kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘情報社会’


『やっぱりamazon goが登場してしまったようだ』


   


     2月 7th, 2017  Posted 12:00 AM




商品を売る、これは歴史的には大きな変遷がありました。
まずは、「商」の国が物を売る方法から始まったから、
「商」の人が扱う品物で「商品」となり、それは店舗販売。
その店舗が百貨店になり通信販売はインターネットにまで進化しました。
百貨店が駄目になり、スーパーマーケットはコンビニに変貌。
そしてamazonの登場は、このロゴタイプでのA→Zが
見事に情報社会とコンピュータ技術進化とともにさらに進化したのです。
正直、私自身は書籍からそれこそ電気製品・生活用品・文具に至るまで、
ほとんどの商品購入がamzonになってしまっています。
日に必ず一つから5つぐらいがamazonから届く有様です。
さて、もう一つ重大な技術には人工知能=AIの様々な応用があります。
商品の集配でのロボット化や商品流通での新しい流通方式です。
すっかり、今ある大学に一つの職業を求めたところで、
その学生が卒業したときには、
その職業は無くなっているという予測があります。
AIによって、職能変化のスピードはさらに変化すると言われています。
そこで街中のコンビニ形式では、
AIの具体化が明確になろうとしているのが、
これからの販売形式の大変革であり、その第Ⅰ段目店舗が
amazon goとなりました。
おそらく、この店舗での商品購買方式は、
すでに店舗形式が大きく変わってきました。
私はAIとロボットがこうした販売形式や店舗方式を変えるとは思っていません。
AIもロボットも超えた新たな方式が登場してくると推測しています。
おそらく、街の景観はとんでもなく変貌するでしょう。
それは、自然と人工での最先端がリサイクルどころか、
もっと変化と変貌を新たな人間意識に入り込んでくるものと想像しています。
その最初がamazn goとしての存在がわが国にやってくるときの
AI、ロボット、さらにはリサイクルからシェア方式など、
社会構造の大変換が待ち受けていると想像するべきでしょう。



* 『車社会は必ず大変動を起こすだろう・カーシェアリング』
* 『人工知能には「ち」の思潮が欠落している』
* 『リトルコンピュータピープルの顔色は人工知能要素かも』
* 『アップサイクリングの真のリサイクルとは!』
* 「光造形から3Dプリンターへの系譜は人工人体へ繫がるか」


目次を見る

『電磁波革命と遺伝子革命が近接場で始まってきた』


   


     8月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM



情報社会の次にどのような社会進化が起こるだろうか、
この質問に自分なりには、三つの革命をもう20年前から唱えてきました。
「光重合革命」・「電磁波革命」・「遺伝子革命」でした。
光と電磁波は相互に電磁波と遺伝子も同次元で科学的な検証とエビデンスが
コンピュータというツールによって明確な方向を見いだしています。
フォトニクスセンターが新設以前に、赤外線を皮膚に当てると紫外線となり、
がん細胞を死滅させる可能性など、そのようなことで、
光照射のペンシル型のイメージなどを提示していました。
一般的には、赤外線は身体にやさしく効用性が語られました。
が、紫外線はDNAすら破壊する、
だから太陽光で皮膚癌という常識も一般化しました。
ところが、近紫外線を発生するプラズマTVの危険性を
自分が指摘するとプラズマTVメーカーも一般からも自分は相当に非難中傷。
しかし、
プラズマTVはペースメーカー使用者に最悪とEC各国からの輸入禁止となり、
国内はすべてプラズマTVより、液晶大型TVに大変革。
一方では、紫外線のさらに深紫外線の殺菌・滅菌・消毒、
その可能性は、
新しい電子顕微鏡での遺伝子と深紫外線関係は近接場=エバネッセントで、
細胞破壊はしないが、消毒・滅菌効果ありと言うことが明白になりました。
これは深紫外線を発光するLEDの開発競合が熾烈な競争になりました。
同時に生産化でのコスト競争から廉価性が出てきました。
早速、光量子・電磁波・遺伝子の関係は消毒性と滅菌性が明白になりました。
自分の提唱した「コンシリエンスデザイン」と「看医工学」に、
深紫外線で、
まず、「触って、握って」手・掌の消毒可能な製品開発に着手しました。
エバネッセント光のグリップ製品デザインを発表するに至りました。
しかし、自分としては「電磁波」を全信頼しているわけではありません。
自分の研究室の壁面はじめ、ヘッドフォン発生の電磁波防御も、
未だに気づいているメーカーは僅かです。
安全と安心、そして予防が「看医工学」の目的です。
電磁波は、今後、日本の産業そのものを変化させるでしょう。

