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Posts Tagged ‘成長’


04月03日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 3rd, 2018  Posted 12:00 AM

04月03日 先勝(乙丑)

各段階での
スペシャリストだけをそろえた場合、
企業としては、
その時点で成長が止まったも
同然になるのだ。



『プレゼンテーションの極意』「口説き」、それは三位一体


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『パトローネが文化を再考察させるデザイン戦略』


   


     4月 29th, 2016  Posted 12:00 AM



焼酎ブームになって久しいと言って良いでしょう。
なぜ、焼酎が飲酒としてこれほどまでに成長してきたのでしょうか?
自分なりに聞き及んでいることは、二つあります。
まず、阪大が醸造における糀菌を醸造科を廃止し東大に渡し、
東大醸造科の技術進化があったからということ。
と同時に「iichiko」のK名誉教授のデザイン戦略があったということです。
このデザイン戦略は、K氏のグラフィックデザイン展開だけではなくて、
すでに130号発刊された季刊小誌があります。
130号目を見ればデザイナーにこれを読みこなす能力が問われるでしょう。
「日本語言語論の革新へ」という特集記事を見て、
ことさらにこれはデザイナーが立ち向かえるものでしょうかと思います。
しかし、自分が強調したいのは明らかに言語論と対峙できる能力が
デザイン界、デザイナー能力には不可欠だということです。
日本語の文法、述語の世界、一人称の問題としての人物人格は、
すべからく詩的言語性や言文一致性とその時間表現性と関わっています。
結局デザイナーのそのデザインを根底で支える表現への理論・哲学性です。
洋酒であれ、日本酒であれ、とうとうそれが焼酎であれ、
飲酒という文化は現代文明の奈辺で理論・哲学のパトローネが必要です。
このパトローネに方針を与えることこそすでにデザイン戦略なのです。
したがってこのデザインスタジオに、
この小誌の編集室があることはもっともっと知られるべきことです。
デザイナー能力がこうした小誌の読者であることの
重大さを書きとどめます。

*『東京老化と地方消滅にデザイン戦略を』
*『アナログの極致=レコード再生のカートリッジ』
*『C.I.デザインの源流としての思想』
*『ファッション誌で知ってさらに自分ファッション』
*『前頭葉で「ち」と「は」=形と言語が制御されている』


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8月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 13th, 2014  Posted 12:00 AM

8月13日 丙辰(赤口)


勉強、
生涯が勉強、
勉強をするから全人格的に成長する私?
という考え方をしている人がいます。
勉強することは、
それはある種の宗教的盲信です。

勉強などは、
生徒・学生であるための行動条件に過ぎません。

成長する自分のために、
あるいは
全人格性を修練と精進させるには
勉強することではありません。
それが「何か」が見えない知性から
智恵は生まれないのです。

「川崎和男 強い人弱い人」


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「稲穂と麦穂、どちらを選ぶか」


   


     4月 22nd, 2013  Posted 12:00 AM



ふるさと福井には30歳で一度戻りました。
当時は、その自宅裏はすべてが田んぼでした。
だから、春から秋の実りまで、
稲の成長から稲穂の金色を本当に詳細に見つめました。
そのおかげで自分の
特に、「緑色」と「金色」の対比を身体で覚えました。
そして、福井郊外の麦畑で、
麦の鮮やかな緑からこの実りもしっかりと見ました。
稲穂と麦穂の対比を克明に私は覚えてしまったと思っています。
父が私に言いました。
私もデザイナーとしてほんの少しマスコミに出るようになったとき、
「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」、という言葉の意味はわかるだろ、と。
でも、父と何かしら確執し闘っていた私は言い返しました。
「僕は麦だから、稲穂なんかまっぴらご免だ」、と。
つまり、稲穂は頭を垂れますが、
麦穂は、麦が成長途中に踏みつけられます。
それは霜柱にやられないように麦踏みがあるのです。
だから、私は<踏みつけられてきた>という感覚がありました。
自分は踏みつけられても、
実ったら金色に輝いて頭は天に向かうとさえ思ってました。
そのことで、相当に父と言い争った経験があります。
実際に福井で、
「あなたは彼の息子さん?、彼は優れて温和な人ですね」と、
どこでもいつでも父は誉められていた人物でした。
それに比べれば、30代の私はことごとく、すぐに喧嘩してました。
現在もあまり変わっていないと思います。
これはもうすっかり自分の理念・哲学です。
絶対に「麦穂のように生きてやろう」。
だから、踏みつけられればそのぶん頭を上げようとさえ考えています。
しかし、多分、人間は「稲穂のごとく頭を垂れる」方がいいのでしょう。
そんなことがよく分かる年代になりました。
でももう死ぬまで、「いい人」で生きぬきたいとは思いません。
嫌なヤツは嫌ですから、明確に嫌なヤツをやっつけて
私らしく生きぬきたいと考えています。
ただ、私は、
「稲穂」と「麦穂」には人間のあり方の大きなシンボル性があります。
この対比は、
見事にそれぞれの実りまでの「緑色」と「黄金色」に顕れています。
この対比色の見間違いそうな差異色にシンボル性の意味があるのでしょう。
死ぬまで、稲と麦は見続けたいと思っています。


