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『3次元上の「力」:相互作用・重力的・電磁力的』


   


     12月 9th, 2015  Posted 12:00 AM

2次元上での「力」=ベクトルを考えると、
それはベクトルの「力」=作用点・大きさ・方向にて、
その理解度は、ある意味では簡単に求めることができます。
しかし、私はこの2次元上での「力」を
量子力学的な「力」でさらに詳細に見直していくことを
提案すべきだと考えてきました。
強い相互作用・弱い相互作用・重力・電磁力という
4つの作用力で再考すべきだと主張することにしています。
簡単に2次元では、正面で直交する二つの力も、
斜視して見れば、直交し合うことはあり得ず、その間に、
一つの空間があることが明白になります。
私はこの空間を仮に、円球=Sphereがあるとします。
これをコンシリエンスデザインの円球と仮定してみることにします。
これは2次元での思考を3次元で見詰め直す一つの手法と考えるからです。
たとえば、縦軸に熱い−寒い、横軸に乾いている−濡れているという2次元も
斜視すると、その間にあるSphereには、
横軸と縦軸が決して交差しないところでは、
熱いけれど乾いていることには、強さと弱さの相互作用に、
熱さの重力や乾いていることの電磁力的な力がかかっていること、
この3次元的な見方が欠落していることが見えてきます。
これまでの、デザイン的な考え方、感じ方、思い方には、
果たして強さと弱さの相互作用の関係や、
重力的、あるいは電磁力=フレミングの右手的、左手的、
そんなアナロジーを考えて来なかったことが明白です。
私が2次元的な直交的な判断や評価では、
「力」としての思考力はきわめて幼稚だと思ってきたことです。
だから、この斜視的な縦軸と横軸の間にあるSphere空間こそ、
それはコンシリエンスな空間であり、
ここにその空間を入れ込む強靱さをレジリエンスと名付けています。
この仮定、まだ仮説とは言い切れませんが、
明らかに、コンシリエンスとレジリエンスの関係空間の設定こそ、
私はこれからのデザイン領域の設定だと考えているのです。
んー!・・・難しい・・・って?
当然です。この Sphereを配置して、重力・電磁力、
そして強い・弱い、こうした相互作用のアナロジーこそ、
私は次世代デザイン空間と呼んでいるからです。
私は「KK塾」でこの解説を、
選んだ講師たちの前説で解説を試みています。


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『滋賀医科大+EDGEで紹介をKK塾でも紹介』


   


     11月 30th, 2015  Posted 12:00 AM

「KK塾」第2回目は東大の生田幸士教授を講師に、無事終了。
私は、丁度フランスで非常事態宣言下のパリから戻り、
滋賀医科大学+国家プロジェクトEDGEでの基調講演で紹介した医工連携、
その説明図解の紹介を前段にして、「デザイン思考」での医工連携には、
どこかに大きな間違いがあります。
まず、医工連携の基本は、医学と工学の合力が医工連携学です。
これに対しては大学人になってからズーッと批判してきました。
医工連携で騒いだ大学でそれが完成、製品化され商品化した事物を
私は一つも見ていません。
医工デザインで、私はいくつか製品化し現実に商品化してきました。
ところが滋賀医科大学は国家プロジェクトEDGEで医工連携の
作用点に「デザイン思考」を、方向に「イノベーション」です。
このベクトル表示と医工連携学という力をニュートン力学で
図解化して基調講演にしました。
しかし、「デザイン思考」はスタンフォード大にIDEOが持ち込み、
d.schoolでのMBAでは未来は来ないとしての教育を開始しました。
案の上、東大はi.schoolをさも先進的として配置しました。
しかし、多分、
IDEOのファウンダーであった故・ビル・モグリッジ氏が生きていたなら、
「デザイン思考」なんていう提案をしていませんでした。
だから、作用点に「デザイン思考」を、方向に「イノベーション」も
実際は大きな間違いを孕んでいることを私は明確化できたと思っています。
「KK塾」では、医工連携とデザイン思考では間違いを示し、
それがニュートン力学での「力」=ベクトル図解の例示でした。
もし、このベクトルなら、
医学・工学・保健学・看護学、それぞれの方向性を示し直しました。
結局、量子力学的なアナロジーに結びつけた方が正しいことを紹介。
果たして、どこまで理解されているかは不明ですが、
第2回「KK塾」終了後、 
JIDAで講演し終えた阪大の招聘教授になってもらっていた濱口秀司氏と
深夜まで討論して、さらに医工連携を「デザイン思考」ではなくて
コンシリエンスデザインにてもっと明快にすることができました。
なんと言っても、重大なのは、デザインは
コンシリエンスデザインとレジリエンスデザインに
軸足両足が乗るということです。
話がむずかしい・・・って?
「KK塾」で学び直していただきたいのと
「デザイン思考」の熟慮不足です。
なぜなら、
スタンフォード大からもたらされた「バイオメディカル研究」に対して、
大阪大が中心で・東京大と東北大学が合同で間違い指摘を開始しました。