* 『無駄な投機だった医工学の廃止が証明できている』
* 「三つの革命を促してくれた『光造形』デザイン」
* 『照明の文化論としての陰翳礼讃』
* 『アレロパシーとして電磁波を制御せよ』
* 「デザイン理念は造形言語と形態言語の形素で未来を招来」


目次を見る

『SNSを創造的破壊させるデザインが必要だ』


   


     7月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM



BBS= Bulletin Board System:電子掲示板がスタートして、
パソコンのネットワークが見えだした頃、
意識革命と言っていたドイツの論理が情報革命を的中させました。
BBSはRed Riderというソフトがパブリックドメイン化した最初の頃は、
人は性善説でこの社会は予想的・理性的な社会が未来だと思っていました。
ところが性悪説が徐々にインターネット社会に落ち込んでいきました。
そしてTwitterが生まれfacebookという
代表的なSNS社会が出来上がりました。
Twitterの匿名性をfacebookは記名性にはしましたが、
いずれも性悪説の社会に人間界を落とし込んでいます。
SNSそのものをこのままにしておけばおくほど、性悪説は拡大します。
これは正しく荀子の指摘にもどり
マキャベリィの戦略論によれば、インターネットは
産業の革新どころか、倫理社会を崩壊させるものと判断します。
それこそTwitterでAIが試用されたことは、人工知能そのものが、
現代社会を破壊に向かわせていったと、もっと注視するべきでしょう。
それこそSNSでのストーカーを
制度として遵守出来ないことは殺人を許可したのと同じです。
SNSを創造的破壊するような、新たなネットワーク社会を、
もう一度、理想主義の中で発明してこの世界観を少なからず、
ネットワーク社会だけでも性善説でまとめ直すべきと考えます。
すでに情報社会が性悪説を纏ってしまった限りは、
SNS= Social Networking Service社会は破壊消滅させるべきでしょう。
でなければ、これからの戦争は核爆弾保有やテロなどではありません。
SNSを創造的破壊させるには、新たなデザイナーが必要です。
自分はデザインの教え子を警察官僚にしました。
それも情報技官キャリアです。これこそ次世代デザインの一つです。
なぜなら、光重合革命・電磁波革命・遺伝子革命はもう目の前だからです。

*『facebookには性善説のエチケット=ファティケット』
*『SNSが変えたデモ参加の心理は反射的群衆化』
*『facebook、ましてBlogにも未来はないだろう』
*『三つの革命・予測は当たっていた』
*『情報化への入り口は記号論or記号学だった』


目次を見る

『低レベルな能力でデザイン評価はしないでほしい』


   


     8月 1st, 2015  Posted 12:00 AM



元来、デザインは応用美術とか図案や装飾美術からという源流があり、
意匠になり、設計になり、そして策略や資源と時代変遷してきました。
しかし、私は美大時代、工業デザイン専攻では、
すでに、発明の設計実務学、問題解決学として
学習と訓練を受けてきました。
美大卒業し、家電入社したときには意匠部でした。
したがって、デザインの真意論・本質論・技術論・文化論では、
ようやく、産業から健康、文化として
文理融合と学術芸術の統合として、
「コンシリエンスデザイン」にたどり着きました。
ところが、楽しみにしていた東京オリンピックでは、
建築とグラフィックに、統合的なディレクター不在と経済効果での
アスリート興業商業主義の悪用としか思えないデザインの大勘違いが
横行し始めています。
建築コンペも狂い、エンブレム選別も知識不足の商業デザイナーでは
コピーだ、ジェネリックだ、せめてアプロプリエーションぐらいの
ハイレベルにも到達せずに、
情報社会で低レベルマスコミに混乱させられています。
そこで、かって35年前に私が伝統工芸産地で包丁、
キッチンナイフの「一体化」と新素材開発、刃先アール寸法など、
問題解決の解答デザインをしました。
ところが、たとえば、ほとんど最初に素材でダマスカス鋼風が、
あたかも刃物という恥ずかしいほどの
能なし刃物産業が世界的に流行しています。
オリジナルデザイナーの没後に、
デザイナー名を騙って自分デザインとは、
ジェネリック家具で氾濫を始めています。
そこに、TPPでの著作権問題を米国主導にするとは、
多くの官僚と議員たちの権力志向の能無しレベルを加速しています。
やがて、私、没後には
私のオリジナル=問題解決=デザインは消滅するのでしょう。
せめても生きているときには、恩師の作品やオリジナル性には
脳外喧嘩師でありたいと決心しています。
ともかく、官僚と議員からデザインの離脱を宣言しておきます。
つまり、オリンピック・パラリンピックを支えるべきデザインが
根本で間違ったがゆえに、夢は消えたのです。