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1月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 24th, 2012  Posted 10:00 AM

1月24日 友引(甲申)

各段階での
スペシャリストだけをそろえた場合、
企業としては、
その時点で成長が止まったも
同然になるのだ。

『プレゼンテーションの極意』「口説き」、それは三位一体


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「資本主義からの逃走」
   「企業理念は五つに分類可能、さらに詳細に」


   


     2月 16th, 2011  Posted 12:00 AM

五つの理念分類
企業は組織体系ゆえに方針が必要。
方針とは企業力を示した「理念」です。
しかも、企業は経営=儲けてその分配構造体。
どうやって「儲けて」、組織体系の運営と維持管理、
これらの構成・構造・体系をことばで記述することが「企業理念」と言われています。
私は40年デザイナーという立場で、様々な企業の生態と接触し関係し、観察評価をしてきました。
デザイン職能とのこうした関連事項での相互作用性は、実体験の経験値になっています。
結果、すべての企業体系の方針は五つに分類ができそうです。
詳細にまで企業理念を整理すれば、見事な曼荼羅になっていますが、この五つをあげておきます。

  ■ 理由信念 
  ■ 道理概念 
  ■ 条理入念
  ■ 理論観念
  ■ 理解通念

私がデザイナーとして、クライアントであった様々な企業理念の表現を観察してきました。
その企業形容はすべからくこの五つに集約されたディスクールだと思います。
だから、ディスクールという理念が資本主義というイデオロギーで守護されてきたことも事実です。
ところが、企業という人間組織の集合体での体系は、大きな変動をむかえてきました。
この五つが社会と時代との即応性が崩壊したとき、
その企業自身も消滅していきます。
企業が起業し、成長し、発展し、時に崩壊消滅も随分とみてきました。
やがて金剛界曼荼羅へ
まさしく、企業理念は、企業存在・企業C.I.と照合すれば、
「アイデンティフィケーション」を心理学的に整理したE.H.エリクソンの8段階説に適合しています。
さらに、私は人間界を区分した金剛界曼荼羅に重ねて
企業理念の詳細を確認することができるとも考えています。
結局は、日本文化の進展と深度はまさしく企業理念と同様な構造を持っています。


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『資本主義からの逃走』
「三大観念の世界観を!」


   


     5月 21st, 2010  Posted 12:53 AM

五大
私は、現代21世紀も10年、ワンディケードに入りました。
そして、私が明確に意識しているのは、三つの世界観です。
世界観という観念が三つあるということです。
仏教における五大思想のような象徴であり、焦点です。
仏教での五大というのは、
■ 地・地球であり大地
■ 水・海や川で流れる変化変相
■ 火・燃え上がる情熱
■ 風・自由性や成長
■ 空・天空・無
この五つの要素や要因を掲げて、
これが世界と人間界の実存と伝えられてきました。

三大
中国の五行思想=木・火・土・金・水と混同されますが、
世界観への人としての、
自分の存在を自己納得させる要素要因の観念としては
同等の思索軸だと私は理解しています。
そして、現代、この世界観念の軸・象徴を掲げるなら、
まさに、かつての三大=火・水・地は、
■ 物質
■ 情報
■ エネルギー
この三大観念と具体が世界観と考えます。
果たして、この三つの要素・要因の具体性は、
● 物質というモノの体系
● 情報というコンピュータとネットワーク体系
● エネルギーという具体的な電力やエネルギー源体系
こうしたことに集約して、現代世界観念をまとめることができます。

経世在民へのエネルギー
この三大世界観を、人間社会の能動性や効率性に、
「経世在民」が覆い被さっていると考えることができます。
私が、この現代三大世界観に、
これまでの「経世在民」の基盤である「資本主義」、
そして「民主主義」を照合していかなければならないと考えています。
世界観の変貌性は劇的で瞬時です。
少なからず、
「情報」世界観が、iPadなるモノの出現でどれほど変貌していくのだろうか、
そんなことを記してきました。
たかだか、iPadという製品です。
それでも、この製品からの体系=アプリケーションから、
日常的なユーザビリティのダイナミックスです。
ところが、それ以上に、私たちが直視しなければならないのは、
「エネルギー」へのまなざし、
そのあり方になっていくでしょう。


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