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『新たなフォトコラージュはカオリンの磁器に展開』


   


     11月 25th, 2015  Posted 12:00 AM

インテリアデザイナー森田恭通氏パリ個展は、
歴史的には二つの大きな意味をもってしまったようです。
まず何と言っても、彼のデザイン拡大化計画の実現は、
自分が写真家として「Porcelain Nude」を撮影して
私の判断ではフォトコラージュ的なお皿磁器に展開。
その制作依頼もフランスと言えばの磁器ブランドである
リモージュ磁器であり、その窯元BERNARDAUDでした。
なぜBERNARDAUD:ベルナルドでなければ、ということがあります。
それは世界中のシェフたちにとって
重大なレストラン使用皿の効能性でした。
陶磁器といえば、CHINAと呼ばれ、それは中国景徳鎮です。
しかし、欧州ではボーンチャイナと呼ばれる白い磁器がありました。
ところが、見逃してはならないのはフランスであり、
白い粘土と言っても、石粉粘土ゆえに磁器となるカオリンの発見でした。
ボーンチャイナという骨の粉を混ぜるというよりは、
もともと白い粘土 – カオリンの存在は、白い磁器を完成させたのです。
ドイツの製陶技術でも秘策はカオリンを使うことでもあったようです。
いわゆる「真っ白いお皿」は料理を配置するキャンバスだったのです。
そこを森田恭通氏は、特にレストランデザインにおいて、
シェフたちが最も好むお皿に、フォトコラージュ的な
グレーから黒のグラデーションを
カオリンの白皿に革新的手法を発表しました。
そして、もう一つの歴史性はパリでのテロリズムで
非常事態宣言によって個展の中断を余儀なくされたことです。
が、私はかえって中断されたことで
ますます森田恭通氏のカオリン磁器へのフォトコラージュを
「見たい・触りたい」という要求を高めたのだと思います。
おそらく、シェフ達の料理は、白と黒が最も明快ですが、
彼は写真によって、グラデーションをパターン化させるコラージュを行い、
なぜ、リモージュ磁器という欧州最高的な代表磁器ブランド、
その中でも、シェフ達が絶対条件としているベルナルド窯元なのです。
最もカオリンという白い粘土磁器に、白から黒へのグラデーションは
料理人達にさらに革新的な料理、
しかも一流レストランへ向けた提案でした。
彼の個展で、
写真パネルではプラチナ仕上げをめざしピエゾプリントを行い、
そしてカオリンにグラデーションを与えることは
デザインからの提案が、
料理人達にもっともっとレストランのあり方への問題提起でした。
私は森田恭通氏に「日本でもやったらどうですか」と言い残しました。
日本には、磁器の歴史と陶器の歴史が混在しています。
だから陶磁器と呼ばれ、
六大古窯は、すべからく陶器と華道での価値判断がありました。
磁器の世界は、秀吉の朝鮮征伐で連れ帰った磁器職人の仕事でした。
森田恭通氏は世界的なレストランの空間とそこに存在すべき食器に
彼ならではのフォトコラージュを世界にむけてパリで発表したのです。
レストラン食器への非常事態を投げかけたのでしょう。


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『「影向」は陰翳を超えた日本伝統の美学を再興した』


   


