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Posts Tagged ‘復旧’


「『までいProject』の原資確保」


   


     3月 29th, 2012  Posted 12:00 AM


3.11の復旧・復興への対策事業は被災地各地で開始。
しかし、すべてが金太郎飴的な対策案になっています。
 ●災害に強い「町づくり」
 ●経済産業の復興
 ●コミュニティの絆強化
ほとんどがこの三つであることを確認しました。
私は、根本的な解決と、
特に被災地各地からの人口流失を考えると、
「帰りたいふるさと」としての「まち」づくりが肝要と考えています。
その「まち」は、
「とち」・「つち」、そして「まち」=町と街になります。
また東北方面では
「とおり」=通りという地名や街道が多いことにも注目が必要です。
そして産業経済の復興については、
これまでの東日本がすでに産業的には厳しい状況にありました。
だから抜本的なそれぞれの町もしくは街に、
特色ある産業を創出していかなければなりません。
私が一番懸念するのは、まだ防潮堤を築こうという発想です。
今回、手抜き工事だった防潮堤がかなりありました。
さらに10m以上を想定しての防潮堤では、
海岸線の景観はすべて失ってしまいます。
「つち」と「とち」のあり方からの発想が必要だと考えてきました。
それは「人工地盤・人工岩盤・人工水盤」までを整備する、
それほどの壮大なプランづくりが必要だと思っています。
「空中都市計画」を21世紀だからこそ、日本が構築していくべきでしょう。
そして、最大の問題はその原資です。
増税してもそれは社会保険や福祉手当になるだけです。
むしろ、これまで日本では根付いてこなかった
PFI(Private Fainance Initiative)を日本流に、
そして被災地毎対応にアレンジすべきです。
そうしてPFIを制度設計化して原資獲得をしなければ、
先立つ「お金」がありません。
まして日本全体の経済が冷え込んでいる中で、
復興費の獲得などほとんど不可能です。
どうやれば、PFIとその配当を投資した個々人や
組織、企業に還元できるかを徹底的に考えつきつめるべきでしょう。
私は今日、まず「石巻市」でそのシミュレーションモデルをプレゼンして、
新たな問題点を聞き集めたいと考えています。
そして、行政からさらには住民や特に被災された人に
共感してもらえるプランづくり=デザイン戦略が
大きな役割と考えています。


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「安政の三大地震・伝承されたこと」


   


     12月 27th, 2011  Posted 12:00 AM


私は日本を「神の国=花綵の国」だと信じたいのです。
わが国は政治が乱れたときに大きな天災に見舞われます。
安政年間には、安政江戸地震・東海地震・南海地震と
三大地震が起こり、それは各地でも天災被害となりました。
けれども、そうした天災を後世に伝えるべき工夫を重ねてきました。
「つたない文章ながら、後世に伝えてほしい」とされた碑文。
その碑文は墨で黒々と風化を食い止めてきました。
一時は、科学的なペイントも考慮されたらしいのですが、
毎年、その石碑を中心に慰霊して墨入れを継承してきたということです。
3.11は復旧・復興とともに後世への伝承を具体的に残すべきでしょう。
ただし、箱物での「記念センター」的な建設、
そして天下り人事ではありません。
「みちのく」との距離は、離れれば離れるほど記憶は風化します。
陸に乗り上げた船舶や、瓦礫のモニュメントなど、
痕跡記念はありますが、
被災した人たちにとっては、
「哀しみと悲しみ」を再現させるべきモノではありえません。
未だ、行方不明者を家族に抱えておられる方々への思いやりの有り様、
それはとても想像を絶します。
しかしながら、これまでも三陸海岸では、
「津波の時は山に逃げるべき」石碑がありました。
「大地震両川口津浪記」にも、「船で逃げるべからず」、
この記述が伝承されてきました。
慰霊の場、そこには
いつでも花を手向けるモニュメンタル・トポスは必要でしょう。
しかし、私たちは、大地震・大津波・原発事故は、
特に原発の後始末は数十年を越えるでしょうから、
決して忘れることはないでしょう。
が、それでも被災現地ではおおよそ35万人の被災は、
35万件の事件が在ったということです。
「東日本大震災」という名称でまとめられることではありません。
地震前に日本は、市町村合併により市町村名が変わりました。
よって、本来、伝統文化の地名を失っていたのです。
このことからも、まず「地名」を戻すこと、
私は地名という言霊を捨て去ったことに、
「みちのく花綵」を失ったとするなら、
モニュメンタル・トポスにはその地名復活も、
大きな復旧の手立てだと確信しています。
そして、この復興がどうであったかよりも、
「安政の大獄」で殺された頭脳は人災でした。
わが橋本左内も、吉田松陰も、梅田雲浜も殺されました。
1860年に咸臨丸は太平洋を渡ります。
日米修好通商条約がその後の日本を苦しめました。
まさに、TPPを抱え込んだ現代に酷似しています。
この国難のモニュメントは熟考しなければなりません。


