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Posts Tagged ‘工業デザイナー’


『手づくりから物事デザインと事物デザインを決める』


   


     10月 8th, 2015  Posted 12:00 AM

私は工業デザイナーゆえに工業製品の確実さを最も信頼しています。
だから「大嫌いなモノづくり」に『手づくり』があります。
現代手づくりの大間違いは、手づくりだから一点一点違いがあります。
これは嘘です。本来、手づくりならば、正確無比でなければなりません。
そういう意味では、私が手づくりで認めているのに、
この万年筆とボールペンが在りますが
これらのいわゆる作家二人は亡くなりました。
だから最期の製品だということです。
もうこの手づくりは無くなるでしょう。
ボールペンは跡継ぎは、この手法をすべて機械づくりにしてしまいました。
残念ながら、もう選ぶことが出来ません。
手づくりには、手造りと手作りがあります。
万年筆は手造りであり、ボールペンは手作りです。
この違いが分からないデザイナーが増えてきました。
それが、人の手が入っていて「手づくりの良さ」とか言われると、
それこそ、物事のデザインと事物のデザイン、この差異性も論理化できない
デザインの無知さを指摘しないわけにはいきません。
すでにデザインはモノからコトに変わってきました、
という言われ方があり、
これは物事のデザインです。
ところが、コトのデザインが出来ているから、
これぞグッドデザインというのは、大間違いです。
事物のデザインとはおそらくIoT=Internet of Thingsになります。
ところが、IoTを語るITベンチャー企業は、
30年後には1000社が2.8社残るどころか、
5年後ほとんどが消滅していると断言しておきます。
手づくりは、手作りと手造りが、
物事のデザインと事物のデザインを成し遂げなければなりません。
アートもデザインもその差異性も語れないのに、ともかくデザインを
簡単に誇張している作品に、これまたマスコミが絡みついているのです。
正確無比なデザインが手づくりの万年筆を探し出すことは
とても困難になってしまいました。
それこそ、この万年筆もボールペンも米国の作家でしたが、
もう亡くなってしまったのです。
今、この傾向がペルシャ絨毯の世界にも広がっています。
幸いなことは、日本の本当に数少ない伝統工芸産地の
ある才能には残っていることです。
物事のデザインと事物のデザインをI2Tにしていくには、
真の「手づくり」、その正確無比さをデザイナーが
語り直す必要があるようです。


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『柳宗理作品の軽薄で見識不足な批評は叱られる!』


   


     5月 13th, 2015  Posted 12:00 AM

先生は工業デザイナーの真の草分けでした。
それこそ、父親の「民藝論」とデザインとの対峙をどれほど
実は苦しんでおられたのかもしれません。
したがってアート、特に石彫刻作業の手仕事を激しく非難され、
「コツコツと石など削って、穴なんぞ機械で空ければいいんだ!」
「牛の糞より汚い!」、在学中、何度も私たちは聞かされました。
確かに、先生は必ずスケッチではなく、石膏を削ってモデリング。
手で考える。かたちは手から生み出していく!
手の痕跡は工業製品だからこそ、絶対に残すな!と。
機械で創ってどこが悪い、手づくり、手の温かさが基本ではない!
しかし、現代の柳宗理作品の造形評価には、
時間をかけて練り込んだ造形で手の温もりがあるという軽薄さが多く、
それこそ、”あったかインダカラ〜” が先行した批評を読むと、
直伝で、手づくりの真の反映とか、機械生産だからこその正確さを
私たち金沢美大生は徹底的に教え込まれたと思っています。
「柳宗理の作品には”かわいさがある”」なんて評価こそ糞です!
木で作られているから、温もりがあっていい、というのは
とても貧しい見識だと私たちは自然に学んできたと思います。
今、民芸はほとんど手芸と同様な形態言語で受け取られています。
これは大きな間違いであり、柳宗理のデザイン記号を私は、
むしろ数理的な製品記号論という解釈で無意識さを選んでいます。
工業システムだからこそ、手づくりよりも機械づくりでこそ、
自然さが生まれてくることを知りなさい!と聞こえてきます。
売らんかなという商業主義を徹底的に厳しく非難をし、
見識豊かな商業主義に汚されていない工業システムを尊ばれました。
ゆえにかもしれませんが、
私がメガネメーカーに、最初に、「角膜提供の企画書」を書いた時、
「彼なら、造形以前に企業の社会姿勢を書いて当然」と、
金沢美術工芸大学は、私をその企業に紹介してかつ、
困惑している企業に、「社会的役割からの提案」を認めました。
「だから、工業デザイナーは儲からんのだ」と、
先生の高らかな笑い声を美大の卒業生は耳鳴りになっています。
同級生の光野氏が、国会議員選挙に立ったとき、
先生は住民票を移すというまでになった純粋さを私たちは
生涯、デザイナーの倫理観として護り抜く覚悟でいます。
だからこそ見識の欠落した軽薄な批評に、私は牙を剥きます。