     11月 6th, 2015  Posted 12:00 AM

「影向」:yow gowという松岡正剛の提示は、
流石と言わざるをえませんし、それは彼の膨大な認知力でした。
「かげ」には、光との関係が明白にあります。
それは私が「陰翳礼讃」では語りきれなかった不平不満を
全て取り出して、一挙にそれが、納得し解決しました。
陰翳とは、
確かに日本的な暗闇に存在する物への美学的アプローチでしたが、
私には、特に、デジタル化された光と、その影と陰には、
もっとその根幹であるひかりとあかりの翳りという動態こそ重要でした。
そこに、「影向」という言語が身体性で語り直されたわけです。
影にはあかりの翳り具合の形が、
それこそ夢幻抱影な印象解が必要でした。
それこそ薄暗闇にあたかも浮かび上がる世界観が「影向」だったのです。
しかし、影にはあかりに浮かびあがる形があっても、
陰には陰陽五行での遮断されている翳りだけでは、日本の美学は、
翳りのアナログ性を引き継いでもデジタルな翳りへの進化は
決して語り次ぐことは不可能なのです。
陰翳では日本の伝統へその美学性のコンテクストを引き継げません。
これが私的には不満足であり、大きなストレスでした。
デジタルサイネージが結局は電子看板という軽薄さでは日本流は不可能。
「影向」という、暗闇は翳り動態をしながらもあかりある影の形態こそ
抱影されたイメージそのものをデジタル変容させるのです。
だから私はサイネージを超えた「デジタルアッサンブラージュ」という
その新語による映像・照明・空調もデザイン表現を提案し始めました。
「影向」は、言語が場踊りという身体パフォーマンスを、
舞台芸術として革新するとともに私のデザイン表現そのものを
陰翳礼讃どころかデジタル光線の陰と影との翳り制御を発見させました。
私は「KK塾」第1回目の冒頭で「影向」にデザイナー感性を知り、
破壊されていた気分や気配でこの講座を始めることを宣言しました。
この一枚の演劇ポスターですら、
銀塩版での初期写真機撮影で、光の翳り具合撮影であったのです。
世界的なカメラマンが、群像写真撮影ならば絶対に断ったにも関わらず、
「影向」表現の演出には
ここまでのデザイン的な配慮があったと聞きました。
偶然といえば済んでしまう話ですが、
私は「コンシリエンスデザイン」を開始するにあたって
「影向」という、それこそイノベーションという誤解だらけの定義を
「コンシリエンス」=新結合=コンバイネーションを
手に入れることが出来たのです。


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『「KK塾」の対談と質問はイニシャルで方向決定』


   


     11月 4th, 2015  Posted 12:00 AM

「KK塾」スタートは米国から、すでに大阪大学招聘教授である
濱口秀司氏の講演と私との対談、観客からの質問により、
予定時間を大幅に超える熱気の中で行われました。
講演内容は、林信行氏が、
会場から同時間のままSNSアップをしていただきました。
この実況があったためか次回参加者の申し込みが殺到しました。
したがって、ここでは私が彼との対談や観客への回答を
記述しておきたいと思います。
私からの対談テーマというか質問は、
IoTの今後、特に人工知能の可能性でした。
私は彼のプレゼンテーション映像や彼が認知している、
特に彼は「Bias的手法での成功例」や、
阪大親友・石黒教授との合作である2体のロボット会話、
その会話に、人間が加わるだけで、
2体ロボットには、全く人工知能化はいらないことを説明。
そこで、私の持論となりつつある「人工知能無理説」、
つまり、DNAと神経がロボットに実装されない限り無理を
人工心臓デザインの実際や、エボラ出欠熱がRNA破壊など
そうした実例での人工知能の無理説、無謀論を述べました。
人間細胞を決定している遺伝子=DNAはすでに解釈されていますが、
DNAを制御しているRNAを破壊するエボラ出血熱は
ほとんど医療治療は不可能です。
これは100億人を地球環境がとても支えられないことへの
自然淘汰なのかもしれません。
濱口氏の回答は明解でした。
ともかく仕事としての問題があれば最適解を必ず出しますという姿勢。
これこそ、私がデザインを学術性と芸術性を統合出来る能力者、
こうした次世代を大阪大学大学院の私の講座、
「コンシリエンスデザイン」で育成したいテクノロジストです。
そのお手本がまさに濱口秀司氏でした。
観客からの質問は二つに集約できました。
濱口氏は「ともかく練習・訓練が必須」でありその方法論紹介でした。
そして、私にも向けられた質問は、
自分の提案が拒否された場合は?でした。
これは私がデザイナーとしての40余年間の生き様でした。
私の提案が拒否されたなら、
「拒否する人物の社会的存在そのものを総否定する」ことです。
この意見には濱口氏も賛同をしていただきました。
理由は簡単です。
私はデザインからのイノベーション定義こそ必要と考えます。
イノベーションの提唱者であった
「社会階級論」著者・シュンペンターは、
革新ではなく、コンバイネーション(独)、
「新結合」でした。
これこそ、コンシリエンスであり、
これも18世紀の造語であり、対語であったレジリエンスを
現在の大学機構、特にデザイン系大学では
この教育が無いことです。
だからこそ、
私は「KK塾」でも一般的な認知論を開講したのです。
次回からこの講演レポートを配布します。

