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Posts Tagged ‘戦術’


『セルロース戦略と炭素戦術が基幹産業になる』


   


     1月 13th, 2017  Posted 12:00 AM

戦略と戦術、これを私はデザイン手法論に使います。
昨年末そして今年最初にも、この実験をしていました。
だから、これからの日本の産業は?、という
この質問に応答している次世代のデザイナーやデザイン関係者たちが、
AIだとか、IoTなどをデザイン思考でとかには、
とてもいらついて無能さを感じてしまいます。
それは基本的なことを忘れているからです。
まして、建築家などの「街づくり」などでも、「つち」「とち」、
そして「みち」「まち」の基盤が不明過ぎるのです。
ポスト・コンピュータが語られないときにはただ無力さを感じます。
私には、セルロースパウダー素材を追いかけて来て、
ようやくこの炭素化によって。二酸化炭素の自然サイクル化こそ、
わが国の「基幹産業」になることの確証を掴んできました。
なんといっても、セルロースパウダーは、泥土の個化を促し、
これは広島の土砂災害、さらに御嶽山爆発、いづれも泥土個化で、
この効能性と機能性を確かめてきました。
そして、これからの基幹産業を答えている人はゼロです。
デザイナーとして、懸命に自分の経験も考えながら、
日本だから出来ることを追い求めてきました。
この答は、日本のとても哀しい体験にありました。
それは、3.11での人災であった原発問題での除染に
大きく学ぶことができたのです。
それは日本だから出来ることです。
そして最も重大なことは「パリ協定」での二酸化炭素の削減と
大きな関わりまで辿り着きました。
それをセルロースデザイン戦略として、
セルロース素材へのデザイン、その炭素化を
戦術として使いこなしていくことでした。
この詳細を「KK適塾」で説明し提案をしていくつもりです。

* 『セシウム除染もデザインが深く関与すべきだ』
* 『天災・人災の日本こそ地球保全と人類存続をデザイン』
* 『コンセプト主義からの解放=デザインテクノロジスト』
* 『広島被災地に「パウダースマイル」を!』
* 『ヘリコプター救助の高度な技術は称讃されるべきだ』


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『コンシリエンスデザインをともかく訴求!』


   


     4月 16th, 2015  Posted 12:00 AM

「INTERMOLD 2015」の特別講演をしました。
先日、招聘教授になっていただいたKAISTの金明錫教授が来日、
自宅で昼食をとりながら、打ち合わせをしました。
KAIST(Koria Advanced Intitute of Science and Technology)は
世界的に最高の大学院大学だと、私は思っています。
その大学でも「コンシリエンスデザイン」が正式な講座として、
政府からも認められたそうです。
私は昨年から、この講座を阪大でやるべきと主張してきました。
そこで、この見本市でも「モノづくり」と3Dプリンター界に向けて、
「コンシリエンスデザイン」、3D-Printing、知財権、機能論などを
訴求しました。そして、見本市会場もザーッと概観しました。
想像通りで、またもや日本の製造業や金型産業界が、
3Dプリンターをただ、米国を追いかけているだけの有様を確認して、
阪大で私が取り組んできた日本独自の戦略と戦術を
コンシリエンスデザインでの発想を伝えたつもりです。
3D-Printerは機器そのモノの戦略論が必要であり、
3D-Printingは技術を戦術として、それも世界を主導すること、
このことを最も伝える方法論は熟考を重ねてきたと思っています。
おそらく、当分はこのことを必死で訴求していくことが
私の義務だと自分に言い聞かせています。
本来、日本のプリンター業界は、印刷オンリーから抜けられず、
まだ大手企業も3Dプリンター開発を言い始めています。
しかし、あくまでも様子見で米国追随から逃れていないのが現状。
現に、阪大と共同開発に入った企業人は、
根本をやらずして、米国の模倣やマスコミ宣伝の書籍類に
惑わされている現実を見てきました。
結局、3Dプリンター以前に、光造形システムがあり、
私はこのシステムが開発途中の歯車を見て大ショックを受け、
結果、大学人になっただけに3D-Printingこそは、
米国を必ず追い抜いて、
世界最高の国家に日本はなるべきだと考えています。


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『「企画書」づくりが私の休暇の積み重ね』


   


