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Posts Tagged ‘敗血症’


「除細動器埋め込み入れ替えより生還」


   


     10月 24th, 2011  Posted 12:00 AM

ブログ再開させていただきます。
ご心配をおかけしました。
励ましをいっぱいいただいたこと感謝します。

 

左:2006 右:2011・今回新規埋め込み+リード線追加

2006年に「敗血症」になり、
「多臓器不全死」から戻りました。
この経験は交通被災・幾たびかの心臓発作、
そして何度かの重篤を経験した私には、
除細動器の電池切れによる再埋め込み手術は恐怖でした。
感染症を引き起こしやすい体質になってしまったからです。
正直、「死ぬ」ことへの恐怖は全くありません。
ただ、まだやりたいこと、やり残していること、
私を師と思って懸命になっている教え子たち、
そして最愛のワイフと別れることには、
とても自分を納得づけることができませんでした。
このブログを休止したのも、
手術前のこうした大きなストレスと対峙することでした。
この5年でICD=除細動器は進化していました。
しかし、肝心のことは全く進化していませんでした。
日本人は日本製で自分たちを護るべきでしょう。
これはこれから私の私への大きなテーマです。
さらに、リード線の不良率は10%から1.8%となり、
この取り替え手術も付加されました。
以前のドクターはミラノへ留学中。
よって今度の執刀医は、
学位論文作成時、そして公聴会対応などでは、
あるChannel詳細での指導を受けたドクターでした。
手術直後の「儀式」もすることができました。
そして、決して「痛い」と言わないことも守り抜いて、
病室に戻ったとき、ワイフの顔を見てから、
やっぱり「痛いよー」と泣きました。
これでまた5年は生きながらえるでしょう。
ふるさと福井に戻り、ふるさとの空気で試運転。
講演・親友たちと食事・墓参をすませました。
しばし、体調を労りつつもこのブログ再開です。
しばらく沈黙していた時間にみえてきたこと、
どうかご愛読をお願いします。


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「『闇』に統合されている意味要因」


   


     8月 4th, 2011  Posted 12:00 AM

闇=ψ{音・暗・響・意}。
闇が含んでいる意味性のことばは、
音・暗・響・意を飲み込んでいます。
ψは美度性を表す記号を引用。
闇には音・響が、耳鳴りとしてあるかもしれません。
そして暗=光がありません。
その暗闇で音響の有無も無い空間だとすると、
本来あるべき意味性までが剥ぎ取られています。
ここからは、私の体験、重篤状況と言われていても、
私自身は闇空間に身体があります。
その空間には三度行って帰って来ました。
最初は交通被災で胸椎を圧迫骨折、
胸骨六本内二本が肺に突き刺されて呼吸困難。
一日放置で体力有りとなって手術。
私は闇空間に居ました。
音響無く、遙か彼方に光の輪が見えていました。
次は、越前和紙産地で和紙見本を紙漉していて心臓発作。
気絶していましたが、全く同じ闇空間に浮いていました。
そして敗血症で多臓器不全寸前まで闇空間。
これら三回とも同位相の闇空間には遠方に光の輪。
この輪に吸い込まれていきます。
とても快適で快楽性があるほどですが引き戻されると、
途端に悪寒・嘔吐・高熱が始まります。
この三つの病態が幾たびもサイクルになります。
私はこの闇空間が現世と彼岸の間にあることを実体験しています。
おそらく、これがいわゆる臨死体験なのかもしれませんが、
私は体験しながらも確信も信用もしていません。
むしろ「闇」といわれる空間性の意味に、
音・響・暗・意が包含されていることを確認しています。
まず、闇空間に位相に音響と光の関係を考えることが出来ます。
私はあらためて「闇」の意味の中に自分を配置してみます。
それが、自分を思考停止にする大きな圧力と考えるからです。
思考停止には暗闇・音響・光が介在していると思います。

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「資本主義からの逃走」
 「全体価値を創る、自己確認するための痛み。」
  


   


     2月 27th, 2011  Posted 2:13 AM

あらためて、私の夢の形見
デザイナーになってちょうど40年です。
すでに残された時間ということを考えます。
しかし、28歳で最初の死に際を実感しながら
40歳までの時間を意識していたにも関わらず、
心臓病、敗血症、と3度も「あの世」の入り口まで行ってきました。
そのおかげで、何を残しておくべきかはすっかりわかっています。
デザイナーであるがゆえに、無論、「造形」から「思考結果」、
さらに、私の持ち時間では完成できないコトは、
次世代、次・次世代に期待と希望を託すだけになりました。
その大きなテーマが、
「デザインは付加価値ではなくて全体価値を創る」ことだというコトゴトです。
それを、今、私に要請されているモノづくりと、
自分が果たしたいコトを懸命さと賢明さでということを言い聞かせています。
具体的に、「私はここまでやったから、あとはよろしく」ということでしょう。
そういう意味では、大学環境と企業環境を往来できることは、とても幸運なことです。
「全体価値」が観えるというのは、
私にはとてつもない「欠損・欠陥・欠落」部を身体的に毎日自己確認できるからでしょう。
自己確認となる身体的痛み
その自己確認とは今なおひきずっている交通被災での損傷部位の「身体的な痛み」にあります。
喫煙すれば、この痛みは一定になります。だから喫煙は麻薬に等しいのです。
酒を飲めば、この痛みはまったく感じなくなることも充分に知ってしまいました。
しかも、この痛みという自己確認のマーカー値が暴れ出すとき、
私の心臓病は、頻拍から細動に至る危険性がありますが、
ICD(除細動器)を植え込んでいるのでパルス衝撃で食い止めることになるでしょう。
私の身体的痛みが毎日毎日明確であるがゆえに、
私だけが伝えることのできる人間であるという同一性を「かたち表現」にしています。
耐えきらないほどの痛みに立ち向かえることの体力と精神力を鍛えるためには、
「自分に喧嘩」を仕掛けるわけです。
62歳、スタッフや教え子たちが祝ってくれました。深謝です。
まだあと少し私定義の「全体価値」、みんなに伝えたいことがあります。
私の「夢の形見」でもあるのです。


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