講演実況 by林信行氏*http://togetter.com/li/893475


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『風神雷神図=風景から情景のアッサンブラージュ』


   


     9月 26th, 2015  Posted 12:00 AM

風景の原意は、暴風雨と彗星、日食月食だと調べたことがありました。
そこで、風神と雷神、風神雷神図ともなれば、
俵屋宗達が描き、その模写は尾形光琳に至り、さらに何人かが模写。
これは、今のコピーだ,インスパイアーされている、という程度ではなく、
明らかに「模写する」という日本美術の歴然たる手法であり
盗作では無いわけです。
風神雷神図に関しては、
特に、俵屋宗達の画面をはみ出さんばかりの構図に特色があります。
そしてこの模写で尾形光琳は風神と雷神を見つめ合わせています。
創始者・俵屋宗達の下界を見下ろしている意味性を光琳は変えています。
今、私は自宅玄関に「デジタルアッサンブラージュ」を実現し、
画面表示とLED照明との一致化を実験していますが、
この「デジタルアッサンブラージュ」にて、
風神雷神図をデジタル模写と風神と雷神の眼球運動で、
宗達画と光琳画の視点移動だけではなくて、
来宅者目線を移動できないものかと考えています。
風と雷はまさに気候による風景を象徴し、しかも風景を決定づける
この両シンボル視点移動の表現だと思っています。
玄関でのデジタルアッサンブラージュは実験ですが、
やがてはデジタルサイネージを超越する技術進化になるはずです。
すでに、冬にはこのアッサンブラージュ内で焚き火が燃えています。
丁度、大阪城や好きなお城や仏像もコンテンツになるでしょう。
今は自宅玄関で、WiFiとIR、そしてLED照明に過ぎませんが、
これらは、デジタルアッサンブラージュとして、
ホーム全体の空間、ホテル、ホスピタル、訪問看護領域に多大な影響、
それらのコンテンツデザインが必要になることは明らかですが、
そのためにも、俵屋宗達の雷神と風神の視点と、
尾形光琳の雷神風神の視点をも動かせるデジタルアッサンブラージュこそ、
私はこれからのオーディオ・ビジュアルを実現する、新素材での
全く新しい空間デザインになると考えています。
デジタルアッサンブラージュは風景を風神雷神図から受け継いできた
それこそ、風景を情景化するデジタル技術表現ではないかということで、
しかも、このパッシブなコントロールはセンサーで、
アクティブなコントロールはスマホアプリで、
可能になることだと考え、提案しておきます。


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「オノマトペ=感性評価軸が学術検証された」


   


