kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘情報環境’


『先鋭的なマガジンという美しい情報集約性を読む』


   


     9月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM



雑誌ということばは好きではありません。
マガジンと呼ぶべきだと思っています。
雑草・雑木林など雑ということばでまとめられることは好んではいけない、
自分はこれをひとつの信念にしています。
そうしたマガジンを若い頃は30〜50冊は月に読む、あるいは眺めていました。
最近も女性誌から男性誌、さらには関係があまり無い領域も
20誌程度は読んでいると思いますが、
iPhoneやiPadでマガジンからwebsiteが連携をして、
一段といわゆる自分の周囲、その情報環境は進化をしています。
そんな中で、これはカーマニアなら絶対に興味深いマガジンでしょう。
とりわけ、自分の教え子にはカーデザイナーになった彼らは全て、
企業留学させていて、現在も一名がフランスにいます。
そういう意味では、このマガジンはアストンマーチンのユーザーのみの
マガジンですが、おそらくマガジンのアートディレクションも最高です。
カーデザインもマガジンも「美しさ」は自分デザインの手本です。
現在いわゆる雑誌出版はとても産業的、経済的には厳しい状況にありますが、
クレジットカード関係や住宅関係、保険関係などの広報誌的マガジンは
ことさらに充実度を増しているようです。
自分はデザイン教育として、雑誌記事の切り抜きを薦めています。
それはアートディレクションとして、レイアウト、イラスト、写真を
自分のセンス錬磨のためには必須だと考えるからです。
これで5冊程度の切り抜きを続けるとデザインの基礎能力はアップします。
それよりもこの「AM 」というマガジン情報には、ブランド価値と
デザインでの高級品のあり方がよくわかります。


* 『わが人生最期の車は美しいデザインを』
* 『自分の車遍歴とカーデザイナー養成は同次元』
* 『新作007・ボンドカーでも確認できた曲線美』
* 『造形デザインがレジリエンスデザインを具体化解答』
* 「人形・ワイフのコレクションにみる『ブランド価値』」


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『診る・看る・観る・視るを取り囲む安全と安心の環境』


   


     8月 18th, 2016  Posted 12:00 AM



コンピュータの表示機をディスプレイと呼んでいた時期がありました。
モニターという呼び換えによって、その表示には、
映す・写す・撮す・遷す、という表示内容がありました。
しかし、一般的には移すという行為が移すになり、
結局、映すということで、映像と言われて映像機器が
今なお、液晶TV・モニターも映す機器になっています。
ほぼ10年、映像モニターのデザインに携わっていましたが、
以後、その映像機器メーカーはその基本が無くなり、
企業の商品そのモノのデザインには機器らしさの根本が消えたかのように
デザインの魅力は無くなっているようです。
これは液晶TVのデザインにも造形言語と形態言語を失ってしまっています。
最近、オーストラリアの液晶TVがこのライン性を取り戻しています。
そこに「デジタルサイネージ」という商品群が登場しましたが、
根幹が無いがゆえにデジタルサイネージは電子看板となって
これこそ映像ディスプレイに引き戻してしまっているのです。
性能性・効能性・機能性を失っていると自分は判断しています。
自分が引き込んできたのは「アッサンブラージュ」という美術的手法でした。
それに付け加えたことが、診る・看る・観る・視るという機器と行為を
IoTを焦点化したinternet of Medical Things=IoMeTでした。
これは病院と自宅、訪問看護での新たな効能性=社会的に存在する意味、
すなわち、患者への医療環境から医療情報をネットワークによって、
安心と安全を与える看医工学を成立させるシンボルを形成しています。
いわゆる患者のBig Dataへの社会制度を支えるモノが、映像機器を
システム化だけではないダイナミックスを社会の情報環境に与えること、
この可能性という進化にたどり着いたと考えます。
「デジタルアッサンブラージュ」は、
診る・看る・観る・視るを映像機器をさらに進歩させていると確信しています。




* 『デザイン対象となる医療関連の開発について』
* 『IoMeTのためのMedical LogとConnect nome』
* 『温故知新から不易流行の「IoMeT」へ』
* 『IoTではなくIoMetというライン手法』
* 『自宅玄関には涼しさを「デジタルアッサンブラージュ」』


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9月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 5th, 2014  Posted 12:00 AM

9月5日 己卯(先勝)



