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Posts Tagged ‘批判’


『華厳経に入ろうと思う・森政弘先生の講義から』


   


     1月 12th, 2014  Posted 12:00 AM

私が仏教関係の書籍を最も読みあさったのは29歳でした。
それは車倚子生活を余儀なくされたので、
「なぜ、自分にこのような生涯が・・・」という疑問からでした。
したがって、仏教関連の書籍は相当に持っていますが、
先般、森政弘先生の講義を受けて、
すぐに先生の「仏教新論」とともに、
講義の核心であった「華厳経」はこれから徹底的に読破を決定。
届いた「華厳経」の口語全訳は上下二巻でこの厚さがあります。
少なからず教養的に知っている程度では森先生の講義本質には、
私はとても到達はできないと考えました。
「華厳経」は、様々な仏様同士の会話であり、
この経典が仏教の骨格であり、あの道元もこの引用がありました。
森先生は、坊さんが葬式で読むあの「お経」の意味に興味があり、
この「お経」から哲学的な思考とその結論を知ったという話です。
いわゆる「般若心経」の解説本のいい加減さも批判されました。
私にとって「読書する」ということは、
一人っ子で育ったこともあってか、とても好きな領域です。
私は常に思います。
「読書」が何よりも好きだったことが、
そういう家庭でそだったことがとても幸運だったと思います。
「大学人の間は持っていなさい」と恩師に言われて、
名古屋から大阪にほとんどの書籍を移しました。
もう書籍などいらないとすら思っていましたが、
結局、自宅の寝室は常に書籍だらけになってしまいました。
ともかく、整理をし直して、
これからこの「華厳経」の世界にどっぷりと入ってみます。
最近は、電子本であれば読書も簡単ですが、
この上下二巻は、本の香りがします。
これを読み終えたなら、また私の活動の何かが変わるでしょう。


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「デザインは皆無だ!・・・誤りのデザイン」


   


     8月 28th, 2013  Posted 12:00 AM

ある商店街の二つの店舗です。
この二つのお店に私は入ったことがありません。
最も、二つとも男性洋品店であり、デザインされている店舗です。
「デザインされているはずの店舗でしょうか?」、と、
私は改めて問いかけたくなります。
もちろん、私が車倚子を前面に出して批判していません。
なぜならばマーケッティング的に、この店舗デザイン?が
あったとしたならば、すでに歩道との間に階段があります。
この階段は、すでに「拒否記号」だということです。
「拒否記号」とは、
階段が歩道との間にあれば、お客さんが入らないのです。
調査にもよりますが、一段あれば10%から30%は入りません。
3段あれば、50%以上のお客さんを呼び込むには、
店舗の商品やその陳列や店舗インテリアに魅力がなければ、
もうこの店舗デザインを発注した意味は全く無意味です。
私は時折、この店舗の前を通り過ぎますが、
お客さんを見かけたことは本当に無いのです。
3段の階段は、当然ながら彼らのお客さんに車倚子の人は皆無。
結局彼らにには車倚子の人は購買者では無いと宣言しています。
果たして、付け足したようなスロープでは、
電動車椅子の人は使えませんし、
私自身、この店舗を覗いて見ても欲しい商品などありません。
折角スロープを造ったとしても、
そのデザイン的な効用も効果も無いことは確かなことです。
それこそ、銀座通りでもこの「拒否記号」は思いの他多いのです。
最近私は車倚子の方を多く見かけるようになりました。
高齢社会になれば、車両や飛行機なども相当にそのシステムを
変更し、やり直しが求められることになるでしょう。
あるとても高名な、建築家の「大先生」が、
「バリアフリー?、ユニバーサルデザイン?、
私は大嫌いだから、私のデザインはこれでいい!」というのを、
あるジャーナリストの方から聞いたことがあります。
多分その「大先生」は歳老われた時、街には出ないのでしょう。


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「書店本棚での一般的な『デザイン』認識が残っている」


   


