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Posts Tagged ‘才能’


4月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 22nd, 2010  Posted 8:37 PM

4月22日 大安 (壬寅)

人には力量というのがある。

これは才能でもなければ、
学歴でもない。

知恵力のある行動量の大きさである。

『デザインは言語道断』力量


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4月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 20th, 2010  Posted 1:05 PM

4月20日 先負(庚子)

未来の「匂い」を体感できるデザイナーは
天分・才能があると私は断言する。

『プラトンのオルゴール』
体感する為に、音楽と造形の相対化


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『資本主義からの逃走』
 「製品要因は、実装技術というエンジニアリングの神髄」


   


     3月 2nd, 2010  Posted 12:00 AM

実装という設計
Apple社でコンサルタントだった当時、
もっともプレッシャーは英語・それも会議での英会話。
デザインは常にまずfeasibilityの検討から入ります。
二つの領域の技術検討です。
電子回路関係と筐体構造や機構設計関係でした。
そこで多用された言葉がありました。
回路関係ではLayoutであり、
機構構造ではConfigurationでした。
しかし、日本では、この両方の意味を兼ね備えた言葉、
「実装」という用語があります。
なぜなら、回路でも構造が出てくるとLayoutでは、
何か不足性が残るのです。
同様に、機構といってもその配置となれば、
Configurationでは、言いきれません。
Configuration Layout
私は「実装」をConfiguration Layoutと提案しました。
以後、私は国内でも、
実装=「コンフィギュレーションレイアウト」と言って
使っています。
つまり、回路と機構、その内部配置が外観を決定します。
だから、デザインの決定要因なのです。
要因というのは、要素という静的部品ではなくて、
動的要素を要因と呼んでいます。
素材という要素をどう「実装」という要因でまとめるか、
ということをエンジニアとの議論で高めていって、
それこそ発明へ向かわせるというのがデザインにとって、
最も重大で重要というのが、
私の基本的・基礎的なデザインへの態度です。
エンジニアには、回路の話にも割り込み、
筐体や機構設計にも割り込んでいく姿勢が必要です。
まさしく、デザインと技術、
デザイナーとエンジニアの関係が一体化したとき、
私はほとんど発明であり、
それが革新への道程だと考えます。
Technologist
そして、その「実装」と「造形」ができてしまう人間が、
これからの「テクノロジスト」であって、
こうした才能の育成が、技術・実装とデザイン・造形を
統合化できる教育こそ、これからのモノづくり教育、
ということです。
製品要因=実装は、技術から造形、造形から技術を
補完的に成し遂げるテクノロジカルアートだと思います。


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『資本主義からの逃走』
  「社会主義市場経済論でのデザイン職能」


   


     2月 24th, 2010  Posted 1:00 AM

デザインでの予知と予測
現在、中国の「模倣」はやや活発さから、
新たな段階に進行しています。
そこに、デザインを「設計」から、
「策略」「新資源」として位置づけた、生産技術の進展が
明確に読み取れます。
すでにデザイナー育成教育においては、
韓国、台湾、香港での教育を学ぶという姿勢です。
決して、
日本のデザイン教育ではないということに、
私は大きな失望と、日本のデザイン教育の再構築を
強く意識しなければならないと思っています。
彼らは、すでに「設計」という生産手段の一つでは無いのです。
策略
「策略」というのは、
「付加価値」としての生産価値ではありません。
私は予言しておきたいと思います。
膨大な人口の中に潜んでいる「デザイナー才能」です。
この「才能」が主導権を持ち始めたとき、
わが国のデザイン主導力は、相当に、打ちのめされます。
韓国が、この20年で育成してきた「表現分野」は、
スポーツから映画・ファッション・コンテンツ、
そして、デザインでした。
「社会主義市場経済論」は、「資本主義」国家経済を
超越しようとしていることは明らかです。
無論、まだまだ国内統制が「開放」されてはいません。
ひょっとすれば・・・・・・・という・・・・
軍事力中心の政治体制は、歴史的には幾たびも、
その成功事例は残していません。
果たして、「市場経済論でのデザイン職能」は、
デザインの本質が、情報公開に及べば、
私は「市場経済論」は、もろく崩壊すると、
今度は予測をしておきます。


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『資本主義からの逃走』
 「LISAからiPadはφ=MECCへ」


   


     2月 4th, 2010  Posted 9:37 AM

LISA to iPad

LISAというコンピューターが登場。
やがて、私の側にMacintosh 128kで、以来、
コンピューターはMac以外は認めてきませんでした。
ただ、UNIXでのEWSの世界で、
「光造形システム」=Rapid Prototypingを追いかけ、
トポロジー空間論から人工臓器デザインをしています。
Macの世界はApple社という新たな企業存在でした。
そして私も、スカリー会長時代、アラン・ケイ氏にも
自分のデザインがApple社プロジェクトになって、
様々な議論をした経験が、大きな生涯の思い出です。

