月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 24th, 2011  Posted 2:28 PM

6月24日 先負(庚戌)

「デザイン」という言葉の原意から、
その言葉が歴史的に、
どのようにデザインの対象を
展開してきたかということを
徹底して話すことにしている。

『デザインという先手』手解き 伝道しながら


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『資本主義からの逃走』
 「#  チュッパチャプス武器論・戦術訓練は必至だ! #1」


   


     3月 20th, 2010  Posted 12:01 AM

戈+止=武
「戈」ほこづくり+「止」とめる=「武」。
ほこづくりは刀で、これを止めるというのが武器の武です。
武器というのは、戦いを止めるというモノを示しています。
だから「武器というのは、あくまでも抑止力」になる道具から、
装置・原爆までが「戦争をしないためのモノ」なのです。
平和実現装置と考えるべきでしょう。
だから、私が「チュッパチャプスは武器になる」と、
宣言したので、その背景・手法・結果・考察・展開を述べます。
ジェネラル・ルージュの凱旋
背景は、「ジェネラル・ルージュの凱旋」という映画でした。
New Yorkから帰路の飛行機で見ました。
そして、「これだ!」って思ってから、試していくうちに、
「こんな使い方もある」って教えられて、
とうとう「武器論」としてまとめておこうということです。
「ジェネラル・ルージュの凱旋」は、
救急病院で、一人の医師が徹底的に贈収賄を重ねて、
病院の救急体制を完備していく話です。
是非、観てください。
主人公を演じる堺雅人がたまらなくチュッパチャプスです。
なぜ、結局、チュッパチャプスも収賄していたというのが、
この映画のオチになっています。
つまり、自分を徹底的に「横柄さ」を演出するのに、
チュッパチャプスをくわえて舐めている、
これが、私にピーンときたわけです。
「そうだ!・気に入らん相手を舐めている道具に最適だ!!」
これを舐めていることで、
相手への怒りや攻撃性を自分に「抑止」しています。
相手は、チュッパチャプス舐め舐めしていたら、
私なら「激怒」します。
「なんだ!その態度は・・・!」ってことになります。
ところが、最近は、そんなことにも鈍感なのか、
あるいは、揉めたり、関係悪化を穏やかに、っていう風潮です。
関係悪化なんて、揉めたらいいのです。
敵対したらいいのです。
そこから、「仲良く」が、潔いのです。
みんな「ペルソナ」(仮面)を被っていて、
本音を対決させない・・・これの方が気持ち悪いのです。
だから、チュッパチャプス舐め舐め態度は、
武器をちらつかしているのです。
映画でこんな場面がしばしば登場します。
いきり立っている連中に、「お前ら馬鹿だ」って、
舐め舐め態度は、チュッパチャプスが武器なんです。
舐め舐め態度は、「馬鹿づら」でありつつ、
本当は、きわめてしたたか=知性がありました。
訓練
堺雅人の演技をなんとしても「練習」=訓練が必要です。
場面は「精神戦」です。
これを背景とします。
この「精神戦」の武器が、まず、チュッパチャプスです。


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『資本主義からの逃走』
 *「学問が決着するべきは行学・実践でしょう」*


   


     12月 10th, 2009  Posted 9:00 AM

私は1994年に「PKD」を文章で提示しました。
大学人になってから、
この活動に取り組むには、まだ環境不足でした。
ようやく、阪大にて環境が出来て開始しています

その具体的なモノとして、
iPhone-アプリの三つ目を発売しました。
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この活動資金にしていくためです。
私はデザイナーだから、デザインを学問としてよりも、
実学としてのデザイン、
これを「行学」と称しています。
「行学」というのは、
日本では「道」という精神論と美学性があります。
したがって、デザイン道と言うのは、ややセンス無し。
大学人になって、多くの教授や准教授を見てきました。
退官したら、「大学という不可思議な場と人間」を
書き残すつもりです。
それこそ、人生最大の過激性と攻撃性でまとめます。
訴訟も辞しません。そのような覚悟もせずに、
自らの美学などは公表ならずが、
「行学の志」でしょう。

というわけで、今回は、
「黄金比を計算することができます」。
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http://www.design.frc.eng.osaka-u.ac.jp/info/iphoneapp/GRC.html

しかし、これを運用するには、「知識」が必要です。
その知識は学問という、問いかけの解答です。
設計する実学のツールに、是非傍らに置いてください。
何かモノを購入するときに、
「これって、美しいかな・・・」って迷ったら、
高さとか幅とかの寸法比を、このアプリで割り出せば、
「なるほど」ってことになればいいわけです。
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Peace-Keeping Designは徐々に拡大し、
今ではクリントン財団のプロジェクト・アフリカ支援
そのプロジェクトに一つになっています。

来年早々にアップルストア銀座(1月22日・無料)、
国際文化会館の支援事業で講演(2月26日)です。
「行学」・「学問」がめざすところ、
「1日に5000人の子供が死んでいます」という現状を
「ジャンボジェット機が毎日10台墜落しています」、
この直喩によって「問題解決」を実務実行のはずです。


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『資本主義からの逃走』
  「資本主義の偽善さと善良さの対決」


   


     12月 3rd, 2009  Posted 8:00 AM

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経済の偽善さは「資本主義」を纏っています。
そして、見事に展開していくのです。
「ドバイ・ショック」が今度は襲いかかってきました。
日本人は、国内は「性悪説」の国家となりつつも、
国際的には「性善説」、
それを演じて生き延びるつもりなのでしょうか。
これは、見事に、「資本主義+民主主義」の
まことしやかに「敗戦」をひきずっているからです。
逃れる策略=designが不可欠です。

さて、「ドバイ」は、黄金の国家というイメージ戦略が、
成功していました。
しかし、あの国は「貿易商品の廃棄場」だったのです。
もし、あの国に貿易商品が流れついたら、
それは、もう、「廃棄品」という烙印を押されたということです。
そのことに詳しい経営者が、
なんとわが国には少ないことだったでしょうか!

サブプライム・ローンは、貧しい労働者をだましましたのです。
そこで、リーマンショック!です。
ドバイ・ショックは、富める有資産家への詐欺でであり、
彼らの動向はまったく不明ですが、
あらたな恐慌の形式と質が変容したのです。
このハリケーンがトルネードのごとく
襲いかかってきている日本では、
「デフレ・スパイラル」に善良な市民は巻き込まれています。

「偽善」と「善良」を分別するには、
「民主主義」を見直すことでしょう。
その基盤が、「資本主義」に乗っかっていることに、
もう一度、目を向けない限り、
わが国のこのささやかな資源無き領土で、
私たちは息絶えることになります。

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私のまなざしはいつも、
デザイン」という理想主義で、
「偽善」と「善良」を分別することにしています。


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