kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘提携’


『ゴジラというアンプ思想はアンプジラ2000に継承』


   


     9月 16th, 2015  Posted 12:00 AM



このところオーディオマニアで話題になっていることです。
GODZiLLAというパワーアンプの話です。
私が東芝で結局最後の仕事になってしまったSZ-1000という
エレクトレットコンデンサーカートリッジの
イコライザーアンプに直結した話にもどります。
理由は、私はオーディオの世界で社会人デザイナーになり、
おそらくありとあらゆるオーディオ機器は聴いたと断言できます。
正直、当時のアンプで,今も定評があるアンプは
私にはさほど大したことはありませんでした。
ある日、このイコライザーアンプはプリアンプなので、
パワーアンプを探していました。
そんな時、どこからか板金そのままで荒々しい、
とても商品とは言えないアンプが来ました。
一台は完全に分解されていましたが、
この時期にはトロイダルコイルの開発で国内メーカを、
探していました。電源部はトロイダルの話が蔓延していました。
それ以上に、荒々しいレタリングで素人が書き殴った
GODZiLLA:ゴジラは、日本の怪獣映画で、
パワー最大という印象がありました。
そのレタリングがシルク印刷されていてそれも焼き付けされていない程。
これはとても商品では無いと思いました。
当時この評価記事があったらしいのですがあり得ないと思っています。
なぜならこのアンプと鳴らすべきスピーカーシステムはJBLから独立して、
レッドツェペリンの後押しでできたメーカーで2名がAurex提携で来日。
私は磯子の音響工場で彼らと話して,彼らから来ないかと誘われました。
私はこのメーカーに企業留学を決めて交渉をしていました。
彼らから、このスピーカーシステムはJBLを超えるが、
それにはこのゴジラしかないと言われていました。
無論、このゴジラのアンプはアンプジラでした。
このスピーカーシステムを知っている人はまだ出会っていません。
しかし、ゴジラもアンプジラも製造物責任法が丁度できたのに、
使用者納得であり、製造物責任は今も放棄しないと使えません。
それは、このアンプで感電したり、
スピーカーシステムが破壊されたりしても「使う」ということです。
そして、ジェームズ・ボンジョルノの存在を知りました。
私は、SZ-1000は必ずこのアンプを繋いでならしていましたが、
表向きにはAurexのパワーアンプでした。
アンプジラ2000はようやく大阪に行ってから手にいれました。
しかし、そのためには整流器が当然必要であり、
電源コードもメディカルコードでなければなりませんし、
このアンプの下も本当は金素材ですが、
私はインド産の石材を使っています。
アンプジラ2000はジェームズ・ボンジョルノの最後の作品です。
彼はもう逝きました。


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『大学キャンパスで3番目になった私の研究棟看板』


   


     4月 7th, 2015  Posted 12:00 AM



私の研究室は、おそらく平屋棟で最も小さくて、
しかも私だけというとても恵まれた環境にあります。
大阪大学には三つのキャンパスがありますが、吹田キャンパスは
とても広大であり、建築ラッシュで新しい高層ビルが増えています。
しかし、私の研究室は吹田市のバリアフリー法で護られ、
補修もされていて、前回の寄附講座で室内もリニュアルしましたから
隣には、大きなフォトニクスセンターとの関係で、
30名程度のセミナーや、3D-Printerの設置や、
コンピューター関係や、プレゼンテーション技術、U-stream環境が
整ってきました。当然、出入り管理は私の自宅からも制御出来ます。
かつて名市大時代、私のテーマは、どの企業よりも優れた環境であり、
大阪大学に特任になったとき、ここの一室が研究室になり、
名市大から転籍後には、この一棟が研究室になりました。
その時には、「先端デザイン研究室・PID」を7年間やり、
それから「危機管理工学デザイン研究室」を2年間。
この4月からは、工学研究科から医学系研究科にて、
「コンシリエンスデザイン看医工学研究室」に衣替えできました。
コンシリエンスデザインをこれからのデザイン領域にしました。
今年に入ってから、ほとんど医学系での講演をしてきました。
眼科手術学会などや、未来の手術もコンシリエンスデザインになる、
そして、招聘教授にしたKAISTでも早速、この講座がオープン。
ようやく、この講座とコンシリエンスデザインの定義など、
そうしたパンフレットや、この研究室を核とした、
共同プロジェクトのメイン企業とは契約が終わりました。
これから、大学やまた新たな行政、企業に連携・提携を求めます。
当然、共同開発については、そろそろ公表を開始します。


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「東日本大震災のNHKジャーナリスト講演から」


   


     12月 24th, 2011  Posted 12:00 AM



震災直後のNHK取材は3D撮影であり、
監督されたNHKメディアテクノロジーの智片通博氏に
阪大で特別講演をしてもらいました。
依頼後時間が経ちましたが、
かえって「風化しそうな」記憶を再確認できました。
私自身は震災直後から東芝で
「復興計画デザイン」に関与してきました。
ほぼ10ヶ月かけて「全計画」を書き上げ、
来年早々、東芝トッププレゼンします。
デザイナーとして40年の実務経験からの発想です。
講演では、取材編集はあの日の参議院予算委員会から始まります。
時間経過にそったNHKの天災時対応の詳細や、
そうした放送台本が放送直前の修正まで見ることができました。
私はメモを相当に取りました。
講演を見聞し、幾つか私の心に残り書きとどめたことです。
●震災の歴史的記念は
これは残すべきかは被災された方の気持ちが大事で記念館など不要。
●市町村合併によって町名に何ら東北地方性が失われていた。
●1000年に一度の天災でこそ
「役立たない技術」などはまったく人類に不要。
●NHKは日本人全員の生命と財産を守るマスコミとして
相当の日常的準備訓練があったこと。
●「みちのく」を復旧し復興することが政治で可能だろうか。
●マスコミとしてのNHKに対して、
ミニコミの必要性がもとめられますが、そのあり方。
●箱根を境界として、
日本が二分されてしまった現状から国力再建の可能性。
私は、あらためて国難の中にたたずんでしまっている
自分を客観視しました。
講義後、講座担当教授としてこのような話でまとめました。
1860年、日米修好通商条約提携に向け、
勝海舟・福沢諭吉が乗った咸臨丸が出航。
1854年から1859年は「安政時代」、社会不安に天災続き、
特に大阪も安政南海地震で大津波、
結果、難波(津波災害から)、梅田(埋め田)という地名が生まれるほど。
NHKでも若い取材者は、精神的ショックが相当だと聞きました。
現実、大学生にもボランティアに行きつつも、
そのやりきれなさで自殺者が出ています。
私たち日本人にとって、この震災・津波・原電事故は、
日本を「壊滅」させました。
それ以上にタイでの洪水は、産業的海外基盤を失っている状況です。
祖父や父世代が、日本を敗戦ながらも「楽園国家」にしてくれました。
その楽園環境に麻痺していたのかもしれませんが、
現実、まだまだ復旧さえ進まないわが国は
本当に「絆」をもって再興すべきだと再決意しました。


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