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Posts Tagged ‘工学系’


『スケッチペンは脳と手の気分的な発想回路を動かす』


   


     8月 27th, 2016  Posted 12:00 AM



シャープペンシルは基本的には好きではありませんが、
スケッチ用のスケッチペンは芯の太さがありこれは好きです。
芯はおおよそ5種類ほどあります。
そして自分でもいい癖ではありませんが、
スケッチ用紙との相性を確かめたくなってしまいます。
デザイン対象への発想力を
脳と手先の回路を働かせるためにスケッチペンを試すうちに、
かなりのコレクションになってしまいました。
最近も、本当に気分でスケッチに向かうためには、
ヴィスコンティのスケッチペンにこだわって極めて日常品をデザインしました。
絶対の自信作です。もはや決定的なデザインをと狙っています。
今なおデザイン活動をしている自分へのデザインミッションは、
医療系・医学系が多く、これは大量の論文を読み、新素材を見いだし、
工学系から医学系で看医工学と位置づけているモノが多いのです。、
日常品でもう我慢出来ないほどデザインの貧しいモノが氾濫していますから、
自分デザインをしたい気持あるいは気分がわき上がります。
そのデザインに向かうには、ただスケッチブックにこの方向の
スケッチ用のシャープペンシルタイプが、脳と手を結びつけてくれます。
そういう意味では、このコレクションは大切なモノになっています。
何と言っても、どのスケッチペンシルが脳と手先を結びつけてくれるかは、
デザイン対象をどのような紙に描くかで決定することができるのです。
そしてスケッチブックはフランス・パリのある文房具店で常に発注して、
もう充分に生涯のスケッチブックは出来上がっています。


* 『まだまだ進化するシャープペンシル、だが作法がない』
* 『書く事のモノは最初から進化を続けている』
* 『モノは貧しくなっているのかもしれない』
* 「デザインツールの新規性化と習慣化を同時に」
* 「 *「手」が創造力の発電装置という話*」


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『デザイン対象となる医療関連の開発について』


   


     6月 14th, 2016  Posted 12:00 AM



確かに少子化と高齢社会に対して、
医療関連のデザイン開発は対象化できます。
自分のデザインも単なるIoTではなくて、
Internet of Medical Things=IoMeTを具体的に研究開発し、
コンシリエンスデザインの目標にしています。
したがって、この風潮が多少出てきたことも現実ですが、
余りに安易な開発の講座や、現実製品開発が進んできました。
しかし、医療用ということでは、
相当に難しい制度・基準から基礎知識が求められます。
まず、GMPという基準制度があります。
Good Manufacturing Practiceという無菌状態での製造生産があります。
現実商品でも、
食品や医療機器にはこの適合から違反しているモノもあります。
さらに薬事法なる制度が、
医療品だけにとても厳しい審査が待ち受けています。
このデザイン開発は
相当の知識が求められていることが忘れられています。
自分が最近、危惧していることは、たとえば、現実素材があるから、
その生産地場に医療産業を簡単に未来開発として目標化されることです。
特に、現実素材がそのまま医療用に転換できるわけがないということです。
医療用素材は専門メーカーによってと
大学の研究機関で相当に研究されています。
医科大学の医師からの要請だけに基づいた新産業の創成化は
とても困難だということです。
たとえば、現実の素材がそのまま医療用アイテムになることは
まずありえないことを明言しておかなければなりません。
すでに、たとえば手術しても体内留置可能な素材開発は
医療用として開発進化しているのです。
確実に、この医療開発デザインには、
医工連携では困難であることを主張し続けてきました。
医学系・工学系・看護系・保健学系を統合化できるデザイン系が
それこそ、コンシリエンスデザインとして可能になると
記しておかなければなりません。

*『デザインはすでにここまでが必然となっている』
*『仕分けされたプロジェクトの重要性から現政権を否定』
*『医薬品業界の誤った市場認識と経営方針・大錯誤』
*『スピーカー企業の社長は学者であった』
*『IoMeTのためのMedical LogとConnect nome』』


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『デザイン領域の「統合」による安全・安心・防災・防犯』


   


     4月 18th, 2016  Posted 12:00 AM



美大でデザイナーの教育を受けた自分にとって、
デザイナーにはデザイン技法の習得が絶対的な身体技命令でした。
社会人デザイナーとしては企業で、その身体技をさらに研磨され、
それ以上にモノづくりの技術と営業を仕込まれました。
やがて、国内外でそれなりのデザイン活動をしてきました。
大学人として、産業美術学科から芸術工学科へ、
デザイナーとして、時代と社会対応は、文理と学術・芸術の統合から
自分のデザイン領域を、大きく4つ生み出しました。
デザイン理工学・デザイン医工学・デザイン文理学、そしてデザイン政経学
幸いにして総合大学ではこの統合化を成し遂げることで、
産業・技術・環境・文化が明確に見えていました。
ところが、March.11 2011の天災と人災は、
さらにデザイン領域での目標と目的を詳細化してくれたのです。
それは、「安全」・「安心」・「防災」・「防犯」でした。
この四つを産業・技術・環境・文化に再配置するには、
文科系+理科系と学術系+芸術系を組み込まなければならないと気づき、
かつて「コンシリエンス」と「レジリエンス」を問いかけたことば、
それこそ「コンシリエンスデザイン」を定義化する必然性ができました。
すでに、美大系・工学系・教育系ではデザイナー養成は困難を知り、
世界や、地球、これからの社会や時代が、
デザイン、デザイナーへと要請する実務が見えてきたのです。
あらためて「コンシリエンスデザイン」が
「安全」・「安心」・「防災」・「防犯」を創出すると確信しています。