Apple Consultant

Mind TopPopeyeSweatpeaJeepBrutus,etc
が当時のコードネームでした。実現はしませんでした。
が、デザインのモックアップモデルは手元にあります。
パソコンをツールとしながらも、
私には「デザイン対象」そのものです。
パソコンは、「クラウド型」となることは確実です。
「スマートフォン」と「ネットワークコンピュータ」
この形式がiPadに進化しました。
おそらく、この中のコンテンツも、想像以上に、
驚愕の進化を遂げるかもしれません。
また、iPadは、ユーザーそれぞれの使用用途での
エンハンスメントも、新しい才能によって、
拡大化と集約化し、その相互性でさらに革新が
希望になってくれれば、
現代までの様々な問題解決につながると、
私は確信しているのです。
キーワードは、
物質=Material
エネルギー=Energy
情報=Contents & Context

φ=MECC

だと宣言しておきます。


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『資本主義からの逃走』
 「Power Point・進化もしないソフトに
  才能を乗せているのは能無しを自己証明」


   


     1月 25th, 2010  Posted 7:17 PM

Light Show on NeXTSTEP
アップル10周年記念イベントで基調講演をしました。
その時にすでに私は、PowerPointを捨てました。
DECのDigital HiNote UltraにNeXTSTEPで、
NeXTでのLight Showを使いました。
これが現在のKeynoteにつながっています。
Apple JapanはDECの当時最も軽量で最薄ノートを、
舞台上で見えないことを条件にしたのです。

したがって、Keynoteが登場したとき、
私はどれほどうれしかったことでしょう。
そして、「プレゼンテーションの極意」を、
入院中に書き上げました。
今や、廃刊です。結構売れたはずなのですが・・・
担当者が退社されたからかもしれませんが、
再版されません。
Power Point信奉者が圧倒的だからなのでしょうが、
「自己才能を表現できないことを証明」してるのが、
いわゆる「パワポ信奉者」です!

大学関係者にどれだけ多いことでしょうか?
私が講演をやった後の講演者は必ず言います。
「川崎先生の後では本当にやりづらいし、
画面は美しくないです」と。
それなら、本当にKeynoteを使いこなしなさい、と
私は言いたいのです。
Keynote
Keynoteなら、
一画面上でMovieは8画面同時稼働します。
「パワポ」は?・・・ということです。
まして、「パワポ」の定型フォーマットに、
文字や写真やイラストは、
どうしてあれほど美しくないのでしょうか。
簡単です。
まったく「進化」していないからです。
Pawer Point2.0から何が進化しているのでしょうか?

プレゼンテーションというのは、
まさしく、「自己表現」です。
「自己表現」とは、自分の才能・創造力を証明します。
したがって、
「進化もしないソフト」に才能を乗せているのでは、
自分が如何に進歩しない才能無しを自己証明している、
そういうことではないでしょうか。
ただし、Keynote以上のソフト開発を、
私は「ある日本のベンダー」に期待しています。
VJソフト開発のベンダーなら必ずやるでしょう。
それはmade in Japan製で世界制覇してほしいのです。
プレゼソフトの選別は自己証明を決定する!


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『資本主義からの逃走』
 *「造形思考も数理思考も、『手』に集約します」*


   


     1月 17th, 2010  Posted 1:00 AM

手と空
いつもスケッチと数式を描き書いています。
「手」に造形・数理の思考が採集・集中・集約します。
「手」が動き出すまでには、
「手」はほとんど運動神経が支配している所ですから、
頭脳は「空」=emptinessになっています。
だから、思考が蠢いているとは感じられません。
ところが訓練した「手」には「思考脳」が発生します。
これが不思議なことですが、私は確信しています。
デザイナーの修練・資質・才能・意志・存在感、
それらを統合化しなければ、
この不思議さを身体化できません。
これはほとんどスポーツや楽器演奏とも同一だと
私は想ってきました。
手の訓練
美大生時代は、徹底的に「手」の訓練をしました。
泣くほど訓練をしてきたと思います。
デザイナーである現在も「手」をひたすら精進です。
今、教育者として「手」=デッサンを重視しています。
もう、「手」で一本のラインを見ただけで、
学生や若いデザイナーの「力」=能力が見えます。
私自身のデッサン・スケッチには健康状態も出ます。
もう一つは「手」は女性のごとく「手入れ」必死です。
ハンドクリーム
手の洗い方からハンドクリームについても、
相当に試行錯誤してきました。
特にハンドクリームについては一家言持ってます。
「手」が、
実は「脳科学」が集約しているとさえ思っています。
「思考」は「試行運動」で「手先」から表現されます。
私は、思考が行き詰まるといつもじーっと、
自分の「手」を見つめることにしています。
ちなみに、ハンドクリーム評論家にもなりたいです。


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『資本主義からの逃走』  
*「かたち=デザイン、
   このことばでつないでいます」*


   