目次を見る

『対決が明白なTVドラマの効能性の評価』


   


     1月 20th, 2015  Posted 12:21 AM



私はTV大好き人間です。
だから番組改編ともなると、全ての番組を観ずにはいられません。
すでにTVというマスコミの形式は破綻を始めています。
これは情報社会、マスコミ論として別稿しなければなりません。
したがって、TV番組の形式と内容は、視聴率という評価軸で、
その存在性が、時代的に問われる事態になっていると思います。
「能書き」という会話ことばがありますが、これは性能説明のことです。
一般的には薬の効能、薬の効き具合を説明書きされたことです。
私は、デザインは機能的とか、機能的だからデザインという論述は
きわめて曖昧であり、それゆえにデザインの理解は大誤解を招く、
このことをずーっと主張してきました。
そこで、今回とても明確なこのTVドラマ対決は、
ドラマの効能性そのものの評価に連動していると思っています。
同時刻に、一方は夫であり一方は妻を主人公にした番組です。
肖像権上、ブログであっても男優や女優の写真は控えましたが、
ドラマタイトルのロゴは著作権表示で借用しています。
こうしたドラマは、すでにタイトルで一つの決着が決まっています。
夫の形容はすでに「ダメな」と言い、妻の形容は○○ゆえに、
視聴者の想像力に任せた○○が勝っています。
つまり、タイトルが効能性を表現し、ドラマ内容は脚本と、
画面構成デザインで視聴率の勝負はついてしまっているようです。
TVドラマには、その番組物語には機能性はありません。
問われているのは効能性という、特に時代的で社会性での存在です。
もし性能性を語るとするならそれは対決するTV局の能力差異性です。
翻って、デザインの効能性と性能性もこのドラマの対決存在から、
一つの大きなヒントを確認することができるのではと思います。
デザインは、性能性と効能性、その能力が機能性だと、
私は定義することができると考えています。


目次を見る

『知財権は意匠権によってコンシリエンスデザインとなる』


   


     11月 30th, 2014  Posted 12:00 AM



「知財権」が日本に上陸してきてから、企業と大学でブームです。
しかし、知財権とは、あくまでも契約が、
司法社会そのものを変更し、あたかもそれがグローバル戦略という
信頼性社会を破壊してきたと言うことが可能です。
特に日本の大学での知財権運用には、
まだまだ経験も無く、さらに中国社会への対抗策もないままに、
私は、無論理な担当者だけが増えていると明言しておきます。
日本における、知財権の源は五つの権利があります。
かねてより、私は意匠権を中心にして、権利位置を確認すると、
文科系と理科系、人文科学と理工科学、文系と理系が分断されますが
デザイン、すなわち、誤りだらけの意匠権を中心にすれば、
学際性の権利は、デザインが中核になって学際性がはっきりします。
しかし、グローバル的には、著作権、商標権には、
国際的な協定や議定書がありますが、肝心の理系・理工科学系は、
世界的にも暗闇に置かれたままであることを知るべきです。
これをいい加減にしているのが、なんとか規格やなんとか認定です。
あたかも国際性を盾にしているだけであり、
私はこの知財権というあたかも利己権利を解放すべきだと考えます。
大学人になって、デザイナーと兼務しながら、
私はあくまでも、産業的かつ経済的を基盤に文化的実績創りを
目指してきましたから、知財権をまともに語るならば、
それは、文化と技術、それこそ学術性の結合・融合・統合だけです。
したがって、私が提言し提案する「コンシリエンスデザイン」は、
ようやく、この知財権そのものを修正していく手法につながります。
契約社会という利己的権利主張も解放されるべきでしょう。
パブリックドメインという提示とその具体化は、
すでに情報社会の基盤にさえなっているのですから、
「コンシリエンスデザイン」での学術性の分解こそ、
新たな統合化での司法的な制度設計をも
可能にすると予知しているのです。



「未構築・非構築な『知財権』と制度設計」
「知財権・意匠権改変の対象となった商品開発」


目次を見る

「マスクか、ペルソナか、マスカレードか、今のデザイン」


   