「自分の情報化」とは、
二つある。
最新の情報環境に精通すること。
まず、情報環境のハードは常に最新と
基本的なハードを持つ。
情報のソフトについては
パスワードはすべて
自分の管理方法を持つ。

そして、やってはならないことは、
自分情報を発信だけとか、
 ROM=Read Only Manにならないことだ。

「川崎和男 強い人弱い人」


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「情報化への入り口は記号論or記号学だった」


   


     11月 24th, 2012  Posted 12:00 AM



農業革命➡工業革命➡情報革命は三つの波に喩えられました。
しかし、この三つの波だったという認識は、
教養になっているだけです。
そして、現代の学生たちには詳細に伝えなければなりません。
農業革命によって農場は失われ、
工業革命によって工場は失われ、
日本はアジアに振り分けて、肝心な工場も失いました。
情報革命がもたらしのは社会が劇場化したことです。
あらゆることが社会現象という劇場化になっています。
にも関わらずこの実感の認識は,
下意識にしている社会的なリーダーは限られています。
私は一刀両断的に、
「商品づくり」=「工場の劇場化」が必要だと主張します。
さらに突っ込んだ言い方をしてしまえば、
「商品づくり」を終わらせて、
「記号づくり」に向かうべきだと教示せざるをえません。
なぜなら、記号化とは、
コードとモードを混在化しながら、この記号はコードなのか、
あるいはモードとして意識化しているのか、
すでに下意識に入りこんでいるのかも不明な大衆意識を
「文化」だと言い出すジャーナリズムすらあるわけです。
いやはや、
ここまでの前段は読解困難なはずだと知りつつ続けます。
しかし、メガネや車やジーパンやジッポーを取り上げてきました。
それぞれの事例によって、
「これが記号になっている」と説明してきました。
ひとまず、佇んでみてください。
あなたは、商品選択をしているのではなくて、
記号選別をしていることに気づいていただきたいのです。
たとえば、ブランドモノのツールを使用していれば、
たとえば、ポルシェを所有していれば、
それらは、すべてツールではなくて、
明らかに所有している貴方自身を
社会に表現しているメディアになってしまっているということです。
だから、商品ではなくて、
当初から「記号づくり」を産業経済に組み込む時期になっています。
0と1という記号そのもので「情報」が組まれ、
記号は「情報」で書かれたテキスト・聴覚映像・画像が背景です。
私は、もはや、わが国が先導していくには、
「商品」を捨てて、当初から「記号」と「情報」にこそ、
国際的にこの知識と意識を集中させることでこそ、
この国難から脱出できるものと推測しています。
ツールはデザインによってメディアとなり、
商品はデザインによって記号になるでしょう。
そして、記号の背景あるいは記号が構築する
環境、情報環境がこれからの世界観だと確信しています。


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「手習いまだまだ諦めずに・・・」


   


     5月 16th, 2012  Posted 12:00 AM


私は美大ゆえに4年間、フランス語受講で単位は取得。
40年ぶりの同窓会でフランス語受講していた同期生に、
「4年やり通したよな」と言ったら、
「エッ、貴男のこと記憶に無いわ」と
一笑にふされてしまいました。
きっと、教室では存在感全く無かったのでしょう。
彼女は卒業と同時にヨーロッパに行ってしまいました。
最近、帰国したとのことでした。
60還暦から考え抜いていたのが、「60の手習い」でした。
ある経営者は60から中国語をすぐにマスター、
最も彼は、英語もドイツ語も堪能でしたので、
とても敬服していたことを思い出し、
62歳、昨年からフランス語やり直しを始めました。
そこで当然、私は「かたち」=モノから入ります。
ラジオを出張用も含めて買い直しました。
そうしたら、ラジオの進化にびっくりしました。
今ではパソコンにも連動するなど、
性能は格段にラジオでは無いのです。
これも精微な出来映えですが、あまり知られていません。
というわけで、
今年に入ってからもまだやり続けてやろうと企んでいます。
英語も未だまともで無いのに自分でも「なぜ?」なんです。
ただ、学生には言ってきました。
私の世代は英語だけでなんとかだったが、
君たちの世代はもう3カ国語ぐらいは絶対に必要だと、
教師として教条主義を発揮しています。
ベトナムからの留学性には、
日本語以上に多言語をやりなさいと伝えています。
おそらく私はリタイアしても
フランス語で読書程度はと思います。
今、イヴ・サンローランの原書は絶対読破と思っています。
4年もフランス語をやっていたのに、
最初にパリに行ってまったく駄目だというトラウマでした。
さてあらためてここで暴露することで、
自分に喧嘩を売っているのです。
それにしても、今は外国語習得の情報環境は整っています。
フランスの友人にも、
エコール・デ・ボザール(フランス芸術大学)での
ワークショップなら必ず・・・なんて
大言壮語してしまっていますシ〜ィ・・・。


