kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘志士’


『1800年代安政の頃・「適塾」を最も語り継ぎたい』


   


     3月 7th, 2015  Posted 12:00 AM


大学人になって20年になります。
勿論、最もデザイン・大学のことが私の講演内容ですが、
私が語り継ぐことは「橋本左内」のことが一番のテーマです。
大阪大学は懐徳堂という士農工商を度外視した寺子屋が源流です。
その懐徳堂は「適塾」に引き継がれます。
適塾の塾生番号182?が橋本左内でした。
塾長は福沢諭吉でした。
したがって、日本が武士社会から明治維新への大変革期には、
今、大河ドラマになっている吉田松陰の松下村塾での志士たちと
適塾での当時の若者たちの活動が主役であったことは当然です。
しかし、無血革命で、主役が坂本龍馬というのは、
文学=小説が明らかに歴史を歪めてしまっています。
たとえば、吉田松陰の元に梅田雲浜が登場して、松陰の生き方を
確実に変えてしまったことや、梅田雲浜も橋本左内も獄死です。
決して無血革命でもなく、ドラマ主役なる坂本龍馬が、
明治維新を押し進めてきたわけでは決してないということです。
むしろ、安政の大獄で牢中にいる吉田松陰と橋本左内は、
一度も顔会わすことなく、詩を牢番に託してわずかのやり取りをし、
二人とも、井伊直弼の気分で惨殺の刑を受けていることが重大です。
一方の福沢諭吉は英語を学ばなければなりません。
しかし、英語は禁書であり江戸幕府に近づいてしまいます。
そのことで1860年咸臨丸に福沢諭吉が乗り込んで渡米します。
1800年代のすべてを私は編年体的に知識として暗記しています。
その結論は悪政の連続です。時代変革を留める政治は悪政になり、
あの「安政の大獄」になり、優秀な人材が殺されるのです。
しかも「安政の大飢饉」と「安政の大震災」が起こります。
つまり、日本は悪政の時に大震災を招いているということです。
橋本左内は惨殺の刑ですが、彼の弟は日本赤十字社を起こすのです。
大阪大学の源流には、同郷の橋本左内を私は最も敬愛しています。
本日、「平成洪庵の会」では橋本左内とコンシリエンスデザインが
私の講演テーマです。


目次を見る

「幕末の志士について・忘却されている安政の大獄」


   


     10月 5th, 2012  Posted 12:00 AM



「啓発録」。
私はこれが道徳・倫理の基本として小学校時代に教わりました。
今なお、私が最も敬愛し尊敬する人物は橋本左内です。
「啓発録」は16歳にして橋本左内の著作であり、
19歳に適塾・大阪に向かいます。
そして阪大が適塾の歴史上に存在しているとすれば、
適塾に学んだ人々の理想は、
橋本左内自身にも大きく影響していました。
それは、幕末であり、明治維新に至る日本の近代化寸前の歴史があります。
しかし、残念ながら、幕末の様々な物語りは
「小説」がそのまま歴史的史実に覆い被さっています。
これこそ、
幕末と明治維新を分断したあの「安政の大獄」に集中しています。
だから、
私には坂本龍馬なる人物がヒーローという話は歴史的史実ではなく、
単なる「小説」のイメージが創り上げた人情話にすぎません。
そういう意味でも、私は橋本左内について、徹底的な資料を求めています。
このブログでも何度も彼の事を書いてきました。
「適塾、後世名を成すとすれば、橋本左内をもって成るべし」、
これは適塾の緒方洪庵の言葉と言われています。
無念なことは、幕末は殺し合い、つまり内戦でした。
よって「安政の大獄」が幕末を終わらせ、
明治維新への大きな誘因になったことは間違いありません。
井伊大老のその日の気分は、「斬首刑を橋本左内」に下したことです。
この政治的動乱の時、
起こるべくして「安政の大地震・大津波」という天災です。
まさに、日本は神の国と言ってもいいほど、
政治が朽ち果てているときに限って、大天災に見舞われるのです。
3.11 に、私は繰り返される大天災と政治をどうしても重ねてしまいます。
私は、あらためてこの本を必ず枕元に置いています。


目次を見る

「小さな国の使者からの偉大な祈祷」


   


     11月 20th, 2011  Posted 12:00 AM


その国の名前は知っています。
場所も多分、あのあたりだろうという程度の知識です。
ブータンという小さな国の若き国王夫妻が来日されています。
九州ぐらいの面積に人口70万人、
私のふるさと福井県が人口80万人ですから、
人口から国力ということも想像が可能ですが、
まったく、「国の生き方思想」が違っています。
もっとも北陸三県も幸福度指数は日本でトップクラスですが。
「国民総幸福度」という指標を唯一保持し目標としている国家です。
その国王夫妻の来日、お二人の存在、国王の品格と言動、そしてお言葉、
これらを見聞して感動を覚えないとするなら、
相当に自身が壊れていると自己評価すべきでしょう。
31歳、私は彼のちょうど2倍生きてきました。
しかし彼の発言は、まさに幕末の志士を思わせるほどの
威厳と風格と、そして何よりも日本への敬愛がありました。
1000年に一度という国難の中にあって、
これほどの献辞的なご祈祷をいただいたことは
素晴らしい賓客だったと思います。
私は何度も報道されている発言訳を読み返しました。
国会演説の最後は自国語で「お祈り」を捧げてもらいました。
その祈祷を聞いてみたいと思っています。
仏教、それもチベット仏教ですから、
あの「死者への追悼祈祷文」は、
私の音楽ライブラリーにはあるはずですから、
あらためて聴いてみようと思っています。
国際関係はすべからく何事も経済の自国優先中心主義です。
国交のあり方を、もし21世紀に再創出するなら、
このような国家との関係論に基礎があるということです。
彼らの伝統的衣装も、やはりアジアの小国なればこそ、
きわめて着物に似ています。
彼らの仏教への信仰心から、彼らの国家目標こそ、
大国同士の「経済分配主義」から逸脱できる、
仏教的思考軸があるのだと確信します。
国家という自然性・伝統性・宗教・思想、
そうして国際化の中で、
「人間」としての生き様と国家の連綿性を、
あらゆる局面で壊れてしまったわが国に、
ひょっとすれば、仏教発祥の地から
「使者」としての賓客であったのだと私は思っています。


目次を見る