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Posts Tagged ‘形態’


「KAIST=韓国科学技術院の先生を招いて」


   


     6月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM

なんとしても風邪を治さなければ、
この想いを実現できました。
KAISTの先生お二人を招いて阪大での講演。
Prof.Kim Myung-Suk先生とはすでに20年来の友人であり、
Prof.Bae SangMin先生は、New York留学中に、
私の講演を聞いてもらったこともあるという仲です。
KAISTはおそらく、全世界的にみても、
最高級の大学・大学院であり、デザイン系でも筆頭です。
Kim先生は「環境デザインとしてのロボット」を
Bae先生は「国際貢献としての製品デザイン」、
それぞれが実現されているプロジェクトを語っていただきました。
私もKAISTで講義をしましたが、
この大学が世界からも注目されている「未来創生の発想」は、
いくつかの重要なキーワードでした。
Why・なぜデザインを、なぜ生きるのか、
Implement・必ずデザインを実現させて未来を創る、
Evolution・常に進化は「融合」=Consilienceを、
Donate=Sharingを、Passionを、と、
重大なキーワードを沢山いただきました。
しかも確実にコンセプトは製品形態に集約化されていました。
私は、3.11以後、デザインによる復興をと考え続けてきただけに、
改めて、デザインの理想主義を語る二人の教授に、
支え直してもらった気持ちでいっぱいになりました。
たとえば、家電は当然ながら、
造船もどれほど韓国は進歩させたか、
その事実を知っているだけに、韓国の勢いを体感しました。
日本も韓国もアジアの小国です。
これからはお互いの交流をさらに深めて、
世界の先導国になっていくべきだと思い直した次第です。
お二人に励まされたようで、すっかり、風邪から立ち直ったと思います。


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「シルエットを決定づけるモノ、それはハイヒール」


   


     5月 18th, 2012  Posted 12:00 AM

「形態」をシルエットで見極めるとしたら、
それは「ハイヒール」になると思ってきました。
だから、自分のデザインした造形を、
対比して見比べるには、ハイヒールの横に置けば、
一目瞭然として造形形態、そのシルエット比較が可能です。
10余年前に、ハイヒールデザインの話がありました。
日本での皮革靴製品開発は困難な問題があって、
産地にまで行きましたが叶いませんでした。
だから、ハイヒールには特別な想いが私にはあります。
当然、女性はハイヒールで苦労なく歩いてほしいと思います。
ルイ14世のルイヒール(踵が高い)から、
女性が足を見せられるようになる1920年代から、
ハイヒールの歴史が映画の女性スターとともに始まります。
世界大戦後にはウェッジヒールが登場しますが、
それはいわばワークシューズだったモノでした。
私はワイフが選ぶハイヒールにはとてもうるさく干渉します。
ハイヒールブランド、デザイナーの新作もメガネ同様に、
世界では数人しか決定打のデザイン登場はありません。
ハイヒールは、フェラガモから現代にいたってまで、
曲線的でなおかつ身体に沿わせるシルエットとしては、
メガネフレームと近似しています。
大きな違い、ハイヒールは特に「動き」とのシルエットが決め手。
かつて、私はそれこそ人間工学としての決定的極点のモノ、
それはハイヒールでしたから、
「動き」でいえば、次のコンセプトワードとの対決感、
その中でのデザイン設計と造形シルエットが重大だと考えます。
 ●「プラネオ」=大きな円弧を描くシルエット
 ●「サカーダ」=小刻みな跳ね上げに追随するシルエット
 ●「コルテ」=小さな連続する円弧運動のシルエット
こうしたシルエット造形で4km歩くことが可能なピンヒール開発、
これはキーボードで「プリエ」スタイルと同様な目標でした。
ところが、最近、Lady GAGAのハイヒールは、
日本人デザイナーがハイヒールデザインを革新していました。
これは明らかに「シルエットデザイン」という歴史を変えました。
私はスゴイ造形デザインだと思っています。
私は男ですからせめて自分の靴底は「赤」にしたいと思っています。


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「扇子の季節、伝統センスが壊れ始めている」


   


