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Posts Tagged ‘工学的’


『もう一度美しい国を再興するレジリエンスデザインを』


   


     5月 15th, 2017  Posted 12:00 AM



福島市から飯舘村に行きました。
東日本でのあの天災と人災に私は深く関与してきました。
石巻市では復興計画を副市長と市のトップにプレゼに行き、
万全の体制を引き連れましたが無策判断に終わりました。
プレゼ以後に女川までも3.11の被災地を視察しました。
当時の中川防災大臣には復興計画のプレゼも90分。
しかしその時の民主党政権には何の方策論も実行不能な政権ゆえに、
すでに当時で20回目の南海トラフ対策でも結論を出せない政権でした。
あれ以来、人工地盤デザインから南海トラフへのレジリエンスなどが、
私デザインの阪大院でのミッションにしてきました。
今回地道に名誉教授ながら工学的に除染を5年月1もしてきたY先生を
私の研究室招聘教授になっていただき研究室で半年実験をしてきました。
新素材開発と除染・浄化・浄水、さらにはPM2.5までをデザイン対象とし、
現地・飯舘村にて実証実験に入りました。
この計画はコンシリエンスデザインであり
レジリエンスデザインの解決決定実務、
さらには基幹産業の創成を対象。
現地で私はさらに新素材そのモノ、それを稼働させる機器デザインなど
新たなデザイン対象を見つけ出せたと思っています。
それには、これほどまで除染されたフレコンバックが想像以上でしたが、
このフレコンバックも全てを除去するコトもデザイン対象になりました。
また、阪大教え子が就職先の映像制作会社からカメラマンが記録撮影、
彼は慶応でデザインを学び芸大院卒ゆえ理解も早く参画してくれました。
当然、大企業のメンバーも参加して私たちの目標目的を焦点化できました。
いずれ正式なデザイン提案をします。
私は、こんなにもフレコンバックが自然景観までも破壊している現実は
驚愕の連続でしたから、必ずデザイン解決を念押しされた気がします。


* 『セシウム除染もデザインが深く関与すべきだ』
* 『セルロース素材によるわが国の基幹産業化』
* 『油断してはいけない「薪」へのデザインを』
* 『除染されていない間伐材へのデザイン開発』
* 「自然との喧嘩・調和などありえない」


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staffblog 7月28日


   


     7月 28th, 2016  Posted 10:55 PM

7月28日


大阪大学銀杏会館にて、
記者発表会を行いました。
「手・掌の消毒を根本から変えます」
全く新しい殺菌消毒機器の提案です。


川崎のプレゼンテーションからスタート。


工学的な原理の部分は河田聡教授から。


医学的な応用の部分は澤芳樹教授から、
ご説明いただきました。


お越しくださいました皆様、
ありがとうございました。


お陰様で盛況のうちに終了いたしました。

報道情報
リンク


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『デザインはすでにここまでが必然となっている』


   


     5月 11th, 2016  Posted 12:00 AM



これは現在整理中の動物実験の結果写真です。
あくまでもこれはデザイナーとしての活動。
デザイナーにとって、これまでは動物実験にまで臨むというのは
デザイン活動とは考えられてきたことではありませんが、
「医工連携」での開発では決してその成果は実現されておらず、
流行の「デザイン思考」も間違いであると主張してきました。
「コンシリエンスデザイン」と「看医工学」を結びつけて
全く新しい医療機器を開発してきたために、
医学・看護学・保健学・工学、これらの統合化こそ、
デザインがその主導権をもって進行させるということでは、
この動物実験そのものにデザイナーが加わるというより、
実験そのものを再デザインする立場にあるということです。
まず、動物実験のシステムさえ、
この分野にはまったくデザインは立ち入ってきませんでした。
では、「医工連携」と言ったところで、
工学的なアイディアも、まず、生体=動物上での
確認が必要です。
生体上での「安全性・確実性」が証明されて、
医学的証明=エビデンスになり、生体としての人体での効用性が
やっと明確になるということです。
そのためには「コンシリエンスデザイン看医工学」が不可欠という
実務的な具現化された医療機器が登場するということになります。
かつても、こうした研究成果を国際コンペに提示したことがありますが、
「難しい」とかの理由で受賞出来なかった時に、
デザインが未だにデザイン自身が解法されていないと、
自分は明確に自覚しました。
よって、この動物実験からの「デザインによるモノづくり」を
ようやく公表することが出来そうです。

