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『応量器のモノからコトへがデザインの完成形』


   


     3月 1st, 2017  Posted 12:00 AM



五つの器が重ねられた食器を「応量器」と言います。
が、これを実際に使ったことが無ければ不明なことが多いようです。
応量器を考え出したこのデザインは、生きることと悟るためのこと、
こうしたことを食事の作法にしてきた曹洞宗のいわゆるコトのデザイン。
正直なところ、応量器の周辺が何であったのかとかは忘却されています。
例えば盤・盆・膳とのつながりや、箸・匙・刷の存在というモノのデザイン、
このモノのデザインによって食事の作法は最も優れたコトのデザインです。
黑漆仕上げの応量器は、普段の食器であり朱色は儀式用と言われています。
コトのデザインとして重大なことは、
食事をなぜするのかとか、食べることすべての御礼があるということです。
・食事が賄われるまでのすべてへの感謝があり、
・この食を出来るだけの自分であるかという反省、
・正しい生き方をしているかという自分への問いかけ、
・食することは良薬であり、身体の健康を保つことの確認、
・だからこそ、この食によって、自分の生き方を成し遂げること、
この五つのコトがモノのデザインになっていることです。
道元が「典座(てんぞ)教訓」を残していかれたこのモノとコトこそ、
私はモノとコトのデザイン、その完成形だと考えています。
しかし今や漆芸の産地においてもこのことはすっかり忘れられています。
ただ、中学と高校時代に永平寺の第一道場で、
この応量器で食事をしていた私には、二つの思い出が残っています。
まず、お粥はとてもおいしかったのですが、漬け物は苦手でした。
そして、とても毎日が空腹だったことです。
そして食事後にこれを洗うのですがそれは使い古された日本手ぬぐいであり、
この手ぬぐいだけで、顔も洗いしかも板張りのトイレ掃除もしたことでした。
そして、確かに応量器を見本とした漆仕上げ?、いやウレタン塗装の食器が、
選別されたデザイン商品コーナーにあると、
私はこのデザインには、デザイナーの知見不足ととても強い怒りを覚えます。



* 「1980年代のデザインと伝統工芸産地の活動」
* 「モノづくり・コトづくり=デザインの源流でもう一度メモ」
*  「水に支えられている命・杓底一残水汲流千億人」
* 『「●●とは何か?」、質問形式とその答えは能無しである』
* 「現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ」


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『デザイン領域の「統合」による安全・安心・防災・防犯』


   


     4月 18th, 2016  Posted 12:00 AM



美大でデザイナーの教育を受けた自分にとって、
デザイナーにはデザイン技法の習得が絶対的な身体技命令でした。
社会人デザイナーとしては企業で、その身体技をさらに研磨され、
それ以上にモノづくりの技術と営業を仕込まれました。
やがて、国内外でそれなりのデザイン活動をしてきました。
大学人として、産業美術学科から芸術工学科へ、
デザイナーとして、時代と社会対応は、文理と学術・芸術の統合から
自分のデザイン領域を、大きく4つ生み出しました。
デザイン理工学・デザイン医工学・デザイン文理学、そしてデザイン政経学
幸いにして総合大学ではこの統合化を成し遂げることで、
産業・技術・環境・文化が明確に見えていました。
ところが、March.11 2011の天災と人災は、
さらにデザイン領域での目標と目的を詳細化してくれたのです。
それは、「安全」・「安心」・「防災」・「防犯」でした。
この四つを産業・技術・環境・文化に再配置するには、
文科系+理科系と学術系+芸術系を組み込まなければならないと気づき、
かつて「コンシリエンス」と「レジリエンス」を問いかけたことば、
それこそ「コンシリエンスデザイン」を定義化する必然性ができました。
すでに、美大系・工学系・教育系ではデザイナー養成は困難を知り、
世界や、地球、これからの社会や時代が、
デザイン、デザイナーへと要請する実務が見えてきたのです。
あらためて「コンシリエンスデザイン」が
「安全」・「安心」・「防災」・「防犯」を創出すると確信しています。


*『何がデザイン思考かは終わったのだ』
*『危機解決学としてのコンシリエンスデザイン』
*『自分に何ができるかという死生観』
*『コンシリエンスとレジリエンス』
*『「ふだん」・「まさか」安全と安心は相対的でしかない』


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