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Posts Tagged ‘感性’


05月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 27th, 2017  Posted 12:00 AM

05月27日 赤口(甲寅)

感覚には、
感性と感情があり、
その感覚にだけ、
想像、想像力が
動因になっている。

川崎和男の発想表現手法


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03月03日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 3rd, 2017  Posted 12:00 AM

03月03日 先勝(己丑)

意識にイマージュ、
意識にイメージ、
イメージは感性と個性に
先天的にあるものだ。

川崎和男の発想表現手法


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02月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 23rd, 2017  Posted 12:00 AM

02月23日 先負(辛巳)

感覚では、五感があります。
視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚です。
視覚は、人間では一番遠く、
何光年も先の星が見えます。
私にとっては、
聴覚と触覚が、感性の決め手だと
決定しているのです。

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02月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 21st, 2017  Posted 12:00 AM

02月21日 先勝(己卯)

「手」に感性があるかどうか?
それは、
「手」「掌中」と「指先」、
このコントロールが
運筆できるかどうかだ、
このことは
岡倉天心が
東京美術学校ですでに
教育プログラム化していた。

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02月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 17th, 2017  Posted 12:00 AM

02月17日 先負(乙亥)

「感覚」と「感性」には
文字通りの差異があります。
「感性」とは先天的に
感覚判断をしますが、
その「感覚」は、
後天的にも身体化できるのです。

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02月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 16th, 2017  Posted 12:00 AM

02月16日 友引(甲戌)

「かわいい」という評価が
デザインの本質では無い。
「かわいい」というのは、
うわついた感性の曖昧さである、
だから、「かわいい」とか
「かわいさ」を否定している訳ではない。

「美しさ」に「かわいさ」は
相当に大きな距離があるということだ。

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02月02日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 2nd, 2017  Posted 12:00 AM

02月02日 赤口(庚申)

デザインは創造力が基本である。
その創造力に至るには、
想像力が必要だが。

想像力は
個性と感性に裏付けられた
天性の資質が必要だ。

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02月01日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 1st, 2017  Posted 12:00 AM

02月01日 大安(己未)

個性と感性が
想像力と関係がある。
ここから、
想像力が創造力と相関なら、
個性と感性は
創造力を裏付ける。

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『目の前に未来・将来は無く背負っているのです』


   


     1月 31st, 2017  Posted 12:00 AM

「Back to the Future」というSF映画を観た直後に、
これは映画の題名というよりは、ホメロスの叙事詩に登場していると、
この話は小説家・堀田善衛氏の指摘で、
ホメロスの叙事詩である「オデッセイ」を知りました。
それは日本書紀・古事記にも登場する、いわば国づくりというか、
国・国家という存在が世界共通にあるということから、
私はホメロス・オデッセイを追いかけていたら、
ずばり、「Back to the Future」そのものの書籍にぶちあたりました。
そして、未来は決して目の前に広がっているのではなくて、
背中に未来を背負っていることは米国のそれもSF映画の根底でした。
古来、日本では人は生まれて死んでいくまでに「背負い水」があること。
人は一生に飲む水を宿命として携えて生まれてくることだと知りました。
私自身28歳で車椅子、リハビリテーションの病院では40歳までが一生、
このことを担当医から言われたのですが、そんなことを聞かされたら
人は絶対に投げやりになるものです。
それは40歳までの背負い水を持っているということです。
ところが40歳寿命など忘れていた時に、
私は毎日デザイン賞をいただきました。
したがって、私が未来・将来は自分が背負ってきたことからしか創れない、
このことを強く意識し始めてきました。
しかし、背負っていることは経験や歴史だけではありません。
ここがBack to the Futureをホメロスはどのように未来を招待するのかを
経験・歴史を超えて非常識さあふれる想像力の受容力かと気づきました。
そこでの大問題は想像力そのものも実は背負っていて、
この想像力こそ、個性・感性であり、宿命的に背負わされているのです。
人はすべからく想像力を持っているということは大間違いでした。
この事実をホメロスは読みとっていたのかもしれません。
ところが、商業主義に汚されていくと、
それこそオデッセイも日本書紀、古事記も語っていた未来・将来に
デザインは寄り添うことができなくなるのです。
是非とも、特にデザイナーは「Back to the Future」を定本にするべきです。
ただしすべからく、キリスト教義であることに
私は多少違和感があることは確かです。
日本人にはもっと自然をも背負い込む想像力があるからです。

* 『十日恵比寿の種銭を大国主命からもらう』
* 『少子化は雑誌の世界をすでに破壊していた』
* 「際限は背中に、目の前に未来など無く」
* 『「創育」と「想育」の中心はやはり恐竜の存在だ』
* 『銀河系の帝国主義、そのアーキタイプは未だ戦争か』


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01月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 12th, 2017  Posted 12:00 AM

01月12日 友引(己亥)

今では、デザインには
多くの人が興味をいだきます。
デザインと感性
デザインとセンスなど
それは想像力と創造力が
対比されますが、
多分、この関係を
私は断言出来るでしょう。

川崎和男の発想表現手法


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