     8月 26th, 2013  Posted 12:00 AM

私はこの40余年、プロのデザイナーとして、
「デザインは問題解決のかたち的最適解を求める手法」。
この定義だけを訴求してきました。
しかし、今日も立ち寄った書店の本棚のデザイン書コーナーでは、
「装飾=デザイン」という類の著作集に混在していました。
決して、私はデザイン=装飾を否定しているわけではありません。
むしろ、今、徹底的に批判するのは、
デザイン=装飾オンリーの学校や科目、時には教科書の記述と、
装飾家をデザイン賞の審査委員になっている顕彰制度は、
私の生涯を持って、断固として批判し非難し破壊したいことです。
デザイン賞制度を傍観するとき、「この人誰?」という、
そのような顕彰制度はあってはならないと思います。
この本棚には、おそらく、デザインにとっての基準的な定本、
「口紅から機関車まで」がありました。
日本が敗戦後のタバコパッケージ「Peace」のデザイナーだった
レイモンド・ローウィ著作は元外務大臣・藤山愛一郎の邦訳。
この著作が現代の工業デザインからデザイン全般を語り、
しかもこれがその当時の外務大臣だったことに大意義があります。
デザインが問題解決の代表的な手法であるがゆえに、
デザインされた形態は空間であり、言語であり、結果、記号です。
デザインが職能として認識された民俗毎の認識が、
国際的な乖離が一時はありました。
その代表がわが国だったとも言えます。
デザインが洋装とともに一般的な認識が拡大してきたことです。
私自身、「デザイナーです」と答えれば、
「洋服の・・・」と幾たびも言われてきました。
私が、電器メーカーに就職したときも、
「ポスターを描く職業」だと思われてきました。
しかし、今、私はデザインを学ぶ学生には、
問題解決であり、未来を創生出来る唯一の職能ですということを、
最も主張しています。
すでに私の教え子も、形態設計よりも制度設計に、
デザイン手法を果たし始めています。


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「デザインを国策に! 超党派にこそ頼みたい」


   


     8月 2nd, 2013  Posted 12:00 AM

デザインを「設計から策略」と訳した大国が中国です。
私は40余年、デザインを外観設計ではなく、問題解決の実務、
この定義付けを自ら実践し、教育し、
その一般化をデザイナーの目標と目的にしてきました。
しかし決して政治、国政、国策になっても、
根付いたデザインでは全く無くて浮ついたままでした。
現在「クールジャパン」があたかもデザインと語られそうです。
ところが、大きなイメージ展開の間違いを海外友人からも、
「クールジャパンにデザインは無いよ」と批判されます。
加えて、国内の大企業に限ってデザインへの投資は激減少です。
ミラノでこそ展覧会という若手デザイナーに警告のため、
私は「DESIGN TOKYO」を登竜門展示会として用意しました。
その審査員に、藤巻幸夫氏に加わってもらいました。
もう6年になりますが、スターデザイナーが出始めました。
余りに最近、彼を国会中継TV報道で見かけて、
「なぜ、国会にあれほど出ているわけ?」
「参議院議員に繰り上げ当選したんです」
「エッ!」、ということから、
福井県選出の稲田朋美国務大臣に会っていただきました。
彼女の与党大臣としての政策実務は実に明白です。
比して、藤巻議員の野党からの問いかけも明快です。
現在、わが国は「国難」の中にあります。
国内は、復興があり、エネルギー問題があり、
国際関係においては厳しい立場の中で、
先進国家を維持しなければ、貧しい国家になるでしょう。
それなら、「デザイン」を国策創出と国家表現の発信手法、
これが、ようやく、「超党派」での可能性が出てきました。
私は、「行学」の実行をデザイナー・大学人として、
この「国難」ゆえに、困難さをチャンスに変えたいと望みます。
となれば、「超党派のこの二人」ならば、
わが国を理想的な国家にする大臣と代議員だと確信します。
イデオロギーで政策討論などの時代は終焉しました。
デザイン・ファッション、
この本質はまさに理想実現の実務だからです。
私は、彼らの活動をプロとして、全身全霊で支援する覚悟です。


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「デザインはその発祥から政治的な政策思想だった」


   


