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『「学芸員の父」が母校の初代学長・森田亀之助でした』


   


     5月 20th, 2016  Posted 12:00 AM



この肖像はだれでしょうか?、といっても
一般的には有名ではありませんが、母校・金沢美術工芸大学の
初代学長・森田亀之助先生です。
終戦直後、金沢市には疎開していた画家や芸術家がいたのです。
敗戦直後の展覧会は行列になるほど、人は美術・工藝に癒やされたのです。
そこで美術学校を創ろうという話は議会テーマとなりました。
敗戦直後、何を無駄なことをするのか、と大議論になりました。
金沢市の判断は決まってこういう具合なのです。
「もし、前田の殿様が居たら、市民があれほど展覧会を喜んでいる、
 無駄だからというなら無駄でいい、今のこの敗戦時に不可欠だ」となり、
その初代学長の「美術・工藝そしてデザイン」という方針が決定。
専門学校、短大、美大の伝統理念になりました。
私はこの話を、Yちんという主任教授から聞かされました。
Yちんは光風会の画家でしたが金が無くなると先生宅で夕食を頂きました。
無論、先生への手伝いは色紙に描いた絵に落款を押していました。
絵が下手だったことで辞めようとしたときにも随分はげまされ、
他企業が受かっても卒業はさせないから東芝に行けという命令でした。
先生が倒れたと聞いた私は上司にお金を借り飛行機で金沢に帰りました。
もう暗くなった病室で、「来てくれたのか大丈夫だ、大丈夫」と言われ、
病院の玄関まで逆に先生に送られたのです。
ほぼ一週間後に、先生は逝きました。それを会社で聞きました。
だから東京で一晩泣きに泣きましたが葬儀には行きませんでした。
車イスになって 母校の非常勤講師を命ぜられた時に、
Y教授からの伝言をM教授から聞かされて
ビックリしてその命令に今も従っています。
が、その伝言に、M教授の前ではばからずにまた大泣きしました。
出逢わなかった初代・森田学長は「学芸員の父」と呼ばれています。
母校開設70年です。
その最初からを史実記録にしなければなりません。

下落合がずいぶん長い森田亀之助

*『オーディオ界で出逢った新技術と二人のエンジニア』
*『毎夏、再自覚決心の日』
*『やっぱり、なぜこれほど落ち着くのだろう』
*『終戦間際の消された歴史・亜細亜の中の日本』
*『天衣無縫な時代と社会に活気がある』


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「自然との喧嘩・調和などありえない」


   


     8月 30th, 2012  Posted 12:00 AM



私はずーっと「自然との調和」などありえないと考えてきました。
3.11は1000年に一度、
現代を共時共有している私たちにとめどないショックを与えました。
今でも、あの大津波の映像を見ると胸がつまります。
昨日、中川防災大臣が「南海トラフ大震災」の予測を発表しました。
私は「までい-Project」を3.11直後からデザイン計画を書き上げ、
石巻市にプレゼンもしました。副市長は派遣された若手官僚でした。
この計画は相当に壮大ですが、やり抜かなければなりません。
石巻プレゼン後、中川防災大臣にプレゼンしたとき、
すでに、中川防災大臣直轄での
「南海トラフ予測会議」は20回目に及んでいました。
「南海トラフ大震災」は予知ではなくて、
すでに予測値が最大死亡者32万3000人までがシミュレートされています。
私自身も大阪市民の一人ですから、大阪市は7700人の死亡者予測です。
私の自宅マンションも8Fまで津波水害があると言われています。
結局、大震災が南海トラフという地震断層に、
東海・東南海・南海と三連続・同時ということです。
日本列島はコンニャクのような地盤です。
この地盤の上の自然と私たちは共生していく運命にあります。
「自然との調和」などはありえないのです。
ということは、自然との喧嘩が待っているのだ、とすら私は思っています。
自然相手に喧嘩なんて不可能かもしれません。
だから、私は、減災・防災・救災というレベル設定をしています。
私が考えている「までい-Project」では、
「人工地盤デザイン計画」と
「制度設計としての医療環境デザイン」を進めています。
「危機管理デザイン賞」の創設もその一貫でした。
自然相手の喧嘩は、喧嘩への志と態度です。
この志と態度に「知恵としてのデザイン」で
立ち向かいたいと考えている次第です。