*『「パラシリエンスデザイン」でのプライミング効果予測』
*『デザインは問題解決の手法であると再度主張』
*『看医工学へのレジリエンスからコンシリエンスデザイン』
*『ベクトル論理では「何がデザインか」となる』
*『商品である「デザイン思考」は経営論にすぎない』


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『ロボットに工学設計はあってもデザインされていない』


   


     11月 22nd, 2014  Posted 12:00 AM



ロボットと名辞されれば、それこそが未来的という風潮があります。
是非とも、ボードリアールの「物の体系」を読破していただきたい。
工学的な設計だけであって、デザイン、デザイン思考が皆無です。
つまり、ロボットには、1970年にはすでに「不気味の谷」という、
機械と人間の外観的な感情反応の仮説がありました。
こうした仮説を科学的ではないという批判者がいましたが、
私は明確なロボットの機械性と人間性の外観性からの印象を
指し示した代表的な論理として、この論説は正解だと思っています。
むしろ、1970年代の論理を、すでに21世紀の現代、
ロボット学者たちは、読み間違えている気がしてなりません。
デザイナーのロボット設計は大勘違いしていることが明らかです。
工学的な設計がロボットデザインだという勘違いを横行させた原因。
その結果が、オモチャ形態=玩具で済ませてしまったことや、
ロボット外観だけをトレースして、Padを持っているのでは、
ロボット定義そのものが未来性を持っていないことは明らかです。
ロボットそのモノが工学設計で不気味さを纏ってしまっているのです。
それならば、私は未だにロボットは玩具以上のモノではないとさえ、
強く認識していますから、玩具であるだけで充分です、
ヒューマノイドもメカノイドも、この融合点を見い出していません。
かってロボット学会でこの講演をして表彰されたこともあります。
私はこの「不気味の谷」の森政弘先生の講義も受けていますし、
周囲には敬愛する著名なロボット学者も居て直に話も聞いています。
それだけにいい加減なロボットデザインは激しく批判するつもりです。
不気味の谷を私はもう一つの読み方をしたいと考えています。
それは、機械への感受性を最高にしたときに、見事に、
工学設計でのロボットや、知性無きデザイナーのロボットには、
不気味どころか、非在すべきロボットの墓場、
その場所設定が出来るとさえ考えています。


『ロボットという玩具?・ロボットはおもちゃか?』
「心を持つロボット表現として、『泣き出す表情』」
「Nomenclator・ロボット、GUIからAUIへの提示」


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「Ship of the Year・日本船舶海洋工業界の今後」


   


     7月 26th, 2012  Posted 12:00 AM



2008年から審査委員を拝命しています。
同時期から「関西海洋教育アライアンス」で、
神戸大・大阪府立大・大阪大の大学院合同講義にて
「海洋デザイン戦略論」も担当しています。
船酔いする私には考えられなかったことですが、
全てではありませんが、デザイン対象として、
海洋・港湾・船舶・造船などに
またひとつ大きな興味を持つようになりました。
デザイン領域は、この海洋関連からも眺め直すことができます。
審査委員も海事教育も、恩師の指示でした。
恩師はグッドデザイン制度も創設者の一人でしたが、
Ship of the Yearを創設し以後審査委員長として、
なんとしても日本の造船や港湾へのデザイン導入リーダーです。
弟子として、海洋船舶業界のデザイン高度化を目指しています。
5年この海事業界に関わり、
日本の船舶や港湾の国際的な位置関係も知るようになりました。
正直、日本の造船は地味だと思いますが、
技術先進国として毎年、驚愕する技術が登場します。
しかし、特に、造船がデザイン主導システムになってはいないだけに、
保守的な船舶だと思います。
ところが、プロペラ駆動や、船舶でのハイブリッド化、
そして急速充電リチウムバッテリー船舶などは、
確実にこれからの造船業界を国際的にも牽引すると確信しています。
風力発電のプロペラなどは、船舶業界の技術導入や、
港湾を現在は土木工学が中心ですが、
絶対に海事工学的に開発すべきだということを発見しています。
今年度の船舶のどこが評価されているのかは、
下記websiteで知っていただきたいと願います。
http://www.jasnaoe.or.jp/commendation/soy_2011.html