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「東日本大震災のNHKジャーナリスト講演から」


   


     12月 24th, 2011  Posted 12:00 AM



震災直後のNHK取材は3D撮影であり、
監督されたNHKメディアテクノロジーの智片通博氏に
阪大で特別講演をしてもらいました。
依頼後時間が経ちましたが、
かえって「風化しそうな」記憶を再確認できました。
私自身は震災直後から東芝で
「復興計画デザイン」に関与してきました。
ほぼ10ヶ月かけて「全計画」を書き上げ、
来年早々、東芝トッププレゼンします。
デザイナーとして40年の実務経験からの発想です。
講演では、取材編集はあの日の参議院予算委員会から始まります。
時間経過にそったNHKの天災時対応の詳細や、
そうした放送台本が放送直前の修正まで見ることができました。
私はメモを相当に取りました。
講演を見聞し、幾つか私の心に残り書きとどめたことです。
●震災の歴史的記念は
これは残すべきかは被災された方の気持ちが大事で記念館など不要。
●市町村合併によって町名に何ら東北地方性が失われていた。
●1000年に一度の天災でこそ
「役立たない技術」などはまったく人類に不要。
●NHKは日本人全員の生命と財産を守るマスコミとして
相当の日常的準備訓練があったこと。
●「みちのく」を復旧し復興することが政治で可能だろうか。
●マスコミとしてのNHKに対して、
ミニコミの必要性がもとめられますが、そのあり方。
●箱根を境界として、
日本が二分されてしまった現状から国力再建の可能性。
私は、あらためて国難の中にたたずんでしまっている
自分を客観視しました。
講義後、講座担当教授としてこのような話でまとめました。
1860年、日米修好通商条約提携に向け、
勝海舟・福沢諭吉が乗った咸臨丸が出航。
1854年から1859年は「安政時代」、社会不安に天災続き、
特に大阪も安政南海地震で大津波、
結果、難波(津波災害から)、梅田(埋め田)という地名が生まれるほど。
NHKでも若い取材者は、精神的ショックが相当だと聞きました。
現実、大学生にもボランティアに行きつつも、
そのやりきれなさで自殺者が出ています。
私たち日本人にとって、この震災・津波・原電事故は、
日本を「壊滅」させました。
それ以上にタイでの洪水は、産業的海外基盤を失っている状況です。
祖父や父世代が、日本を敗戦ながらも「楽園国家」にしてくれました。
その楽園環境に麻痺していたのかもしれませんが、
現実、まだまだ復旧さえ進まないわが国は
本当に「絆」をもって再興すべきだと再決意しました。


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「糸は日本語漢字の重大意図を持つ」


   


