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Posts Tagged ‘御用学者’


「想像力と直感あれど『東京ラリア』具現化出来ず」


   


     1月 9th, 2012  Posted 12:00 AM


1994年にギャラリー・間で個展をすることができました。
「プラトンのオルゴール」という個展をしました。
その個展の作品・インスタレーションは、
2006年に金沢21世紀美術館に永久収蔵されました。
その個展で一つの作品を提示展示しました。
「東京ラリア」という名のラジオです。
これは災害用を意図して、電源無し・振って発電し、
NHKだけが聞こえるラジオ=受信機能と
発信には笛をつけました。
その笛の吹き方は、表面に触覚マークがついています。
「・・・ーーー・・・」というだけのものですが、
これはモールス信号のS・O・Sを表しています。
フッ・フッ・フッ・フー・フー・フー・フッ・フッ・フッで
SOSになります。
これを個展と同時に草月会館での講演でも見せました。
そうしたところ、東京消防庁と東京都から具体化の話になりました。
しかし、様々な経緯で可能にはなりませんでした。
そして翌年1995年に阪神・淡路大震災が起こりました。
(来るべきことが起こった!)
私の想像力と直感が当たった気がしましたが、
咄嗟にこの「東京ラリア」が出来なかったことを悔やみました。
こうした体験を何度してきたでしょう。
新潟県中越地震前に「佳設住宅プロジェクト」を
ある住宅メーカーと進めていましたがトップが倒れてストップ。
この「夢」も本当に間に合いませんでした。
中越地震直前にあった出来事も書き残したいと思っています。
この時は、日本の原子力技術学会・大学人と大喧嘩しました。
これは、本当に今回の原発事故での原子力専門学者、
特に御用学者の態度をすでに私は体験していました。
いづれも、デザイナーという職能の悲しさです。
デザイナーはデザイナーでしかなく、
具現化する投資やその具体化推進の経営者がいないのです。
だから、私自身の経済的な投資力を持たなければなりません。
製品開発のアイディアは「夢」となる想像力と直感ですが、
これは「夢」というより必然的などうしても実現を急務とする義務です。
残念ながらその力量が私に無いことが悔しくてたまりません。
先般、Facebookでこのラジオのブログを紹介したら、
覚えておられた方、やがて私の連載の編集者さんが
詳細に説明を投稿していただきました。
そこであらためて、ブログアップしておくことにしました。
まもなく、私は昨年の3.11から取り組んできた「夢」というより、
デザイナーの義務としての「復興計画」の企画提案をします。
万一、これが受け入れられなければ、
それは私に「説得力」というデザイナーとしての基本能力不足だと判定し、
残された時間の使い方を再熟考し直す覚悟でいます。
たとえ、想像力と直感でデザイン対象を見いだしたなら、
それはそれなりに「社会化」することが、
デザイン職能の義務だと考えます。
これは私自身の存在証明ですから、それが無くなったなら、
私の存在価値は自分で決定する必要があるでしょう。
「東京ラリア」の基本的な動機とその考え方は、
iPhoneアプリ「HELP CALL」に連続させていることを追記しておきます。


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「地方都市の産業活性化策定は金太郎飴」


   


     11月 27th, 2011  Posted 12:00 AM


かつて名古屋市立大学時代には、
名古屋市の教職員だったので、
「名古屋市2010年計画」の策定に加わっていました。
当時は、「企画」なのか「計画」なのかから、
詰め寄って議論をしたことがあります。
福井時代にも、そして、御用学者的にも国の政策策定、
こうしたことに関わってきましたが、
私の極めて正確無比な言動ゆえに、今ではすっかり、
そうした政策策定には関与していません。
ただし、企業の戦略策定はプロとして関わっています。
理由は簡単です。
地方行政や国家行政はいい加減なことがあまりに多い、
これが私の結論です。
しかし、企業ではそうはいきません。
最も、企業コンプライアンスをいい加減にしている、
そんな企業も最近は見受けられるようなりました。
でも、私にはこのような企業は「やっぱり」なんです。
ところで、「名古屋市2010年策定」は今もその展開、
進行結果の報告がありますから、評価しています。
ところが最近、幾つかの地方都市の2020年から2050年など、
そうした「地方行政政策策定書」、
特に「産業活性化」をいくつか読む機会がありました。
どこでも、項目がすべて同じ=金太郎飴であり、
「企画」なのか「計画」なのかも定かではないのです。
ひょっとして大手広告代理店、銀行系のシンクタンク、
そして大学教授という学識人の委員会だと、
「このようないい加減な策定案」が最もらしく文案に
なってしまうのでしょう。
特に、3.11以前の策定案ならば、もう即刻に書き直すべきです。
「スマートグリッド」・「クリーンプラン」・「再生エネルギー」など、
幾つかの術語がコンセプトになっていて、
その定義が脚注に書き込まれています。
プロとしての判断では、この定義は間違いだらけです。
TVのコメンテーター=評論家といわれる人たちの言説も、
間違いだらけが特に最近は目立っています。
「だから、わが国はシステムが壊れてしまった」。
私は相当に怒らざるをえません。
私は少なからず「商品」という具体物で勝負してきました。
さらに、「地方行政」には、自分たちのふるさと再生、
地方産業の活性化政策で、ブランディングとかマーケッティングとか
グローバリゼーションというキーワードがとても氾濫しています。
ところが、
「デザイン」という言葉が全く無い政策案もあって驚愕です。
それは、地方行政ではいまだに「デザイン」に信頼が無いのか、
あるいは「デザイン」を付加価値程度にしか認識が無いのでしょう。
とても「いい加減な言説」には、徹底的にプロとして言説で抵抗します。