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「大きな変動が始まったネットワーク」


   


     7月 13th, 2011  Posted 12:09 AM

Social Networkの時代。
TwitterとFacebookが、
自分のメールやHP・Blogなどにも
最近は大きく関わりつつあるようです。
特に、海外とのやりとりは、
メールよりもFacebookが中心になってきました。
私は、毎日このようにBlogを書いてきましたが、
Facebookで読んでもらっている方が、
感想や誰が読んでくれているかが明快になってきました。
まだ日本でのFacebookは、Twitterほどにはなっていません。
私はTwitterは時間軸情報であり、
Facebookは空間軸情報という具合にみています。
Facebookのインターフェイスは、
最初、日本人にはとりつきにくい感がありました。
しかし、最近ではこの情報空間こそ、
「アンビエント・アライアンス」に近づいていくと思っています。
「アンビエント」というのはロックでブライアン・イーノが掲げた
ある種の「環境」まさに情報環境のあり方でした。
そして、この情報環境あるいは環境情報の具体さが、
Twitterであり、Facebookになっているのでしょう。
Twitterという「つぶやきコミュニケーション」は、
140文字ですが、私自身はなるべく100文字でを試みたものです。
しかし、こうしたBlogでの毎日の記述は、
Facebookの方が受け止めてもらいやすいし、
正直、Blogでは書き切れない形式と内容は、
Facebookという形式が今は見合っているのかもしれません。
結局問題は、パソコンをツールとしたインターネット空間に、
さらに今後は新たな形式が生まれてくるのではないだろうか、
そんな予感があります。
しかし、私はまだまだ「手紙」という形式を打ち破る発明が、
ソフト的・ハード的に生まれてほしいと思っています。
Ustも最近はFacebookでという試みをしています。
ともかく、「使いこなす」という感覚が重要だということです。
これからの講演内容やデザイン内容も、Facebook中心での
新たなコミュニケーション手法に変動するでしょう。
さて、京都の講演では新たなプレゼン形式を披露します。

「夢の形見に」


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『資本主義からの逃走』
    「情報空間の再定義と新定義をはじめたい」


   


     10月 18th, 2010  Posted 12:54 AM

情報化革命・情報革命
20世紀は、大変な時代だったと思います。
二度の世界大戦後は、大きな反省もしましたが、
今度は資本主義と社会主義の対決、冷戦が世界を覆いました。
ようやく、この冷戦も終わったかと思ったら、民族闘争、宗教対決が始まりました。
この背景に加えて、環境破壊が進行し、地球上の人類その存続すら危ぶんでいます。
そのようなことをひきずりながら経済体制での大きな転換が起こっています。
私たちは、20世紀直前に、大きな技術革命に巻き込まれました。
コンピューター・パソコン・ネットワーク・インターネット・ユビキタスなど、
冠詞化されたり、述語化される革命に直面している日常空間の中に生きています。
私たち日本では、それを「情報化革命・情報革命」と認識してきました。
情報空間という呼称
私は、こうした革命の環境を「情報空間」と呼んでいます。
それは、「何が情報で、情報が何で、そうして日常性に大きく関わってくる情報環境の空間」、
そんな意味を私は含ませたいと考えるからです。
「情報空間」とひとまず呼称すれば、
現実の日常性から、将来への理想的な夢や希望の空間を創り出せるかもと自分に期待するのです。
「情報空間」は、自分に限らずもちろん、人間、人類、世界を包含する空間になると考えます。
そこで、あらためて「情報空間」を詳細に分別したり、熟考していくことで、
この空間での情報をもう一度検分することがデザイナーの職能義務だとさえ思います。
再定義と新定義への衝動
つまり、「情報空間」そのものを進歩させ、この空間と人間・自然・人工物、
さらには、過去=歴史から、未来づくりの基本を見つけ出したいと願うからです。
たとえば、敗戦後、日本の情報空間がどのように形成され、
現実、どんな問題を抱え込んでいるのかも再確認しなければならないという衝動があります。
この衝動は、日増しに拡大しています。
だから、なんとか、「情報空間」の再定義を試みて、さらに新定義を見つけ出すことが、
問題解決かもしれないというイメージが衝動とも同居しているからです。