     5月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM

以前、ファンの方から私の著作を絵柄にした扇子をいただきました。
それも京都の老舗、「宮脇賣扇庵」の物でした。
この「宮脇賣扇庵」で様々の扇子を見ていて、また発見しました。
自然描写で特にまた葉っぱの写実性が崩れているものが多少ありました。
私はこの「扇絵」という日本の伝統的なキャンバスには憧れがあります。
そこで、展示してある「正確」なものと駄目なものを見分けていました。
大声で「あれ、間違っている」と言ってワイフに叱られました。
「また大きな声で、駄目でしょ」って。
「間違いは指摘しておくべきだ」と。
お店の方と話をしたら、その通りです、との回答をいただきました。
時折、プロの日本画家、日本画画材でないと扇制作は不可能、
膠が扇制作では大きく影響しますが、
日本画家の先生でも間違いが多くなってきている、とのことでした。
このところ陶磁器での自然写実とデフォルメも間違いが余りにも当然です。
いづれ、私も「扇子」を特注して作品化したいと考えていますから、
「宮脇賣扇庵」さんには
徹底して「絵の制作での注意点」を講義していただきました。
「扇子」はまさに日本の発明品です。
本来ウチワ的な風をしかける調度品は
エジプトから中国と世界的にありますが、
「折りたたみ」=foldingの形態にしたのは、
まさに「日本らしさ」であり、
「携帯性」と「凝縮性」は、日本のモノづくりを端的に表しています。
要は(この漢字も扇子の部品名にあり)
いわゆるfolding ・mobileは
デザインの一つの造形のあり方だと思っています。
しかし、こうしたモノが文房具には大変に多くて感心しますが、
家電やその他の機器にはまったく欠落してきている風潮が
増加しているように思えてなりません。
文房具のダウンサイジング(凝縮性)・ミニチュア化・折りたたみ性は、
多分日本は最高に進化を遂げています。
にもかかわらず、機器設計において、
このモノづくり精神性は壊れてしまったのかもしれません。
その象徴が、自然写実でのデフォルメであっても基本を崩していることは、
日本の伝統文化を壊しているものと指摘しておきたいと思います。
デザインの世界から、さらに新たな表現領域への興味は強まっています。
もちろん、デザイン本来での、「補助人工心臓」や「透析医療器」などの
ダウンサイジングは、今、一番追いかけているテーマです。

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「手を頭脳化するトレーニング=デザインストローク」


   


     4月 21st, 2012  Posted 12:00 AM

「HIRANO DESIGN METHOD」のイニシャルトレーニングです。
A3(B2)サイズに2mmピッチ、フリーハンドで鉛筆下絵に
「デザインストローク」=3?2ミリ線を引き、
そのままもう一度、2?1ミリ戻りながら仕上げていきます。
これをほとんど正確に引けるように訓練を繰り返すのです。
一枚仕上げるのに平均18時間。
これはベトナムからの国費留学生で多軸加工自動CAMシステムから、
先端デザインを博士前期課程とした3枚目の作品です。
まだ合格させていません。
私は美大時代、9枚描いてやっと合格しました。
平野門下生はすべて最初に合格するまで苦しむ課題です。
私の時代は、丸ペンに黒インクで描いていました。
現在は、イラストペン0.2mmを数本使います。
これを数枚仕上げれば、三つの効果が身体化するのです。
直角・直線・水平垂直が見分けられるようになります。
次の課題がレタリングをフリーハンドで描く基礎になります。
そして、手描きする「手」の運動神経が柔らかくなるということです。
レタリングでセリフ体とサンセリフ体をトレーニングし、
デッサンも「デザインストローク」で、
私は生きている鶏をA1(B1)サイズで50枚あらゆる角度で描きました。
そうすると、アイディアスケッチが、
頭の中が空っぽ=無思考状態でも、
手を動かせば「形態」が何か描けてしまうのです。
だから、たとえばデザイン対象アイテムをテーマに無思考状態でも、
「手が考えて線を描いて頭脳にイメージが投影」されます。
私は、その状態を「手が頭脳化」していると言っています。
一気に仕上げる18時間はほとんど徹夜仕事になります。
若いときなればこそ、
この訓練はデザイン実務に入っていく最初のトレーニングです。
今はパソコンで書体を選べばレタリング作業など無しで事足りますが、
やはり「手で考える」というのは、
デザイン実務の根本という考え方は教育者としての哲学になっています。
多くても5枚程度で、
完璧なデザインストロークの基本が身体化するはずです。
だから私は、
発想の根本は、絵=フリーハンドが最も近接していると確信しています。

