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「大風呂敷という喧嘩手法、その肝心要」


   


     8月 28th, 2012  Posted 12:00 AM

祖父は誰からも信頼され、大きなリーダーでした。
そして裏切られても棟梁であることを護り抜きました。
裏切りというのは頼まれるとすぐにお金を貸し実印を押しました。
そして、莫大な借金を背負っていましたが、
私にはその片鱗も見せなかったので、
祖父は大金持ちだと高校生になるまで信じていました。
母から、
「なんでもおじいちゃんに買ってもらうことはやめなさい」
と言われました。
「おじいちゃんは破産しているから」
当時は全く意味がわかりませんでした。
確かに、幼稚園児の頃、
福井市から見える山の名前をすべて教えてもらいました。
そして、
「あの山からあの山まで無くしてしまった」と言われて、
「大丈夫だよ、僕が買い戻してやるから」
と答えていたことを思いだします。とても買い戻せないけれど・・・。
お祖母ちゃんが言いました。
「おじいちゃんは、大風呂敷を広げてみんなを庇ってしまうんだよ。
だから、あなたは大風呂敷を広げても肝心なことを忘れてはいけない」、
と教わりました。
「男は、いつでも大風呂敷を広げても喧嘩して護ることがあるけれど、
その風呂敷は必ず畳んで持ち帰られる大きさにしておくことが要」、と。
「おじいちゃんは大風呂敷を広げすぎてでもあんなに他人を庇うけれど、
畳めないほど大きすぎるから騙されるんだよ」。
デザイナーである私はプレゼンでは、
それこそ、大風呂敷を広げているなー、と自覚することがあります。
しかし、
その大風呂敷は必ず畳んで持ち帰られる大きさにしようと心掛けています。
大風呂敷で喧嘩をしますが、
すぐに、畳めて、
すぐに、立ち去れることを目指しています。
そうすれば、その大風呂敷は必ず、
大きな夢や相手を風呂敷でくるんでしまえば、
喧嘩相手をすっぽりと包んでしまいます。
大風呂敷という喧嘩手法には、
この重大な落とし前の付け方があるということです。
写真はワイフの風呂敷を借りました。


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「風と自然、自然と風」


   


     4月 4th, 2012  Posted 12:00 AM

強烈な低気圧はまるで台風のようでした。
わが国の自然は「風光明媚」と言われるほど美しいのです。
しかし、その「風光」は、時に荒れ狂います。
春一番というのは、まさに日本の自然の優しい「風光」ですが、
荒れ狂う風は、自然の猛威に等しい。
仏教思想での五大思想には、明確に「風」が含まれています。
そして、日本には三つの風があるということになっています。
まず、山から吹き下ろす風、
海からやってくる風、
そうして、もう一つは瀬戸内海に吹き渡る風です。
それは、全国各地に吹く様々な風の名前を研究しつくした事典があります。
「風の事典」は長年の研究成果がまとめられ、
そこに日本の風がすべからく詳説されています。
特に、海の仕事に関わる人にとって、
「風の名前」は、彼らの生活を決定づけているほど重要です。
それこそ、自然との関わり方が
「風」を媒介して行われていることを証明しています。
風にはそのたおやかな吹き方から
荒れ狂うまでの程度があるということです。
それはまさに自然と日本人のつきあい方を決めていること、
そのことに等しいということでしょう。
先日晴れわたった石巻の海岸線や女川の高台から眺めた海は、
穏やかで、あれほどの津波を及ぼしたことなど嘘のようでした。
「風が吹く」ということは、
自然界であると同時に、
まさにメタファーとしての「風のごとく」に等しいと思います。
自宅にて、外には大変な風が吹き荒れていることが分かりました。
あらためて、私たちは、「風」に対しての感慨を
そのまま自然観としてきたことを精査しなければなりません。
1000年に一度であれ、100年に一度であれ、
私たち日本人が、どのような自然に包まれて、
どのような風に吹かれている民族なのかを考えること、
そのことを今教えられているのでしょう。
自然に抗うことなく、
風を受け入れるどのような姿勢が
最も大事なことなのかを考えてみたいと思います。

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「防潮堤工事は土木工学ではありえず」


   


     12月 28th, 2011  Posted 12:00 AM

大津波は海から襲いかかってきました。
その高さは想像を絶していました。
それよりも注目すべきは、押し寄せて来た時よりも、
「引き浪の力」がどれほど強かったかは
以前も書きました。
あらためて陸と海岸線での痕跡を見ると、
防潮堤の高さも当然ながら必要ですが、
バリア形態設計が誤りだったことを確認できます。
海からの大津波を受け止める力より、
引き浪でコンクリートは海側に歪んでいます。
この防潮堤に叩き付けられていた遺体が多かったと聞きます。
陸上では、道路路側帯のポールが地面に叩き付けられています。
それほど巨大で暴力的な力だと考えるべきです。
今回、土木工事の杜撰さも明らかになりました。
まさに土建事業と行政既得権の横暴さは罰せられるべきものです。
それは東京浦安地域の埋め立て地でも明らかでした。
液状化も手抜き工事そのものであり、
徹底した地盤工事の東京ディズニーランドはOK。
むしろ江戸時代の埋め立て地は大丈夫でした。
港湾工事が土木工学に頼ってきた制度設計そのものを再検証すべきです。
むしろ、港湾工事が土木工学よりも
海事工学・船舶工学が担うべきなのです。
港湾工学は海事システム工学をわが国は制度として受け入れていません。
仙台メディアテークという建築があります。
エレベーター・階段は、船舶工学の溶接技術で建造されています。
あの発想が一つのヒントになると考えます。
行方不明者は海に連れ去られたのです。
大津波で山に追いやられ犠牲となった方は、
高い樹木に留まって亡くなられました。
多くの行方不明者の真実、
生き延びた方々の証言からも海への引き浪の力でした。
したがって、
コンクリートの防潮堤設計は根本で見直すべきと私は考えます。
引き浪力への流体設計は海事工学であり土木工学ではありえないのです。
防潮堤は、大津波を受け止める形態と引き波力をも拡散させるべきです。
そこには新たな防潮堤と引き潮拡散の造形デザイン、
それが波動とのインターラクションデザインになります。
ともかく土木工学よりも、
海事港湾工学が制度設計の中心だと私は思っています。
これは、私自身が関西海洋教育アライアンスで
海洋デザイン戦略論」を担当してきた知識です。

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