     8月 29th, 2013  Posted 12:00 AM



自分のデザインは問題解決での最適解のはずですが、
現代の情報社会の中での自問自答をいつもしています。
・マスク=覆面だろうか、
・ペルソナ=個性表現だろか、
・マスカレード=仮面舞踏会だろうか、
このような問いかけをいつもしている自分がいます。
理由は、自分自身へ自分だけの「問い詰め」を試みたいからです。
私には、確実な自分のデザインに対する自負心と羞恥心も、
ほとんど混在したままにしておきたいと思ってきました。
確かに何かを隠そうとしている自分=マスクの時もあれば、
明らかに自分個性=パーソナリティを表現=ペルソナ時もあり、
まさにどこかでこの時代に、
「ごとくありたい」=仮面舞踏会に参加気分もあるわけです。
結局、真実にデザインを問題と対峙させたときには、
覆面の中に自分を追い込み、
個性を隠そうとする自分が明らかに、
宗教儀式じみた科学への感性と芸術への知性を確認していることも
絶対に私にはある、あるはず、と言い聞かせています。
そして、私自身を追い込んでいくのは「行学の士」になりたい、
それだけを目指して車倚子生活ゆえに地球は二度目の生命です。
絶対に負けられないこと、
それは欧米の先進国家以上に芸術の知性と科学の感性を
次世代のデザイナーに、私の体験の全てを残したいのです。
ともかく、「私はデザイナー」という軽薄さは全否定です。
デザインは崇高で有り知性と感性で「美」だけを信じてきました。
特に、最近はもう残された自分の時間を思うと、
絶対に許せない輩には、全身全霊で闘争をする覚悟です。
とりわけ、この「国難」を3.11に受けて以来、
前政権の知性も感性も皆無だった知能に呆れてきましたから、
絶対に逃走はしません。闘争あるのみです。
マスクを被り、ペルソナを秘め、そしてマスカレードでも、
私は嫌な奴には立ち向かいます。


目次を見る

「光造形から3Dプリンターへの系譜は人工人体へ繫がるか」


   


     5月 24th, 2013  Posted 12:00 AM



人間はほとんどの人が長寿を願っています。
「長生き」することの大事さを最近わかります。
私が「人工心臓=Artificial heart」にたどり着いたのは、
人工心臓がArtartで挟まれた言語性が象徴しているのです。
「芸術性・新たな革新」にほかなりません。
本当は光造形が日本の発明であり、
その進化は「生体医工学でのマイクロ&ナノテクノロジー」にて、
その進化を成し遂げました。
日本の高密度な技術進化は、人間の寿命に結びついています。
現在、日本人の寿命年齢と健康年齢では10年の格差があります。
つまり、寿命つきるまで生きるほとんどは病院介護が必要です。
ところが、健康寿命はその人たちより10年早く逝ってしまいます。
命果てるまで要介護者が必要ゆえに、医療制度や税金が必要であり、
健康年齢での死は、脳溢血や心臓障害などで10年早く死亡です。
この根本的な理由は、
わが国の工業産業での技術進化は見事に敗戦からも復活しました。
しかし、ポスト工業社会のままでは、
情報社会への対応は大変に遅れたということです。
たとえば、プロのデザイナーとして、
「世界の何とか標準にわが国は準じていないから・・・」とかを
よく耳にします。
私は明快に、
「そんな世界基準こそ、わが国、クライアントが創ればいい」と、
主張すれば、私との敷居が高いと言われます。
しかし、世界の動向に、デザインは、
その先手=ガンビットを打つことですし、
私も60代ですから今後が見えてきています。
結局、「人造人間」というロボットに技術は集中しますから、
ヒューマノイド、メカノイド、アンドロイド、アバターへと
実際は工業時代成果と情報時代成果の二つの技術は、
さらに、
遺伝子制御技術・光重合技術・電磁波制御技術が加わるでしょう。
そうして、
その工業技術・情報文化・遺伝子制度・光制御文化・電磁波進化、
この五つが必ず、光造形から3Dプリンターを実装置として、
アンドロイドとアバターの創出に向かうものと思います。
そのための「問題解決」の解答は、
ロボット学者・石黒教授の新書である
「糞袋(くそぶくろ)の内と外」に記載された、
「人間とは何か、何が人間か」になるでしょうかという著作に、
その重要なヒントがあるようです。
これが、今の私の60代の、プロとしての想像です。


目次を見る

「記号はNetworkとServerと私たちのimageに存在する」


   