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『金沢21世紀美術館から届いた10周年の収蔵作品集』


   


     4月 2nd, 2015  Posted 12:00 AM

2006年は私が阪大に転籍して、しかも個展を行い、
結果、敗血症・多臓器不全にて重篤常態になり生き返った年でした。
その個展は金沢21世紀美術館での自分最大規模の個展。
金沢美大で学んだことを30年間デザイン活動の結果報告ができました。
しかも、その個展で最大のことは、1994年ギャラリー・「間」での
「プラトンのオルゴール展」でのインスタレーションと
その作品は、スケッチから作品、作品集までが国内で初めて収蔵。
金沢の21世紀美術館の存在は、日本の美術館存在を変革しました。
そして、開館10周年の記念で収蔵作品集が発刊され私に届きました。
4月1日に、この作品集を熟読できました。
幸い、このところ多忙を極めていただけに、アート作品は、
私にとって最良の清涼剤になってくれたようです。
私は工業デザイナーですが、「プラトンのオルゴール」は、
私が影響を受けた12名へのリスペクトを、
ビートルズ曲、これも市販されていない曲名を選び、
編曲をしたオルゴールユニットまで作成して仕組んだモノでした。
「デザイナーの作品などはデパートにあればいい」などという
陰口も私には届きましたが、金沢21世紀美術館サイドは、
「デザインという手法が、アートに直結していること」を
公認するがごとくに収蔵作品として買い上げていただきました。
私の個展後も、その特別展示や、私のデザイン活動も取り上げて、
PKD(Peace-Keeping Design)特別展示などもしていただきました。
デザイン作品を収蔵する国内では唯一の美術館だと思っています。
そういう意味では、海外ではデザイン作品が収蔵されますが、
国内の美術館がデザイン活動でのアート性を評価していません。
この5月9日、「柳宗理生誕100年記念講演」を
未来のデザイン活動のあり方について、私は先輩達から
金沢21世紀美術館で講演をすることを依頼されています。
柳宗理先生の教え子の一人として、この使命を果たします。

 


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『デザインディレクター・職能名の定義をしておきたい」


   


     1月 31st, 2015  Posted 12:00 AM

「デザインディレクター」という職能名が一般化してきています。
そこで、よく、私が聞かれることに、
「デザイナーとディレクター」とはどう違うのですか?ということ。
これはまるで異なっています。
デザインディレクターということについては、
丁度バブルが来る直前に、
数名が毎月ある会合をしてきた時期がありました。
だから、デザインディレクターという職能名を決めていたメンバーは
限られていますし、その時の事情を知っている工業デザイナーです。
工業デザインも、インダストリアルデザインから、
プロダクトデザインに変わってきていました。定義が違います。
当時は、「日本D機構」の組織化をねらって議論をしていたのです。
実際は、ある著名グラフィックデザイナーにマーク一連を依頼し、
その周辺も出来上がっていました。そのメンバー達だけが、
このデザインディレクターという職能名を知っています。
まず、デザインディレクターとは、工業デザインが主であること。
工業デザインは、少なからず、10年は必要になると考えています。
その工業デザインを含んでさらにデザイン全体価値を監督可能なこと
これが最も大事なことであり、それは限られた才能と実績が必要です。
製品デザインから、製造プロセスから商品化すべてでの
製品・商品の全体価値、その創造と管理運営が出来るコトです。
したがって、安易にデザインディレクターと自称している輩は、
すぐにバレるでしょう。スケッチも描けない、情報化環境もできない。
ましてや、金型製造から管理、商品計画の展開も出来ない、
そんなデザイン職能は、決して長続きしませんし、
その人物のデザイン能力すら疑われると私は判断と評価をしています。
先般も、「これデザイナーに頼んだのですが・・・」と
私に尋ねられると、私は即座に断言決着を言い渡しています。
「これはデザインどころか、ましてディレクターの仕事ではありません」。
もし、心配なら、当時議論をしていたメンバーに問い合わせ下さい。
それって、誰?、そして間違い職能者?、いづれ書き残します。