     8月 18th, 2014  Posted 12:00 AM

「企画書」はデザイナーになってどれほど書いたでしょうか。
バブルの時には、一枚書いてとても高額だったことは今では夢です。
ただし、「企画」と「計画」の違いはほとんど一般化していません。
特に、政府も行政、企業にいたっては無能の有様です。
それは「企画」にしろ「計画」にしろ、いづれも戦略用語ですから、
「戦略」=企画、「戦術」=計画であることも知識です。
企画とは、領土拡大において、どこまで領土を支配する予定書、
計画とは、元来は経画=領土線を縦に引くことです。
したがって、企画とは戦略同様に目標と目的が示されますが、
計画とは、その目標と目的を具体的に空間設定、時間設定を
人間が行うべき行動指針が示されなければなりません。
まずもって、政策策定書・政府内閣から行政の「企画・計画」書で、
私に提示されると、ついつい次の質問をしてしまいます。
これは企画ですか?計画ですか?
目標しか書いていないのですが、目的は何ですか?
企画なのに、どうして具体的な方針が書かれているのですか?
計画というのに、どうして目的だけで行動工程が無いのですか?
となれば、とても嫌な存在になるのでしょう。
こうした批判のためにどれほど仕事を失ってきたことでしょうか。
今や、このようなことはどうでもいいのです。
私は真っ正直に、地道に、目標と目的を見極めた企画を提示し、
その遂行のための行動・実務方針と時間管理の計画を差し出します。
万が一、この企画・計画が実現できない場合は、
この実現を成すべきリーダーが無能である証になるはずです。
なぜなら、時代は「情報時代」であり、「見える化」が当然です。
したがって、私はデザイナーとして、書けるだけ書き残し、
後世にその判断と評価を残すことが可能になっています。
私は、デザインという「絵に描いた餅」作業こそ、
「絵に描かれた餅」だからこそ「食べられる時代」になりました。
だから、「企画書」?を書き残します。

「企画は必ず具現化すること」


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「テロという名の殺戮に怒りを込めて」


   


     1月 22nd, 2013  Posted 12:00 AM

アフリカ、私には想像の及ばない場所です。
アルジェリア、きっとあの場のフランス軍の傭兵部隊は、
戦争映画などのイメージを超えるほどの
戦争以上の現実地獄が存在するのでしょう。
彼の地は戦国時代最中のはずだったのです。
テロリズム、このことばは「戦争」や「軍事」や「殺戮」を
どれほど曖昧にしている概念でしょうか。
日本の商売はこの地においても「正義性」をもっていたのかもしれません。
しかし、私は、わが国が敗戦国家として、
軍隊も持たずに世界への進出を
さも「グローバリズム」とどこかで礼賛していることを、
訝しさと偽善的な国家観を拭い去ることはできません。
パスポートには、明確に、「わが国民を絶対に護れ」と記述がありますが、
そのバックグラウンドの制度を私たちは本当は、真実は、
空白なのです。
もし、邦人が拉致され、人質になったなら、
訓練された軍人という職能家が、直ぐにも乗り込んで、
独自の戦術で奪還してこそ、
「国家」であり、「国際的存在性」があるのではないでしょうか。
政治家でも拉致されて、命拾いした人物でなければ、
その残酷さと残忍さなど分かるはずがないのです。
商売をやらせてやっているという低レベルの国家との関係、
その中で「人命優先の申し入れ」なんてありえません。
もし、
自分の家族が、友人が、いや同胞がこのような極限に出逢ったなら・・・
哀しみではなくて怒りがあるべきでしょう。
私は、いじめ問題、さらには体罰問題、聖職と言われる職能の破廉恥さ、
日本の根底にしっかりと根を張ってしまっている不甲斐なさを
思い知るべきでしょう。
わが国には「武士道」という崇高な危機管理システムの伝統がありました。
あの国家が、見せつけてくれたのは、
ほら、日本が商売されている装置システムは無事でしょう、と。
同胞17名中、10名は未だ分からず、でいいのでしょうか。
資源ほしさ、商売だから、それがグローバリズムの根幹なら、
準備すべき制度は、日本には、日本人にはテロリストは、
「とても怖いから」というイメージを植え付けるべきなのです。
まさに「孫子の兵法・用間」、
その制度とその具体化デザインであるべきです。