     11月 25th, 2012  Posted 12:00 AM



三つ目の波が「情報革命」でした。
その革命によって、
「情報化」・「情報」はNetworkによって繋がっています。
もっとも具体的なNetworkは、「インターネット」であり、
それはwww-server、
あるいはName Domain Systemとして地球に覆い被さっています。
1970年代から、今日の情報社会までの急激な変貌は、
私たちの意識まで変えてしまいました。
結果が、端的に
「情報=知識・意識・諜報・案内」というコンテンツとして、
私たちはもう一つのコミュニケーション方法として手に入れてきました。
しかし、功罪相半ばを認めておかなければなりません。
おそらく、世界中の人が毎日、
電子メールを読み、インターネットにアクセスしています。
「ユビキタス」時代は、すでに「クラウド」時代に突入しています。
そして、その基盤であるデジタル処理が、
Serverによって、管理と運営と維持されています。
私はその基本程度は常識として知っておいてほしいと思っています。
数年前に私はコンピューター企業の代表的企業後援の講演で
「コンピューターが消える日」を通告したことがあります。
その時以来、よく質問をします。
「サーバーって何種類あるのだろうか?」、と。
大学院生ですら知りません。
すでに彼らは幼少の頃にはもう日常生活にパソコンは存在していたのです。
私が、ここに掲げているサーバーには、それぞれの役割があります。
せめて、その役割程度は常識にしておいてほしいと思っています。
なぜならば、
私がこのところ
「記号」・「記号化」・「記号学」・「記号論」を持ち出しているのも、
実際は、自分をパソコン能力に喩えれば、
自分の脳内にこの五つのサーバーが、
その人の能力そのままのスピードとメモリーで構成されているからです。
「頭の回転が速い」とか、「知識の箪笥引き出しが多い」というのは、
まさにサーバーになぞらえることが可能です。
それは、あなた自身のイメージのサーバーも、
この五つに必ず分類することができるでしょう。
なぜなら、私たちが共有しようというイメージが「記号」であり、
その「記号」の存在野=存在装置がサーバーだと言ってもいいからです。


目次を見る

「モードからファッションへ、そして遡及する記号の再生産」


   


     11月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM



ジーンズは、未だに魅力的なモノです。
そして、ジーンズにはジッポーのライターが似合っています。
いづれも、米国開拓史に登場してくるモノですが、
これを「機能的なモノ」、
あるいは「アノニマス的なモノ」と呼ぶだけでは物足りません。
私は、ジーンズとジッポーはすでに、
モードとしてラング化された記号であるにも関わらず、
ファッション、つまりモードが
すでにしっかりと定着しているモノの一つの代表だと思っています。
当然、製品記号論的には、
アウトドア・カジュアル・日常的な性能性・効能性・機能性を
完備した「記号」と考えることが可能です。
しかも、さらに重大なことは、
ローコストでただの作業服にすぎなかったモノがハイコストで、
フォーマル性も獲得してきたパロールがラングにいたっていることです。
ジーンズという形態言語は
さらにデザイナーズブランドに遡及していくことが可能です。
これは、ある意味では
「マルクスの経済的な論理」をすでに壊しているという事実です。
ジッポーは、カジュアル性に留まらず、
デコレーションデザインによって、
フォーマル的な存在性を獲得することが出来ます。
それは、すでに今では
不変的・普遍的な記号=コードとモードを兼ね備えながら、
新規な記号性を引き寄せる記号、
すなわち、
記号の再生産まで成し遂げる存在=効能性を確約した
性能と機能を有しているということです。
私自身にとってジーンズはまだ老体ながら、
身体化できるファッションとしてワードローブに、
それも選び抜いたモノをコレクションしています。
しかし、ジッポーにいたっては、
すでにタバコも吸わなくなっているために、
緊急防災備品としての発火道具というツールとして、
あるいはジッポーにあるテーマシリーズ化されたコレクションを
メディアとして所有しています。
つまり、すでにジーンズもジッポーも
「コード化された記号」を所有価値中心ということに至っています。
記号の再生産がユーザーが果たすモノになっているということです。
したがって、デザイナーズブランドになっているジーンズには、
仕掛けようとする造形言語を付着させようが、
それはパロールには決してならずにラングの中に、
ディクショナリーとしての記号性は揺るぎ無きモノになっているのです。
ジーンズ、ジッポー、この商品が記号に至ったコンテクストこそ、
明確な情報社会でのテキストになっているはずです。


目次を見る

1 2