     8月 1st, 2013  Posted 12:00 AM

デザインの歴史を語るときには二つの説があります。
人間・ホモサピエンスは、
モノづくりにデザインを考え実行が設計だったという説。
もう一つは、ロシア・アヴァンギャルド時代に、
革命という政治活動を支援する芸術手法がデザインという説です。
私は、デザイン史には、必ず後者を選びます。
デザインという職能は、当初から革命という政治手続きを支援、
まさに、国を変革する策略であったということです。
だから元来は、革命的な政治思想を具体化する手法だと考えます。
ロシア・アヴァンギャルドは、結局、ソ連が崩壊したように、
革命を政治的に成功するともに、いわゆるデザイナーたちは、
虐殺もしくは自死したとして抹消されていったのです。
その代表人物に、私は、V.マヤコフスキーをあげます。
彼の思想が見事に政治思想に転化されてしまった系譜を再考。
彼は、自死とも拷問死ともいわれ不明ですが、
「われわれに新しい形態を!・・・号泣が聞こえてくる」、
このことばを常にいだいて世の中、企業、政治を見てきました。
したがって、ロシア・アヴァンギャルドでは、
建築・舞台芸術・日常用品・ファッションはすでに完成でした。
この成功されていた手法が応用美術からバウハウスなどに
面々と連鎖していきました。
よって、この連綿たる美的な思想から逸脱している模倣や、
すでに存在していたモノのモノマネには常に非難・批判しました。
結果、私自身のデザインは、彼らの理想主義=問題解決、
そして、理想を呼び込む未来志向こそ「デザインの本質」が結論。
ソ連の崩壊は、見事に彼らの思惑通りで有り、共産主義の全否定。
私は、たとえば「グランドデザイン」や、
さらに、理想体制趣旨を「マニフェスト」はデザイン用語です。
現在、わが国は、あるいはわが国だからこそ、
この「国難」には二つの人類の理想テーマが問題です。
地球環境=自然と人類は決して調和などできないから・・・
原発事故=人類が存続する水・食糧・電力はどうあるべきか・・・
だからこそ、「デザイン」をようやく国策の実務にするべきです。
私の最期のデザイン活動には、国策への「デザイン導入」、
これが私の「行学」としての役割だと考えています。


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「『MAKERS』の正しい受け止め方」


   


     5月 17th, 2013  Posted 12:00 AM

「資本」の解釈を決して誤ってはいけません。
自然資本主義という認識を鵜呑みにしないことを
私はプロのデザイナーとして、大学人として記載しました。
そして、ここまでをもう一度書き残します。
「MAKERS」という現代流行の読み方です。
この本に多くの人が騙されています。
オバマ大統領の演説にまで出てくれば、なおさらです。
やはり米国の民主党では政治は無理だと断言しておきます。
彼がこの著作で語られた具体的な3Dプリンターで、
「産業は決して革新されません」。
案の上今、光造形データを3Dプリンターでの具体化を見ています。
大統領は、米国中西部・オハイオ州のブルーカラーからの
「票集め」の戦略だと考えておくべきです。
そして、彼の演説にまで登場したわけですから、
英国での政策評論などは踊らされています。
日本には、もともとの光造形発明があったわけです。
勘違いしている国外国家政策を傍観しながら、
「わが国独自の未来づくり」を地道に創成すればいいのです。
先般、NHK批判を私はブログで記載しました。
想像以上の人たちが、この番組をまったく信じていませんでした。
私はあらためて、日本人のバランス感覚と正当な知識判断を
心から敬愛します。
ずばり、言い切れば、「MAKERS」を下敷きにします。
そして、次のことを提示します。
● 3Dプリンターのデメリットが光造形のメリットだろうか?
● 光造形のデメリットが3Dプリンターのメリットだろうか?
この最も具体的なデザインとその造形をいずれ提示します。
そうすれば、おそらく、このメリットに未来への革新があります。
光造形にしろ、3Dプリンターにしろ、
基本的には「精度はまず求めません、特に廉価シリーズは」。
ただし、高額商品なら「精度と仕上がり、さらに造形素材質」は、
当然に必要です。
とりわけ、小玉博士発明の光造形の進化は、
日本のナノテクノロジーでは、進化の真実を歩んできています。
私は現在、3Dプリンターで「MAKERS」に刺激されて、
そこの未来を想像するならば、
わが国独特の手法と実務を、欧米に惑わされずに、
正当な進化を「これからの革新」のための要素にするべき、と、
考える次第です。


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「資本論が引きずっていることから早く解放されるべきだ」


   