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『資本主義からの逃走』
 「資本主義に動物が革命蜂起し始めているのかも」


   


     9月 14th, 2010  Posted 12:00 AM

動物たちの革命蜂起
ふるさとの深山からイノシシやサルが、
食糧危機で実力行動していることをあらためて知らされました。
そうしたら、神戸では登山客を襲うイノシシの存在をTVで観ました。
明らかに自然破壊の大きな話題です。
彼らは、人間不信で「革命蜂起」しているのです。
さて今、「レアアース」や「サスティナビリティ」、エコロジーやリサイクルも、
こうした概念と連鎖しています。
もっとも、「サスティナビリティ」は欧州で発言された英語です。
したがって、日本人はまったく素直にこの言葉を受け入れています。
しかし私は、この言葉があくまでも、
「欧州だけが経済の生き残り戦略語」であることに注視しています。
彼ら欧州が、経済的な「富の独占化」を、この言葉の背後にしていることは、
疑念の持ち過ぎかもしれませんが、ある意味では熟考用語であると思っています。
それは、なぜ、「ISO」規格が、欧州からあたかもグロバール標準になりながらも、
その規格取得費支払いを義務化されているのかを再熟考するべきだと考えます。
それこそ、サスティナビリティはエコロジーよりさらに強力な世界標準化規格になっています。
これらの世界標準化規格こそ、資本主義経済体制にはある歪みがあるものと判断しています。
世界規格など、本来は無用です。人類が大切にすべき暗黙の常識了解だとすべきでしょう。
その最大の歪みは、「生産と消費」の背景文脈には、
自然との関係はすべからく無視されてきたと判断してかまわないでしょう。
ISO27001=Infomation Security Management Systemをあらためて読み直しながら、
資本主義経済体制は明らかに「情報社会」でさらに強化されるでしょう。
しかし、情報環境と自然環境の世界標準規格は、
わが国こそ創出していくべきだと思った次第です。


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『資本主義からの逃走』
   「情報化の逃走訓練には資格条件あり」


   


     8月 1st, 2010  Posted 12:00 AM

情報による資本主義の変貌
生産・消費での資本主義は、大きく変貌しています。
変貌の具体的内容は、変質・変容・変態です。
大きな一つは、資本を「能力・才能」としたときには、
能力や才能が「情報」と対峙できるかどうかです。
それは能力ある人なら、
情報リテラシーの管理と統合が無論可能であることは当然です。
しかし、私は能力の情報化と才能の情報化には差異性があるものと判断します。
それは特に学生たちを相手にしていると、
能力があるにもかかわらず、
自分探しに翻弄されていることを観察してしまうのです。
また、能力が評価できないのに、本人は自尊心こそ能力だと錯覚しています。
そのうえで、才能ということになれば、
私は、才能というのは自分では決して認識できるものではない、
という経験値があります。
才能は「周囲が認めてくれて」こそ、自分にはあるかも知れない、
という自己期待感の中で自信を勇気づけるものだと考えます。
私はここで、能力・才能のさらに情報力の能力・才能に焦点化してみたいと思います。
新たなこれからの「資本としての能力・才能の情報力強化」という訓練こそ、
資本主義から逃走する体力的な知力だと考えるからです。
したがって、「逃走訓練する条件」の一つに、
「情報」に関わるさらなる能力と才能のトレーニングということを提示したいからです。
条件をあげてみます。
● 共時性の保持力
情報と自分を対峙させるハード・ソフト・ネットワーク、
その驚異的な進化速度に自己を適合、
ある意味では流行性とも共時できること。
● 進化性の予測力
ハード進化・ソフト変化・ネットワーク変容、
これらに対して想像力が常に拡大や拡張し、
自己予測力を常に働かせることができること。
● 経済性の持続力
新商品化されるハードやソフトを購入し,
基本的なネットワークを個人的に整備できる
可処分所得内での購入費用は常に確保ができること。

そして、いつでも情報環境の時代変化に興味を持ち続け、
流行現象に押し流されることはあってはならないと思います。
好き嫌いの価値感には囚われず、
「自分流」なりの自己リテラシーを構築する精進を
地道に積み上げることだと考えています。


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