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「大阪は革新都市になりうるだろうか」


   


     11月 29th, 2011  Posted 12:00 AM


「革新」とは原意、刃物で切り裂くことです。
「革」は獣の皮をピーンと張った象形であり、
「新」とは斧があるように、樹木を切った切り口。
いづれも、緊張感と切り口から新芽が出るさまを
見事に表しています。
大阪都構想を掲げた大阪府と大阪市の闘争は、
民主主義にて選挙戦になりました。
大阪都を形成しようとする元知事と現市長の闘争でした。
私は大阪府・大阪市いづれも府民も市民も公務員も、
本当に関西弁の重要な言い回しを失っていると、
在住しながらその思いに悶々としてきました。
「好きでっか」・「儲かりまっか」・「ホンマでっか」、
この言葉だけが価値観になってしまった風俗は、
偽装し、悪事に平然とする風土になってしまったのです。
つまり、「好き嫌い」・「損得勘定」・「嘘・本当」だけの価値観。
かつての関西独自の高度な人情味あふれた「正義感」、
その言葉「よろしゅうおましたな」という
判断を喪失してしまったのです。
生活保護の不正受け取り、ひき逃げや軽犯罪の多発、
こんな生活環境の中では、損得勘定だけの街でした。
私は18歳の時、一年間大阪で浪人生活を、
人情味あふれる天王寺阿倍野界隈で過ごしたことがありますが、
その時の人情味は消え失せ、損得勘定では、
「ぼったくり取引を平然とする」ことに呆れました。
したがって、根本的な解決イコール「革新」を期待せざるをえません。
正直、市長に革新の意気込みは感じること適わず、
されど若き府知事の言動には、
憤り任せだけではとの心配もあります。
しかし、今、この大阪に憤りからの革新があれば、
何かが変わるかもしれません。
ところが、元府知事の出自を激しく罵る風潮が、
選挙戦での嫌らしさこそ、大阪の汚濁の象徴になりました。
これは教育委員会はじめ行政の奢りが明確であり、彼らが独裁でした。
大阪の行政組織の大きな抵抗が現在の日本を示しているでしょう。
結果、府知事が市長となりました。
投票所の入り口には元府知事を支援する若者が静かに立ち並んでいました。
「若さ」は無茶を選びがちですが、それはまさに、
「革」をピーンと張り、樹木に斧を振るうがごとき情景です。
これこそ「革新」の具体的景観であってほしいと願っています。
40年ぶりのダブル選挙であり投票率は60%以上に到達しました。
大阪市民府民の革新への期待の大きさが表れています。
新知事と新市長に大阪の「革新」、
それは日本を革新することにつながってほしいと願うばかりです。
今回の選挙結果は、日本の将来への不安を希望にしたい結果でした。


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1月23日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     1月 23rd, 2010  Posted 7:13 PM

1月23日 友引(癸酉)


デザイナー、モノのつくり手としては、
モノを使いこなすための責任を、
所有したい、使用したいという欲望のある
市民側にも持ってもらいたい。



『プラトンのオルゴール』
デザイン・対・民主主義


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1月22日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     1月 22nd, 2010  Posted 9:00 AM

1月22日 先勝(壬申)


しかし、時として、いやしばしば、
私には市民の欲望に対抗して
暴力的なデザインで、
私のデザインした「かたち」によって、
禁欲と倫理を日常化することで
あなたが幸福になるのだと
主張したいことの方が多い。



『プラトンのオルゴール』
デザイン・対・民主主義


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