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「ロケットとミサイルはグッドデザインの問題」


   


     4月 15th, 2012  Posted 12:00 AM

ロケットもミサイルも形態はほとんど同じです。
どう見ても「カッコいい」存在です。
しかし、北朝鮮の「ミサイル」は見事に失敗してくれました。
大迷惑な国家が存在しています。
なんとしても同胞の拉致問題が先送りされ続けています。
これも現代日本が抱えている最大問題です。
さて、ミサイルとロケットの違いは、
一言で言えば、推進力ある存在がロケット(エンジン)であり、
衛星や爆弾を飛翔誘導させる存在がミサイルです。
だから、ミサイルがロケットを積んでいることもあれば、
単に誘導させるだけならロケットではないということでしょうか。
1970年代に、ミサイルはその「かたち」からして、
美しくて機能性があるから「グッドデザイン」という概念を満たしている。
となれば、武器であるモノはすべからくグッドデザインであり、
デザインの本質との照合性が武器には最適合することになります。
グッドデザインは兵器デザインに適合してしまうという議論です。
当時から、この議論は棚上げされてきた大問題だったと思っています。
私が一応デザイン学者という立場を
最重要視すればこの問題に対峙しますが、
学者と言うより実務家デザイナーなので、
この問題は放り出してあることを正直に告白しておきます。
ロケットは、
自身の質量を失いながら推進力というエネルギーを使う存在ですが、
ミサイルは、誘導するモノがデザイン対象に照らし合えば、
もし爆弾という武器、衛星という兵器ならば、
決してグッドデザインではありません。
しかし、もし、誘導飛翔させるモノが文化性あれば、
その搭載しているミサイルは
グッドデザインとして評価できるということになります。
この関係は、原子力と放射能の関係に重畳しています。
原子力が原爆になること=兵器・武器であり、
放射能、つまり放射線が
人体の健康保健になっていれば善としての存在です。
民衆を飢えさせる独裁国家のミサイルは、
たとえ掲載されているモノ=誘導飛翔させられる
文化的衛星であっても、
それはグッドデザインであるはずがありません。
それにもまして、
誘導飛翔する機能性が不完全な設計であったわけですから、
元来、グッドデザインになる要因=factorは無かったということです。
ミサイルも原子力も、「矛盾」という大問題を人類に投げかけています。
私たちは、ミサイルや原子力を創り出してしまった以上、
この最適解をグッドデザイン評価に求めることも
一つの解決方法だと私は思っています。

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「算盤=知的道具に木の文化が息づいている」


   


     3月 20th, 2012  Posted 12:00 AM

私は幼稚園は二つ通いました。
最初は基督系でしたが、悪戯が過ぎたのでしょうか、
断られて仏教系になりました。
塾といえば、
算盤塾にみんなが行くので私も行かしてもらいましたが、
「もう来て欲しくない」と塾から三日目に断られ、
通っているふりをしましたが、母にすぐにバレました。
そんなこともあって自分流なので算盤は得意ではありません。
今回思いがけずプレゼントされた作品、
それはデザイナー・蛯名紀之氏の算盤に触って見て、
算盤ブームもう一度というより、
これは絶対に復活させるべき道具!と断定しました。
電卓も競技会がありますが、算盤には段位があります。
以前、「盤・盆・膳」という日本の伝統文化史を自分で構築したとき、
見えていなかったことをこの算盤で思い知らされました。
算盤という基本形態の完成度の高さです。
算盤玉と呼ばれる形態は玉ではないあの形に意味があること。
そして最大に重要なことは素材が「木」であるということです。
プラスチックのソロバンは、
やはり操作感、使用感が身体化されないのです。
これは盤(PAD or Plate or Board)の上にある
象徴化されている数字概念の表徴形態、
それは「木」と指との関係が無ければ成立しないということです。
伝統的な「盤」には将棋盤や双六盤、
今では制御盤や分電盤までありますが、
算盤というのは、計算する道具として、
最も簡潔な形態要素とその配置で計算性能があります。
この計算性能は、指先でトレーニングすればするほど、
暗算というイメージ計算を身体化させてしまう機能性を持ちます。
60の手習いということで、
昨年62の手習いでフランス語会話を大学以来にやり始めましたが、
算盤に向かってみるのも面白そうだという気分になっています。
電卓とはまったく異なるこの算盤は日本の伝統文化であり、
宝だと確信しています。
「算盤」教育は復活させてもいいかもしれない。
私はもう一度算盤を練習してみようと思っています。