*『何がデザイン思考かは終わったのだ』
*『危機解決学としてのコンシリエンスデザイン』
*『自分に何ができるかという死生観』
*『コンシリエンスとレジリエンス』
*『「ふだん」・「まさか」安全と安心は相対的でしかない』


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『サイエンスの限界にある美学性をさらに造語化』


   


     2月 19th, 2016  Posted 12:00 AM



デザインはサイエンスだと公言する人は数多いと思います。
私自身もデザインをサイエンスと考えてきた一人でした。
しかし、それなら、なぜ美大=芸術の一領域で
デザインを徹底的に体で訓練されてきたのかと疑ってきました。
大学を退官して、ようやく、デザインは学際的な一領域に辿りつきました。
それは「Scientist」という職能を決めた人物、
ウィリアム・ヒューエルの存在がありました。
特にサイエンスを定義し、
なおかつその職能を決定した人物がいたことです。
「コンシリエンス」という言葉は彼の造語であり、
この言葉が復活をしてくるのは20世紀でした。
とりわけ彼がサイエンスの限界に美学性を持ち込んだことかもしれません。
私は文理融合とか学術と芸術の統合をconsilienceと断言した彼の造語から
「コンシリエンスデザイン」を再度定義づけています。
無論、彼の造語を再度学術性への芸術化を持ち込んだ人物も精査しますが、
やはり問題は科学では断言仕切れない芸術、特に美学性でした。
しかもcon-silienceとre-silienceに私は注目してきました。
とりわけ、なんでも精神的なストレスを理由にすることへの
いい加減さに辟易していた私には、
レジリエンスにもデザインが適用できると納得したからです。
コンシリエンスとレジリエンスが
対応できる新たなデザイン概念だと決定できたのです。
無論、サイエンス世界にも美はあります。
それどころかサイエンスは究極、美に繋がっています。
それはヒューエル自身もカントに大きな影響を受けたごとく、
カントは感性を極めて大事にし、
「直観の無い概念は空虚であり、概念の無い直観は盲目」とまで
断言を残してくれました。
私はあえて、デザインをサイエンスから分離させて、
むしろ学術+芸術はデザインによる、
すなわち直観による問題解決のヒント・価値創出のサイエンス性、
未来創出の芸術的表現を読み切る力はデザインにあると確信しています。
それだけに教育系や工学系では
デザインは元来つくれ無かったのかも知れません。
私は「芸術工学」での芸術と工学(サイエンス)を母体にしたからこそ、
「コンシリエンスデザイン」に辿り着いたのだと思っています。
したがって安易過ぎる「デザイン思考」などは
何の役にもたたないでしょう。
特にレジリエンスデザインはデザイン思考では解決不可能です。


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12月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 16th, 2014  Posted 11:46 PM

12月16日 辛酉(仏滅)


デザイナーはこれまで、
美大系
教育系
工学系と言えども
どちらかというと「文系」的な
資質が主体。

私は、
まず「理系」であり、
理系からの学際性で
文系までの資質が必然だ。



「危機解決をめざすデザイン実務」


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「デザイン講座は制度設計と形態設計での問題解決」


   


     8月 25th, 2013  Posted 12:00 AM



『March 11. 2011』東日本大震災が立ちはだかったままです。
前政権の政府力量の皆無さをなんとしても解決するべきだと、
私は大学を去るにあたって、最も大きなストレスでした。
ところが、退官後も阪大に残りました。
あらためて、デザイナーと大学人を残った人生の役割にしました。
名古屋市立大学で大学人になってからも、
プロのデザイナーとして作品を商品化して、
産業経済の実務家としても、それ相応の仕事と使命を自覚。
それこそ父から言われ続けてきた「行学」を続けてきたはずです。
あらためて、「行学」についてまとめると、
「行為と学業、修行と学問」を十二分に果たしてこそ、
己の生きがいと働きがいを生き様にするということです。
まして、自分の生涯で、やっと祖父や父たち世代が、
敗戦から、理想的な国家はすでに全滅瀕死の状態だと思います。
私は、デザインをまさに策略であり、問題解決の手法、
このように考えてきましたから、8年前に阪大に転籍後には、
学問領域を四つにわけて、さらに中心の実務学を配置しました。
しかし、一人でこの四つの領域を成し遂げることは不可能です。
ただし、絶対に書き残すことは、
もはやデザインを専門学校や美術系、あるいは工学系では、
とても問題解決の先導であり主導である実務手法は不可能です。
定年退任してから、私はこれまで以上に多忙になってきました。
理由は、四つの「塾」をデザイン講座先導と主導、
これらの「行学」の根本にしました。
その実務手法の目標と目的を具体的なモノとコトにしました。
何をデザインで解決した形態設計の行学だろうか。
何をデザインで解決した制度設計の行学だろうか。
私にはこの実務手法を残された時間に配置しました。
活動はこの秋、10月から活動を開始する覚悟です。
今は「国難」の時です。
それは大震災と大津波で「地球環境」を思い知ったのです。
原発事故も何ら解決していません。
けれども、先進国家のわが国だから出来るのです。
「行学」を果たす者には、最も最適解を出していくのは、
「デザイン」だから可能だと信じています。


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