     9月 23rd, 2015  Posted 12:00 AM

声喩・擬音語・擬態語として
「オノマトペ」の学術論文がようやく査読OK。
これは私が長い間、繊維の性質分類の感性評価軸、
その設定をめざしてスタッフを中心に、福井県織物組合の青年部会と、
擬音語で、布感覚評価をしてきたことを学術的に、
感性工学会に提示してきたものでした。
提案から1年半かかったことになります。
かねてより、繊維・布には七つの手触り感覚での分類がありました。
しかし、数値化不可能であり、プラスチックが金属化をめざしていた、
その手法に触発されて、まず我々はその感性評価の6角形に、
さらに「しなやかさ」を付け加える道具で、
布の手触り感覚評価を随分と積み重ねましたが、所詮、それは、
大人たちの感覚に頼りきっていることに気づき、
保育園児たちに彼らの感覚評価を求めてみました。
「ぬめり」・「しゃり」・「きしみ」は幼児達の語彙には無く、
それゆえに、彼らは頬に押し当てたり、噛んでみたり、嗅いでみたりと、
彼らの五感に布の感覚はまさに新しい擬音語まで突出する有様でした。
これによって「羽二重:HUBTAE」ブランドの
参考見本帳の感性評価軸ができました。
ちょうど同じくして、二つの現象が起こってきています。
ひとつは、ビールCF表現での「ぐびぐび」、「ごくごく」とかを
未成年の飲酒禁止表現でのあり方検証になっています。
またもう一つは、
医学特に、問診でのどこが痛いかを伝えるオノマトペ運用があります。
「ずきずき痛む」、「きりきり差し込む」などは、
患者とドクターとの会話での感覚伝達になりますから、
これをさらに突き詰めていくことで、背中、胃周辺など、
体の一部への痛度評価になるという研究が出現していることです。
このことを大阪大学医学系研究科でも、
痛度の「オノマトペ感性評価軸研究」に
明確に持ち込むことが可能になりました。
地方産業、その繊維の感性評価軸への「オノマトペ運用」は
デザインにおける一つの
それも大きな感性評価が可能だということです。
そのためには、擬音語や擬態語の収集と伝達によって、
これら擬音語が少なくとも三つ重なった時には、
感覚伝達の共有化が必ず叶うのではないだろうかということです。
おそらく「オノマトペ」というラテン語からフランス語になっていった
ことばが感覚伝達をすることは確実になったと思っています。


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『英文の日本文化百科辞典も見つかった、その思い出』


   


     9月 9th, 2015  Posted 12:00 AM

書庫からはなんとしても見つけたかった
英文での日本のいわば百科事典も見つかりました。
これをなんとしても手に入れようと思っていたのは、
米国でApple社での仕事、
そのプレゼのために必要だと思っていたからでした。
ところが、どうしても2巻が見つからずに
探しまわりました。
それは一番なんとしても調べあげて、
徹底的に知りたかった項目がその2巻にありました。
すっかり忘れていた項目には、
ポストイットが色褪せて張り付いていました。
それは明確に、仏教、道元、曼荼羅には、
確かにその当時には「Mind Top」というネーミングであり、
3×3で9つの金剛界曼荼羅がデザイン表現意図でした。
まだ、Appleがノートタイプの開発に入ったという
そんな噂しか知りませんでした。
私の提案の骨子は曼荼羅であり、その曼荼羅の仏教と、
さらには自分のふるさと永平寺と道元を
デザインの背景だと絶対にCEOであったジョン・スカーリー氏に
話さなければと思い込んでいました。
スカーリー氏は実際にはCEOではなくて、Chief Listenerであり、
この理由を知っていた私は
Dream Designerという名刺を作成までしていました。
そして、英文での曼荼羅の大きな図鑑も持参しお土産にしました。
なんとか下手くそな英語で曼荼羅を伝えて、その図鑑を差し出したら、
彼の社長室の本棚でも際だったところに同じ曼荼羅図鑑がありました。
ノートブックPCは、デスクトップ、ラップトップ、ハンドトップから、
最終的にはマインドトップが私の狙いで、その裏側の仏教、
特に道元そして曼荼羅を懸命に話した思い出が
すぐにこの百科事典で浮かびました。
そうしたらなんのことも無くスカーリー氏は、仏教、そして曼荼羅、
いずれにも詳しかったことを後に知りました。
そして、プレゼが終わると時間が延長になり、
スカーリーが呼び出してくれた人物はアラン・ケイでした。
私が夢かと思う出会いで、
同じ内容、仏教、道元、曼荼羅の話でプレゼしました。
丁度Apple社はコードネーム「ASAHI」開発の現物を見せてもらって、
「なぜ君はキーボードが奥にあって
手前がスクロールボールになるのですか」と聞かれました。
この英文の日本文化の百科事典も、やっと書庫で10年ぶりに出会い、
そして自宅に持ち込んでいます。
これで、英語での日本文化紹介には最適な百科事典です。


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『鏡の背後を熟知するため、あるいは解放をめざす』


   