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「世界各国の2030年計画は壊れた」


   


     5月 14th, 2011  Posted 12:00 AM

2030年が目前です。
だから世界各国には、
2030年に向かっての
各国が国際的に互助関係にいたるべき
問題提起とその解決方針が書かれています。
当然わが国にも、真摯ないわゆる官僚作成計画があります。
最近、官僚はほとんど悪人扱いがこれもある種の風評。
私はかっては国の委員などした経験もあり、
審議会後、議事録の「霞ヶ関文学」に幾たびも文句をつけました。
よって、おそらくブラックリストの一人なのでしょう。
以後、霞ヶ関に出かけることはまったく無くなりました。
だから御用学者ではありません。
墓場に持って行くわけにはいかない話はすべて書き残す覚悟です。
でも2030年計画には理想主義的計画は確かにいっぱいありました。
というわけで、2030年の様々な計画書を見ると、
特に、CO2問題、エネルギー問題、電力と情報ネットワーク問題、
こうした計画は、今回のフクシマ原発事故で、
すべて見直しになったものと考えます。
そして、私はわが国の現政権は、
少なくともわが国の2030年計画は白紙となって、
あとは「思いつき」で被災地と原発問題に対応しているだけです。
というより、代議士はじめマスコミも、
2030年問題解決の各国提案を本当は読んでもいないのでしょう。
世界人口が100億人になろうとしている事態に、
民主主義や資本主義などは、
すべからく「民衆主義=ポピュラリズム」に代替されています。
「反原発」が「脱原発」へ、
これも浅はかなポピュラリズムにすぎません。
私は、「解原子力=新生エネルギー」であるべきと考えます。
2030年計画では、「再生エネルギー+原発」思想が目立ちます。
この程度が人類の発想=空想エネルギー論であっては、
「思いつき」と「思い込み」であって、創造性を喪失しています。
フクシマ原発事故=人災が突きつけていることは、
本当に21世紀を生き延びる本当の科学と技術をベースにした、
人類の知恵を修練し結集せよという啓示だと私は認識しています。
勉強不足のマスコミ、ひたすら専門馬鹿の評論家や御用学者、
彼らのポピュラリズムに惑わされてはいけないのです。
2030年計画を厳粛に読み直し、修正とさらなる創造性、
これがデザインテーマだと私は考えています。


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『資本主義からの逃走』
 *産・官・学などありえない!・・・*


   


     11月 15th, 2009  Posted 8:39 AM

私は47歳で大学人になりました。
いつも「産・官・学」というのが「耳鳴り」でした。
というよりもほとんど、「耳障り」でした。
私は、そんなもの、そんなことは絶対に不可能!と、
言い続け、絶対加わらないという信念
それはデザイナーであるポリシーでした。
だから、それなりの仕打ちをどれだけ
受けたことでしょうか。

デザイナーの私には、産官学を言う「知恵なき集団」、
そんな集団が創造など出来るわけが無い、と
いう確信が経験値としてあります。
約580点のデザイン作品を社会化してきた自負です。
(最近海外メディアの取材で、秘書が整理してくれました)

今、政権交代によって、
「産・官・学」は「予算計上が完全ストップ」されました。
静かな「革命」が起こっていてくれるなら、
とてもうれしいことです。

「産」は、当然儲けたいし、その研究費に食らいつきます。
関わった産業人は言い訳を用意すればいいのです。
「官」は、とりあえず、お上としての目線で、
何か社会にイノベーションを与えた気になるだけです。
「学」は、
無能な研究室や教授に限って声高に論文程度にするだけ。
途方もなく国税を無駄にしているかを見てきました。

「入場者数が90万」という施設運営のお見事さを
宣った館長では、やはり、社会的な存在は無理です。
ある県立美術館長が私に言いました。
「私の美術館は、こうみえても年間2万人ですよ!」
「ふざけないでください!、それがご自慢なら間違いです。
年間400万人がルーブル美術館です。ご存知ですか?
日本で、年間170万人やがて200万人という美術館が
日本にあります!、そこには私の作品も収蔵されていますが」

少なくとも、私は国立法人大学の教授です。
しかし、「御用学者ではありません」。
多分、官僚にものすごく嫌われるほどIQが高いですから。
彼らとの議論には負けないことがイヤなのでしょう。
けれども、
研究室は必ず、誰かがいます。 国費を使うだけのことに、
「懸命」に、「賢明」であるべきというのが愛国心です。
必ず、研究成果を「社会提案」します。
「いのちと向き合うデザイン」の研究室です。

あまりにもひどい国立・公立はもとより、
私立であっても、
「大学」は、「知を探求し、感を創出」するべき場です。
もし、税金や助成金がもらえたなら、
必ず「モノにする!」能力は限られた大学人だけです。

そういえば、前政権の土壇場予算応募がありました
「最先端××××=2700億円」です。
国費に応募したことのない私が応募しました。
当然、見事に落とされました。
「研究の重要性は理解できるが・・・」と
簡単に評価されました。
重要性など分かっているはずがありません。

待っていていただきたい。
必ず、「世界的なデザインで、世界を変えます!」から。


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