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9月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 12th, 2014  Posted 12:00 AM

9月12日 丙戌(友引)

工業デザイナーは、
少なからず、
物理常識は知っておくべきだ。

電気と電子
電流と電圧
機械要素
元素知識とすすめば、

化学常識にも行き着くはずだ。

「川崎和男 強い人弱い人」


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9月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 8th, 2014  Posted 12:00 AM

9月8日 壬午(仏滅)

工業デザイナーの「業」かもしれない、と
私は思い込んでいることがある。
「モノ」を大切にし、
「モノ」の神髄を信じることだ。

その現れが、
「モノ」の選び方と
日常化するモノと
そのファッション性を
育むことだと確信している。

「川崎和男 強い人弱い人」


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『欧米を追いかけてはならない・3D-Printer開発』


   


     10月 4th, 2013  Posted 12:00 AM

私は何度か、3D-Printerと3D-Printingの使い分けや、
FabLab、RepRap、そしてMAKERSのブームなどに惑わされること、
このことの危険性について記載してきましたが、
日本のブームは、安っぽい商業主義と、
知性と情報欠落した連中によって、日本の独自性などに、
ここまで無頓着になっていることに呆れます。
すでに、米国は日本の技術力を畏れています。
私が、このブログで3D-Printingに触れたら、
それも、在米の日本人から文句がきました。
米国のMAKERSが大間違いをやっているのですから指摘しただけ。
はっきりとそろそろ明言したほうが良さそうです。
光造形もインクジェット技術も、日本のオリジナルです。
だから、陶磁器・刃物・織物から、遺伝子・医療までを
デザイナーがまず、3D-Printer開発するべきです。
ところが、インクジェット機器メーカー企業そのものが、
MAKERS程度に戸惑わされいるのです。
デザイナーは「3D-Printingはパンドラの箱!」とか・・・?。
言わせていただきます。こういう発言や講演者は大バカです。
デスクトップで立体が創れる時代は確実に来るでしょう。
しかし、米国が特許解禁での3D-Printer機器では無理です。
日本独自の機器開発は工業デザイナーが主導するべきです。
そんなことで、大阪大学で3人の教授(私も)が講演しました。
3人ともに、MAKERSではないことを力説しました。
まして、これで「金型」とか言い出している大企業や、
宣伝で3D-Printing使用しているなんて大嘘です。
本当に、「日本の正解」でこの世界を革新するのですが、
呆れかえるほどブームに沈殿している輩がいることを断言します。


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「iPad-SkechBookPro カラーマネージメント」


   


     5月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM

私世代の工業デザイナーはマーカースケッチが基本です。
それもスピードライマーカーです。
私などは第一世代なので、コピックは未だに慣れていません。
そこで、スピードライマーカーは生産中止なのですが、
在庫が市場に出てくればすぐに買い求めてしまいます。
私は特にプロであるスタッフには、
マーカーではなくて、Mac上タブレットスケッチ技法で、
2次元レンダリング(完成予想図)を描かせています。
CG的な3次元レンダは、アニメーションプレゼンの技法も
プロのデザイナー能力としては不可欠と考えています。
そして、最近はiPad上ではスケッチだけは、
「自分なり」の技法を身体化してほしいと願っています。
私自身も、iPadでは、SketchBook Proでスタイラスペンも
選びに選び抜いて、あくまでもラフスケッチ程度は、
自分の技法を求めてきました。
その私の技法をAppleStore銀座で紹介しますが、
その時には、カラーマネージメントとして、
RGB色空間とHSB色空間についても話をするつもりです。
昨夜の先般このブログでRGBとHSBについて書きました。
ところが想像していましたが、やはり、
RGB=光(加算混合)とHSB=擬似色料(減算混合)は、
質問もあり、混乱しているようです。
あらためて、SketchBook Proでは、
ステッドラー鉛筆がオプションでダウンロード可能なので、
参加していただけるのなら準備して来てください。
鉛筆デッサンをこのステッドラー鉛筆を色鉛筆にするだけで、
RGBとHSBのカラーマネージメントは理解できるでしょう。
やはり、スケッチは水彩絵の具での減算混合の体験があれば、
RGB(加算混合)には素早く近づくことができると思ってます。