     8月 25th, 2015  Posted 12:00 AM

私が「鏡」に最も興味を抱くことになったのは、
宮川淳の現代美術評論によってでした。
具体的には最初、「プラトンのオルゴール」で、
曲面鏡を組み合わせて、空中に物の虚像を展示計画の核心にしました。
以後、私にとって鏡面は実像と虚像で、
確かに「鏡の背後には冥府がある」というほぼ虚像的な実感があります。
もちろん、金沢21世紀美術館の展示計画には、鏡を多用しました。
が、展示撤収では鏡を割って、と聞いたときに、震えがきました。
そのためかどうか思いすごしでしょうが、
敗血症・多臓器不全死に陥り、重篤状態までを経験しました。
それ以来も鏡面にこだわっていて、鏡面のキーボードを商品化しました。
そのことでは相当にノウハウを積み上げてきたと自負しています。
今はデジタルサイネージでの鏡面とLED照明の組み合わせで、
それこそ「陰影礼賛」にまで届かないだろうかというテーマを発見。
これを自宅にまで設置してWiFiコントロールを狙っています。
丁度、まもなく照明学会全国大会で、この紹介というより提案をと
その図解制作をしながら、多分、このデザイン意図では
必ず限界があることもこれまでの経験で解ります。
それは、かつてアクリルミラーを受験生に与えて入学試験をし、
その時もシミュレーションをしたところ、
それは想像を超えた印象を与えてしまっていることを確認しました。
この印象は金沢でも床面と天井面そして壁面に実物を展示したところ
実際には天井と床は永遠かと思えるほどの高低差を見せました。
まさしく、
視点は「どこを見ているか」という虚像の連続性を生み出します。
もうひとつの視点「どこから見るか」という自分の存在を消します。
鏡・鏡面・鏡面の立体化はとても怖い存在になるだけに、
鏡の魅力は果てしなく、まさに冥府なのかもしれません。
自宅にはなるだけ鏡を存在させずに、
もし鏡面があるとしたらという制御、コントロールが、
日常環境で自在になれば、映像という虚像と、
自分の関係から、冥府を知り尽くすか、解放されるだろう。


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『私は、東芝が大好きだ』


   


     7月 27th, 2015  Posted 12:00 AM

金沢美大卒業が近づくと、Y主任教授から、
「お前は何をデザインしたいのか?」と聞かれて、
「音響と照明です」と答えたのをはっきりと覚えています。
「それなら東芝に行け」と言われましたが、ピンと来なくて、
自分でも二社を選択(当時一人に40社ありました)。
「先生、この二つの企業に行きたいです」と言いに行くと、
「君は二社とも合格するだろう」、「そうですか」と答えました。
「二社受かっても、卒業は出来ないから、君は東芝だ」(なぜ?)
東芝に入社して、希望は「音響部門だけ」と答えると、
そんな奴はいらん、と言われたので、
翌日、「辞表」を持って行きました。
ところが、当時のディレクターから「なぜ辞表だ」と言われて、
「音響以外、家電や重電まったくやりたくないので」
「いや、君は音響で採用したのだから辞めるな」と言われました。
東芝には7年間しか在籍しませんでしたが、
3.11後も顧問をしていましたがまた喧嘩、でも今では教え子もいます。
在職中にC.I.デザインに関わりました。
C.I.思想と手法は企業留学組が日本にいち早く持ち帰り学びました。
それ以前はAurexロゴデザインからC.I.をすべて担当していました。
私が入社したのは東京芝浦電気株式会社ゆえ、
傘マーク(左)は資生堂のごとく手描き訓練をしました。
「T」で東芝のマークは可能でしたから顧問時にも提案していました。
今、大きな話題「不正会計」が問われていますが、
経営トップたちの24時間体制=例えばメールも24時間以内に対応する、
これは優れた企業活動でしたが、ある面、恐怖支配感は体験しています。
160年の企業歴史は、田中久重=「T」の存在から始まっています。
私には自分がデザイナーとして育まれた素晴らしい環境の企業でした。
Y主任教授が倒れたという連絡で、すぐに金沢に飛んで帰りました。
教授は「どうした?大丈夫だぞ帰ってくることない」と言って、
病院の玄関まで送ってくれました。
「川崎、東芝の4番バッター(4番目に入社)だぞ」と見送られて、
その一週間後に恩師は逝きました。
私の人生は東芝から始まっています。
だから大好きです。


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