     12月 24th, 2009  Posted 10:00 AM

デザイナーになって以来、
かたち」こそ、私には「デザイン」です。
●「いのち」に「きもち」を、
●「きもち」を「いのち」に、



だから
かたち「に」きもちを
かたち「を」きもちに、



あるいは
かたちにいのち「を」
かたちをいのち「に」ということを、
まるでこの闇の中でつないでいる時もあります。
光の中でつないでいる時もあります。
しかし、私にはこの時々に、
生体的な病で押さえこまれる「しばらく」があります。
「しばらく」は、光と闇の時空間です。
やむなく、
私は時空間で「たたづんでいる」と判断します。

「化」という言葉があります。
「花」という言葉を支えています。



人と刃物=鳶口との関係です。
そしてもう一つは、「祈る」という「化」です。
かたち」が「花」のごとくというのが、
私の祈りと言うのは、ややはばかりますが、
やはり、
私は、「かたち」=デザインに生体で祈り続けて、
時々、「たたづむ」ことを余儀なくされるようです。
私は、先般、このことを強く認識できました。
そういう才能と実践に出逢うと、
まさに、「鏡」に自分が映るように自覚させられます。
これが、感動であり、感激です。
そうした才能と実践に感謝するばかりです。
「きもち」が確実に「かたち」、
その世界を浮かばせてくれるのです。


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『資本主義からの逃走』
 「資本主義、その逃走の基本方程式」


   


     12月 1st, 2009  Posted 7:39 PM

デザイン」は、「問題解決の方法」だとこれまで、
ズッーと私は、一般に、学生に、企業に伝えてきました。
091201solution1

それも「問題解決」でありしかも「難問解決」なのです。
その唯一の方法だとさえ確信しています。
ただし、宗教ではありません。奇跡は起こせません。
まして、科学・技術・芸術でもないのです。
科学と技術とを接着・融合させるたった一つの方法です。
ところで「科学技術」という日本語は大きな間違いです。
哲学者・中村雄二郎先生は、
「科学」は「分科学」の略語にすぎないと教えられました。
デザインの難問解決という論議から、
問題解決の簡潔な方程式を、
私はデザイン思考の基本と基準にしてきました。

つまり「問題」には、
  ●「話題」=Topics
  ●「課題」=Question
  ●「問題」=Problem
があります。

この解決は、
  ■  Topics – Reply
  ■  Question – Answer
  ■  Problem – Solution
ということまでが、本来の方程式=equationです。

この方程式は、デザインでは次の二つになります。
AlgorithmとProgramです。
そこで、「資本論」のために、
マルクス(数学に関する遺稿集)が、なぜ導関数を
エンゲルスに教えたのかがわかるはずです。
数学的思考は、応答と回答は、
「算数」や「数学」で学ぶことができます。
芸術も、応答的な作品と回答的な作品しかありません。
091201solution2
本来、「問題解決」・「難問解決」によって「解答」が
創出されるのです。
創出されるから、クリエィティブでなければいけません。
しかも「解答」は美しさが必要です。
私は、「逃走する方程式」はかくあるべきと考えています。
そして、デザインには、
「デザイン数理学」というAlgorithmとProgramが、
「分科学」として「技術」を支え、
造形言語によって美しさが創出されるのだと思います。
「資本主義から逃走できるデザイン」、
その時代を牽引できるデザイナーは限られているのは、
多分、「仕分けられた」才能でしょう。


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『資本主義からの逃走』
 「非情なる資本主義には、ベクトルがある」


   


     11月 27th, 2009  Posted 3:00 PM

091127designas

経営者が、資本主義の細密を知ろうとしたいのは、
一般的には、悲しいかな「損益数値」だけです。
その価値感では、命すら奪われるのです。

本来、資本主義が「社会構築のために勤勉性や倫理性」を
なぜ、根幹にしていたかを、
常に自問している経営者に会うことは滅多にありません。
経営者自身の勤勉性は、「数値評価とその判断」だけです。
このような、経営者の資質には、
「文化性と社会的使命性」を同次元で体現しようという
人格性・品性を備えた人物に
私の経験の中では出逢うことは滅多にありませんでした。
「品格」を定義しているのは、谷崎潤一郎しかいません。

文章読本」に書かれていますが、時代性ではややズレがあります。
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いづれ解説しておかなけけらばらないと考えています。

さて、資本主義には、
「無情さ+非情さ=冷酷さ」が完備しています。
この方程式は資本主義のベクトルです。
そして、このベクトルが常に狙いを定めているのは、
「資本主義への献身性」の有無だけです。
この「献身性」が、「応答」でしか発揮できない経営者は、
このベクトルで射抜かれることになります。殺されるのです。

私は、デザインをベクトルという武器にしています。
すなわち、
このベクトルは、防御と攻撃が出来る明らかに武器です。
「資本主義の非情さ」を攻撃したり、
あるいは、
「非情化されてきた資本主義」を防御・防衛するものです。
だから、「デザイン」は企業経営では不可欠なのです。
そのことが結局分からなかった経営者は、
自身の企業と共に共倒れ、企業倒産していきます。
デザインベクトルは、
「文化性と倫理性」を表現している「美」が、
その企業、経営者に「理解できますか?」と、
常に「応答」ではなく、
「回答」と「解答」できる資質から、経営者たる才能を、
常に求め、検証されているです。


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