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「懐中電灯、必需品ですがもう一つの使い方」


   


     5月 9th, 2012  Posted 12:00 AM

1000年に一度の大災害、直下型大地震予知、
かと思えば竜巻、大雨というこの日本。
私たちにとって、災害用の必需品がいっぱいありそうです。
中でも、ライト、懐中電灯と呼ばれていたモノです。
私が選んでいるのは、この二つです。
一方は、マグライトという定評のモノと、
もう一つはグリップ発電するモノは、出張用具でもあり、
身近な所に置いています。
そして、この二つにはもう一つの使い方があります。
それは、デジタルカメラで物品撮影するときの補助ライトとして、
撮影のライティングに重宝します。
ポイントのところにはマグライトの強い光を当てます。
そうしてグリップ発電する方は、
花でも、近接撮影時にとても有効だと思っています。
幸いに、今の懐中ライトは白色光のLEDであることが幸いします。
ともかく、最近はこのブログ写真は、
その日に目に飛び込んできたモノをテーマにすると、
カメラを向けますが、白昼色で無い場合には、
十分にLEDライティングで、立体感をとらえることが可能です。
特に、工業デザイナーにとって「ブツ撮り」は、
製品形態の情報化手段として不可欠です。
プロ中のプロカメラマンの撮影を見てきました。
自分のデザインしたモノを彼らの視線に置くというのは、
ほとんどが、彼らのライティング手法を見てきたことです。
だから、ちょっとした反射や、
ハイライト光線を被写体に当てることの重要さを学んできました。
いかに、容易く、フラッシュライトに頼らずに、
被写体にライティングするかというのに、
この二つの懐中電灯が役立っています。

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「40年先輩が後輩作品を観るという事件」


   


     2月 29th, 2012  Posted 12:00 AM

金沢21世紀美術館・市民ギャラリーで、
金沢美術工芸大学の卒業制作展を観ました。
40年先輩が社会へ飛び出す寸前の後輩、その作品を観るというのは、
私は「壮大な事件」かも知れないと思いました。
同期生たちと観ました。全員が40年間工業デザイナーです。
後輩たちには、やや遠慮も込めながらも厳しい意見だったかも知れません。
この作品は、「夢いっぱいで、流石に乗物大好き」の想いが詰まっている
ホバークラフトのスケートボード、
大学の買い上げ作品というだけに、力量ある表現でした。
「遊具としてのパーソナルホバークラフト」という題名、
濱田夏美さんの作品です。
彼女がすべての作品を解説してくれました。
すでにカーデザイナーへの扉を開けていました。
有名車メーカーでのデザイナー就職は決定しているということでした。
今年国内産業界では、
デザイナー採用がとても厳しい事情もわかっているだけに、
やはり、すでに実力の片鱗がある後輩たちは就職が決まっていました。
どうしても製品デザイン領域を集中して観ました。
金沢という場所ゆえにローカルな発表になってしまいますが、
それでも金沢市民の方々でいっぱいでした。
私自身、ふるさと福井に居た頃8年間、母校の非常勤講師を務め、
主には卒業制作のアドバイスをしていました。
だから、その当時、
卒業制作で印象深い後輩は作品で思い出すことがあります。
グラフィック系は格段に表現領域が拡大していて、
金沢美大の伝統は確実に継承されていました。
ただ、無念なことは「環境デザイン」です。
これは国内デザイン系大学すべてが
「環境=建築や都市景観」という定義性に誤解があります。
韓国・KAISTでは「環境デザイン」を
ロボットや情報空間を対象化しています。
鉄道デザインや工業用住宅なども確かに「環境」ととらえること可能です。
しかし、デザインによる未来獲得からはずれていると言わざるをえません。
今年、KAISTの環境系デザイン担当教授2名の招待講演と、
その領域の大学院生の短期留学を私の阪大研究室は受け入れます。
ともかく、40年も私たちは金沢美大デザイン系学生の先輩ですが、
後輩達の「未来志向の作品」を観るというのは、
本当に壮大な事件であり、幸福な一時でした。

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