     12月 14th, 2011  Posted 12:00 AM


「戀」という漢字を「恋」に変えてから、
日本の文化は薄くなっていったのかも知れません。
私は漢字が略字化されたことをちょっぴり淋しく思います。
「醫」=医とか、「藝」=芸などもその類いです。
「戀」というのは、言葉が糸にからまってしまうほど、
言葉にはならない愛しさの表れを見事に表現しています。
今年象徴の漢字は「絆」になりました。
3.11という未曾有の体験を課せられた私たち、
日本人が最も希求した日本人の心のつながりは、
絆でした。もう一つ、絆は紲という文字もありますが、
絆には、元々は馬の足にからめて縛るひもから由来した
人を束縛するほどの義理とか人情をレトリックとした意味があり、
この国難にあってこそ人は、家族の絆から国民みんなの力、
その総合力で「絆」を思いだし、力合わせを誓いました。
「災」と「震」も候補であったようですが、
この二つには恐怖感があります。用心をさらに固める意味でしょう。
しかし「絆」が選ばれたことに、
私はこれからの民族魂感を認めます。
一言でいうならこの国難は日本民族が一体となって立ち向かうこと。
その確認をこの年の最後に納得できたものと考えます。
それは、以前にもこのブログで重大視してきた「綵」です。
つまり、日本は「花綵の国・はなづな」の風土であることだと思うのです。
東日本は徹底的に破壊し尽くされました。
多くの人命と街が破壊されてしまいました。
私は「3.11以後のデザイン」を語っています。
そして、「復興計画デザイン」に関与しています。
これは来年早々に、この半年以上も議論し、
発想を具体化計画を来年早々発表します。
「絆」の言葉を東北弁で置き換えます。
さらに重要なことは、復旧・復興を乗り越えて、
未来都市こそ、日本の発想と技術と日本人の根性で創出するのです。
それこそブータンの若き国王がいみじくも語っていただいた言葉です。
「これだけの災難から立ち上がられる唯一の民族、
だから、日本という国にこの試練が与えられた」ということです。
私たちはこの「絆」を持って、
さらに美しい「花綵の国」を進歩再生しなければなりません。
「糸」は蚕が絹糸を紡ぎだして生まれてきます。
この美しさこそ私たちが身に纏い、
そして日本の風土は咲き乱れる草木総花、
まさしく「花綵の国」づくりにほかなりません。
来年は、「絆」をしばしば確認しながら、
未来の私たちの国家風土は「花綵の国」ゆえに、
花がいっぱいに咲き乱れてくれるようになるのです。
来週早々のプレゼンテーションの総仕上げに入っています。


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「資本主義からの逃走」
  「天災を忘れず人災を学び、そしてresignへ」


   


     3月 20th, 2011  Posted 12:00 AM


最悪の事態でも冷静さを。
長期計画での復旧から復興へ。
もう一度、日本の奇跡へ。
M9.0以上もありうる意識を持たなければならない日本列島の我々。
M20(彗星衝突)すら念頭にする気概が必要でしょう。
以上は、諦観=あきらめ=resignです。
あきらめ=resignといっても、諦観での決意です。
すでに原電事故は海外ではAccidentではなくてCrisisです。
原電事故の対策対応には納得できない方法だと私は判断しています。
阪神大震災は、懸命に復旧し復興まで10年を要しました。
今回は、おそらく20年以上かかるでしょう。
万一、放射能被害を最悪に勘案すれば、
50年、100年という歴史的な解決が復興となるでしょう。
最悪のシナリオ準備にというのは深刻さに他なりません。
こうした想像は危惧であり杞憂であってほしいわけです。
決してパニックにならないような市民意識の人智的冷静さ、
その準備に入るべきだと私は思います。
私は自分自身が交通被災により車椅子、
さらに被災が原因で心臓障害者です。
この体験から、諦めて生きる=resignをdesignしてきた人間です。
resign=諦めて生きることでこそ、
やがて「幸い」なことが必ず蓄積されていくと確信しています。
おそらく、原子力発電や原子力運用には、
これまで以上に「反核意識」一辺倒が推測できます。
しかし、未来はあらためて原子力との共存の方が、
自然との共存よりも予測可能性があるものと私は冷徹に考えています。
日本は戦争で被曝し、今度は天災で被曝しました。
軟弱極まりない土壌上に花綵の祖国が乗っています。
だから私たちは、さらに科学と技術で、
原子力と対峙していかなければならない民族だと諦観すべきでしょう。
私はデザイナーとして原子力と対峙と対決で共存していきます。


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