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9月2日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 2nd, 2011  Posted 7:33 PM

9月2日 赤口(庚申)

手法と手段という日本語は、
言い換えれば、
戦略と戦術であり、
企画と計画である。

『デザインという先手』手段


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『資本主義からの逃走』
 *「無思考とは、思考無しではない、
   思考空であろう」*


   


     2月 1st, 2010  Posted 1:00 AM

無思考
私はほとんど外出してデパートやショッピングモールなどは、車イスになる前から、好きではありませんでした。ミッドタウンをワイフに車イスを押してもらいつつ、いわゆるデザイン系ショップを久々にのぞいて見ました。デザインは、相変わらず「進化」がありませんでした。学生たちが憧れているモダンデザイン系ショップに陳列されているモノに、愕然としました。1960年代よりは素材がカラフルだったり、プラスチックや電気回路が進歩したから、「ソレナリ」のモノがこれほどコピーされて氾濫しているとは、驚きでした。まるで、浦島太郎の心境になって、もう本当に目眩がしました。外出して、書店に行っても、あまりのカラフルさは、車イス視線からでは、目眩がします。まして、コピー製品があまりに「それっぽいデザインした風」なのですから、耐えかねます。また、店員さんの商品知識も格段に低いと思いました。せめて、これぐらい知るべきでしょう。カタログにも肝心な性能表が無くなってきています。それは駄目でしょう。企業の商品化能力を疑います。また、あるアイテムの展示会に招かれました。有明ビッグサイトでの見本市企画企業から、あらたな業種の展示会へのアドバイスを、ということでVIPカードで見て回りました。流ちょうな日本語の外人からいっぱい声をかけれられました。なんとしても商談!という意気込みです。比して、肝心な見本市担当者の無口なことにあきれました。これじゃ、凋落する産業のさらなる凋落が予知出来ます。ともかく、思考していない=薄思考です。これを私は、無思考とは言いません。無思考とは、思考が「無」の状況や事態を指示していると私は考えています。なんでもいいから、まだ一度も使ったことの無い、edyカードで買い物をしてみたかったのですが、「欲しいモノ」がありませんでした。いわゆる今、旬の若手デザイナーの作品である商品も、デザイン設計で、「金型チェック」もしていないのでしょう。3D-CADやCGレンダリングなら、多分、「カッコ良かった」のでしょうが、さらに中国製となると、成形精度も格段に悪くて、これは必ず経年変化を起こすと見抜けてしまいます。さらに、恩師の名作も、カーブや板厚も微細に変貌しています。もはや、高齢になられた先生の眼力チェック無しの復刻品も見かけました。これが、現代の日本の商戦現場だとするなら、どうやって、立て直すべきかと考えさせられました。明日、Gマーク賞制度審議委員会があります。この私が最年少ですから、今年の「Gマーク賞制度は、国際化戦略」の一つの核心となる「戦術」にしていきたいと考えています。私の発言が了承されるかどうかは不明ですが力説します。よって、審査委員も少数精鋭で海外審査委員を投入することを、私の私見として発言するつもりです。昨年のある事件見解も、公表すべきことは、審議委員会からだと私は考えてきました。ある種、審査委員がデザイン界のエリートならば、「敵前逃亡」や「自分勝手さ」はNoblesse Obligeも果たせなかった審査委員資格は審議委員会にての裁決をしなければならないしょう。なぜならば、「Design made in Japan」を象徴化しているGマーク賞制度は、一つの国家戦略です。だからこれは、日本の産業から現代文化の最前線でもあると考えるからです。「無思考」は「思考空」だとも考えています。思考結果がデザインとなり、無思考結果がデザイン効果であるとするなら、思考空は、デザインへの憧憬になります。憧憬は常に潔しが基本です。
思考空


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11月11日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     11月 11th, 2009  Posted 12:00 PM

11月11日 先負(庚申)

経済活動のための
欲望の刺激装置としてのデザインの
時代は終わった。
そのことを、
プロであるデザイナーがまず
誘導し主導しなければならない。
もし、
経済や産業に
デザインが与するとするなら、
それは、わが国が
貿易立国として存続していく
戦略や戦術としての
デザインである。

『デザインの極道論』むなしい


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