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『越前市に「タケフナイフビレッジ」を教え子が建てる』


   


     12月 4th, 2018  Posted 12:00 AM



越前市の「工芸の里なんとか事業」の拠点として
タケフナイフビレッジの共同工房の改修と
増設プロジェクトがスタートしています。
かって私は、東京でのデザイン活動から故郷福井へ戻り、
武生市刃物研究会と出会いました。バランスと形態を計測しました。
武生市(現・越前市)には小学校高学年と中学校初期時代を過ごし、
打刃物産地は「野鍛冶」として存分に知っていました。
故郷にしかないモノを輝かせたいと、デザイナーとして戻った
私は、打刃物に取り組むようになりました。大きな支えがありました。
そして、「タケフナイフビレッジ=美しい切れ味を鍛えます」、と
名付けた産地のために、協同工房設立の企画書は
5年後をめざしていましたが、10年かかりました。
私の作品写真をお願いしていた藤塚光政さんからの紹介で、
故・毛綱毅曠に依頼しました。今も彼の建築を見てくれる学生がきます。
私は何度もモデルをやらせました、よくあの値段で・・・と私も想い、
福井で初めて『新建築』に載るような建物を、と
必死だったのです。結果は実りました。
25年経つ建物の改修及び増設は、大学時代を福井で学んだ建築家、
奈良女子大学のN准教授が担当しています。
私の教え子でもあり、大学卒業後は安藤忠雄氏の事務所を経て独立し、
国際コンペも勝ち取るなど、大きな仕事もこなす
彼ならではの「手腕」に期待しています。
タケフナイフビレッジは10人の職人でスタートし、
親方となり今は後継者が20人います。
世界初だった一体化した私デザインのキッチンナイフは、
どこにでも出てきましたが、
「切れ味」については、硬度がタケフナイフにはかないません。
そしてこの産地に新しい建屋が完成します。
伝統工芸の再興、文脈の集積と系譜、
これからの全く新しい継続と振興の拠点となります。


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『家紋:三つ葉葵なれどの思想対決は倒幕か佐幕か』


   


     1月 2nd, 2018  Posted 12:00 AM




歳末に適塾記念会から「適塾」という第50号が届きました。
適塾は自宅の近くに保存財として戦火もまぐれて残っています。
耐震補強も一年がかりで修繕もすませている建物です。
私が最も敬愛している偉人の代表は、橋本左内です。
最近は橋本左内は忘れられていますが、
維新を成し遂げた志士ですが26歳、
安政の大獄で斬首の刑を受けています。
私は決して坂本龍馬が維新のヒーローだとは思っていません。
むしろ、昨年、歴史の教科書から抹消されるというのは正解だと思います。
単純に小説でのイメージが維新を成し遂げたとされているだけです。
それよりも橋本左内が書き残した漢詩が約460首もあったという論文でした。
今年はその460首すべてを調べあげたいと思ってしまいました。
そうして、橋本左内がふるさと福井藩であり、
親藩でありながらなぜ倒幕側であったのだろうかと、
江戸幕府=徳川家の家紋に行き当たりました。
この家紋は水戸黄門ドラマでは決めてになる「三つ葉葵」なのです。
そしてこの親藩すべてがこの家紋ながら、
日本文化に根付いてきている家紋は相当にあります。
当然ながら、この家紋の変遷はデザインでの C.I.マークとの
私は深い関係を見直しました。
この同じ家紋は、血統であり、思想も一致していたにも関わらず、
「なぜ」?が、今年最初の疑問になったわけです。
おそらく、橋本左内の漢詩と本来は二葉葵から創作であったこの葵の御紋、
これを追いかけることになるかもしれません。


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「モンテカルロ、そして車載携帯電話もあったカマロ」


   


     9月 13th, 2017  Posted 12:00 AM



モンザで私の行動範囲はとても広がりました。
ともかく、もうマンションも入院と共に引き払っていた私は、
懸命に退院を誰よりも早くとだけ考えてリハビリテーションに励みました。
基本になったのは、チーフが東芝の玉川工場(医療機器専門)図書館で、
見つけ出してくれた分厚い本でした。
米国でベトナム戦争傷病兵、
その中で車椅子になってしまった人のための訓練でした。
その、日本のリハ訓練の半分で退院出来るというプログラムに、
この病院のリハ訓練日程を半分にして取り組んだことです。
素早くステップを踏んでいる私は車椅子障害者から苛めを受けました。
これはいずれ書き残したいと思っています。
ともかく赤坂にデザインスタジオを持ち、車もモンザよりもっとというので、
シボレー・モンテカルロにしましたが、
余りのロングノーズで、赤坂の小路の坂では上りでは先が見えないこと。
3ヶ月ですでに車椅子対応に改善したにも関わらず、
シボレー・カマロ・ベルリネッタにしました。
これには、車載用の携帯電話をほとんど最初に取り付けたぐらいです。
これも最初は国会議員だけというのを言いがかりの論理で取り付け。
時には交番前歩道に乗り上げてここに電話してとかやらなくなるのですから、
こんな理由を一杯並べて担当者は私が三日通ったらOKでした。
この車載携帯電話だと、上手いラーメン屋に出かけて、電話で店の前とか、
最初は仰天されますが、電話をして食べ回ったこともあります。
当時はどうせ40になったら、寿命はなくなるのだからという荒技行動でした。
しかし、結局、このカマロで 56豪雪前夜に福井にUターンしました。
福井から東京には、このカマロをかなりの速度で乗り回していたのですが、
私には運転することをやめさせようという周囲の声で、
私はこれまた、New Yorkで見かけた美しいボルボのステーションワゴンには
専門の運転手付きで乗ることになるのです。
ともかく、北陸自動車道はとても運転が楽しい高速道路であり、
福井県内の伝統工芸の産地から若狭地方の原電も見て回り、
これは危険な建物と直感したぐらいです。
いつもこのカマロは、とても力強い車だったと思います。
カマロは11年間、マイナーチェンジが無い車でした。



* 「私の小さなふるさと・福井県」
* 『思い出の38豪雪と56豪雪、雪と対決してきた我が人生』
* 「車イスは器械だから、『自力』の身体化は必然訓練」
* 「慈愛は慈善には決してつながらず」
* 『モノに無頓着であってはならない!』


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