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「刃物・ナイフの基本の徹底基本」


   


     2月 12th, 2012  Posted 12:00 AM


ふるさとで越前打刃物に出逢ったことは幸運でした。
武生(現・越前市)では小学5年から中学1年、
少年時代を過ごしました。
その頃は街中に槌音がしていましたし、
その鍛冶場を学校の帰り道、
寄り道をして職人さんの仕事ぶりを見ていました。
まさか私が刃物デザインをするなんて思ってもいなかったことです。
真っ赤になった鋼、
水に浸ければその音と匂いはしっかりと記憶に残っていました。
さて、「刃物は道具の基本」と言われています。
なぜなら、刃物=ナイフがあれば、
次の道具を創り出すことが出来るからです。
「肥後の守」というナイフは少年時代に、
鉛筆削りから様々な工作で一番の道具でした。
タケフナイフビレッジを設立してから、
相当に職人さんたちにも工学的知識と技術を習得してもらいました。
その結果、
私が欲しくてたまらずにデザインして造りあげたナイフです。
基本の基本を押さえて、最先端の加工をしました。
ナイフとグリップに軸がありますが、まったく軸無しであり、
回転機構を仕組むためには、
ブレードの回転センターはレーザーカットをしています。
したがって、ブレードには伝統の火作り鍛造技があり、
グリップとの回転部位はレーザー加工。
現在も、この加工を追い抜いているナイフは皆無です。
刃物=ナイフの基本を
さらに徹底させた伝統と現代性を実現させたモノと自負しています。


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『資本主義からの逃走』
 「デザインは『付加』するものではないということ・4」


   


     7月 22nd, 2010  Posted 12:00 AM

距離性・距離感
私がこれまで自分自身のデザインは、
「ことば」と「かたち」で語ってきました。
それは、「ことば」と「かたち」の距離性・距離感を自分の中で昇華してきたことです。
ある意味では、人間とモノとの「隔たり」であり、
デザインは、この「隔たり」を近づける相互作用です。
「近」という日本語の表意性と英語のappro-の表意性は同様な意味を持っています。
その意味とは、人間とモノとの関係=構造はそのまま「近さ」感覚感であり、
この距離性や距離感を「付加」することではありえません。
デザインという相互作用を創出する営為ですから、
決して「付加作用」創りではありえないということです。
この関係=構造から、「付加価値」という術語は、三つの分野で発見することができます。
経営学的・工学的・法学(刑法学)的の三つの領域での「術語」としての「付加価値」、
その定義を見つけ出すことができます。
そして、まったくこの領域での定義と
「近さ」や「隔たり」の感覚感との一致性を見いだすことはできません。
つまり「近さ」感覚に「付加価値」は見いだせないのです。
だから、この相互作用は「全体性」へのまさにapproachだと考えてきました。
すなわち「全体価値」への「隔たり感覚」をどう物語るかという課題の設定です。
それは、「物語」=モノ(人工物)を口述しているかのように、という意味を込めてきました。
当然、下敷きになった思考方法は、
私が惹かれた芸術家から科学者、哲学者、数学者、音楽家、戯曲作家まで様々です。
私の「物語」=「プラトンのオルゴール
1994年に、こうした人達を12人に対しての「オマージュ」として、
「プラトンのオルゴール」展を開催しました。
それが、再度、2006年には、金沢21世紀美術館にて、
大規模な個展を開催することができました。と同時に「永久収蔵」されました。
国内で収蔵されたのは初めてでした。
しかもそれは、私のこれまでのデザインの本質的な効用と効果を「全体価値」とする,
まさに「物語」展にすることができました。
そして著作としての「プラトンのオルゴール」も出版されました。
この12人を選び出すことは本当に難しかったことを思い出します。
おそらく、この著作・展覧会・作品としてのオルゴール,
オルゴールユニットの特別発注・ビートルズ・そしてスケッチや図面も
今は金沢21世紀美術館にあります。
私は、この展覧会が私のデザイン、その「物語」になっています。
この「物語」は決して「付加価値」としてのデザインではありません。


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