     5月 16th, 2013  Posted 12:00 AM

私がこのブログを開始したのはマルクスの「資本論」からでした。
わが国がようやく大政奉還から明治維新を迎える寸前、
その後、世界中が引きずられてきた「資本論」があります。
ひょっとすれば、あたかも「聖書」と同様に様々な解釈や、
そこから世界は新たな思想、制度、哲学などを支配されてきました。
特に、20世紀はこの理論の解釈は大きく二分されて、
大戦を二度も体験しながらも、
まったく人類は存続の知恵を創ることもできませんでした。
私自身、社会人になる寸前、1970年には「ローマ賢人会議」で、
すでに「地球存亡、地球資源の枯渇予測」があり、
私はとても大きなショックを受けました。
このショックは今なお私の奈辺に大きな重力のままです。
まさか、と思っていた「March.11.2011」を体験するとは・・・
そして、豊かさを勘違いしながらも平和なこの国家が、
産業構造も瀕死状態にあります。
「資本論」は人間の存在を労働力としての批判だと一言にすれば、
「自然資本」は地球資源を自然力としての見直しと考えます。
私は、モノづくりに関わって生きてきた人間です。
そして、たとえば「サスティナビリティ」というのも、
単なる「人類の生き残り」などではなく、
明らかに経済用語だとその論理付けもしています。
私は明らかに「モノづくり」の視点から、
光造形を語り、3Dプリンターの虚実を見極め、日本の未来づくり、
その創成と創出をデザインで主導することを考えています。
まだ明らかに「世界戦争は連綿と私たちを苦しめている」のです。
私たち日本民族が消滅するのは2300年頃と言われています。
そこまで私には全く関係はありませんが、
少なからず、2050年までは自分の思想意欲と、
祖国日本、日本人のあり方を何らかに記述しておきたいのです。
人間中心=労働力で語ろうが、地球中心=自然力で語ろうが、
結局は、人間の日常のエネルギー=水・食糧・電力だと思います。
しかし、すべからくを「資本」と呼ぶこと、
その姿勢を変えるべきだと主張しておきたいと思います。
私の専門で語るなら「型」と「版」でのモノづくりは終わります。
だからこそ、現代の基盤思想は、
「資本」という語りから解放されなければなりません。
私は、とりあえず、これまで記述してきたテキストに、
「Natural Capitalism」、
その邦訳本「自然資本の経済」を取り上げておきます。
「ビジネスモデル」?、もうそんな思考回路は消えています。


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「高級店での思い出・銀座で学ぶ」


   


     4月 24th, 2013  Posted 12:00 AM

銀座といえばその象徴的な高級店があります。
時折、銀座でそのお店に立ち寄り主に展覧会を観ますが、
いつでも思い出すことがあります。
もうそのお店の方はいないでしょう。
もっと早くお礼をすべきだったと反省します。
私はオーディオのデザイナーから社会人になりました。
オーディオデザインが出来たことはとても幸運なことでした。
今なお上司とは付き合っていますが、
デザインを叩きこまれながら、彼にこんなことを言われました。
「工業デザインで最も欠落しているのは、
高級ブランドのモノ、
その素材や仕上げだから勉強しておきなさい」と。
そこで、私はよく銀座のその店の時計とライターを見に行きました。
ところが何度目かで、
私は支配人らしい人に声をかけられて別室に入れられました。
私は、名前や所属企業でデザイナーであることを話しました。
彼は私のことを、いつも見つめているだけの人物ゆえ
とても怪しんでいたらしいのです。
私の事情を知った彼は、すべての店員さんに、
私が質問し見たいモノはすべて見せるように指示してもらったのです。
だから当時から、
超高額な時計・ライターの素材や仕上げを識ることができました。
とても買えない高額高級品を若い時に触って見たことも幸運です。
私は若いときにこうした人に恵まれたと思います。
工業デザインは、あくまでも普遍的でシンプル性を追求しますが、
私も時に批判・非難する「デコレーション」の真贋は識るべきです。
とりわけ、ブランドモノのデザインとデコレーションの調和と技法、
その統一性と融合性こそとても大事なコトです。
モダンデザインが敬遠し近接しなかったコトかも知れません。
私が最初に、手で持って、素材と仕上げを学んだのは銀座でした。
私にそのような機会を与えていただいた方に、
今ならお礼ができそうです。
工業デザインからデザインの本質を幅広く受け止めた銀座は、
今も私にはデザインのふるさとかもしれません。


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「デザインが新産業MADE IN JAPANを創成させる!」


   