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3月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 16th, 2012  Posted 3:49 PM

3月16日 先勝(丙子)

デザイナーにとっては、
これまで世の中に存在しなかった
新しい形態を生み出していく作業は、
「自分」とまったく正面から
向き合う作業である。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


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「モダンデザインによる製造の完成度アップ」


   


     3月 10th, 2012  Posted 12:00 AM

コーヒーや紅茶のソーサーとカップ、
その寸法、容積の伝統的ルールをモダンデザインは解放をめざします。
しかし、瞠目すべきことはモダンデザインの本質表現があることです。
伝統的な形態の容積ルールを乗りこえるためには、
中心的な機能に注目します。
それは、手に持ったときと熱さの問題、
唇とカップとの接触面を改善して機能的な完成度を求めます。
すでにこの作品(INOX)は20年程前に製造中止になってしまいました。
このメーカーはケットルが今もモダンデザインを追求しています。
このデミタスカップとベースはステンレス製ながら、
カップ構造は二重になっています。
そして、飲み口部分の精微な仕上げは手仕事です。
したがって、とても製造コストは市販価格を支えきらないでしょう。
だからもうこのような製品は商品にはならないのです。
しかし、デザイナーは今一度、こうしたモダンデザインの極み、
すなわち、素材・形態・仕上げを学び直すべきと考えます。
カップとソーサーの伝統的なルールをモダンデザインは解放していますが、
主機能としての飲みやすい温度、保温性能、素材など、
その最終仕上げによる製品完成度の質が見事です。
今や経済動向は世界的にもデフレ傾向です。
完成度をミニマムなシンプルな形態に追求するモダンデザイン的な手法、
そうした手法や理念は市場価値を失っているかもしれません。
あらためて、ユーザーの所有価値観と使用価値観によって、
製品価値のあり方の見直しが必要だと思います。
私は、このステンレス製のモダンデザイン、その製品完成度こそ、
デザインの本質があると思っています。

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「イスで物語れること・メディアになるイス」


   


     2月 22nd, 2012  Posted 12:00 AM

デザインという手法は、言葉を持つことができます。
それは単なる造形言語、
あるいは記号論的な意味性という小難しいことではなく、
単純明快な比喩です。
これはその一つの商品にまでした作品です。
日本ではそれなりに商品になりましたが、
海外では大きな評価を受けました。
80年代、New Yorkのブルックリンは治安が悪く、
その再開発計画で、国際家具センターが新設されました。
世界中の家具取引をセンター規模でというきっかけを創った最初でした。
そのオープニングで、世界中から400点のイスが選抜されました。
日本からは、たった5点しか選ばれませんでした。
私のこのイスも選ばれ、
最終的にはグランプリ候補5点に入りましたが、
親友のイスがグランプリになりました。
このイスのテーマは「休息」でした。
休息の無い人、それは兵士です。
だから、まず兵士は迷彩服の戦闘着を脱ぎ捨てること、
そして、大砲や銃身をグニャリと曲げてしまうこと、
背もたれがその砲筒を曲げたことを比喩しています。
したがって、裸になった兵士と戦闘不能ゆえ、
兵士に休息があるということは「平和」に繋がるのです。
「譬」表現のメディア化を試みたイスです。
「平和」表現するポスターと
同等のインダストリアルデザインをめざしました。
そして、日本の座布団を積み重ねた形態です。
「TON TON」という商品名でした。
イスは、その造形によって物語りを用意すれば、
まさしく、比喩、直喩、換喩、隠喩によって
象徴的なメディアにすることができます。
次世代デザイナーに試みて欲しいことです。

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2月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 10th, 2012  Posted 9:30 AM

2月10日 辛丑(先勝)

形態と機能、
材質と構造が
単純明快であればあるほど、

形態と機能は、
材質と構造を消去して、
彼の記憶を普遍化し
私たちに与えてくれる気がしてならない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』4画家とともに


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