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『ツバメの巣、それが福祉の象徴です』


   


     6月 4th, 2016  Posted 12:00 AM



忘れていた自然界の素晴らしさを美大時代の同期から
写真がFBにアップされていました。
写真掲載OKをもらって、しみじみと思い出しています。
この季節、渡り鳥がやって来て、巣を造ってくれます。
すっかり、この風情を忘れていました。
ツバメがやってきて巣を造ってくれるのは良いことが起こるという
こんな話が今ではすっかり忘れられていますが、確かに同期は金沢。
福井にいたときに、あんな所に巣を造っている、と驚いて、
そうか、ツバメも新素材の接着剤を見つけたんだ。
でなければ、出来るワケがないと思い出してしまいました。
本当に今では見ることができないどころか、
ツバメの巣造りを嫌うことが出てきたとすら聞きます。
とんでもないと思います。
ツバメは毎年やって来て、巣造りをしてもらえる家には
福をもたらすと言われていますが、
これは真実です。
祖母から聞かされていた話は、ツバメがこの季節にやってきて、
彼らは最高の居場所だからこそ巣を造るのです。
自然の摂理を家に当てはめているのです。
巣は安全で安心できる場所を見つけているからです。
もし、ツバメの巣があれば、その家には「福」が舞い込んでくるのです。
母の実家、父の実家にもありました。
福井に戻った私が見たのは、全く新しい建築資材がその巣にあったとき、
アレは新しい巣を造る素材と方法を編み出したと思ったものでした。
自然が見いだす最高の居場所は、もう都会にはありません。
しかし、ツバメの巣こそ、豊かさの象徴だと思っています。
北陸には、「福」がやってくるその豊かさがまだまだ残っていると、
とても安心した風情を美大時代の同期が思い起こしてくれました。
連日、仕事に追いまくられていますが、
そうだ、やっぱり日本には自然からの「福」があるのです。
それこそ、福祉とは、神様が富を壺に詰め込んでやってきた、
その証に、膨らんだ「福」と
その足跡=祉を残すことです。
福祉とは、まさに、ツバメの巣こそ、その象徴だと思います。

*『日本が貧乏になっていく、と思うのは・・・』
*『金沢美術工芸大学の大阪での大学大同窓会』
*『端午の節句だが、かつての日本の田舎が豊かだった』
*『「福祉車両」とは決して言ってはいけない車』
*『安全と安心・デザインの不在か非在か』


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「『ち』は知の草書体になった理由に神髄がある」


   


     9月 26th, 2013  Posted 12:00 AM



私は海外では必ず日本語のことばにこだわります。
特に、「ち」です。
血・地・稚・値・置・治・千・致・智・恥・・・・、
と限り無く、言葉=漢字とその意味の多用性に大きな意味があり、
「ち」は草書体での「知」に他なりません。
人体はとち・つち・まちにあり、血が知から智にまで至ります。
こころは、から=空であり、ところは=所であり、ちから=力。
なるほど、こころ+ち=心地を形成しています。
私が、3.11の復興計画=までいProjectも、
とち+つちに重きを成し、よって、まちの居心地をデザインです。
こころ+ちからも、結局は「空」の世界であり、
天地は乾坤を無し、
それに、人間は血から知への人生を持つのでしょう。
「空」と「知」こそ、力なのかも知れません。
その力の限りに智が宿るのかもしれません。
私は、かたち・きもち・いのちを、つちととちとまちに求めます。
かたちが創り上げるのはここちになることも純粋理解可能です。
私は「かたち」を生涯の目標にしてきました。
40余年やりつづけてきて、辿り付いたら、結局、心地・良さ。
心地良さをきもちに入れて、3度、いのちの端に佇みました。
そして、かたちを身体=血は、
いのちのきもちに「知」がありました。
「芸術の知性と科学の感性」ある人物を敬愛します。
それこそ、いのち・きもち・かたちからここちを教示するのです。
したがって、まち・とち・つちに人は帰るのでしょう。
だからこそ、失われた、痛みきったつちに新たな心地を設計です。
私の「ち」は、限り無く「智」を求める「知」だと思います。


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