     2月 25th, 2013  Posted 12:00 AM

人間の存在は、天災と人災に毎日、そして日常さらされています。
つまり、人間の存在=生きることそのものが危険いっぱいなのです。
それこそ、3.11という大天災は、
一瞬にして同胞達が消滅してしまいました。
連日、日本国中のどこかで人命は「危険」と共にあります。
天災であろうが、まして人災であろうが、
私たちには「想像し創造する力」があります。
天災も人災も、人間には多大な問題ですが、
そうした問題解決には、
人類は永い歴史の中で大きな知恵を見つけだしました。
それは、どのような問題・問題意識に対決するには、
あきらめることや批判し非難することではありません。
何と言っても、問題と対決するならば、
「想像し創造すること」=問題解決をいつも念頭に置くことです。
それこそ、問題解決の実務は「デザイン」に他なりません。
私は、3.11対策で1年間、
デザイン実務で何としても問題解決に向かいました。
しかし、この問題解決を図るには、政治的な力が不可欠でした。
つまらない「政治ごっこ」の政権などに図れるはずがありませんでした。
力無い大企業も全くあてにならないことを思い知りました。
だから日本国家思いの大組織と「危機管理デザイン賞」を新設しました。
そして、丁度、阪大退官時と重なりました。
それなら、新たなMADE IN JAPANでの新産業エリアを、
デザイン主導で開拓していくことに気づきました。
研究室を引き継いで、新産業=危機管理産業そのものを、
最初から、この関西から発信しようと考えました。
しかも、インフルエンザを経験して、
どれほど単なる風邪であっても生命の危険を想い知らされました。
地球環境問題には、Peace-Keeping Designとも重なりました。
原発問題も、相当に思考を深めなければなりません。
俄然と勇気を出して、私の人生の最終章をかけて、
新産業開発をデザインで主導していくことを決心しています。
あくまでも、「モノづくり」で問題解決を成し遂げるつもりです。
このwebsiteにて、新たなアイディアをいっぱい発信していくつもりです。
そのためには、インターンとしてのデザイナーを求めたいと考えています。


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「kobo Touchから見えてくる『青空文庫』の偉大さ」


   


     8月 9th, 2012  Posted 12:00 AM

電子書籍はなんといっても
評価すべきは「青空文庫」の存在です。
88?90年代、HyperCardの出現時にこの「青空文庫」が登場してから
これまでの活動は大評価すべきデジタル図書館と言っていいでしょう。
そして、日本の出版業界は
大手出版社・出版流通制度に縛り付けられていて、
「デジタル文化」をガラパゴス化したと私は指摘しておきます。
そして、楽天はカナダ・kobo社を傘下にして、
ようやく「電子リーダー」を商品化しました。
ところが、私も購入して大落胆せざるをえませんでした。
批判をしたいとは思っていません。
なぜなら記述すれば、それは「非難」になるものと考えます。
これでは、日本の書籍のデジタル流通を
またまた台無しにしてしまった商業主義そのままだからです。
商業主義であってもいいのですが、問題は、
読書文化を踏み台にして「利益獲得商品」にすぎません。
まだ救いになっているのは、
「青空文庫リーダー」として成立しているということですが、
青空文庫1064冊/11407冊収蔵までしか読めないことが
商品背景に電子書籍データが不完全なことを示しています。
商業主義だけ出版社などは読書冒涜も告白愚弄の有様表示。
私の領域、プロダクトデザインとして評価すれば、
順当なデザインと言いたいところですが、
背面の造形処理などはアマチュアだと指摘しておきます。
読書中の掌的触感は無視されています。
つまり、デコレーション処理造形では「滑りやすくグリップ感』無し。
最もKindleはじめほとんどがこのグリップ感を実現化していません。
願わくば、これはイニシャル商品です。
そして、電子書籍リーダーのシステムは完備し始めたところですから、
第2弾商品は、
「日本ならではの国際的商品化」を絶対に目指してほしいと願います。
「自炊」を個人的、研究室的に進めています。
私たちの「自炊ライブラリー」は、
仲間内的にはさらに大きくしていくつもりです。
今回、kobo Touchは、クレームが多発しましたが、
それはみんなが電子書籍リーダーを渇望しているからです。
むしろ「青空文庫」はまさに裏方として、
本当に日本の読書体系を地道にデジタル化してきました。
私は、「青空文庫」こそ、
すでに書籍のデジタル化を見据えてきた偉大な活動であり、
このことをもっと称讃すべきだと思っています。
kobo Touch2に大きな期待を持っています。
少なくとも印刷書籍形式とデジタル書籍は
「読書文化」として共存していくことが望ましいと考えています。


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